AKO’S Monologue

  • マルマル一週間以上ホテル暮らしをしていていろいろ思うことがあった・・。高層階ホテルから眺める景色や夜景はホント綺麗だ。だから、きっとタワマンが人気なのはそういう所もあるのではないだろうか?って思うし、建物の構造からとても静かな空間もいいところ。そんな場所から一転して狭い部屋のビジネスホテル。。私がビジネスホテル選ぶ基準はお風呂とトイレの広さを重視してる、部屋の㎡よりもトイレとバスの写真を載せてほしいぐらい!!笑 ホテル住まいも自由さと不自由さの両方を感じる。フロントの方の挨拶一つで癒されることもわかったし・・掃除をしなくていいのだけど、わたしはベースで掃除が気分転換になることを知った。笑 洗濯物はあんまりしないから助かってるけれど 笑 今朝小雨降る中で歩道作業してる方の「めんどくせーー」って言葉が聞こえてきた。わたしもホテル住まいでめんどくさい事とラクなことの狭間だもん・・、人生ってめんどくさい事だらけだよね!!って思った。だったら、面白がった方がいいなって思った。【 おもしろきこともなき世を おもしろく 】by高杉晋作のことばが思い浮かんだ。。その言葉に続き 住みなすものは心なりけり 心の持ちようだと思ったところ。。笑 こんな生活を送っていると日ごろ全く感じないことを感じられるようになって発見もあった。。社会への発見もあったし、自分自身の発見もある。わたしのベースは和食で体ができていること、お風呂の時間が大事なのと、そうじをすることが好きなのだとも・・笑 自分発見って意外と簡単なところもある。。 

  • 健やか

    明けましておめでとうございます 年末年始 突然の車のエンジンがかからないハプニング起き 年始め熱出てコロナかと思い覚悟でPCR検査何度しても陰性でハナミズも出ています。コロナも身近になっても実際はどうなのかわからず人それぞれで症状が出たり出なかったりしている方もいれば後遺症の方もいたり。。兎に角!!健康がなによりも大事だとつくづく気づかされました。失って気づくモノの一つの健康&元気。一つ年を重ねるという事のオモミを感じました。自分のためにすることでまわりの為にもなること。一日一日を大事に過ごしていけば いい年になるように思います。日々の暮らしの中でお洋服(福)でお手伝いできたらいいなって思っています。みなさまのご多幸と健康を願いつつ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

  • KUSE・・

    竹のような成長もあれば、10年で1ミリ成長するようなサボテンもある。私はどんな成長するタイプだろうか?骨みたいなタイプだかな・・笑 折れた骨は元よりも太く強くなると聞くから・・・失敗とダメージ(&刺激)でたくましくなれるほうかなぁ。先日なかなか厳しい言葉(助言&感想)は率直なものだった。わたしの口ぐせ、振舞いを観ておしゃったのだろう。久々の衝撃でここ5年なかったぐらいの刺激。ドMではないけど、私の中でエンジン音たてギアチェンジが起きた。ここ数年省エネのハイブリッド車のような平坦な道をモーターで走っているような生活をしていた 2023年からは脱皮して登り坂を登りきれるようなアクセルを自分で踏み込みたい。型落ちのボディで燃費のいい最新エンジンではないけれど、今とこれから先の時代についていけるように!最新だけがいい訳でもないはず。。思考、口ぐせやモノの言い方、行動パターン、振舞、どれだけ変化するよう意識できるか、脱皮するには自分にとって瑞々しいことを学ばなきゃだ。脳の許容範囲はどうかわからないがフットワーク軽く・・久しぶりに!! 考えるな感じろ!!でいこうかなーーー 笑

