AKO’S Monologue

  • 日常の生活リズムと違うから祝日や休日がより楽しさを感じられる。雨の日があるから晴れの日の有難さを感じられる。夜があるから日中を感じられる。陰陽はよく言ったもので影の深いと陽が輝きをます。反対や真逆がそれぞれがあるからより強く感じられる。キツさも必要枠、キツさがなきゃ進歩も進化もない。毎日時間に追われ頑張っているからのんびりくつろぎ時間を気にせず過ごすのもいい、この連休いろんな過ごし方をされているのだろう・・ほぼ同じようなルーティンになってしまっては感覚の刺激は少ない。刺激具合は時と場合によるけど適度がいい・・もっともっともっととなるとキリがない。本当は一日の中でそういうメリハリが持てたらいいのだろうけど、不器用だとなかなか切り替わらない。切り替え!というコトバは昔、学生時代のバスケでよーーーーーく言われ続けたなぁ。オフェンスディフェンス(攻めと守り)のチェンジが一瞬のスポーツはホント心身共に鍛えられた。体を作り技術を練習することも大切だけど、メンタルが逞しくなったのは体を使いながらスポーツの実体験が大いに役立っていると思う。頭の思うように動かない体でミスをしてヘマをしてメソメソ悔やんでいる瞬間も尾を引いてる暇もない。すぐ目の前のこの瞬間・今に集中しなければならず。今に集中することって充実につながると思う。あれやこれや頭だけで思考しても目で映像だけ見て理解したつもりでも、現実的になに一つ変わってない。体の大部分を使って感じ動かさなきゃ・・。見ただけでオシャレでいい服はなくて自分が着て感じてこそ似合ういい服になってくるはず。是非着て是非いろいろ感じてほしい。生きるって感じることと仰る方がおられた。嬉しいの対も、寂しさの対も、静の対も多く感じ経験したから本当の大人になれるんじゃないかなぁ・・・って。

  • Saga

    ニットが好きな私はクリーニングから一斉に戻ってきてから衣替えはじまる。今季一度も出番のなかったニット達ともに次の秋冬まで夏眠してもらう。お客様と会話でどのくらい服を持ってますか?と尋ねられ、数えはしなかったけれど似た色や、形や、素材が多くカブっている雰囲気のものがあり偏っているのは間違いないなぁと眺めていた。お気に入り新旧で当時自分がご機嫌で過ごさせてくれてしっかり覚えている物もある中、頭からスッポリ抜けてしまっていたものがあったりしたのが可笑しかった。寒暖往来する季節の変わり目でぎりぎりまで活躍してなかなかしまえないでいて・・とりあえず。という形で妙な所にしまわれていたものとご対面することもあった。笑 どうしても季節のハッキリしない時期というのは誰もスルーしてしまいがち。けれど、ハッキリする季節や気温の日になると正直オシャレを優先し楽しむよりも、いかに涼しく暖かく快適に過ごす が大事になってしまうことを忘れないで欲しい。だから、昔はオシャレは我慢。オシャレは先取りと言うコトバもあったけど私はそうは思わない。先取りも我慢も気にしなくていい。自分に合ったものが一番いい。先の季節に気を取られ過ぎるよりもこの往来する時期(リアル)に着れるものが結局はシーズン長く着られることに気づいてる。流行で選ぶよりも新鮮な感覚を楽しむハートがいつの間にか先取りしちゃってるし、流行の渦に巻き込まれず自分のスタイルで気分でオンタイムを楽しんで毎日の洋服に取り入れている。ファッションは誰のためでもなく、自分の身体を使って楽しむ究極の遊びのひとつと思う。綺麗や美しいものに魅了されるのは性、虜になるのは仕方ないかな。。笑

