AKO’S Monologue

  • +ー・・

    想像しないような言葉が返ってきた。その時きっとイヤミ言われちゃうかな~注意叱咤されると思っていると予想外の優しい言葉だった。もし自分にイヤなことあったら感情あらわになってしまうところ穏やかな促しそれも柔らかく伝わる言葉だった。人徳のある方は私的感情入らず物事を言葉にする変換能力と伝える能力があるんだなと気づかされ恐れ入った。もしそんなとき私だったらどんな表情でどんな言葉発していただろう?って想像してみたけど私よりかなり若い男性のような言葉はできないと思う。大人の振る舞いと言葉表現は圧倒的器量ヨシや人物像を感じ尊敬になる瞬間だった。大人が大人の振る舞い(言葉、接し方)をすると世の中がいい方へ変わるんじゃないかと確信した。ストレートに感情あらわに言うのが当然で何なら言わない方がいい、関わらない方がいいという社会であのようなスタイリッシュな表現と言い方ができるってスマートだったし人柄を感じた。どうしたらであの様にきるようになるのだろうか?って思う。いくら本を読んでも身に付かないし、きっとそういう人徳ある方、器量の大きい方の傍にいないと身に付いていかないものだろうなぁって思った。正真正銘大人が広い見解から発する言葉ってプラスマイナスも含みつつ注記促すもので自然とスーーーっとこちらに浸透するような表現だった。身につけるのは服だけじゃなくもっと深い部分の見えない部分で充実させたいなと思った笑 チクチクトゲトゲした言葉じゃなく薫風のような心地よい風のような表現、伝えることのできる人になりたいなって・・折り返し地点からの遅咲きだけどこれからのテーマだわ 笑

  • +-

    足していく時期と引いていく時期、身につけていく時期と削いでいく時期。入社新人さんが教わり吸収していく時期や新入生が生活に慣れてゆく最中もこの時季5月なのだろう。オシャレに芽生えて流行りアイテムが目新しく映るときはアイテムが増えていく、段々年を重ねファッション関心長くなると流行がリバイバルで巡っているのを実感する。私のお洋服はデザインある個性的の濃いものに惹かれた時期もあったけど削いでシンプルになっていったところがある。削いでいくと細部ディテールが気になり千利休の茶道具のようになったりする点があったりする。スッキリとした無い美しさは洗練という事を表わす感じ。言葉も多く並べればいい訳でもなく、「睡眠不足で休みます」とそのまま言ってしまえる社会も・・苦笑 連日睡眠不足もどこで線引きするかは難しい。線引き区切りは育った環境も影響すると思う。私が学生の部活で経験した環境が普通当然とちっとも思わないけれど、指摘注意せず褒めて伸ばす教育はどうなのだろう?って思ってしまう。褒めるもタイミングで毎度褒められるが当然で過信につながるのでは?私の場合はくやしくて伸びた点も、劣っていたから勉強したし、センスがいい人を真似たりした。短距離走が速くないからマラソンの持久力で挽回もした。自分を知ることで行動するキッカケが作れたと思う。見方次第で人との比較がすべて-じゃない自分を知る+になると思う。私はラッキーで全国模試1位の子が同じクラスやプロ入りする子と一緒に練習できたこと、圧倒的にスゴイ子がすぐそばにいるといいお手本になり吊られて伸びたかもしれない。環境に影響受け人から感化されるのは学生時代だけじゃなく大人になってからも同じこと。木は枝を切られたらもっと成長するらしい。高いビルの街路樹もビルに習い上へ上へと育つ。枝切るタイミング間違えちゃうと病気の元で枯れる原因、超高層ビル横だと陽当たらず育たない。時期と環境!タイミングにあった一言でやる気スイッチや気が引き締まったり、ジーーーーンと響いたり。言葉は慎重に扱おう。多いが野暮になることもあって少ないが洗練されていくこともあるのは服でも言葉でも同じに思う。

