AKO’S Monologue

  • いつのまにか

    天気曇天△マーク、季節変わり目体調も△マーク、いつのまにか・・よくないようなことばかり考えてて、そういう時にかぎって気難しくなる本を読み始め、いつのまにか緩やかな下りモードになっていていつのまにか表情もことばも急降下していたようだった・・。有難いことにいろんな方が変化を察知して様子に気づいてくれ言葉かけをしてくれる。。ホントありがたい。。いつもとなにかちょっとした違いを感じとってくれる人がいるって幸せなこと。好転していく変化とそうじゃない変化。。いつのまにかムリして合わせようとして過ごすより、基本的なモラル(ベース)が似・近いから、お互いに尊重していられる同士だから会話中で気づきがあるもの。先日も知らなかったことを聞き腑に落ちないけど事実を理解しようと努めた。合わないものを無理に合わせる必要もなく。合わないモノを遮断もどうかと、自分の考えを持つことは大事だけどすべて主軸でいるのも利己的で危険。拒否拒絶だけじゃなく寛容さも必要だったりいくつになってももがいたり葛藤するもの。時代の変化と共に個人の変化も伴うもの。だからって、ベースのモラル 道徳心 振舞い 言葉遣いってそんなに簡単に変化するものだろうか?いつのまにか気づかないうちに変わってしまうことがあった最近、だから自分のおく環境ってとても大事にしなきゃとつくづく思った。環境に影響を受けるからどんな人とコミュニケーションをとっていくか益々大事になっていくように思った。

  • 七夕

    先日七夕だった・・・その少しの間にショッキングな出来事やこれからの日本のゆくえ?選挙があったりした。タンタンとした毎日を送ってるようだけど日々が動いているのだなぁと漠然と思ってしまった。。振り返れば・・そんなこともあったなぁって思い出す過去があり、先の予定が楽しみでワクワクしていたりする未来があったり。今を楽しいって実感することって生活の中であまりないような気がする。後か前か、未来か過去か・・・。「うれしい」は今の一瞬のキモチの表現のような気がする。嬉しさもあまり長続きしないもののような気がする。今ってなかなか感じにくいもの・・なのだなぁ。今を感じられるように過ごすってなかなか難しい気がする。だから、なるべく感じるようにしていなきゃ・・消えてしまう。今年の蝉の鳴き声が微妙だなぁ。梅雨明けした一瞬の真夏日に焦って孵化しようとした蝉は、にわか雨とジメジメした曇り空で驚いているのだろう。土からでて孵化する途中に雨にあたってしまうと生命を絶つセミを毎夏おもうと、ほんとハカナイ。セミの鳴き声は精一杯「今」の証のように感じてしまう。織姫も彦星も1年にたった1日の今を感じずにはいられないはず。 今を感じ大事にする意識するだけでもっと未来も過去もより良質になっていくようにおもう。今の肌荒れも過去の私と早く治れと思う未来の証かもしれない。。笑

  • YO-CHI

    とても短い梅雨で終わったこの2022年。。水不足や夏の猛暑や電気供給が心配というか気になるところ・・大丈夫だろうか?7月になったばかりというのにあづい・・とけちゃいそうだから・・。だからって心配しすぎたって仕方ないけれど、事前に工夫と対策ができることもあったりするんだろうなぁって思う。。備えれることはあるはず体調だってもしものとき、万が一を想像していればと思ったりしている。いつだったか・・賢さには、想像する力があることを挙げられていたことがあった。想像することって、実は今までの経験や学んだこと知識、失敗を組み合わせてるから想像できるらしい。。かしこさ と言ってもただお勉強だけができることだけの表現じゃない。人付き合いコミュニケーションのとり方にだっていえること。美しいという事、綺麗という事、センスだって、細かく細かくしていけばいろいろな要素の組み合わせになっているはず。美しく、綺麗に、センスよく見えるだけの一瞬の画像だけではないし、ファッションやオシャレだけの表現じゃないと思う。。美しい振舞い、美しい言葉遣い、綺麗な空間、センスのいい生き方ということもあるはず。センスのいい生き方って自制心だったり、性質だったり、自分の理想をもっていたり、自分で考えて振舞うすべて、全部にいえることじゃないだろうか・・。いつからこんなに自分だけ、自分の家族だけがよければいいっていう人が増えたんだろう?あまりにも多すぎる。コロナよりもそっちの方が大問題だし、質の悪い、トコトン根深い社会問題だと思う。