  • UCHISOTO

    丸一日かけて展示会場を10軒訪れ・・トータルおよそ2000点のサンプル商品は見たと思う。新しいブランドもあったり、耳にしていたが初めて実物を見たり、以前から知っていたが印象が様変わりしているブランドもあったり、アパレル業界に入ってホヤホヤすの頃来訪した懐かしいブランドはコンセプトブレずの作りで・・・面白かった。アパレルの流行もここ最近は激しく変化しはじめている、コッテリ凝ったデザイン重視のアイテム、アメカジみたいなもの、ヴィンテージや古着っぽさを取り入れたものと個性豊かだからどんなものもアリということ。私自身もオシャレを楽しんで着ていて服の変遷遍歴はいろいろあった・・・今に落ち着くのもここ最近。メンズライクなものにはまっていたり、女らしさに憧れたころもあったりアジアンなものが好きだったり奇抜なデザインのものや色のものと色々買い着てきた。。笑 正解はなく答えが一つでは決してない・・なんでもアリ!!だから着ていて着心地のイイもの、シーンに合わせて着るもの、着やすく合わせやすいもの、本人のテンションアップ、快適な気温を保つこと、お手入れがしやすくタフなもの、などなど服への要望はいろいろあって当然。。笑みをうかべているから明るい気持ちになっていけるのと同じで、服を着ることで自分の理想にすこし近づけるかな。。着ると行為だけの選択もありと思うが・・・どう着る?どういる?どう過ごす?どう生きる?になって、どんな自分になりたい?どんなことに興味&好奇心もったり惹かれたりするになっていくと思う。「 なりたい 」が職業のみを表現するものではなくて、どんな人でいたいか・・に近づけるキッカケにお洋服はあるとずっと思っている。お洋服から理想の自分像に近づけるお手伝いができたらいい。。お洋服はあくまでも外側、マインドの内もきっと相乗効果あって・・外も内も魅力的な人でいたい。。

  • 懐古

    展示会周りして・・初対面でも共通の知人がいたり、久しぶりに再会する方がいたりで楽しいひとときが過ごせた。同級生のような感覚・・昔を懐かしむことあまりなく話題は今現在の心境や思いがぽろぽろと・・長くアパレルに携わって曲折あり乗り越えてきたモノあっての本音がでたりする。ちょっと逞しくちょっと大きくなったかなぁ~ってお互いに感じるものがあったようだ。月日経ち再会するのもわるくないものだなぁ・・・会話しながらも自分を眺めるような感覚もできてよかった。自分を観察すること、自分を研究すること、自分を研鑽することが生きていくこと(生活すること)昨年後半あたりから変わりたい願望の私が、今、私のテーマは自分を知ることになっている。自分を知らないと見直すことも変わることもできない。。時代にあってない社会的モラル含む固定概念にガンジガラメ縛られていたり老い・老後の恐れ一方向の思い込みをどうにかしたくて~。生活は心拍が止まるまでリズムをうちいつまで続くかわからないけどつづく。ただつづくと思っていることさえも思い込み。本の字にピントが合わない時や小さい値札が見えないとき不自由になるぐらい~笑 最近ほとんど年齢気にしない。服も自分にしっくりきたりするものであればいい・・「40にして惑わず」やっぱり遅いから50前にして惑わず・・・今いろんな意味で動じない  心持も考え方も自分のような気がする。精神の若さ=元気=明るさというのは気づきや好奇心、行動力、情熱のような気がしてる。周りや社会のせいや中傷批判するより自分でどうにかしようともがきトライする模索するのが生きているのような気がしてる。