  • フラット

    わたしのお店のコンセプトの一つに近所のたばこ屋さんのように~っというのがあってイメージは、映画「三丁目の夕日」に出てくるたばこ屋さん役もたいまさこさんのような存在だったりする。いろんな捉え方はあるかもしれないけど、フラットに話せる存在っていうイメージかもしれない。私も緊張するそれよりももっと初めて来店されお会いするお客様の方がもっともっとドキドキのはず・・。ちなみに私は人見知りだし今でもたまにのぞく。ただ言葉だけじゃなく相手に伝わるモノには気をつけている。でも、その前に自分がどういう風なイメージを持たれるかは把握しているから、その部分が悪目立ちしないようには気をつけている。言葉少なくても伝えたい思いや察しよう組もうとすることでお互い歩み寄れることはいっぱいあると思う。ただお互いの歩み寄り!上下じゃないフラットにいれるから巡り始めることもあると思う。仕事上立場で責任の重さで上下できてしまうことはある、組織が巡りよくなる役割。社会のアチコチで役割上伝えないといけない事が必ずあるはず。例えば、自分一人で判断してよいこととそうじゃないこと、任せられることも立場や役割に違う。独りで完結することなんて人間社会はありえない。「コミュニティの一部になれていることを誇りに思う」と英リッチモンド住人の多くが話すのが印象的だった。コミュニティ=市全体と捉えているのがとても衝撃的。市街を掃除もコミュニティの一部だからと伝統の技を残すことの誇り、仕事を受け継ぐことも誇り。。。いつからだろう?日本のコミュニティは小さくなりすぎ単位は一人称で、直ぐハラスメントっ苦笑 フラットに居れるって双方の敬意や尊重の思いがあって成り立つ。お互い様って言葉が日本にもあったはずなのにね~。

  • ゆっくり

    きっとゆっくりお過ごしの方も多いだろう・・スケジュールうまらないと落ち着かないとかのんびりがニガテという方もいると聞く。はやい がイイと育った世代はゆっくりがなんとなく負の印象がある笑。ただ・・どこか頭の片隅では気づいていて 優雅さ 品 優しさ 寛容 おおらか 穏やかさ 和む 丁寧 には、速さと真逆のベクトルにあることを!! 焦っても急いでも仕方ないし早いが一概にいい訳でないことにようやく気づいた。結果や成果を求められすぐにを求めてしまうけれど、大事なのはそのプロセスで結果や完成は通過点の重ねだということ。お洋服だって去年の今頃超お気に入りコーディネイトでも今年はその気分じゃない事もある。読書や映画だって同じものでも感動ポイントや響く点が違うように・・気づきも心情や経験で、想像も今まで見聞きしたことや身の周りにあったことからの延長線上にしかできない事をとても痛感する。友人と次の旅先をふんわりしぼっていくうちに目に留まるモノが変わってくる。インドに行きたいな~っと友人の一言、私はスリランカはずっと興味あるけど隣国は遠慮したかったインドを調べてみると意外で目から鱗だ。刺激やキッカケは身近な人から頂けるものだとツクヅク。スマホ通してだと似たり寄ったりで変わり映えしないから刺激も発見もあまりなくて興味あることも深まっていっていない気がする。水も風も流れていないと澱む 澱むと濁る 濁ると見えにくい。 スマホ中も同じ現象が起きているかも?って思った。AIは使用者の私の言語発想質問力の精度上がれば濃く深く深まっていけるのだろうと思う。眼中無かったことも入らなかったことも人から提案やお薦めや意見してもらえるから少しずつ広がっていくのだろう。注意もアドバイスも気づきのキッカケ。ゆっくりスマホを覗いてそんなことを思ってしまった。笑 AIは今までの情報や過去のデータからで未来を想像できないそうだ。イメージや想像や未来は今はまだ人間特有のことなのかもしれない。 

