AKO’S Monologue

  • 雰囲気

    いろんなことを感じようとして過ごすようにしてるけど感受しすぎ周りに翻弄されてしまうのもどうかと・・・何事も加減で外向き内向き過ぎても・・と思う。接客の際 バランス というフレーズをよく使う私。バランスはその方の持つアイテム達や好み髪型メイクのキャラクター要素とのトータル(頭の先から足先まで)。お洋服はキャラクターに大きく影響する、その方の肌のようにも履歴書にもなって映し出すアイディンティや性格。最近出席して、お着物お召しが多い会場でも華やかなスーツが多い会場でも高価な物より姿&振る舞いで着こなし(サイズ感)とディテールが肝心なのだと思った。着物は着崩れやみだれという言葉があるようにスーツになると姿勢や歩き方が出てしまう。年を重ねていけばいくほど服だけじゃない事がクッキリハッキリしたことが判る。高価なアイテムでも肌や髪の毛よりも姿勢や歩き方や表情や言葉遣い、しぐさがとても大事なのだなぁって思う。美しいって綺麗って感じとることで具体的に一つでも物質的なものだけでもない。優しい、楽しい、嬉しいも似ていて組み合わさったもの。これからはゆるく組み合わさった雰囲気をもっと楽しもう~~お洋服も組み合わせもゆるくいいかなぁーーって感じで完璧主義や完成度ドンドンあげていくのもおもしろい、おかしいかな?って不安に思ってしまう事もあるかもしれない・・そういう時はこれもありかもって面白がってレッツトライしてみてほしい。面白く楽しくいるスタンスがまた素敵な要素になるんだと思う。きっと雰囲気にそれがプラスされているはず!!

  • 東京出張の定宿 31Fからの眺めは最高だった朝一日だけ富士山が遠くに見え、みなとみらいの高層ビル群夜景も見えどこまでも広がる夜景が見れてラッキーだった。どこまでも広がり続く住宅街にほんと多くの人がいるんだなぁと感じながら・・その分知らないままの人が大多数で人の出会う数ってどのくらいなのだろう?出会いはほんと貴重だ。そして続くご縁はもっと感謝だ。スマホですぐ調べるのはいいこともあるだろうけど、相談や質問にAIがまず選ばれ、年長者や経験者のリアルな人間じゃなくなる時代に、人と人の付き合いってものが最も貴重になっていくんだろうなぁ~~って想像する。そして、これから何でも数や量より質の時代になるんだと思う。沢山の事よりも深くいるかと濃くいるかということじゃないかと思う。記憶に残るか残らないようなただすれ違うような表面的で影響受けて形成されるとは全く思わない。人の発した些細な一言で傷ついたりするぐらいナイーブな生き物で、天候や気圧に左右される生き物・・、ふとスクリーンのものは一体何なのだろう?スクリーンから伝わるもので一喜一憂するならヨシで生活濃度が上がっているならBEST、ただナガラミは何だろう??   人と人間の表現の違いは、AIさんに聴いてみた笑 人は個体生物としての存在、「人間味がある」「人間として失格」といった表現に見られるように、性格、モラル、社会の中でのあり方など、内面的な価値や社会的な質を問うときに人間が使われます。とのこと。。他社との関係性との間で生きる社会的存在であり、日本的な感覚では、他者とのつながりや礼儀、関係性があって初めて、単なる動物の「ヒト」から、社会的な「人間」になれるというニュアンスが含まれています。抜粋 日本的感覚の人間っぽさ薄まってきてるとどうなっちゃうんだろう?日本的人間っぽく生きることが化石時代のことの様なのかもしれないなら私は昭和化石みたく生きるようと思ってる。笑