  • KUSE

    クセをなおしたいところ・・・無意識にしているから質が悪いもう、、誰も注意もアドバイスも助言もしてくれないから超厄介なもの。どうしてそう思ったかというと・・お店ではないところで目上の方の口ぐせや音のあるようなないような吐息を感じて・・ハテ??気を触ったかと空気を読むと。こちらは粗相があってはならない立場でひとつひとつ意識していたからすごおおぉく気になってしかたなかった汗 途中、悪気なく無意識の癖だと気づいて気にしないでいれた。無意識の癖って相当厄介なもの。昭和育ちの私の学生時代を思い出した、同級生と同じように振舞っていても目を付けられ呼び出されるのはわたし。背が高いから仕方ないと諦めたけどおそらくそれだけじゃなくてきっと無意識レベルの癖が端を発していたのだろうと思えた。無意識レベルのクセ!口ぐせ!言い回し!話すスピードとトーン!超些細な振舞や行動表情全てが地雷源だったのではないかと思えた。自分では自分のことはわからない。原因や理由に本人の心辺りがなくても「自分の蒔いた種」無意識に落としてしまった種からの発端。無意識を意識するって歯の矯正並みに拷問のような矯正が必要だと思う。自分の全域で冷静に慎重に丁寧にを心がけるしかない。ある人が言った イヤと思う感情はどこかに自分の根っこにあるからイヤに思う。受け入れそこを自分自身が改めるようになれば腹も立たなくなると・・・!

  • スィートピー

    薄紫のスィートピーを沢山頂いたのでお店に飾り、前を通る度にとてもいい香りがしてる。スィートピーがこんなにも香るお花だとは思ってもみなかったし、ほどよい甘さと爽やかさがちょうどいいから春を思い浮かべる。こういう自然のお花の香りのような香水があればいいのになぁと思う。お店のカラーイメージはラベンダーやパープルがあるのはオープン当時からで、きっと試着室のカーテンの色がその色があるからかなぁって思ってみたりしてる。印象に残るものというのはいろいろで人や物だったり、空気だったり、香りだったり言葉だったり。いつの間にか2022年もあと10日もない 今年の印象に残ることは?というと・・日々現在進行形だからか 区切りよくおもいだせずで1月から順に思い出そうとすればできなくはないけどあまり思い出さないモノ。。。来年はやってみたいことリストを作りひとつひとつ味わいつつやっていきたい。その時その時を楽しみながら満足しながらもがきながら・・笑

  • ナン・・

    作り手も給仕の方もみんなインド人男性で、ゆっくりとしたテンポで話しかけられるからか店内のインド音楽が流れているからなのかゆるーい空気感が非日常だった。厨房から帰り際に微笑みで送り出してくれたせいなのか日本なのに久しぶりの海外旅行で感じるような気持ちになれた。日本にはない空気。。。日本の中で日本を離れることができるってそうそうできない。日本人はいつから笑みを浮かべれない人種になっちゃったのだろうか・・。特に今はマスクをしているから仕方ないことだけど余計に表情が分かりにくくなって、3年ぶり東京出張で一番感じたことは無表情な顔の人の波の怖さだった。大勢いるのに静かで無表情。「目は口程に物を言う」はずではないだろうか・・・。いつもニコニコしている大らかなおばあちゃんのような存在は日本には絶滅してしまった・・日本の社会がそうしてしまったのか時代なのだろうか・・来年わたしも50がチラリチラリと見えてきた大らかなゆったりとした雰囲気の醸しだせる女性になりたい。若見えだったり成熟を怖がる女性 見た目だけの美しさを追うだけの女性よりももっと重要なことがあるように思ってきてる。。

  • ナン

    前を通ると気になっていたインドカレーのお店。偏食気味の私、新しい食べ物はほとんど口にしない私は潔癖気味で食リポは到底できないタイプ。訪れる事はないだろうなぁって思っていたけど何事もやってみての経験だと思ってトライして行ってみた。カレーを食べる気で入ったのに、インドではお祝いのときに食べる料理で日本の炊き込みご飯のような物という但書のフレーズが気になりどんな味なのかわからないから注文してみた。見た目で想像できない味のものや匂いの受け付けないものは絶対に口にしないわたしにしてはスコブル挑戦。オレンジ色のチャーハンのように見えるその料理を恐る恐る口にしてみる。何とも不思議な香辛料の味だった。沢山の香辛料でニラのように見えたものもシナモンだったり、カシューナッツや松の実だったり、お米なのかクスクスなのかわからない小粒の食べ物。不思議な食べ物が口に入るたび馴染みがなさすぎて体が混乱していた。笑 何でも口に入れて試せるタイプの人もいるけど私は気絶してしまうほどムリな行為。わざわざそんな経験をすることないだろうけれど・・自分の認識できる範囲でのことしかしない私自身が保守的でイヤに思い、何か未経験のことをする勇気と軽快な行動力を持たなきゃ、積極的にしていかなきゃこじんまりとまとまって退化と止まってしてしまう気がしていくようで・・、老いというのは初めてや新しい経験をしなくなることのように思う。拒絶や拒否より一旦受け入れる器量を持っていたいなぁって思って。言い訳の多い理屈っぽい自分になりたくなくて・・反省して笑