  • shindan・・

    未知で生まれわからないだらけを体験していくことが生きるってことなのかもしれない・・身で感受したこととただ知る(頭の理解)は別の事じゃないかな。AIは色香り肌触り形感じていないはずで痛み辛さ喜怒哀楽あるから共感っていえるんじゃないかな~と。変化する心体を実体験して段々自ら分かるから流行りに乗らず、今の気分楽しみ、好みができ創意工夫していくからスタイルになると思う。シンプルなアイテムのスタイルは、身との相性(サイズ色形素材)多方面アチコチ細部まで目を光らせ行き届いてるからセンスがキラリチラリ、キラキラした超カッコイイ洗練になっていく。定番アイテムになればなるほど微妙なつくりを見極め!自分にシックリピッタリを探し発見出会うのがなかなか難しいからオモシロイ。コナレ感は着心地から長く愛用アイテム 達と経験キャリアあって仕上がる技。どれも若い時には楽しめにくい所で大人になるから年を重ねるから楽しめることでもあったりする。色だけでお洋服見ちゃうのはちょっと寂しすぎる。。色&素材&形掛け合わせがあってお洋服で身ボディーと合致してのこと!身コンプレックスあった私はずっとお洋服でパワーチャージさせてもらってきた・・沢山の方と出会いいろんな考えや捉え方認識、文化や生活をリアルに見聞きすることで選択の幅広がり徐々に形成されて今になった思う。人は人で磨かされると思う。頭の言葉の世界、スクリーン世界で人間生活はできない身があり、行動あってのこと。服を着る事も社会生活だし、体を清潔に保つも、マナールール守ることも社会人・・海外で悪評高き日本人と耳にした苦笑 一緒にされたくないと思っても私も日本人、狭まっているのか広がっているのか・・ 笑

  • shindan

    カラー診断もAI尋ねるもあまり違いないような・・って。カラー診断は、きっと自分を知りたいもっと似合う物着たいオシャレになりたい向上心あってだと想像する。日頃接客でスタイルはトータル頭の先指先足先の全てとお伝えしている、服靴バッグのアイテムごと単体だけでもなく・・着ている方のキャラクター雰囲気含む全てとのコラボレーション。着てる方の見えてない内面価値観性格うっすら出るのがファッションかもって思う。オシャレって着飾るでも若く見せるでも他人に顕示でもないと思う。個人の楽しみ方だから私が言う事じゃないけどリアルボディーを使い生活楽しみ遊びとも思っている。お洋服もやバッグや靴も消費から財産になっていく時代になるかもしれない。作れないものが増えていきつつありまるでお着物の後を追っているようだ。着物のいい素材は職手の込んだ技とても稀少性で高価になり価値のわかる方の元へ嫁いでいくように・・。太古から不老不死を求め神秘、美しさ求め現代は何を求めていくんだろう?  モノトーン世界に光があって脳が色処理認識するから色のある世界に見えて楽しているらしい。色でおなじみアンミカさんのセリフ「白も200色ある」同じに見えたとしても微妙な違いがあるように、微差な違い捉えることがとても大事。お洋服、食べ物、生活全般に微差に気づき感じれるかじゃないだろうか?だから、偉人は観察することだと。。お洋服は色だけじゃなく素材と形(フォルム)があり判断基準色一方向の見方はちょっとどうかなっと思う。映えだけ色だけ価格だけ自分だけのシングルの捉え方は、ちょっとお粗末すぎる気がする。人は心体も天候気候に左右され刻々変わる、その時の診断パターンだけにあてはめるのはどうかな~。AIに理解してもらえてるって勘違いはもっと危ない。

  • merihari

    大型連休になり・・ここ数日前天気イマイチで寒暖も激しくお天気であればいいなぁと願う翌日は雨。休日モード満喫も自分次第だとつくづく・・私にとってお洋服を着ることはシーンごとの気分転換にプラスされる最強のこと。やっぱり人間つい気温に天候模様に引っ張られ体調も大きく振り回されてしまうもの、だから上手くシーン事に楽しむことも工夫かなっと!場所、空間、読書、映画、音楽、スポーツ、お酒、一緒にいる人、食べるものでも一つ一つのもので楽しもうとすれば楽しめることが広がっていく。休日パジャマで過ごすもヨシで夜更かししてドラマ三昧も日頃できない事して同じじゃないのが大切なこと。幼い時は屋外のベランダでおにぎりを食べることですら楽しかった。歩いて帰る下校もつまらないと思った事もなかった。段々それが大人になるといつでもできて選択できるから楽しめなくなってくる。要領よく、成果や結果を急かされ・・ 知識は生活に取り入れ実動して初めて役に立つとメモを張ってる。知っていたとしても行動にならなきゃそれは何の意味もない例え。最近は頭より肉体を使う大事さに焦点がいく。仮に沢山お金持っていてもそれを使わない活かせないなら持っていない事と同じ。使わないのは無いと同じで、時間だって使い方、言葉だって使い方。こんなことを電車内で大多数スマホ見る人をぼんやり眺めつつ、こんな私も無意味なことを思い浮かべていて笑。I使い方も様々のようだけど、頭のみで生活はできないし社会生活もできないと思っていて生身を使いもっと楽しみオモシロクなる方法を心がけている。ヨガで深呼吸さえもまともにできない私・・笑 自分の肉体さえ上手く扱えないのにAIなんて使いこなせるはずがないなと思っている、動物っぽい生物っぽいところを優先している日々。雨ならもっと活動できない仕方ないから好きな服を着よう!!