  • ZATSUDAN

    一日の中で体感温度も変わり、日々の天候でも違いがハッキリとする。少し暖のとれるアイテムとポカポカの春とそれでは暑すぎる新緑の初夏ものがごっちゃごちゃのクローゼット。。何を着たらいいのか迷うとき、こういうときこそ身体も適応がスムーズにいかず体調も崩しがちだから気をつけ気にかけたい。。スマホ画面やTV、他人の外にばかり目を向け気にするより間近の自分の身体に気にとめてほしいところ。ヒトハヒト!!と心のコトバのつぶやきはそうだけど裏腹に頭のつぶやきは、変化かな?おかしいかな?っと再問いかけがでてしまうもの。ふとニューヨークの街中を思い出す。真夏にレザージャケットを着ていたりムートンシューズを履いていたり、豪快な色合わせや、お腹の見えてるトップスのスタイルもあってなーーーーーんでもアリなのだと歩きすれ違いながら衝撃だった。。そこでただただ驚く私のちっこいちっさな固定概念にまた笑えた。結局、自分の枠でしか認識できないこと、自分の枠の中の決めつけた思い込みと判断でしかないこと。。自分の枠を広げるのもの狭めるのも教育、親の躾、環境だと・・・。先日、海外にお住いのお客様の感受のリアルに溶け込むといろいろ見えてくる幅広い生活の一コマ一コマを聞かせてもらえてよかった。体験経験から変化する思考をご本人もおっしゃっていて、話を伺ってる私も聞くだけで疑似する一コマ・・百聞は一見に如かず だなぁと。雑談ができない人が増えてると聞くけど、その方の環境で不思議に思ったこと考えたこと感じたこと気づいたことを話せばいいと思う。そこで正解や判断するんものじゃなくそこで意見や思いや考えを知り深まる。同じなはずがなくて違いを埋めよう、合わせようとしなくていいし、違いに批判判断しなくていい。ただ「違うという事」を受け止めればいいだけのこと。。和を以て貴しとなすって同じことじゃなくて、違いを受け止め合うことなんじゃないかなぁって思うんだけど。

  • tokai

    毎月4日ほど東京都内滞在するようになって1年半以上経ち・・、ザワッザワッとした乱され狼狽える時がジョジョに薄れてきている。平常テンポでいられるようになってきたらいろんなコトに気づき始めるようになった。都会の人は自分の世界を作りやすいような気がする。人と接するときはサービスとして関心を寄せるが電車で隣の人が触れてようがお構いなし・・、他人が何をしていても無関心無関係という様子は面白い。いつからそうなるのだろうか??私は滞在が短いからそうはならないだろうけど。。だから人の目を気にするのは田舎いけばいくほど・・というのも仕方ないのかもしれない。刺激が多い都会は遮断しないと私みたいに狼狽えてドキドキ緊張したり、こういう場合は?など色々考えてドッと疲れてしまうのだと思う。引け目と恥ずかしさからの怖れを隠そうとしていた年頃もあったけど都会は訪ね尋ねると、親切でとても丁寧だから楽しめるようになっえきた。若い方でもキチンとした言葉遣いや接客対応見て関心して私も初心に戻らされたり、こちらが引け目感じるような佇まいの方も気さくで大人の社交のキョリ感で対応され心地良く空間をすごせる。私の勝手な都会怖いの思いこみと一方的な田舎の劣等感感覚が変わると周りが変わった〜。田舎に住むオバさんという事を認めたとき大人として丁寧に教わり謙虚になれた。謙虚というのは自分をどんなことも全部でぜーんぶ受け入れたときになる行為だな~っと思った。こちらが丸くいれば寄り添ってもらえるが▲や■で形や型を決めてしまうと合わせてもらえにくいしまらえない。なるべく柔らかくいたい心も体も振る舞いも・・。

  • YouTube・・

    意思の加減によってある種勝手でわがままで自己チューとなるし、シーンによってはマイペースだったり、芯があるという言い方にもなる。自分の価値観や固定概念で周りを見渡すと相手を認めず、許せず、責めて批判する、攻撃的になりワルモノにしたりとなってしまう。ちょっと小さすぎてちっぽけに・・と気づかされたユーチューブ。自分だけで正しく正論と思い込んでしまっては多様性の社会は通用しない。ハラスメント(モラハラ、セクハラ、パワハラ、カスハラ)ことを考えてしまう。前提が「同じ、一緒、近しい」からのスタートか、前置きが「別、違う、遠い」の始まりかでは全く心の負担は違ってくるような気がする。違うものだから歩み寄りをすれば中間の着地点がある。お客様のキャラクターやパーソナリティをとても大切にして接客している。例え同じものでも着る人が違えば全く別物に見え感じることができるから服の変幻する面白さと楽しさがある。単一の服やバッグがステキより着ている人が素敵だから服も付随する、主役は着る人!本人!その方を引き立たせる脇役が服で相乗効果を生むと思う。違いを認め受け止めれば社会で「同じが前提」でスタートするから不平不満衝突でしかない。違いが当然で同じは勘違い!!一方だけが合わせるのも可笑しなことで双方の歩み寄りが大切だ。双方が合うこと超貴重でレアなことだと身をもって実感する、互いに尊重し合える同士なら違いを受け入れ違いを楽しめ、コミュニケーションの相乗効果になるはず。尊重される自分になることがまずスタートなのかもしれない。

