AKO’S Monologue

  • 試着

    男性女性も関係なければ~年齢も全く関係なく老若男女で接客させてもらってる。そんなお客様の期待にも応えれるように仕入れに行っている。入荷は私のフィルター通るから好みは聞いていたい。老若といっても年齢に応じたお洋服の好みや見え方があるのをとても感じる、それはそれであって当然のこと。学生の修学旅行で神社仏閣に行っても退屈で何がいいんだかわからなかったけど興味が持てる時期が芽を出したり、食事だって段々と好みの味の変化があるのと似ているように徐々に移り変わるモノだ。移り変わらない方がそちらの方がどうかな?って思うことにもなる。若い人には若い世代なりの服選びベースが有るものだったりする、それが環境で友達の影響も出やすいことを感じる。電車や街の中で似ているグループや二人組を見る、段々と似てくるのか似ているから友達なのかよくわからないけど笑 私が若い頃はどうだったのだろう?こんなにも洋服が買いやすく身近じゃなかったからショッピングするまでには数か月分お小遣いを貯めなきゃならなかった・・それは大昔。若者は選択幅広がってネット上で全てが完結する反面で高級なお店にうっかり入店してしまい汗ドキドキ接客されイイ物って高価なんだなぁっとしみじみ感じた。それも今ではいい社会勉強。ネットショッピング当たり前で試着ないのも日常、選ぶ楽しみは勿論で試着の楽しさ新発見を是非沢山色々感じてほしいなって思っている。タイパ・コスパ・フロキャンって省いて省いて省いてしまっていては何も掴めない感じないままじゃないだろうか? 物質増より見えない経験増は社会に出たらなにかどこか表れ出てくるように思う。無駄なようなことでも無駄では全くないことを痛切に感じてる今日、近道もほぼないし早く成果でることもあまりない。歩んできた地道さがその人間性、人柄になるんじゃないかなっと感じている。

  • 祖父のお墓参りに行き段々とそちらへ近づいてるなぁっと節目の年だからかもしれない。寂しくも諦めでもないただ前とはチガウ今を感じているからだと思う。お客さまと会話中50代60代もいい時よ~って仰る方々、今でも満喫されている方々が口を揃えて仰っている。きっとその時その時仕事にも女性としても母としてもやってこられたからだと思う。努力、精一杯、無我夢中、頑張るって言葉はその時の集中度合を表わしている言葉でもあると最近感じられる。決して古臭い昭和的表現でもない気がしてる。高校名入りのマイクロバスやTシャツ短パン姿眺めながら何かに打ち込むって時間はいいことだなぁって楽しいの真逆行為で、心身のキツイ辛い悔しい怒り悲しく思うようにいかないことだらけのお陰で、やればできるようになる事を知り、嬉しさや喜びも濃く感じれるようになっっている気がしている。そのせいか感情の起伏激しかった欠点も感情に支配されていた学生時代と・・反省する。感情に支配された言動する大人が多いし、感情をコントロールできる冷静な振る舞いができる大人が少ない。個人の感覚感情を直ぐに言葉にする人はドンドン孤立すると思う。逆の相手の立場想像できたり広い視野で言葉にできる人はコミュニケーションを取りたい人になると思う。私の日々がそういう方の接客させていただくから学びもありホント心地よく過ごせてる。最近は学生のお客様と話すチャンスあればちょっとだけ伝えておきたいことがあったりする・・。きっといつか気づいてくれる日がくるかもしれないから・・。私も祖父母の言葉や雰囲気や振る舞いがやっとふんわりしながらわかり初めてきている、具体的な物事よりも香りのようなモノが理解できてきてきっとわたしの文化なのだろう。香るように気配や雰囲気や表現できる大人になりたい。やっと人工的なキツイ香りから自然体な香りになってこれてるかもしれない笑。