  • 雰囲気

    いろんなことを感じようとして過ごすようにしてるけど感受しすぎ周りに翻弄されてしまうのもどうかと・・・何事も加減で外向き内向き過ぎても・・と思う。接客の際 バランス というフレーズをよく使う私。バランスはその方の持つアイテム達や好み髪型メイクのキャラクター要素とのトータル(頭の先から足先まで)。お洋服はキャラクターに大きく影響する、その方の肌のようにも履歴書にもなって映し出すアイディンティや性格。最近出席して、お着物お召しが多い会場でも華やかなスーツが多い会場でも高価な物より姿&振る舞いで着こなし(サイズ感)とディテールが肝心なのだと思った。着物は着崩れやみだれという言葉があるようにスーツになると姿勢や歩き方が出てしまう。年を重ねていけばいくほど服だけじゃない事がクッキリハッキリしたことが判る。高価なアイテムでも肌や髪の毛よりも姿勢や歩き方や表情や言葉遣い、しぐさがとても大事なのだなぁって思う。美しいって綺麗って感じとることで具体的に一つでも物質的なものだけでもない。優しい、楽しい、嬉しいも似ていて組み合わさったもの。これからはゆるく組み合わさった雰囲気をもっと楽しもう~~お洋服も組み合わせもゆるくいいかなぁーーって感じで完璧主義や完成度ドンドンあげていくのもおもしろい、おかしいかな?って不安に思ってしまう事もあるかもしれない・・そういう時はこれもありかもって面白がってレッツトライしてみてほしい。面白く楽しくいるスタンスがまた素敵な要素になるんだと思う。きっと雰囲気にそれがプラスされているはず!!

  • 東京出張の定宿 31Fからの眺めは最高だった朝一日だけ富士山が遠くに見え、みなとみらいの高層ビル群夜景も見えどこまでも広がる夜景が見れてラッキーだった。どこまでも広がり続く住宅街にほんと多くの人がいるんだなぁと感じながら・・その分知らないままの人が大多数で人の出会う数ってどのくらいなのだろう?出会いはほんと貴重だ。そして続くご縁はもっと感謝だ。スマホですぐ調べるのはいいこともあるだろうけど、相談や質問にAIがまず選ばれ、年長者や経験者のリアルな人間じゃなくなる時代に、人と人の付き合いってものが最も貴重になっていくんだろうなぁ~~って想像する。そして、これから何でも数や量より質の時代になるんだと思う。沢山の事よりも深くいるかと濃くいるかということじゃないかと思う。記憶に残るか残らないようなただすれ違うような表面的で影響受けて形成されるとは全く思わない。人の発した些細な一言で傷ついたりするぐらいナイーブな生き物で、天候や気圧に左右される生き物・・、ふとスクリーンのものは一体何なのだろう?スクリーンから伝わるもので一喜一憂するならヨシで生活濃度が上がっているならBEST、ただナガラミは何だろう??   人と人間の表現の違いは、AIさんに聴いてみた笑 人は個体生物としての存在、「人間味がある」「人間として失格」といった表現に見られるように、性格、モラル、社会の中でのあり方など、内面的な価値や社会的な質を問うときに人間が使われます。とのこと。。他社との関係性との間で生きる社会的存在であり、日本的な感覚では、他者とのつながりや礼儀、関係性があって初めて、単なる動物の「ヒト」から、社会的な「人間」になれるというニュアンスが含まれています。抜粋 日本的感覚の人間っぽさ薄まってきてるとどうなっちゃうんだろう?日本的人間っぽく生きることが化石時代のことの様なのかもしれないなら私は昭和化石みたく生きるようと思ってる。笑