  • 見立て

    見る側の精神で美を感じる事。私は深い意味があってお茶を習い始めたわけではなくただ大雑把が矯正できたらいいなぁ、そして優美がほんの少しでも身についたらと習いだしたのがキッカケだ。アンチAIの私が色々問答した結果、まるで私の茶室がグロージェなのかもしれないなぁってふと思った笑。一座建立で一期一会いろんな立場の方がフラットに話しながら楽しめる場所、自分は着ないお洋服でも相手には似合うと思える余裕と余白。セレクトしたアイテムを共鳴してくださるお客様があってのこと。私は足し算の美もいいけど、引き算の美や掛け算の美もあると思っている沢山アイテム所有や高価でなかなか出番のないアイテムより日常で着ていただけるお洋服たちを提供したいとずっと思っている。お茶に利休七則というものがあって 花は野にあるよう 降らずとも雨の用意 相客に心せよ が私の想いだ。自然体で花が美しいようにお客様がありのままでいて欲しいとおもっているし、どんなことがあっても万全で対応したい・・その場にいる人が調和できる空間でいたいと・・・願っている。かなり過大な表現しているAIさんがいい気分にさせてくれてシメシメと思っているのだろう笑 見立ては本来の用途とは違うものに価値を見出だす 極めて知的な遊び心 精神の深まり 服もそういう所があるんじゃないかなって本来製品の作り手側から想像つかないほど、お客様ご自身のキャラクターと持ちアイテムで自由にコーディネイトしてもらえているところがある。お洋服も喜んで嬉しいはず!!お茶では見立ては見る側の精神性でもあったりする、着飾るや若作りって表現は私は好きじゃないお洋服は脇役でサポートするアイテムだから主役は着る方で着る方の精神 着飾る必要はなくて花は野にあるように・・自らの精神で美を見立てるのが生きることかもしれない。

  • 生の人間の感化される事よりAIって多数の正解でもない平均値のようなものを表現してるそうだ、そうなるとそれに疑問を持ち、問い続けれるかが大切なんじゃないかなって。お茶稽古でなんとなく違うなぁ~?の間違え探しのような微かにシックリしない感あって師匠に尋ねると初めて教わるお点前だった。予習復習もしないだらけの私でも・・?似てるけどちょっと何かがオカシイその違和感だけはあった。答えはワンパターンでもなく正解も一つじゃないのがお茶のいいところで奥が深い所。お道具お作法は場合により様々でほんの微かなことで変化してくる。パターンは数知れずだからそこがオモシロクて楽しい。難しいと思えばきっと続けてこれなかったけど、毎回毎回記憶喪失になってるような私に教えてくださる師匠に感謝してる。気づくか気づかないかの微かな結びつきがあって教養・知性と経験がないとそこに気づけないままスルーしてしまうのもお茶事。亭主の意図と配慮と客の感受の世界。先日お傍でほのかになんともいえない香り漂う雰囲気がその方の品と優雅さが素晴らしかった。麻痺した臭覚の方のプンプン鼻につく香りは困りもので悪臭でしかない。一般に思い浮かべる桜だってあの微かな白ピンクの淡さと一瞬に咲き散る儚さが美しさの源。儚いって若い時は弱さ脆さと勘違いしてたけど、50になって永遠のない今という時(とき)の捉え方からきてるような気がした。「微か」っていう加減はその人が表れる一部。香水だって装いだって言葉だって何でも・・その人の加減次第の微かなもの。接客中その方の良さや特徴も微かなことから感じるからお好みや似合いそうなアイテムをご紹介できてるんだと思う。微かなところに気づけるのもリアル体験で実感できるから身につくこと。お稽古歳月に対して身になってるタイプかは別にして笑 沢山の種類の稽古をしてくださる経験で少し気づけいたのだと思う。体験や経験がその人の魅力になっていく時代。装いや香水だって振る舞いだって言葉だってジコチュウで済むものじゃない、生の人間に感受されることからその人の魅力になっていくんだと思う。スクリーン上では感受できない生身の人が貴重なお手本になってくる。