  • Youtube

    ジャジャーーーン//ユーチューバー デビューではなく。笑 どんなユーチューブ見てますか?たまに本の要点まとめしたものを見るというより聞いてましたが、今は興味うすれて再生していません。。名作や日本の古典的な本を知りたくてもなかなか探しきらなかったです。ファッション美容系は一度も見たことがありません笑 娯楽より経営者やその業界に造詣の深い方の考えを知れる公演や対談などが多くなってきています。もしスマホがない時代なら不可能な講演内容も聞くチャンスがあってほんと有難いなーー。対談聞きながら、わたしもそう思う(同感、共感)・・そうは思わない(私ならこうだなぁ~こう思う~)などと勝手に頭のなかで行っていたりします。西野亮廣さんがどんどん縮小する日本市場であなたは10年前と同じ行動していないか?という投げかけたフレーズやソフトバンクの孫さんの予想するAIの10年後の講演も聞けてよかったと思うものでした。「10年」というフレーズでどう捉えるか?10年後の私の輪郭も朧だけどあと2年後をメド&区切りに今現在と違うライフスタイルを想像して動いている。時代の流れを読み解くことはできないにしても徐々に変わりつつある身の回りすべてに柔軟に適応していけたらいいなぁと思う。取り残されていると周囲にそう思われても取捨選択して私の意思表示の「NO」で納得していたらいい。流れを読む(現在と未来)といつの間にか流されている(過去と現在)は全く違うもので川面の葉っぱでいるか?川底の小石でいるかの違いだ。ライフスタイルもファッションスタイルも同じなんじゃないかなって思う。

  • スタイル・・

    何が伝えたいかというと経験が大事ということ。経験したことに対して痛みやつらさを感じたことや没頭したりの経験があるから少し進歩や進化や成長ができたのかなぁ・・。最近、何事も経験だと身もって感じてる。机上論や頭だけのことは意味がない。転んだから次は転ばぬように気を付け注意もできるようになった。人付き合いだって恋愛だって同じだ。バイパス道路樹の成長のように進化や成長の形跡も気に止まらず感じれないとしてもそれなりに生きている。人もそうじゃないかと思う。身近な家族や友人の成長や進歩は感じとれてもその他の周囲の人は街路樹と同様だ。ふとズレや違いを感じ気づくことがあっていいし元々違っているのが当然なこと。同じというのが思い込みで妄想だったりする。違いを責めたり否定するのではなく、違いを楽しむぐらいの余裕を持てたらいいし、違いを楽しめないならそっと離れたらいい。お洋服に限らず自分の好みや興味が変わっていくのが自然なこと。人と人の関係も人と物の関係も伴走のようなもの。年齢とともに自分が変わりゆく中で変化するのが普通で、変化しないほうが違和感で、とどまる 現状維持よりも変化していく自分をもっともっと楽しみたいと思っている。周りからは街路樹のように見えていたって一方に構わない。