  • 見立て

    見る側の精神で美を感じる事。私は深い意味があってお茶を習い始めたわけではなくただ大雑把が矯正できたらいいなぁ、そして優美がほんの少しでも身についたらと習いだしたのがキッカケだ。アンチAIの私が色々問答した結果、まるで私の茶室がグロージェなのかもしれないなぁってふと思った笑。一座建立で一期一会いろんな立場の方がフラットに話しながら楽しめる場所、自分は着ないお洋服でも相手には似合うと思える余裕と余白。セレクトしたアイテムを共鳴してくださるお客様があってのこと。私は足し算の美もいいけど、引き算の美や掛け算の美もあると思っている沢山アイテム所有や高価でなかなか出番のないアイテムより日常で着ていただけるお洋服たちを提供したいとずっと思っている。お茶に利休七則というものがあって 花は野にあるよう 降らずとも雨の用意 相客に心せよ が私の想いだ。自然体で花が美しいようにお客様がありのままでいて欲しいとおもっているし、どんなことがあっても万全で対応したい・・その場にいる人が調和できる空間でいたいと・・・願っている。かなり過大な表現しているAIさんがいい気分にさせてくれてシメシメと思っているのだろう笑 見立ては本来の用途とは違うものに価値を見出だす 極めて知的な遊び心 精神の深まり 服もそういう所があるんじゃないかなって本来製品の作り手側から想像つかないほど、お客様ご自身のキャラクターと持ちアイテムで自由にコーディネイトしてもらえているところがある。お洋服も喜んで嬉しいはず!!お茶では見立ては見る側の精神性でもあったりする、着飾るや若作りって表現は私は好きじゃないお洋服は脇役でサポートするアイテムだから主役は着る方で着る方の精神 着飾る必要はなくて花は野にあるように・・自らの精神で美を見立てるのが生きることかもしれない。

  • 生の人間の感化される事よりAIって多数の正解でもない平均値のようなものを表現してるそうだ、そうなるとそれに疑問を持ち、問い続けれるかが大切なんじゃないかなって。お茶稽古でなんとなく違うなぁ~?の間違え探しのような微かにシックリしない感あって師匠に尋ねると初めて教わるお点前だった。予習復習もしないだらけの私でも・・?似てるけどちょっと何かがオカシイその違和感だけはあった。答えはワンパターンでもなく正解も一つじゃないのがお茶のいいところで奥が深い所。お道具お作法は場合により様々でほんの微かなことで変化してくる。パターンは数知れずだからそこがオモシロクて楽しい。難しいと思えばきっと続けてこれなかったけど、毎回毎回記憶喪失になってるような私に教えてくださる師匠に感謝してる。気づくか気づかないかの微かな結びつきがあって教養・知性と経験がないとそこに気づけないままスルーしてしまうのもお茶事。亭主の意図と配慮と客の感受の世界。先日お傍でほのかになんともいえない香り漂う雰囲気がその方の品と優雅さが素晴らしかった。麻痺した臭覚の方のプンプン鼻につく香りは困りもので悪臭でしかない。一般に思い浮かべる桜だってあの微かな白ピンクの淡さと一瞬に咲き散る儚さが美しさの源。儚いって若い時は弱さ脆さと勘違いしてたけど、50になって永遠のない今という時(とき)の捉え方からきてるような気がした。「微か」っていう加減はその人が表れる一部。香水だって装いだって言葉だって何でも・・その人の加減次第の微かなもの。接客中その方の良さや特徴も微かなことから感じるからお好みや似合いそうなアイテムをご紹介できてるんだと思う。微かなところに気づけるのもリアル体験で実感できるから身につくこと。お稽古歳月に対して身になってるタイプかは別にして笑 沢山の種類の稽古をしてくださる経験で少し気づけいたのだと思う。体験や経験がその人の魅力になっていく時代。装いや香水だって振る舞いだって言葉だってジコチュウで済むものじゃない、生の人間に感受されることからその人の魅力になっていくんだと思う。スクリーン上では感受できない生身の人が貴重なお手本になってくる。