  • CARD

    X’masカード2022はモノトーン(白と黒:正しいと正しくない、正解と不正解、陰と陽)答えがハッキリ出るものばかりじゃないから・・・個人で思い考え想像して自分軸でいいように日々過ごしてほしいと願って。周囲や一般的に振り回されるより自分自身がいい!これから大事なようになってくるかなぁっと思ってます。お客様との会話で、パン職人の話 日本での修行時代は小麦バターなど材料をキッチリ計量し、発酵時間・焼く温度も決められたものでパンを作っていたところ、本場フランスに渡り修行してみるとみんなテキトーに職人たちがパン作りをしていて啞然としたそうだ。計量もせず成形も不揃いで いーかげん にみえていた。ある日、パンは目と手と心で焼くものだよ。。と言われ、目で様子を感じとり、触って感触を感じ、心を込めるものだよと。いーかげん が良い加減(イイ加減)だったそうだ。答えがあると流されるだけで考えなくていいからラクなのかもしれない。だけど、日々自分で自分のイイ加減をわかり調整しながら生きていくのがいいのではないだろうか・・真面目すぎるのも窮屈で苦しくなるのもムリをしすぎるのもどうかと思う。好い加減やイイ塩梅を自分の生活全般になるのを願っています。

  • 計算

    日日 お客様のお洋服選びやコーディネイトに携わっているけど、今日は自分の中でチグハグな感じでイマイチの一日だった・・。もうちょっとおしゃれな着こなしやコーディネイトやバランスができるはず・・・って思いながらも自分の持っている服との組み合わせがピンとこない。冬の時期はさまざまなアイテムが重なり合っていくから楽しい半分どこかで何かがなんとなくヘン?って思ってしまう冬コーデ。インナーの色が?靴のボリュームが?ソックスの素材が?ってちょっと違和感は正解と不正解の中間だと思う。決してオシャレは、数学のように答えが一つではないからいろんなバージョンがあっていいと思う。微妙なのは事実。よりセンスよく、より清潔感に、より素敵に、よりスタイルよく・・を求め続けての工夫はイイ。やっぱり今日の私は自分でイマイチすぎた・・・笑 自分が納得していたら周りから何かを言われてもへーきでへっちゃらなん。人からのコメントより、自分の満足感を大事にして服を着ているのが大人のオシャレっ気なのかもしれない。だから、正解不正解よりも好きか嫌いか、心地いい気持ち、気分や着ている本人の気分も含まれて雰囲気になっているのかもしれない。本人の着る(纏うスタイル)に繋がっているように思っていくように感じる。気持ちと気分と足し算と引き算の計算されて組み合わせがキーなのかもしれない。

  • furikaeri

    「むかしは・・・前は・・」と過去基準に今いるのか、それとも先をみて今過ごすかによって全然違ってくる気がしてる。印象的だった光景はプツン、プツンと写真のように記憶してるけど、時系列に巻き戻せないし過去を思い出せないタイプ、 師走になり去年、一昨年と過去さかのぼることができない忘れているタイプ(笑)。今日こうして寒風吹いて本格的な冬支度。蟻とキリギリスならキリギリスなのだろうなぁ・・自覚があるから蟻を見習おうとする(笑)。40代オーバーのファッションの流行の新しさは見込めないから、新鮮な気分の味わえる色だったり、真新しい服を着る楽しさだったり、自分の理想のスタイルに近づけるのがいいのでは・・と思う。それが今まで持っていた同じ物の色違いだったとしても新しいモノを着るというのはイイ気分で心地いいものだ。師走とお正月というのは、日本人独特で新しいモノを着るような同じ感覚になれるタイミングだったりするように思う。時間の進みが早いこの月だけれど新しいカレンダーやスケジュール帳には2023年のことが書き込まれていく。持っている服に合わせながら服を買い足すように、今の私と来年の私をどうしたいか想像するのにいい時期。やりたいことリクエストや望みや自分の理想は多くてもいいと思う(笑) 小学生みたいにみんなの前で発表させられるようなことはないから こっそりスケジュール帳に書いておこう。。。2023年がちょっと楽しく思えて気がしてる。