  • 着目

    このタイトルで何を想像するだろう??イイモノって高価な物、稀少な物、細工の凝ったもの、ミシュランの料理、推しと同じモノ、いろんなことで表現されると思う。出張でザ・TOKYOと表現されるような渋谷駅すぐのホテル。室内に入れば防音でとても静かで狭くない広さの一室。やることを終えて本を読んで過ごした笑 ホテルを出れば若者と外国人ストリートウォッチングでビル見上げればかなり年期入りで超高層ビルとのギャップが混合していた。食品売場は人まばらに対して道の交差点は人がわんさか、とにかくギャップ幅がある。ビル群で陽の当たらない影が多いから涼しい印象の東京だった。この出張は2027春夏インポートの展示会でインポートだからバイヤーさんもベテランさん多く私よりグンと年上で貫禄ある方多かった。笑 じっくり吟味選ばれている様子が印象的だった。来年も特にコレというトレンドもほぼないから、自分でイイを!自分のイイ=自分で価値をつけていくこと=自分でキチンと選んでいくことでもあると思う。どんな理由でも自分で選ぶがとても大事な体験じゃないかな? 食べること着ることも過ごす人も・・・なるべく自己満足するように自分次第。他人の価値観でいるといつまでも満たされる事はずっとないと思う。自分のイイモノ(人や物や場所)を少しずつ増えていくのが人生の豊かさでもあるように思う。服は自分が快適に過ごすひとつの手段で道具でもあると思ってて、パワーアップやエネルギーチャージしたり平均より上気味テンションでいれるってことでもあると思う。イイに理由は本人がつけていく時代になっていく。見聞きするSNSやAIを安易に信じ騙されないようにしよう。なぜ?どうして?着目していって見映えは終わったと思う。

  • 声というと音なのか、トーンなのか、テンポなのかよくわからない。あまり音楽を聴かない私が全く意味分からない言葉の音楽で好きを感じるのは同じシンガーの声のことがある。笑 きっとエネルギッシュに響く女性の声が自分に無いところで心底の憧れからつよく惹きよせられてしまうからなのだろう。憧れって無いものねだりみたいな点もあるけど、身近に持てる望みの方向でもあるように思う。そうなりたいなぁって近づく方向の願望。「方向がいい 方法がいい」理想や願望や目標ってハッキリクッキリと即席でできるものではなくて、漠然とした所から少しずつニガテとできるようになることを一つずつやっていくを繰返す方法で、方向が見えてくるようなところもある気がする。夏学生さん達のオープンキャンパスシーズンになっているようだ。私はほとんどが進学する環境にたまたまいたから進学するものなんとなく都会に出たいなーって感じでいた高校生だった笑 そんな私はずーーっと山口県民笑 振り返ると理由はない笑 地元愛もほぼゼロだけど 海も山も古い寺院も丁度いいぐらいにあり私には心地よく丁度いいバラバラなのかもしれない。丁度いいって諦めることじゃなく 環境も人付き合いも自分次第で選んだり作っていけるバランス感覚のようなもの。自分の心地良いを妨げる人や環境は合わないように思う、心地よいはラク・便利・カンタン・すぐetc.そういうものではなくて、どこに行きつくかわからないけど望む方に近いじゃないかと思う。望む方って自分の欲する感覚集合でその方向へ自らしてきたから見える気がする。服で言えば着心地がいい、心地よいは自分が答えを見つける事だし美味しい食べ物も人付き合いも同じ。好きな声も同じ自分の感覚で見つかるような事。感覚は人ぞれぞれを特に思うこのごろ・・。

  • スイッチオフするってなかなかできなかった、けれど50にしてできるようになったことのひとつかもしれない・・。それはきっと終わりからの今を想えるからだろう。つづくことや長い道のりのように感じていたものがなにかあった気がしていたけどそう遠い先でもないことがイメージできる。終わりを自分で決めれることもあれば自分でどうしようもできないこともある。終わりって恐れることじゃない、ただ想像できないことでその変化に適応できるかの不安があるからついビビッてしまう。形を変える前のほうに慣れてるだけのこと、終わりは始まりは一枚のコインのようなものでもあったり、終わり=区切りでもあったりする。 ぼんやり座って目に入ったポスターの文字を目で追うと、「壁に見えていたものは実は扉だった」 壁と思うか?扉と思うか?で感じ方はチガウ。つい壁と思ってしまう癖づいた私。笑 モロッコで大きな門のようになっている入り口、扉と思って開けようとしたハンドル部分は実は装飾でもっと小さく入り口があったのを思い出した。先入観恐るべし~~~大笑いした。先入観を無くすにはどうしたらいいのだろう?やっぱり国、文化、環境を変えてみたり常識を疑ったりする機会がもっともっと必要なのだろう。自分ものさしの自分の枠という檻を取っ払いたいと思ってるこのごろ。壁と思うか扉と思うか?終わりと思うか始まりと思うか?旅行の目的地やなにかの結果や成果の終わり部分よりその途中の何でもない景色や何でもないことを思い出すことの多い私。歩きながら気の向くまま自分の歩幅と道のりで散策した景色や風景はよく思い出せえるように。ガイドさんについて歩いたところが覚えていないように。マイペースでいこうそして、扉を見つけよう。 