  • 特に感じていることそれはどんな人といて過ごしているかということ、そしてその影響力が想像できないほど常に受けていることを!!やっぱり人は人に活かされていくし育ててもらうこと。尊敬できる人や苦言に聞こえても教わっていること、そしてもっと開けた広がるキッカケになり気づくチャンスだったこと。何気ない言葉で視点も変わり価値観も変わって発想にも活力にもなって大きな勇気となる反面何気ない言葉で芽をつむことになることもある。平日や時間のせいか?笑顔いっぱいはしゃぐ子供やゆっくり散歩する大人の姿を桜咲く公園で見かけることはほとんどない、東京も桜見物しているのは大半が外国人。通勤車窓から山桜が枝先まで桜咲かせているのに対して街の公園や街路樹の桜は無残に切られ桜つけない枝や花の少ない木が目に止まってしまう。まるで今の人間生活と重なってしまう。たまたま見かけた弘前城の桜はとても素晴らしく見事らしい!リンゴの剪定技術を基に桜の花を枝いっぱいつけるよう陽当たりなど枝の間隔もしっかり考慮して手入れがされているそうだ。枝の切り方でこんなにも変わる桜の木。同じことが人間社会にも言える気がしてしまうどんな言葉をかけるのか・・この辺りの街路樹のようにかそれとも弘前城の桜のように剪定されるのか? お店前の街路樹も暑い夏に青青と生い茂りせっかく育ったのを涼しくなった頃落ち葉になる前全部の枝を切り落された、この春は芽吹く気配さえないのが気になるところ・・。切ったほうがいい枝とそうじゃない枝の見極めが大事だし、枝の摘む時期も大事だ、そして、どのような時期にどんな言葉がけがいるかも今年度スタートしたばかり期待もあるけど見極めが大事だと思う。

  • チガウ事を受入れる余裕、ワクワクしたり、初対面初体験ドキドキ緊張することも楽しもうとすればどんどんオモシロクなっていく・・感情をどっちの方へ向けていくかが肝心と思った。元々はニガテだらけのわたし・・会話も下手で言葉使いも口数少ないから社交的にはなれなかった。今も上手でない事は自負してるし接客で日々失礼失敗あっても受け流し許容してくださるお客様のお陰とフラットさと気さくさにほんと救われている・・。始めての場所初めての人 初めての事の 初めてづくし は刺激がとっても多く発見も多く自分を色々知る事もできるし進化成長させてくれる。母の口グセ・・人の振り見て我が振り直せがイイこともそうじゃない事も沢山あってほんと振り返ることができる。接客する側から接客される側、もてなす側からもてなされる側の双方の逆視点はとても貴重な経験。片方だけだと見えなくなって忘れてしまっておろそかになってしまう。陽の当たるところもあれば影もある濃くなれば薄くなるいつも両方のバランスよくいたい・・動と静もどっちかに偏ってしまうことだけには慎重に気をつけていたい。服の好きなものが偏ることは大目にみたいところ笑 ちょっとニガテなことちょっと気のりしないこともあったとしてもその時のわたしの身軽さが肝心~重いのがいいときもあるし軽いのがいいときもある幅広く全て体験することから始まる~、春始まりの季節

  • 探・・

    自分を大事にすることは自分を誰より何より最優先することじゃないと思うんだけどなーー。自分を大事の仕方って人それぞれで違っていて当然・・私の場合は生活を丁寧に送る、時間を浪費したくない、ムリしすぎないという所かなぁ。自分を大事にすることは、自分の大切にしたいことが明確にある事。自分の大切にしたいことがわからなければ例えば、健康大事と思えば日常生活から意識して行動となってでてくると思う。意識するって生活ではスゴイ力を発揮する。誕生日近づくとオロオロ&ジタバタするのは毎年のこと~笑 年重ねる怖さよりいい意味変化していないんじゃないかと目先追って何か動こうとする。変化してないように勘違いしてるだけでいつもこういう時ライフライン思い起こす。電気や水道が常に当前のように使えることできて不自由ない毎日も誰かが注意払いメンテナンスしてくれているお陰。ガソリンだってマラッカ海峡渡りタンカー輸送されているお陰。目に留まらず気にもしなかったことが意識のおき方でずいぶん様変わりする。意識のアンテナがあちこち有り考察できる人にホント憧れ、こういう方と接するだけで目下クマが気になる私とスケールが違いすぎるけど一気に広がる世界観。世界もどのように見るかだ場所変えてみるのもいいけど私の見方を変えただけで私の中は変身してる。心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる byウィリアムジェームズ 心も意識や思考ともいえるから私次第だなぁーー へーーーンジン。