  • スタイル

    やっぱり本人の希望と願望やどんなものが好きを大事にしている。50近くなった私はずいぶん偏っている。。好きな着こなしやシルエットや素材、家には同じようなものが溢れているが微妙に違う。。笑 着ないアイテムもいっぱいあるのも事実。私の偏りは服に限らず食も同じ。笑 偏るというのはあんまり好ましくないイメージだけどよく言えば好みやこだわりの追求でもあったりもする。好むものはしょうがない。こだわりが強くなりすぎて他の否定や強要は決してよくない・・ひとそれぞれ・・。ショッピングを楽しみ服を買い着てくると好きが偏るのはいいことじゃないかなぁって。着ない服を知り経験分だけショッピングの選択判断が磨かれているはず。私のオシャレバカぶりは小学から始まり母型の祖父祖母がオシャレな人だっただけに影響を受けている・・私の思い出す大失敗ショッピングの1つ小学4.5年だと思う。白フリフリブラウスに一目ぼれしてねだり手に入れたけど、買ったときと同じフリルが見えるおたたみ形状のままブラウスは黄ばみ一度も着ないままだった。子供ながらに高価だったことも試着せず買ったことも鮮明に覚えていて、惹かれ買ったけど着ない服の記憶。それがベースにある。お洋服でも早くに手痛い経験を小学のうちから、理不尽な大人の社会も小学生ころから思い出す。。経済は20代後半からのデビューだったかな・・。つづく

  • KOU・・

    光悦の書で巻き物に筆を入れる空間のセンスはなんとも言えなかった。あそ美・心欲しい〜〜下絵も控えめながら出しゃばらず融合的なのも絵師の腕前と技巧だった。私が光悦を知ったきっかけの茶碗も独特で惚れ惚れするものばかり。。名門楽家の初代長次郎のお茶碗は気負いも力みもない、自然体のような物腰の温かくやわらかな作風が私は好きだった・・長次郎しかだせないモノだなぁって、好きなものを同時に見比べられて感じたのは、それぞれの良さと引き立つ感性とセンス。職人や芸術家は生み出す作品で表れる…其の人。目に見え物体として形に残る残らない違いはあるけど、人間社会で一人一人が、自分を表しているのも働き方、仕事と向き合う姿勢や想い、愛情表現だって、食べ方だって、優しさだって、話す言葉だって様々な表現、無意識のやっているしぐさや振る舞いだって全て当人の作品と言っていいのじゃないかなぁって思う。類は類を呼ぶのように様々なコミュニティの形成も最終的には人と人。もがくのも焦るのも私が私を悔しく思うのも情けなく悔やむのもそんな私も全部丸ごと素直に認めて飾るのも飾らないのも私、これからシンプルな長次郎の真っ黒い茶碗みたいに醸し出せる仕上がりになれるようにやってみたいことにチャレンジして経験を積んでいきたい・・定年制や年齢の呪縛から解き放たれて・・・私は私らしく笑

  • KOU

    時間をとって本阿弥光悦の大宇宙展を観に博物館へ   刀鑑定名門家系で育ち磨かれたセンスが書や茶碗となって表現されていく様子が展示されていた。江戸時代初期 80歳(1558~1637)長めの生涯で40代後半から活躍が〜私もこれから!これから!と元気がでた。同世代と20代若手スーパーマン達と月一回ミーティング(頭脳明晰、教養と経験値と情報と知識の広さと深さ)ある方々といると。。。人類皆同じ月日何やってたん私??ってツッコミたくなる。今さら悔やんでも仕方ないけど24時間365日一緒なのに。スタート時期の違いも環境の違いもあるけど才ある人の周りには必ず才ある人々がいる。人間が放つ魅力に引き寄せられ交流が始まっていくのは光悦の時代も現在も全く変わらない。要は本人次第なのだと感じた。自分にどんな目標や理想があるか、そしてどんな人と出会い感化も切磋琢磨しあえる間柄、どんな人を紹介してもらえるかも全て当人の自分なのだと・・。過去を後悔しても仕方ないなら諦め今、どう過ごすかだと思う。スーパーマン達がスペースシャトルほど最速で最大量のパワーと比べることが大間違い。私なりにわたしを諦め失速せず私のこれからビジョンもって私なりに過ごしたい。