  • 特に感じていることそれはどんな人といて過ごしているかということ、そしてその影響力が想像できないほど常に受けていることを!!やっぱり人は人に活かされていくし育ててもらうこと。尊敬できる人や苦言に聞こえても教わっていること、そしてもっと開けた広がるキッカケになり気づくチャンスだったこと。何気ない言葉で視点も変わり価値観も変わって発想にも活力にもなって大きな勇気となる反面何気ない言葉で芽をつむことになることもある。平日や時間のせいか?笑顔いっぱいはしゃぐ子供やゆっくり散歩する大人の姿を桜咲く公園で見かけることはほとんどない、東京も桜見物しているのは大半が外国人。通勤車窓から山桜が枝先まで桜咲かせているのに対して街の公園や街路樹の桜は無残に切られ桜つけない枝や花の少ない木が目に止まってしまう。まるで今の人間生活と重なってしまう。たまたま見かけた弘前城の桜はとても素晴らしく見事らしい!リンゴの剪定技術を基に桜の花を枝いっぱいつけるよう陽当たりなど枝の間隔もしっかり考慮して手入れがされているそうだ。枝の切り方でこんなにも変わる桜の木。同じことが人間社会にも言える気がしてしまうどんな言葉をかけるのか・・この辺りの街路樹のようにかそれとも弘前城の桜のように剪定されるのか? お店前の街路樹も暑い夏に青青と生い茂りせっかく育ったのを涼しくなった頃落ち葉になる前全部の枝を切り落された、この春は芽吹く気配さえないのが気になるところ・・。切ったほうがいい枝とそうじゃない枝の見極めが大事だし、枝の摘む時期も大事だ、そして、どのような時期にどんな言葉がけがいるかも今年度スタートしたばかり期待もあるけど見極めが大事だと思う。

  • チガウ事を受入れる余裕、ワクワクしたり、初対面初体験ドキドキ緊張することも楽しもうとすればどんどんオモシロクなっていく・・感情をどっちの方へ向けていくかが肝心と思った。元々はニガテだらけのわたし・・会話も下手で言葉使いも口数少ないから社交的にはなれなかった。今も上手でない事は自負してるし接客で日々失礼失敗あっても受け流し許容してくださるお客様のお陰とフラットさと気さくさにほんと救われている・・。始めての場所初めての人 初めての事の 初めてづくし は刺激がとっても多く発見も多く自分を色々知る事もできるし進化成長させてくれる。母の口グセ・・人の振り見て我が振り直せがイイこともそうじゃない事も沢山あってほんと振り返ることができる。接客する側から接客される側、もてなす側からもてなされる側の双方の逆視点はとても貴重な経験。片方だけだと見えなくなって忘れてしまっておろそかになってしまう。陽の当たるところもあれば影もある濃くなれば薄くなるいつも両方のバランスよくいたい・・動と静もどっちかに偏ってしまうことだけには慎重に気をつけていたい。服の好きなものが偏ることは大目にみたいところ笑 ちょっとニガテなことちょっと気のりしないこともあったとしてもその時のわたしの身軽さが肝心~重いのがいいときもあるし軽いのがいいときもある幅広く全て体験することから始まる~、春始まりの季節

  • 探・・

    自分を大事にすることは自分を誰より何より最優先することじゃないと思うんだけどなーー。自分を大事の仕方って人それぞれで違っていて当然・・私の場合は生活を丁寧に送る、時間を浪費したくない、ムリしすぎないという所かなぁ。自分を大事にすることは、自分の大切にしたいことが明確にある事。自分の大切にしたいことがわからなければ例えば、健康大事と思えば日常生活から意識して行動となってでてくると思う。意識するって生活ではスゴイ力を発揮する。誕生日近づくとオロオロ&ジタバタするのは毎年のこと~笑 年重ねる怖さよりいい意味変化していないんじゃないかと目先追って何か動こうとする。変化してないように勘違いしてるだけでいつもこういう時ライフライン思い起こす。電気や水道が常に当前のように使えることできて不自由ない毎日も誰かが注意払いメンテナンスしてくれているお陰。ガソリンだってマラッカ海峡渡りタンカー輸送されているお陰。目に留まらず気にもしなかったことが意識のおき方でずいぶん様変わりする。意識のアンテナがあちこち有り考察できる人にホント憧れ、こういう方と接するだけで目下クマが気になる私とスケールが違いすぎるけど一気に広がる世界観。世界もどのように見るかだ場所変えてみるのもいいけど私の見方を変えただけで私の中は変身してる。心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる byウィリアムジェームズ 心も意識や思考ともいえるから私次第だなぁーー へーーーンジン。