  • ふと自分探しって実は自分では見つけられないことなんじゃないかなって思った・・自分で自分探ししても見つからないはず。自分が人との関わりの中で自分という存在が育まれ形成されていくんだと実感した。自分でもうまく表現できず伝えることがおぼつかなかなくてもちゃんとそこを温かくくんでくれる人がいてくれるから、自分の個性やキャラクターや存在することまでができていくんだなぁ~~とっ。長い付き合いの中でいつもそっと見守り感知してくれる人がいてくれるってホント有難いこと。日々、多くの方と接すると恥ずかしがり、言葉数少なさ、真面目さ、慎重さ、ユーモアさ、好奇心、遊び心、表現下手、芯の強さ、優しさを感じるからその方の個性とキャラクターができてくる。プライベートや仕事関係なくどんなときも人との関わりで自分が形成されている。一期一会だとしてもその方の印象は一瞬で写真のように収められるそれが本人の意思に関係ないにしても・・。自己解釈の自己分析の自己認識はわずかな自分のほんの一部でしかないに思う、どんな時も人が感じる私の一部で結局は自分になるのだから~。私も接してた方の感じとった印象が私のようだ。強がらず弱さも寂しさも自信もなくすこともたまにあるのが私で過大過少もせず完璧な人はいないから、接客中意外って言われることがたまにある。私も知らない私のキャラクターがあるようだ。笑 いくら言葉だけで寄り添い理解してくれてる風のAIでも現実生活で私好みの味、音楽、服、髪型、場所を知っている訳じゃない。なんなら言葉にできない思いや気持ちや様子をくんでくれるのが仲というもの。私好みやキライ、ニガテ、スムーズにできること=得意はその人の特徴をよく表わす。好き嫌いは良悪じゃなくあって当然のものそれが個性。その好き嫌い露骨にだすその振る舞いが自分キャラクター形成することを忘れちゃいけない。

  • 建造物

    だまされないようにしようとすれば、相手を疑い信用しないことだけで守りになるのだろうか?知識をキチンと身につけることがとても大事なのだろう。無知だとどこから手をつけていいかわからないし、簡単にすぐに身につけたくなるのも事実、簡単に直ぐに身に付くものってそもそもあるのかな?長年携わっていても学ぶことがほとんどだと思う。その知識の源がズレはじめるとどんどんズレは悪化し元が誰も分からない状態になると抜本的にチェンジが必要・・が今のような気がしてる。多様化というもので根本を失いつつある日本。変遷するけど変わらず残す大事さもあると思う。それが正しい正しくないとか、必要必要ないとかそういう単純な基準じゃなくて、全域視野と長いズパンから今を見て行動する。通勤電車で旧帝国ホテルを背景に唯一残った鹿鳴館の美しい一脚の写真は名古屋の明治村の吊り広告。一度残暑厳しく広大な敷地はほぼ巡れずまま退散した今のような散策向きの時季にゆっくりじっくりまた訪れたい。様々なタイプの建造物が移築されていてなぜか知らないはず当時の様子を感じれて楽しかった。当時最大の鉄橋は無骨な作りでカッコよかった、遠くから何だろう?って想像できない建物は牢屋はなんっとも言えない屋根あるぐらいで四方風通す、自由に出入りできる房に入ったけど人権なんて全くない罪の重圧がそこにあった。叱られること注意されること指摘されることって過ちに気づく向上の助けや温もる思いの一部、叱る注意する指摘するがストレスのはけ口八つ当たりとは違うもの。一瞬の感情に支配され私情を露骨に態度や口にするのはどうかと思う。何も言わない建造物でも伝え伝わるものがあるそれが威厳かもしれない。コミュニケーションツールは言葉だけじゃない。

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