  • Tシャツ

    もうすぐ夏本番!暑い夏がやってくる 暑くてオシャレなんて言ってられません・・って言われても正直ごもっともだと思います。だからTシャツ一枚こだわってほしいんです。Tシャツってどれも一緒のようでも全然ちがうもの。私の部屋に シンプルさにこそエレガンスが宿る って20代のころから雑誌の切抜きが貼ってある笑 Tシャツってとってもシンプルだからとても難しいアイテムなのです。私も若くて服の奥深さをイマイチわかっていなかったとき、颯爽と歩くテレビCMで白Tシャツ×デニムでオシャレ!ってスリムでスタイルがいい人の特権なんだと思っていたし思い込んでいたけれど、今はそうじゃないと言いきれる。どんな人でも似あうものがあるから見つけて着れば素敵になれると確信してる。そのステキ!っていう基準が人それぞれの感性でいい・・。だから、しっかりと服を選んでほしいと思う。似合う楽しさと気分いい嬉しさと選ぶ面白さをショッピングで感じてほしいな・・・。店頭で言ってる言葉をここで 35歳過ぎたらTシャツは試着して買わなきゃ です。

  • RUI

    なんでも・・気づくか気づかないか・・ 感じるか感じないかなのじゃないだろうか?ちょっとしたヒトコト御礼や感想があるだけでうれしい。その感想でその方を感じることができるし好みもわかってくる。だから、ショッピングでリクエストや好みを伝えることは大事だと思う。最近は、円滑なコミュニケーションよりも耳にするのは潤滑油じゃない廃油のようなコミュニケーションばかり、なんだかなぁ・・・って思ってしまう。主張するなら聞く耳と聞く姿勢を持つ必要があると思う。私もだけどついつい接客中コトバ多いことあるからなー-笑、しっかりと聞くように心がけたいところ。考えをしっかり持ち全面に出すという事はそれだけ何か思いがあればいいけど、ただ口調つよく感情コントロール利かないまま、まるでメンテナンス不備な暴走するクルマみたいになってる人が多い気がする。そういう暴走シャには近づかない巻き込まれない避けるのみにかぎる。じゃあ避け方は?というとちっさなちっさな些細なことに気づくこと&感じることしかない。全て細部に宿る!と思ってる。その細部は日ごろの注意力でしかない。自分の違和感が感じられることには自分の勘に頼って離れていい。だから類は類を呼ぶっていう関係になるんだと思う。。沢山の人に出会ってきてオシャレだってイイ女だって心優しい人だってすべて極細部の差だと思ってる。その差がボタンのかけ違いのような差をドンドン生んでるんだと思う。

  • ケア

    はじめて人間ドックに行ってみた・・。大きな声では言えないけれど「初めて」。。月日が経つのが早いのと同じで体はいつからか下降速度をあげはじめている。マスク生活ももう2年経ってやっぱりこの蒸し暑い時期のマスクは不快になってきた。慣れてきたけれどイヤに思うことも時期によってはある。このカラダも湿度が高かったり、暑さが増すとぐったりしてくる。周りの環境に影響をうける生き物の人間。人間関係だけでもサマザマ起きてる中で自然の厳しさもこれから夏に向けて厳しくなってくるのでメンタル&体のコンディションを整えておこう!オシャレを楽しむことや美学は、生活の中で余白のようなものだから基本的な生活ができての +α のこと。ありとあらゆるものが健康でなければ成り立たない。同世代で口にするのは変化への戸惑い。。笑 だから、ムキに抵抗せず受け入れつつも寄りそいつつもなだらかに身を任せつつでいたい。いい意味で40代半ばになってジタバタしたり焦るよりも自分のペース配分を自分でコントロールできるのがいい。ムリせずに・・すべてに関して。だから、今の自分のカラダ状態を知るという意味で人間ドック 笑。。病気発見の為じゃない今の自分を知るという事。オシャレだって服を着るってことだって自分を知っていなきゃ楽しめない。自分がイイカンジ!着心地いい!って思えるものだったら楽しめるのも倍。今の自分の気分を楽しむひとつに服がある気がする。。