  • ふと自分探しって実は自分では見つけられないことなんじゃないかなって思った・・自分で自分探ししても見つからないはず。自分が人との関わりの中で自分という存在が育まれ形成されていくんだと実感した。自分でもうまく表現できず伝えることがおぼつかなかなくてもちゃんとそこを温かくくんでくれる人がいてくれるから、自分の個性やキャラクターや存在することまでができていくんだなぁ~~とっ。長い付き合いの中でいつもそっと見守り感知してくれる人がいてくれるってホント有難いこと。日々、多くの方と接すると恥ずかしがり、言葉数少なさ、真面目さ、慎重さ、ユーモアさ、好奇心、遊び心、表現下手、芯の強さ、優しさを感じるからその方の個性とキャラクターができてくる。プライベートや仕事関係なくどんなときも人との関わりで自分が形成されている。一期一会だとしてもその方の印象は一瞬で写真のように収められるそれが本人の意思に関係ないにしても・・。自己解釈の自己分析の自己認識はわずかな自分のほんの一部でしかないに思う、どんな時も人が感じる私の一部で結局は自分になるのだから~。私も接してた方の感じとった印象が私のようだ。強がらず弱さも寂しさも自信もなくすこともたまにあるのが私で過大過少もせず完璧な人はいないから、接客中意外って言われることがたまにある。私も知らない私のキャラクターがあるようだ。笑 いくら言葉だけで寄り添い理解してくれてる風のAIでも現実生活で私好みの味、音楽、服、髪型、場所を知っている訳じゃない。なんなら言葉にできない思いや気持ちや様子をくんでくれるのが仲というもの。私好みやキライ、ニガテ、スムーズにできること=得意はその人の特徴をよく表わす。好き嫌いは良悪じゃなくあって当然のものそれが個性。その好き嫌い露骨にだすその振る舞いが自分キャラクター形成することを忘れちゃいけない。

  • 建造物

    だまされないようにしようとすれば、相手を疑い信用しないことだけで守りになるのだろうか?知識をキチンと身につけることがとても大事なのだろう。無知だとどこから手をつけていいかわからないし、簡単にすぐに身につけたくなるのも事実、簡単に直ぐに身に付くものってそもそもあるのかな?長年携わっていても学ぶことがほとんどだと思う。その知識の源がズレはじめるとどんどんズレは悪化し元が誰も分からない状態になると抜本的にチェンジが必要・・が今のような気がしてる。多様化というもので根本を失いつつある日本。変遷するけど変わらず残す大事さもあると思う。それが正しい正しくないとか、必要必要ないとかそういう単純な基準じゃなくて、全域視野と長いズパンから今を見て行動する。通勤電車で旧帝国ホテルを背景に唯一残った鹿鳴館の美しい一脚の写真は名古屋の明治村の吊り広告。一度残暑厳しく広大な敷地はほぼ巡れずまま退散した今のような散策向きの時季にゆっくりじっくりまた訪れたい。様々なタイプの建造物が移築されていてなぜか知らないはず当時の様子を感じれて楽しかった。当時最大の鉄橋は無骨な作りでカッコよかった、遠くから何だろう?って想像できない建物は牢屋はなんっとも言えない屋根あるぐらいで四方風通す、自由に出入りできる房に入ったけど人権なんて全くない罪の重圧がそこにあった。叱られること注意されること指摘されることって過ちに気づく向上の助けや温もる思いの一部、叱る注意する指摘するがストレスのはけ口八つ当たりとは違うもの。一瞬の感情に支配され私情を露骨に態度や口にするのはどうかと思う。何も言わない建造物でも伝え伝わるものがあるそれが威厳かもしれない。コミュニケーションツールは言葉だけじゃない。