  • 影響・・

    スッポリ抜けてるって自覚する者同士であれば反発することなく足りないもの同士歩み寄れるような気がする。自分が未完のつくりモノだと、自ら作成途中の自作品のように想像すればおおらかで朗らかに居れるような気がする。未完って謙虚という解釈もできるように思う。最年長のお客様と会話すると戦後引き揚げてきた話や戦後動乱、大学闘争、モンペに下駄の田んぼのあぜ道、まるでNHKの朝ドラで見た様な生話、痛みより生きる方の必死さがまさり今では笑い入れつつコミカルに話してくださる様子がまたイイ。痛みあったことを微塵も感じさせないのが知恵なのだろう。正にこれを表わした言葉を「賢さや聡明さ、知恵とはたくさんの知識を持つことではありません。一つの出来事をさまざまな角度から見つけられることです。」凄くいい言葉だなぁ~~~と思う。若いお客さんと会話するとここでいう角度が一つプラスされるからそれもまた楽しい。なぜだろう?どうして?って疑問に感じることは多かったけど中身スッポリ抜けてるから相手の言葉に傾聴する、相手耳不有とは平行だから私はクマを発見時みたいにすぐ後ずさりする。 一つの角度でしか見れなくても解像度上がればそれはそれで深く掘り下げていて素晴らしい個性、自分にさまざまな角度をつけていくと受け止められる人が増えるのと同じ気がする。スクリーンのAI文章に頼っている場合じゃない笑 この角度って生身の人としか加えられない気もする、たまに鋭角みたいな事にも人にも出会うからいいのかもしれない。笑 この度の鋭角事件も私に角度を加算されているはず!! 

  • 影響

    ニガイツライ感じることは進歩の過程で必要なことだと実感、反省すると今までにないオプションが加えられる。キャッシュレス化進行中で私がこの業界に入った30年前頃現金払いが主だった。当時収入少ない私でもカード会員増目的でカンタンに作れていた。ポケベルからPHSや携帯電話に移行にも電話機ゼロ円って事もあったと思い出す。携帯からスマホへの移行も含め数々移行あったこと経験してるはずだけどいつの間にかで全く気づかない。思春期や生まれたときからスマホある人達は私とのスマホの使い方がチガウのだろう。英語が話せる人と日本語しか話せない人の脳の認識が異なるように。学生のお客さんとファッションを通して会話しているといろいろ気づかされる・・、自分の体験(感じたコト)からでしか物事は見えてないのが世の中で、その経験通しての思考延長でしか想像もできない事!例えば、中学生からスマホ生活ならスクリーンの見えるモノが異なるようで、ベッド生活なら布団の敷き方畳み方も経験無いから知らないできないが当然の方になる。私も若い世代と話していて老害になっていたという事笑。こんな経験有無どちらでもよさそうなことが微風のように影響しているんだろうなってこと。 影響が影で響いてくるとよく字の如くで感心する。頭の論理理屈だけでは腑に落ちないことが社会生活でいっぱい起こる。痛みというのは悪い物ではなく合図だと聞いたことがある!その合図は自分と向き合う合図で、その合図を誰かと繋がれる鍵でもある。私たち世代の「知る」「わかる」と若者の「知る」「わかる=理解」が違うこと、実はすぐ身近で影のようなスッポリ抜けてるものが大きく充満してる社会だと人と接して感じている。どの世代もお互いのベースの経験がない事への認識の不一致という自覚がスッポリ抜けてるコト。