  • 支点

    2月あっという間に過ぎさってしまった気がしている。その間心ソワソワしていた。なんとなく曇った世相の気配を感じとっていたりもしていて・・花爛漫の春を楽しみにいれる余裕も気にもなんとなくなれなかった。ただグレイ色の気配も自分だけの視方見方観方を変えたらよいだけの超超シンプルなこと・・。有無同然という言葉と出会い(あるもないも同じこと)そうだな~~~って 感情をどう入れどう捉えるかもすべて私次第。「グレーの濃淡があっていいとおっしゃっていた方がいた」白黒ハッキリ別ける方がラクなのかもしれないという時がある。中庸という言葉が昔からあるけど偉人賢人仙人、凡人がなかなかできるはずもない。中間は視野広く偏らずバランス感覚がいる。偏らないでいること。揺らぎグラついてしまう自分を自身でバランスをとるのは支点の私が私を知り変わらなきゃと昨年から感じている。2月頭、尊敬する方から喜ばしくない性質3つ苦言。一つは心当たり重々で他二つはショッキングだった。しばらく凹み落ち込んだけど自分の知らない至らない点を徐々に受け入れてきている。私の今思い浮かぶできそうな事は目の前のお客様のハッピーライフを願い、アパレルでは気持ち良くやオシャレを楽しく、気分を変え日常のささやかなおもしろさと変化と刺激・・お客様が何か求めて足を運んでくださる事に do the best  私なりのおもてなしを・・していきたい。

  • 2024.2.23

    きちんとしたシーンでの装いができるのが大人のマナー。。ジャケットのようなボレロのようなタイプのカーディガンは重宝します。光沢もありしわもなりにくい素材でキレイ目な印象には優れものの一品 KEY:ボウタイブラウス

  • ビジョン

    こんな私がなぜお金について取り上げてるかというと・・・お金に振り回されたくなくて左右されたくない気持ちが強いからかもしれない・・昭和気質の私はあれもこれもしたいとやってみたいことが多い。正直、お店の仕入れも運営もしていると・・究極は価値観になってくるかなぁ。お客様を引き立て似合う服や個性と雰囲気に合ったものを紹介できたらいいなと接客している。そして、きちんと選んでもらうことも大事にしてる。アンチな話題のお金だけど興味や関心のある人は多くなってきている。お金もタンスの肥やしのようなお洋服達のように持っていても活かせないなら意味がない・・買い物のワンシーンをご一緒していて充実したショッピング、生かす買い物が必要だと思う。お金は服と似たアイテム(道具)で、「お金」にだけ注目しても意味はなくどう使うかの目的がはっきりすればイキイキしてくる。ダラダラとプランなくいればいつのまにかすぐ消えるのは事実。自分の生活の優先順位、何を大切にしてどう考えているかの思考がお金に出てしまうと思う。私たちとお金って主従関係かなってもっとコントロールできるものでもあると思う。生かすも腐らせるのも本人次第、価値観だって年ともに変わってくる、好む味付けがかわってくるように、体の変化と同じようにいつの間にかのちょっと前に自分を想像してみたり、今のうちにすこしだけプランを練るのもいい明るい未来を創るのも自分次第だと思う。すべて自分がプロヂューサーで主人公。。

  • 変化する どう想像するだろう?いいor悪いの2つしかないようにずっと思いこんでいた私。「 変化しないものなんて世の中何ひとつない 」って教わり・・ほんとそうだなぁって本質をつくづく実感する。笑笑 今更って感じだ〜笑笑。変わることが当たり前。太陽が昇ることは昨日と同じに見えたとしても時間も位置も変わる。変化してないように感じていた私、視方の目と認識がガラリと変わる。日常の普段が何も変わらないと思い込んでいるだけ・・。ずーーーーーっと変化しない同じものなんてないんですね。変化を感じるとは気づいていくことでそれに気に留め思考することそして行動すること。色んな方から社会コミュニティの変わる様子を教えてもらえる。私もアパレルに関わって25年、時代も変わり社会も変わり私自身も変わりずいぶん変化した。

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