  • KYO

    驚愕のことがおきた!! 気づかないふりしていたけどやっぱり毎日鏡面に映るよりも写真の私は恐ろしく別人だった。 泣きがはいるよりも自分の知らない私をイヤというほど知る事になった・・まるで自らの火で焦げるような痛み改めて神妙になり謙虚にもなれるのだった。悲しみよりも脱力感になり、諦めよりも今できる事を改善はしなくとも転げ落ちるスピードを緩やかにしたいと思うのだった。私が私をキチンとフィルターなく認識した免許の更新写真。 撮り変えたいけれど戒めにひっそり忍ばせ持つことにした。決して誰にも見せることが無いようにいい意味で安全運転が心がけられる。 しかし、人間の視覚⇒認識の仕方はホント好都合に自分都合にできてるものだな~見たくないところは見ないようにして気づかないようにぼかしが入って認識がスッポリ無くなっている。直視してキチンと向き合う勇気もないからかもしれない。笑  社会学者が現実を直視すると痛みが伴うからフェイクニュースやあまり意味のないことが話題になり拡散され、真実は広がりにくいと言われていた。小さくコンパクトにいると些細なことが気になるどっちかに偏ってはバランスが悪い、バランス感覚を失わないようにいたい。大雑把のザルの目だとダメージもクレーター級のショックになってしまう自業自得。早いうちに手を打つのもいいのだろうけど・・性格も環境もあってタイミングもあるものだ。バランス&タイミングも各人なのだ、お洋服だっておおよそのバランスはあるけれど、気分やアイテムを着る合わせるタイミングによって常に変化している。この三寒四温の気候では何を着ていいかわからないけど あくまでも体感温度やTPOがあるので臨機応変に柔軟に変化に合わせてお洋服を着て(自分基準がベスト)今日一日を楽しくいるがいいかもしれない。 

  • こだわり

    シンギュラリティ起きるこれからどう生きていくか?ってずっと考えていた。アナログの大切さやっぱりやっぱり感じる。今日久しぶりお茶稽古で大切に守っていく情緒や風情やおもてなしを改めて思う。情緒や風情、季節、交流、お道具掛け軸にお点前、お炭の火付きに香り。物質だけじゃない空気や雰囲気や音や香り見えないひとつひとつを感じる(実感)のオモシロさ。お茶の風味もお茶屋さん(お詰め)ごとに、こだわりと秘伝が受け継がれているから全く違うモノになっている。こだわりってそれだけ真剣の表れ。私もお客様のこだわりに応えたいから展示会や買付けにも行くしセンスアップ&スキルアップするように学ぶ所を持つ。自分に妥協するよりチャレンジャーでいたい笑伸びしろはもっていたい笑が 私のこだわりなのかもしれない笑。 開業の際自分で決めたこといくつかあってそれは些細なことを続けている。自分が決め判断選択することって大切な尊厳、なんとなくって流され~周りが~みんなが~チャッピーが~っていうのは危険すぎる。頭の理論理屈じゃない感覚や直観ただ惹かれる好きっのシンプルがいいことも沢山ある。トライ&エラー繰り返すから段々コツをつかみ上達していくそれはスポーツに限らず日常の行いにもいえること。トライしようと決める前の情報収集学び間違っていたことから学び改善、間違い=失敗ではなくて修正力だと思う。 軌道修正の社会の軌道自体が徐々に転換するなかで個人の軌道は個人個人次第でマダ決められる時期だと思っている。「センスとは圧倒的な経験値がもたらす超高速な論理的思考 」ってメモしていた・・・なるほどね~~歳月重ねた分何かは身についてるそれがこだわりなのかもしれない。