  • light

    突然 冬の寒さの始まった12月。一年前の12月フト思い出してみると・・コロナで一旦止まっているような状況から、明らかに私個人でもいろいろな一歩出はじめてきた気がしている。不安に思う足元よりも前とこれから先を見つめながら一歩一歩ジョジョに進みたい方向が見えてきた。コロナの印象がすこし変わったように毎日の生活をつづけながら動いているような気配が去年とは全く違う。コロナをきっかけにして  なんとなく・・・ふと思う・・ふと感じる・・・みたいなのが、なにかを終えたり始めたりしているような気配がしてる。コロナをきっかけにして気づきと思うか思わないかでコレカラが個々人で変っていくような気がしてる。強制的に変えようとして変われることは相当タフなこと、身を任せていたら・・何となくご縁でというようなこともあってもいい気がしてる。頭でしっかり考えることも大事だけれど、信頼のおける人や心許せる人の助言に添ってみるのもいいような気がする。お洋服の選び方が変わるように知らず知らずのうちに気分が変わるのといっしょだ。自分のことは自分がいちばんわかっていたいけれどそうでもないのが自分本人だったりする。やっと聞く耳が持てるようになったり、何か light になってきてる。いい意味で light でいい。。

  • Twitter

    見えないものが見える化してしまった・・今。言葉もそうだ・・・Twitterのことは頻繁にトピックスにあがってくるのでTwitterをしてないから第三者的サラリと目を通してみる。Twitterする人たちのことはよく知らないから何も思わないけれど社会の様々なところで影響力が大きいのは事実のようだ。ふと言論の自由はどこまでなのだろうか・・空中に浮いてミエナイ言葉、ちょっとした会話でも受け手によっては解釈が全く異なる 超身近なコミュニティなのに。。たった一言で悩みの種になり、ずっと頭の片隅に残り、何年も傷痕になることだってある。言った本人の罪なんて気づいてなく言った事さえ忘れてしまっている。私も小さい頃から傷を負わせて傷ついてきた。デリカシーのない人ほど、言葉の武器 という事をかんがえてほしい・・と思ってしまう。古代からの7つの文明は、宗教、人種や民族、言語、習慣、制度、価値観などにより熟成されるとあった。SNSはいろんな境界を消している。だから、自分を守るのに線引きをしていかなきゃと・・。無防備でいれば言葉の武器でヤラレテしまうから私は必要以上にコミュニケーションをとりたくないと思っている。広ければいい多ければいいというものでもないはず、【 量より質 】【 少数精鋭 】という言葉だってあることを忘れている。感性を磨いて、目利きにならなければと思う今日この頃。。

  • スッポリ

    東京出張中のこと・・突然アポイントなくなり予定ゼロとスッポリ空いてしまった。ビジネスのチェックアウト時刻は早く行き場をなくしてしまい、こんなにも何もない日に困ってしまいさてはてと・・・。東京で行ってみたいというところも特にはなくで、美術館を調べてみたけど大きな荷物を持っていたせいもあるけど気乗りせずだった。こんなにも有り余るほど時間があって自由なのにどう過ごしていいのやらという私。ユッタリと過ごすというのも至難の業でどんなときもどんな場所でもマイペースを保てるっていうメンタルにかかわってくるのだと思った。私は自分で起こした渦のグルグルした勢いでグルグルただ周り続けていたのをマイペースと勘違いしていたのかもしれない。公園のベンチに座りぼんやりしていながら思った。マイペースでいられるというのはなかなかタフなこと、実はただ流れに流されていただけだったのだと、その方が実はラクチンだったりしたのだとも思った。何かがあることって実はとても有難いことと思った。大都会で何もかもあるのにわたしには無用の長物だった。笑  