  • クラウドファンディング

    山口県のクラウドファンディング第2期目が始まります。

    6/ 20 9:00~START です。

    ご協力おねがい致します。

  • 温故知新・・

    記事の中で「建築はもっと人生や街を支えたり、社会を作ったりしていく存在。自分の知識や技術を使いその場所のための建築をする[記事の中で Tsuyoshi Tane]」装いや身繕いはもっと人生や街、社会をつくったりしていく存在・・ともいえるんじゃないかなって思う。都会だからオシャレな人が多いんじゃなくてお洋服に気を遣っている人もそうじゃない人も同じぐらい大勢いるだけでたまたま目を引く方がそうなだけかも・・・。都会という括りより美意識もあったりセンスのある方、オシャレが好き、お洋服に気を遣う方を綺麗でいたい方を日々接客している。お洋服って誰かの為、どこかに出かけるためのものじゃなくて自分のために着るもので、自分が社会との付き合い方でエチケットの一部みたいなところもあると思ってる。田舎だから・・都会だから・・年だからよりも、自分らしくがとてもいい。「新しくなっていくことには未来を感じていません。新しさが未来を保証しないことを感じとっている」服だってそうだ・・新しいより今の自分にフィットするアイテム、ちょっぴり新鮮になれるものならいい。大人になって斬新はいらない=頑張りすぎになる、それより自分の毎日に寄り添うアイテムをプラスしていけばいい。古いからダメじゃない・・ただ今の気分じゃないだけのこともあるし、お家のクローゼットのお宝探しだってありありで今の自分に再び出合うこともあるはず。自分の価値観を大事にしよう。。

  • 温故知新

    本の貸借や情報交換を楽しませていただく方のマイブームという建築家の記事を拝読。建築に対してどっしりとしたオリジナルの考えが素晴らしかった。いつのまにか中堅になってノホ―――ンとしてる私に刺激になった。(タテ・枠・組・部・類訳した私が残念過ぎた・・笑)新人も中堅も大御所もお局も縦じゃない実力主義の海外で努力されてこられたから自分の考えが確立されたのだろうなぁー-と。私もお店を持つときのコンセプトはあって年齢体型に関係なくお洋服を着るが楽しくなるお店・着る方本人のキャラクタ―や考え重視のスタイリングのお手伝い。お洋服は福を呼び込むもの・・ってことも考えてる。自分のテンションや気分を上げたり、勇気や元気、心地良い作用が出るものがいいから決して無理するものじゃない。記事中「建物の寿命が人生より短くなっていって人生を超え支えていくはずの存在が人間が消費し壊すという事を繰り返していると・・」お洋服もそっくり似てるなぁって思った。モノの寿命はドンドン短くなるのをあちこち耳にする。大事にする=着ないではなく、できるだけ買って着なかった・をなくしたい、第二の肌のようになってもらいたい。寿命あるものだからバンバン着てほしい・・一生モノは少ないから。新旧組合わせすれば古臭いはなくて、スタイリングでカバーできると私は思ってる。。

  • コレクター

    なんでもそうかもしれない・・・自分をだんだん知っていくことって大事かもしれない。社会や環境、周りと比べるが普通になり、自分とミエナイ他人と差が前提になってきてる。受験もその一つ。他人と比べてどうのこうの言うのは自分を知ることじゃないような気がする。なぜか興味わいたりなぜか好きだったり・・理由はあるようでなく何故か惹かれる・・DNAなのか環境なのか 笑 感覚で好き!イイ!って思うこと大事。流行よりもお客様=本人の好きで似合うものが良くて、出番のあるもの着心地がいいものお客様本人の基準のイイと合致するものがイイと接客する。たまたま いいなってものが旬だったり新色だったりしてもそれもまた感性でいい。店頭にないデザインのものでも好きは好きがいい。ベースはとにかく自分!!ムリに着飾るものでもムリやり頑張るものでもない。いい年した大人だからこそムリはやめよう自分ベースのペース。ちょっとのあそび心・洒落っ気で鮮度を求めるときや使い込んだからリニューアルする安定のアイテム(マイベーシック)十人十色のお買物。買っても全く着ないはムダというもの。断捨離からミニマリストって表現変化してる近頃、片づける=捨てる じゃないという記事があった。笑った。お片付けのプロが切実に訴えていた。ミニマリストがあればコレクターって言葉もある。沢山持ってることが悪ではなくてこだわりがあればあるほど微差でドンドン惚れたもの好きなものが増えてくいく。。それも十分素敵な生き方。