  • リンリン・・

    時代の変わり目に生きていることをとても感じている。誰かが微かな所で変化しているから誰もその渦中にいると気づかないと・・。以前書いたことがあるかもしれないけれど、天空の城ラピュタ の少女シータが言った言葉が印象的だ。「土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を超え、鳥と共に春を歌おう」人間はどれほど科学技術や兵器で力でコジしても自然に生かされており自然なしには生きられないというメッセージ。を思い浮かべる。そして、こんなにも進化しているように感じる現代でも雨を避けるのは傘なのだ。。笑 私は結局人間は自然に生かされているし弱い物だと傘をさす時にたまにクスっと笑う。謙虚さってなくすと驕りでしかなくなる。謙虚って言葉は今日本人の中にあるのかないのかなって?私にもあるかどうかっていうと正直無かった時期もあったと反省する。ただ、今はいろんな方がいてくださるから生活も送れているし、協力してもらえるからと心から言えるようになった。失う危機があると有る事に気づかされる。もうすぐお彼岸、祖父祖母は思い出す記憶あるけど、その祖父母の両親となると全くわからず全然知らない人レベル。祖父母は戦争で大きく変わった人生送っていたことは薄っすら記憶にある、その前世代がどんな人生かも知らないまま生活を送れている今。今を今で大切に味わい感じることを強く思う。今現在の人と比べるよりももっと前の世代の生きた時代の人と比べたら相当幸せで有難い。あんまり時代変わっても人間の弱さは変化してないはず、何なら若くても幼くても人思いやる気持ちはあっただろう。支えた助けあえることも年齢関係なくあったと思う。強がる必要もあっただろうけど、今は弱さや本音ポロリの心のシェルターみたいなところがあるかどうかでありのままいれるかどうか・・そのシェルターがスマホなのか?人間なのか?の二極になりつつのような気がする。

  • リンリン

    凜とした私のイメージって濁っておらず澄んでいて、芯があって媚びておらず、固く力んでおらずしなやかさもある感じで人柄の雰囲気表わしてるなぁと思う。そういえば、服に限らず何でもかんでもかわいい~ぃで済まし片ついていた時期があった。今は耳にする機会があまりない。口にする言葉もとても流行があるものだなと思う。「インスタ映え」も終盤を感じつつある、画面だけじゃわからないニュースや映像、オンラインの物事。ショッピングでイメージと違うモノが届き、フェイクニュースなのかさえ真偽できない、人工知能AIが物凄く進化していて何を選ぶか?何を元に信じるか?ってなるとどう生きるか?非常に難しなって危機感を抱いている。チャットGPT・AIに相談する人増殖を耳にする。例えばAIが、AIの作成文を参考に上書き上書きして作っているそうな・・昔あった伝言ゲームを思い浮かべる。最初と結末が全く違ってゲーム遊びだから笑ってお終いできたけど現実生活にそれが起こるとどうなっちゃうんだろう?って想像する。誰しもがより良くを目指す手段にするならいいけど、そうじゃない方へ行ったらどうなってしまうのだろう?真面目に生きてることがバカバカしいとなってきてる節がフツフツ湧いてきてたりする。アパレルも真剣に真面目に取り組んでいる人とそうじゃない所もあって騙されないようにしなきゃならない。何をするにしても本質を見抜く力をそして、その道の信頼できる人や相談できる人間関係を持つことが大切になると思う。そうなると常日頃の自分の行い振る舞い言葉の人柄になってくる・・性善説でも性悪説でもない良し悪しがスッポリ抜け落ちた 性AI説 が起きている。リンリン警戒音静かなまま・・。

  • トータル

    アパレル業界もお洋服のナガレも着る本人も変わっている最中。スマホのアルバム見たら8年前に戻り滅多と撮らない写真。たまに旅先の景色を撮ったりするぐらいとステキな言葉や気になったアクセサリーやバッグはスクショする。だからほとんど存在しない自分の写真でも変わり様は一目瞭然 笑 肉体変化は歳月と共に十分あったのに対してシーンのお洋服は優先するものがあるから仕方ないけどスタイルはほぼ変わってなかった笑。「お好み」がほとんど変化してない、つまり長年お洋服を楽しみ親しんできた方なら歳月は関係なくなるのかなって思ってる。私の仕入れもお客様への接客も、美的感覚の(着る方×お洋服)直観のみ。その都度流行は変化するから本人の気分じゃなくなるだけでヘン?古い?ではなく、着続けたからお洋服のダメージは気になったとしても傍からはほとんど感じない。着なかった服によく着る服もある経験は年を重ねた分だけ糧(センス)になっていて、自分で似合わないと思うモノを取り入れる必要もなく無理に服に合わせて若作りの違和感になってしまう。大人の着こなし=スタイルは流行りよりもお好みやこだわりが細部に感じられその方のセンスを感じて雰囲気やオーラになると思う。流行りに左右されずこだわりとお好みが凛としたたたずまいになり年齢関係なくアイテムだけじゃないトータルでカッコイイ&素敵になっていくのがこれからの成熟した大人のファッションやスタイル。日常にオシャレを楽しむリアルマダム達がステキに感じるのはこの凜としたものからブレないこだわりと楽しむ遊びゴコロの余裕とがミックスして着こなしに現れてるからオーラにもなると思ってる。その方本人のこだわり大切にしているものがあってキャラクターが作られていくと思う。   