  • JITABATA

    先日ミイラ肌に衝撃をうけた私は・・慌ててアレコレと始めた。。タンパク質の量を意識してとるようになったり、ついついカンタンに省いてしまっていた基礎化粧品のお手入れを入念にしはじめたり、お薦めされたオイルを意識してつけるようになったり。。。プロのヘアメイクさんにベースメイクに時間をかけるのが大事!と言われたのを思い出しいつものルーチンの簡単時短メイクにおおよそプラス20分時間をとってのベースメイクをしてと。。。ジタバタしている。手抜きのツケがシワシワごわごわ肌だった笑 手抜きになれきっていた私に反省。手をかけ始めて自分でもわかる変化・・意識するってつくづく大事だなぁあと。シワシワのカターイ肌とほんのり水分を含んだふっくら肌、望みすぎかもしれないけど目指せモッチリ肌。同じ肌も違いがあるように、お洋服の素材でも違いがある手触り、肌さわり、着心地。疎かにしてラクしていけばキリないけど、やっぱり手をかけた時間というのは現われる。カナダに住む親友が菌活をしていて米麴をつくっている?育てている?表現が分からないけれど甘酒を作るためらしい。いろんな菌に囲まれている日本を外から恵まれた環境と言っていた彼女、完全に失う前に気づいたりして突然活動に目覚めていいと思う。まだまだ補えるときになんでも遅すぎるという事はないと思う。 見えないけど見えてくる積み重ね!!!コワイ!

  • 古・・

    お客様のこの服着たいという気持ちに反して多分似合わないと思って言葉にしてしまうことはよくよくある。できれば、より素敵なより似合う服をセンスよく着てもらいたいと思っている。だから、ときに客観的にときに希望やリクエストに沿うように相談される存在でいたい・・と思っている。時に、プッシュするときや違和感あるものを紹介するときがあるけれど、それも新しい着こなしの世界に こんにちは!っということで寛大にいてもらいたい。。お茶の道具組では、掛け軸やお茶碗や茶入れ、茶杓、香合と主役とそうじゃないものがある。目立ちはしないけど選りすぐりの精鋭ばかりにはちがいない。40代からの着こなしは流行にもてあそばれず目立ちはしないけど選りすぐりして購入してひとつひとつ大事にしてほしいと思う。モノを長く愛用大事にする心とキチンと選んだものに囲まれた生活をしてほしい。お洋服に限らずモノを購入するときに意識したいところ・・・。とりあえず購入は御法度!です。合わなくなってしまったものはリユースして、リメイクして復活させてもいい、時代が巡り再ブレイクアイテムがあってもいいと思う。気軽に相談してほしい。春もの夏もの秋もの冬ものシーズンにこだわらず古い新しいモノをミックスで自由に着こなしを楽しむのもオシャレ心だと私は思ってる。年代物の風格ある器たちと同じようにのファッションで醸しだしていけたらいいなーっと・・ふと。

  • いにしえ・・・、古いものを観ることは好きだったりする。お茶を習っていてお点前よりも古いものに触れる機会が沢山あるから好きなのかもしれない。250年前の花入れ、室町ぐらいの陶器、明治のカゴetc.・・・代々人から人へ大切にされてきたものたち、伝来がハッキリしているものが多いのもお茶の世界。一言に室町時代と言われてもピンとこないが400年前と数字で表現されると想像できる。笑 今の私の8,9倍ぐらいこの世にあるモノたち・・いろんな人と場所を点々点々として目の前にあることに何も言わないモノだけど凛々しい風格と威厳を放つ古いからイイというだけじゃなくて神秘なものを感じてしまう。巨匠の絵画の華々しく脚光を浴びる存在とは別で、ひっそりと地味であったりするけツワモノだと思う。欠けもなく割れることもなくそのままの状態で時間を渡ってきた物。時によってはモテハヤサレタリ、肩身の狭いところに追いやられていたときもあったはず・・時代に漂流しながらもブレず個々の独特の存在を放っていたのだろう。ファッションスタイルも同じように思う。時代に漂流されてしまいそうになるけれど、ブレない自分の好みや気分を大事にしていれば、いつの間に自分のスタイルになっていいと思う。時代に合う合わないは多少あったとしても、服を着る本人の気持と満足感が大事なような気がする。つづく

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