  • KIBUN

    もうすぐ梅雨だろうっと思う余計に今日の晴れが有難く格別に気持ちイイ・・。知人の相棒(ペット)は今朝は散歩の気分のらず途中立ち止まり早々Uターンしたみたい。生きていれば気分のアップダウンはあるのが普通。だからってあからさまに出すのはどうかなと!大人は自分の機嫌は自らでとるものとある。自ら気分を変えるってなかなかしにくい。私も一瞬行くor 行くのをやめるか・・どうしよう?筋トレと思った。おそらく今日行かなかったらダラダラチョクチョク休みようになるなって頭をよぎったから行くことにした。気乗りイマイチand気分低め、行くという事でよしよし。いつものメンバーと顔を合わせ周りに助けられ、せっかくならしっかり筋トレしよー-っと!暑くなってエアコンかかる中でも汗ばむこれまたよしよし。軽いメニューにして全て終えてよしよし。いろいろ制限のある生活で、自らの気分を変えるって日常ではなかなか見つからない。大人でプライベートはイヤなこと、ムリもしなくていいことが大半だからあえて行動することはないかもしれない。気乗りしないことでも意外と楽しくなることもあったりするかもしれない。一つ言えるのはラクの中に楽しさは無いと思う。ラクの中にあるのは止まるということだけに思う。大変って大きく変わるからってよく言ったもの!!何か感じられるから何か微妙に変わりはじめるのだと思う。

  • ご用心

    こんなに悔しい気持ちなったのは久しぶり。何がおきたって??ネット販売トラブル⇔詐欺にあった。どこか・・・なんとなーく怪しさを感じながらも(大丈夫だろう・・・)という気のゆるみがあった。他のところより安価だからって痛い失敗をした。何度か(ん?)違和感あってフィルターに引っかかりつつも・・とても悔しい。なによりも他より安価という理由でチョイスしてしまったところが最大悪かった。販売している身だからこそ腹立たしさも沸沸倍増する。明らかに最初から詐欺目的だから余計に腹が立つ。益々、日々お金を支払って購入して頂くことをより感謝する、買っていただくということをしっかり考える。服を買って頂くからこそキチンとした販売接客をしようともう一度改めて思う。モノの良し悪しをしっかりと見極めることもセンス、その価値観に見合う行動もセンスだとも思う。センスは感じること、考ええることで磨かれる とあった。今回のセンスのない行動は大失態で苦笑いしかない。できる範囲のことは全てした(警察、銀行など)お金は戻ってこなくて仕方ない、ただ同じサイトで被害者が増えないことを心から願いたい。昨今とてもトラブルが増えているそうだ。ネットが身近で簡単な分、ホント肝に銘じたい。 

  • kyo-sei

    この5月でマル5年を迎えた矯正治療。。5年という数字にすると長く感じるけど、いつの間にかこの矯正ブラケットなどの器具たちともそんなに違和感もなく馴染んできている。途中は、もう心おれそうになった時もあったし痛い思いもあった。。最初に矯正治療期間を6.7年は最低かかると言われていたから良かったのかもしれない。昨日、やっと先生から初めて終わりが近づいているコトバをかけてもらった。。完全に終わりということはまだ先なのだけれど、なんとなくこうして振り返れる余裕が出てきた気がする。。なんでも途中ってツライ・・・いつまで続くかわからないし、どこに向かっているのかも定かじゃないから・・・。終わりが見えていたら、途中のキモチが変わってくる。終わりがみえていないから苦しいこともツライことも多い。。だから、上手く自分をふるいたたせたり、休ませたり自分自身のご機嫌とりを自らするしかない。この生活も少しずつ変化し始めている、完全な終わりはないだろうけれど、やりたいことリストに海外に行くということを具体的な場所を書き始めれるようになった。。いつ行けるかわからないけれど希望をもって。。そのためにも自分のご機嫌とりもだけど健康や免疫力アップの活動もしなきゃと思ってる。