  • 東京に大阪に福岡出張で繰り返しよく行く街はあっても最短距離で移動していた。最近は足を運び少し広く周囲見物に足を運ぶようになった。きっと経験し感じることに意識を向けているから、すると目にする建物や行き交う人の気配や様子がどんどん流れ込むようになった。前は焦点が合わず見えていなかったものがピントがあい鮮明になる。なんであんなにも急いでいたのだろう?急ぐことで心はより落ち着きを失っていた気がする、だから時間をかけて丁寧にゆこう!そう思えている。とても古い建造物は漂う気配がチガウ威風堂堂としていてかっこいい時代に流されずどっしりとした深みがある、きっと至るところに丁寧さがうかがえるのもひとつだろう。職人のプライドと技のカンセイが丁寧さのように時を超えているのだろう・・そして長年ずっと大事にされてきた思いの熱量なのだろう。私は旅先で必ず果物を食べる癖がある笑、どこかの土地で育ち実り収穫され運ばれてきた果物を違う土地からやってきた私が口にする不思議な一期一会だなぁって、馴染みのない大都会で違う国からやってきたフルーツと田舎から来ている私の偶然の出逢いご縁を感じながら今回もしみじみと食べた。意味なくても意味があるようになっていくのが人生なのかもしれないと~何気なく手にしたものでも丁寧食べると意味が深まるように・・丁寧に過ごすって一瞬一瞬や一つ一つあんまり意味のないようなことかもしれないけど丁寧さが細部にあれば総合的に全体像になれば際立つものがやどるのだろう。都会のホテルで一人でいると周りをみるから自分自身そんなことが思い浮かんだりするのかもしれない。。多国籍な言葉と灼熱の夏の熱気のせいか異国情緒たっぷりで一瞬どこか遠い所にでも行ったような気に勘違いしたからそんな事をふと思ったのかもしれない笑どこにいても私は私でしかない笑 だから大事にするのもまずは自らかな~。

  • 無知

    無知は罪なりとソクラテスがいったようだ・・会社が粉飾決済や偽装していたのにはホント参った。会社だろうが、人だろうが誠実さがとても大事だと思い知らされた。何かを判断決めるときになんとなく~はホント危険だ。独立開業する際に紹介してもらい(株)全東信 カード決済がスムーズで今まで何不自由なくやってこれていた。突如破産を知ったのは、機器故障と電話問い合わせするも繋がらずオカシイなぁ~、太陽フレア電波障害?サイバー攻撃?って検討違いの想像して、カード関連の知人に電話してだった。常日頃TVやラジオにデジタルも見聞きしない遮断生活が仇となり今回学びになったところ。どこで何を通して情報を得るか改めて検討する。信憑性は?入手した情報の見方+私個人の捉え方判断も俯瞰視できる力とフィルターのない聞く耳を持っていたいと思った。例え、同じ報道でも立場経験が違えば捉え方は全く異なる。客観的に物事を捉え消化することがやっぱり智恵なのだろうなぁって。今や暗記勉強や学歴で知性とは言えず生活の中での知恵と見識のこれからなのだろう。人の行動すべて内面の美学になる。感覚や思考での振る舞い言葉態度礼儀、人物の内面がはっきり表層化する。電車ないで濃い香水の匂いはオシャレじゃなく悪臭にしかないそれに近いと益々実感している。匂いというナーバスな内容をちゃんと指摘してくれる関係の人がいるかどうかなんじゃないだろうか?なにをどう選ぶかの行為も自分次第なのだろう・・その価値基準は日に年に自然に意識して変化するのが生活だろう、なんとなくは時間だけが過ぎるだろう。価値観が段々ついていくのも人の歩みと思っている。似合わない服が出てくることも疎遠になる付き合いが出るのも仕方ない事。昔、砂浜ビーチにピンヒールを履いた女性と男性がデートしていて違和感。ピンヒールも妙だし歩きにくそうにしている女性に気にかけない男性もだ・・突如女性から想定外のデート先だったのかもしれない。どっちもどっちだ。私だったら裸足で歩くを選ぶところ・・適応力かな。笑 

