疑
自分は意識しているといても、第三者から言われて再確認して「 やってるつもり 」でいた。自分で頭で理解しているからできてるつもりで、知ってるやってると意識して気をつけてると思っていても・・・現実は、気をつけているつもりでいたと・・気づかされる、気づかされた。お恥ずかしながらそういう事がお起きた。客観的な なぜそうおもうの?どうして?って「?」~クエスチョンで問いかけられて、ハッとした。価値観、思い込み、常識、ジャッジ は似て非なるもの。全部がごちゃまぜまぜこぜになっていた。自分の価値観を常識だと思い込み、他をジャッジしていた。価値観は常識ではなく。常識は存在しなく。自分の価値観は自分の視野と経験値だけの基準でもしくは家族や身近な人達の刷り込まれたもの、環境や職場だけの中だけのコピーだと知り、スモールワールド(その社会)が全てと思い込み、それが常識だと疑うことなく思い込み、他を批判批評ジャッジしていることを気づかされた。「合う」という事が前提になると「違い」に腹をたて、「違い」が前提だと一旦は受け止めても受け流し腹立つこともない。「わかる」が前提になるとわかってくれない事で気分を害し・・・、「やること」が当然になるとやらないことに怒りが・・。自分で自分のふるまいや考え、行動に勘違いしてるかもと疑うと周囲に対してギスギスしていたことも気にならなくなる。いちばんの近道は期待しない事。そして、自分自身を疑う落ち着いた振舞いができること。