  • テンポ

    キャリーバッグ持つ若者グループを見かけ昨日卒業式を迎えたのかな?って眺めつつ駅の光景だった。春って以前は動揺する季節の到来だった・・1・2月スルスル滑るようにトキが経ち焦燥感、植物は芽吹き鳥が軽やかに囀り、人達が移動するから変化のない私にガッカリ落ち込んでいた。この春すこし気配が違う。私の素のテンポが保たれている・・おそらく50迎えやっとマイペースでいられるようになったみたいだ笑 若さに執着しないし誰かと比べ競うこともしない人を羨ましくこんな私と卑下することもない。お調子者になることもないし、ムリに何かに合わせる事もしなくなった。体力の減りやネガティブが頭を曇らせるのも一瞬でこれも今だと割り切れてる。自分の頭が以前の私とのギャップを思い出させる・・思考の枠を外すキッカケで今を感じるようにする。シミ付き皮膚から一皮剥けそうだ~笑 シミもシワもできて当然だもの強がりでも諦めでもない。ありのままを黒白でも正解不正解でもなくありのままを~。人間と動物の違いを、人間とAIの違いを人間らしく生きる事を考えたら自分ができる事しかできないと気づく。生活が仕事、スマホ眺めるだけでもなくてやっぱりこれから先も衣食住と思う。住環境保たれ、味わって食し、着る物も着心地や自分の感動を含め清潔感。綺麗、美しい、美味しいは自身が少しづつ経験増して感覚が磨かれていくこと・・さまざまな感覚を生活に活かしてないくだけ。それがAIとは比べられない自分自身の価値なのだと思った。

  • 復活読書。しばらく本を読む気になれなかった・・なぜ読まなくなったか、平置きされ目にする本やハウツウう本のせいもあるけどコピーみたいでふと違和感でしかなったからだった。著者がどういう方なのかわからずペタペタくっつけたシールのように読む恐怖になったから距離を置いた。ここで再燃しているのは古くから読み継がれている哲学者の思考や偉人の作品に触れたくなったからだった。温故知新。有難いのはAIが著者の情報を拾い集めてくれるから参考にできる。結局なんでもどんな人物からが種なのかもしれない。世の中のサービス全般も人に触れてから受け取ることになる。本とカフェスペースのオーナーが選んだ本が面白そうででたっくさん魅力ある本が並んでいた、時間がなくて手当たり次第ピンときたものを購入すればよかったのに、ここで慎重な今の私がどんな人が書いた本って後で調べようにもウル覚えだったから検索しても全く出てこない笑 残念な一期一会だった。興味あれば即決で買っておけばよかったなぁって後悔した。ビビりなのでプライベートとなると石橋を砕いてしまう・・笑。毎日お客様の直観力や決断力に判断力の感性を密かに尊敬している。私にはちょっとないからカッコイイなって思ってる。ワインを少し頂けるようになってワインもホント一期一会。ブドウ品種も熟成も限りなく広がるワインの世界、そんな初心者の私に合う美味しいと再会はほとんどできない。ワイン×その場の雰囲気の総合がより良く余韻になってしまう。本や服は季節が変わり時が経つとまた再会でき何度も楽しめるからそこはいい。何でもどんなことも一つ一つ丁寧に感じていけばちょっとしたことが変化するのがオモシロイ。。面白がる域に全然踏み込めてない最近の本・・笑

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