  • 些細・・

    些細な事がとても大事なのだなぁって最近になってつくづく感じるようになってきた。会話中の一つのフレーズ、自分の日頃の姿勢、本の開くページ、パンツ丈のわずかな長さ、それで印象が変わってくる様に・・ほんのわずかで些細なことが影響しているのは確かだと!久しぶりにお会いする方に痩せた?って聞かれること度々。若い頃のように誉め言葉で喜びに直結するものじゃない事を重重承知でよぉーーく理解している今の私を。いろいろ体を使い実験中だからそれがパズルのピースのようになってきていてその印象になっているのかもしれない。髪の色、朝ちょこっとするストレッチのようなヨガ、歯の矯正も終盤で歪まないようにしていたり、プロテイン飲んだり笑、基礎化粧変えてみたりちょこっとずつやっている。年齢分使用中のこの身体を自分自身が少しずつ労わるような気持とケア(気をつけたり意識したりすること)がアチコチになっているのかもしれない。ガラッと変わる大変身をカッコイイと思っていた10代や20代~笑 大変身はできないのが人生なのじゃないかなぁ~、生活の意識する点をちょっとずつでいつの間にかなっているのだと思う。私は意固地で頑固になりやすい性質とあり、気をつけなきゃと思いつつももうどこから頑固で意固地になっているのかさえも不明な現状になっている笑。こだわりと頑固は紙一重だからどっちに出るかホント意識しなきゃでいる。冷静に!落ち着いて!美徳ってところでの判断ベースだと心がけている。些細なことって無意識で行ってしまったり、感情を支配できずに感情のままの突発的なのは大人気ない所。些細な点の意識の持ち方が人間らしい生活になってくるのだろうな・・意識高い系?って揶揄されてたことあったけど、意識全域系の時代になってきたように思う。

  • 些細

    久しぶりにふと目に留まった本をもう一度開いて読み直してみる。自分が買っておきながらその存在すら忘れてて・・内容なんて微塵もなく・・AIとは大違い!笑 初めての対面するかのように内容がしっとり沁みていくような気分でいる。きっとまた忘れてしまい繰り返すだろうとしても、私は手元に残す本とサヨナラする本があり代謝がいいほう。その時の気になることで購入する本も違う、ただ通り過ぎてかすっていくような本もある。その時の心境で響き方も違い残るモノも違う。残念ながら何度トライしても最後まで読めない本もあって私の脳力の低さと集中力の無さもあったりする。服選びも近いものがある数年前から手元にあるのに急によく着始め愛用アイテムになったりしたり、何故この服が好きだったのだろう?っと見つめることになる本もあったりするから不思議だ。同じ場所にいてもなにか少し・・微かな・・僅かな・・あるかないかのような加減のニュアンスで居心地も 本だと文も 美術品の目に留まり方が異なってくる。私が変わるから気づけるようになるのか?周りがなのか?気づくというのはどっちが最初なのだろう? 雑草がいつの間にか成長しているようにわかりやすく誰にも目に留まりそうなところにあったとしても一切目に入らないものもあるように!! どう見えるか?どう捉えるか?どう解釈するか?どう判断するか?どう選ぶか?全部まとめてどう日日過ごし生活するかだと思う。日常の些細な事がとても大事なのだなぁって感じている。湿度高く自律神経が弱り心身弱っている方も多いようで ムリにカラ元気 カラ明るくいる必要はない、益々ジメジメ湿度あげてしまわないようにつとめたい。ステキな大人は自分を調整できるはず・・、ただなんとなくでもジメジメでもなく、周りや他人のせいにもしていないと思う。

  • 7/1

    今日から2026年後半スタートする。早いような遅いような・・の心境きっと降り続く梅雨最中で空も晴れないからかもしれない。スマホから遠ざかり何となく見る機会が益々減ったこともあるからのんびり流れてる感覚の中にいることがふえたかもしれない。気持ちのどこかで焦り急いでいたセッカチな性質が50にして少し変化があった。速いが良い という単純な刷り込みが少しずつ薄れていて、ちょっと余裕やゆとりや余白を持ちたいなーーって思う理想の私像があるからかもしれない。もちろん約束や時間も守る事は変わらないけどそれまでの時間の取り方やスケジュールの入れ方も変わってきた。先日も朝電車に乗り遅れた・・前だったら時計とにらめっこしながら急ぎ足のダッシュで飛び乗っただろう~笑 時間気にせずマイペースで過ごすよう意識してるからか&余裕と余白を心がけて作ろうとしているせいか・・急いでもいるときと焦っているときと実はあんまり大差がないんじゃないかと錯覚してきている。なぜあんなにセッカチで焦って急いでいたのだろう?笑 ゆっくりしているというのがちょっとワルイことと捉えていた所もあるんだと思う。ゆっくりできることは「今」を味わい過ごす深みになる行為なのだと感じる。なんとなく考え事や色々思い浮かべぼんやりは生産性ゼロで無駄で勿体ないとどこか罪悪感があった。何かする=生産性UP、予定あるから=充実・有意義とも限らない、どこかメリハリ過ごす海外のライフスタイルを真似るような感覚になってきた。何も予定がないからってカラッポなわけでも存在しない訳でもないし何もしないからって価値がないわけじゃないって・・。他人の刷り込み価値観でいるより私主体でいるといつか価値観となるのだろう・・集中することもオンオフあることも、植物みたいなときも全部私の日々、色々考える今年の後半で人生も後半カナ。