  • リアル⇔バーチャル

    連休前にお取り寄せした本を連休に読み終えたいとなんとなく決めて・・読み終えた。オモシロイ調査結果やデーターがあって関心や気づきになった。。。超・原始的な私にとってこれから未来を予想したくても未知すぎてわからないけれど、世界の誰かの想像して作られていっている今の世界であることは事実。リアルとバーチャルのバランスが変わってきているのをとても感じた。加工修正したオンラインアイコンの自分の顔に整形してほしいと言われたという医師の話。以前は、リアル生活の延長上にメディアやオンラインが存在していたのに、オンラインから現実生活が左右影響受けていたり、どっちかの生活を重視しているような現象が起きていたりとあったりもした。LINE上ではおしゃべりで積極的でいざ現実で会うとほとんど会話しない男性だったとどっちがホントで偽物もないだろう・・。オンライン、バーチャルは自分を修正加工、作り、演じることが数秒で簡単にできるからいいのだろう。生身の自分を修正加工するのはとてもカンタンなことではない。。失敗したり経験してイタイ、嬉しい、楽しい、汗かいたり、疲れたりして自分を創っていくこと=生活するという事なのじゃないかなって思ってしまう私。最近、よ――――く耳にするSDG’sも結局は、人間の『ラクしたい』っていうこと、便利という言い方が都合よく解釈された、欲の塊がツケとなって出てきてるだけと思う。まずは、感謝&モノを大事にする超身近から起きるんじゃないかな。。

  • ミラー・・

    ミラー:鏡 で同じような人には共感を抱きやすいというのがある。。デートで相手が飲み物を飲んだら同じように飲み物を飲んで同じ仕草をすると親近感を抱くというもの。 わたしはファッションにも同じようなことが言えるんじゃないかな?って思ってる。若い頃は流行ばかり追っていた、今思えば仕方ない。自分にシックリくるスタイル自分が心地いいって思える基準がなかったから。今は流行の渦の中でグルグル巻き込まれることはなくなった。その人らしさの装いが感じられたら、どんなタイプの着こなしもステキだなー-って思える。ただ、ステキだな・・って思えるってミラーなんだと思う。ファッションはその人がアイデンティティがふんわり醸しだされるんじゃないかなって思っている。着ているモノだけじゃなくて、見た目だけじゃなくて振舞や言葉遣いも含めて着こなしと雰囲気になっているんじゃないだろうかな・・醸し出されてる雰囲気の近さがあるんだと思う。視座のちがいって見雰囲気けじゃないけれど醸しだされていると思う。視座のちがいはあると思っていればいい。思いや考えをすぐ発したりデリカシ―ない、相手を思いやれない尊重できない方とは間をとろう。。人間って、間(ま)を取り合える者同士の社会だもの。まをうまくとりあえることが社会性なのかもしれない。

  • ミラー

    しっかり吟味してチョイスしているワードローブでも・・なんかヘンだ?って思う時はやってくる。自分のキャラクターの変化 + そのときの気分 + 旬&ハヤリが ALL MIXして装いになってるから。。。お気に入りだったコーディネイトが突然 ンーーなんかヘン!って感じた先日。こういうことがたまに起きる。お洋服で自分のコンディションと気分を保っているわたしにはダメージだった。だからってすぐその服とサヨナラすることはない。好きで手に入れているから愛着ある服。また違うお洋服と組み合わせで花開くこともあるから可能性もあるから・・。ちょうど今 お洋服の様子が変わり始めている。お洋服というもの、ファッション、オシャレすべての価値観やアイデンティティが。。。ただ旬やハヤリを着ていたらオシャレでもなく、過去に買ったものだから古いでもなく、前に流行ったから着れないというものでも全然ない。考え方と捉え方と思う。過敏に反応することでも全然ない。ちょっと気にかけたり(配慮)、ちょっと勇気(トライ)、ちょっと客観的な捉え方をしていればちょっとづつバージョンを変化し続けているからそれがイイ。ちょっとしたことに感じられる事、気にかけられる事って服、オシャレ以外で人づきあい、コトバ遣いすべてに通ずるものがあると思う。ミラー効果という心理学のものがあって、つづく

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