  • 場所を変えるといろんな物事が見えてきてそして私自身も見えてくる・・。始めて訪れる場所は切り取った部分の写真だったり、スクリーン越しで見た事はあってもやっぱり百聞は一見に如かず! その場に居ないと感じられないことがいっぱいいっぱいあるものだなぁってつくづくある。初めての場所での経験はドキドキ&ハラハラ&ワクワクで全五感フル連続使用するからとても感覚が鍛えられる。緊張と勇気の間で歩く道一本をどっちを選ぶかで見えてくる景色もかわってくる・・未知領域を過ごすって人生とちょっと似ているのかもしれない。場を変えて身を置くことで自分の知らない別の自分を痛感する、好奇心旺盛だけど柔軟な適応はやや遅れ気味、咄嗟の判断力も遅め、興味ない事は見えてないから視野狭め、警戒しようとするが全く疑わず鵜呑みにする、体力はある方と思っているのも実は勘違いで体力低下進行中。そんなことを自ら感じてくる。旅や場を変えると成長させてくれるキッカケが多いのだなっとつくづく思った。実は生活全般が刺激が多いのだという事も感じた、通り慣れた道や場所というのも何度も経験してるから刺激少なく過ごせるだ気の事、ホントは些細な事も十分刺激になるのが生活なのだなぁっと。場を変えることも会う人も変えてくると全てが変化の起点になるし、自分をほんの少し変えてみるだけでもキッカケになりジョジョに変わってくるのだと思った。自分を変えることって口角少し上げるだけで余裕がちょっとでたり、言葉一言、座る姿勢一つでもだんだんだんだんと少しずつ進み始めるのだと。言葉出さないことも伝わり感じ気遣うこともあったりすることもあれば、言葉で言っても伝わらないこともある。様々な場を訪れながら人が場を作りそして人が場を乱すこともあって、双方の意識や人柄が影響するのをとても感じた。AIにはそのニュアンスってわかるのだろうか?笑

  • 除湿器

    時間というのはホント面白い スローモーションのようなときもあれば一瞬のようにも感じられる、ホント不思議でたまらない。昨日の夏至に長い陽差し全く感じられないまま・・一日一日がとても長い気の梅雨の日がある。低気圧のようにちょっと低いほうへ雰囲気と空気事持っていかれてそうになるから沈まないように水面に顔を出して空気吸ってるような感じで足をコツもつかめずもがくうごき・・。必死になるとチカラが入りすぎ重くなるからカルーーークいるようなイメージ。水面に浮く乾いた流木をイメージしてプカプカ浮いていよう。軽くはイイことも時にある真剣に考え悩むこともあるけどこう湿度の高めのときは軽くいよう。除湿器をフル活用しながら・・。除湿器のような空気清浄機のようなエアコンのような身近な人がいると快適にいれる。どこかに負荷がかかった時に気づくもの・・。いつも除湿器やいつも空気清浄機やいつもエアコンで役割ができているより時と場合で役割がコロコロ変化していい変化し合える関係が一番いい!!機能だけじゃない繋がりがあるといい。柔らかくしなやかに変幻自在になれるってことが大切なのかもしれない。。。正しさや正解を探すよりもよくわからないけど適応していきながらがいいのかもしれないし、ムリしすぎないでフラットな関係お互いさま~の軽さと柔らかさで過ごすのがベストかもしれない。梅雨時季も一年で捉えれば必要な意味のある時期。梅雨明けしたら とけちゃうような暑い日がつづく花火にかき氷に浴衣に海にスイカにサンダルと夏を満喫するアイテムが揃う。耐えかたもかわしかたも色々あっていい1時間や1日で思っちゃうと辛いけど、ロングスパンの1年で捉えると大したことないような気がしてきた。。開けない梅雨はない。笑

  • わずかなこの時季の風情を楽しめる蛍、今年も観に行こう・・まだ間に合う毎年一度は鑑賞に行く蛍狩り。蛍のほのかに光りふんわり消える浮遊しているのはなんともいえない。光だけを人工的に真似たとしても何か異なる。美容整形を否定しない、だけど人工的に伸ばされたしわのないハリのある肌に優しさやチャーミングな笑みは感じられない。美しさって一部じゃない・・美肌といってもしわ、シミ、たるみ、ハリの問題だけでもないし、髪の毛も白髪、色やセットや前髪だけじゃないし、爪もネイル塗られているだけでもない。目にとまり目で感知できる面や部分だけが美しさだけじゃないと言いたい。パッと見の一瞬の美しい肌として言葉遣い汚く愚痴ばかりだとどう?ヘアスタイルキマっていても姿勢悪く猫背でスマホ覗き立つ姿で凛々しさはない。キレイどころの多いアナウンサーでも箸の持ち方や字が汚いと残念だったりするのと同じこと。多くの女性と接してきて勘違いしてほしくないけど、ただ細い身体だけで美しさにはならない事を。ランウェイのある世界4大コレクションに選ばれるモデルさんを身近で見る機会あって、正に宇宙人!ってこの表現がピッタリ。私が見上げるほど高い身長で顔が恐ろしく小さいし細いのに筋肉メリハリある肉体だったからスーパーサイヤ人って感じ笑。そのぐらい凄く圧倒されるが・・美しいというのとはまたちょっと違ったものがあった。私は年齢体型性別関係なくどんな方も来店してくださった方にファッション、お洋服着る嬉しさ喜び楽しさ感じてほしくてお店オープンした。美しさって目に飛び来む面だけじゃなくて全ての総合なんだと思う。年齢や性別や体型さえもない言ってしまえば学歴や職歴や役職でもない生き方と在り方なんだと思う。蛍を画面越しの映像で見たとしても感動する?一度もリアルで体験してない人は感動しないはず、感動や心が動くことって総合で実体験で感じないとムリだと思う。それも家から体を移動するところから始まるもの・・・で体験して感じないと何もしてない事と同じ。

  • オルゴール

    と言われて音色が奏でる人はいくつぐらいの方までだろう?お客様との会話中で万華鏡は子供の自由工作で作ったよ~っと家にもあったけどいつの間に消えてしまっている万華鏡もビードロも砂時計も・・。キャンディのチェルシーのヨーグルト味を頂き一瞬にして溶けてしまう生触感・・懐かしい。懐かしむって後ろ向きだけじゃなく今があるから懐古できるのだと思う。今と過去はコインの裏表のようなモノっと例えられていたのを聞いたことがある。過去と今、今と未来もコインの裏表のセット。表裏一体なのだと思う。過去があるから今を感じる未来も想像できる。今でしかできることはないと思う。どう想い過ごすかは今のみ選べる。バイヤーとしてセレクトしながら服を選ぶこと、お客様と一緒に服を選ぶこと、会話で言葉を選ぶこと、電車の中でシートを選ぶこと、どれも同じ行動のキッカケになる一歩目には過去と未来がくっついてる。オルゴールもビードロも万華鏡も砂時計もあってもなくてもどっちでもいいかもしれないけど、音色、ガラス細工の繊細さや儚さ、幾何学模様の美しい色を一瞬の儚さを感じさせてくれるもの、忘れていたけど溢れこの環境に慣れきってしまっている今。生産性とか損得とか利益とか勝ち負けとかそういったもの以外の情緒や風情や微かなニュアンスがドンドン消えて無くなりつつある。オルゴールの撒いたネジが止まりかけるときの音の可憐さは今のタイパや倍速視聴する子にはどう思うのだろう?美しいとか綺麗とかって教えなくて感じ身に付いていくモノなんですね・・ってママのお客様が話していたのが印象的。お店に来る子供たちが綺麗ね~とキラキラしたものや色に惹かれるってその子の感覚なのじゃないかな・・、教育は本や学校だけじゃないと思う。消えていったモノからも何か感じ取ってる・・。

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