AKO’S Monologue

  • 土筆

    この懐かしい漢字とおなじです・・。桜とセットになっていた つくし もいつの間にか見ない存在になってしまった。コロナになってどこにも行けなくて近所で季節の変化を楽しむだけになっていたときから、散歩したり散策したりしてさがしてみたけど、探す時期がズレていたせいか全く見なかった。今年ようやく、超ひさしぶりに ナマ土筆を見ることができた!!もう花粉が散って上の方は開いてカサカサになっていたからもっと早くに芽をだしていたのだろうと思った。。子供の頃はらっぱに遊びにいってはあちこちに土筆が群生していたのに今回見たのは、ポツンと一軒家のように一本だけチョコンと生えていた。周りにつくしが生えていた様子もなく狩られていた様子もなくてたった一本だけだった。。最初フワっとうれしい気持ちになったけど、段々とけなげだなー-、さみしそうというか、なんとなくそういう気持ちになっていった。。。年々、社会環境も様変わりしてその変化にそろそろついていけなくなってきたりしている自分と重なったのかもしれない。ひっそりとこの世から消えてしまったり消えそうなものがある。。土筆をみて重なってしまった気持ち・・桜みて感じるヤマトゴコロはいつまで日本人にあるだろう?これから何年つづくのだろう? 笑 季節の今を一瞬を堪能しよう。。

  • 気をつけてるのは 口は災いの元 という言葉。接客業とういのもあるし、人間関係においても言葉遣いに丁寧でいたいから。。ときに思いや考えをことばにすることもその真逆で大切だと感じたことがあった。先日一緒にいた友人が 行ってみたいけどちょっと遠いよね?ずっと行ってみたかったとヒトコトぽつり言う。そんなに遠くないから早速行くことにして友人も嬉しそうだった。思いや考えを口にして表現伝えてみると、みるみるカタチになることがある。わたしもお店のオープン準備の際にこういう経験を多くした。ムリがカタチになっていくことを。ちょっと躊躇や難しそうに感じることも、思いを口にしたら誰かが受け止めてくれてする変動していくこと。きっと、日ごろからのひとつひとつの行動や振る舞いなのだと思う。私も親しみもってお店に通ってくださる方には、できるだけお洋服屋さんとして要望やリクエストにちかいものを期待に応えたい気持ちがあるように。人と人とが関わる社会ってそういうものだと思う。相手とわたしお互い様。。。きっと生活のなかにある、日常のひとつひとつの些細な行動だと思う。歩いていて傘を傾けよけ合ったり、さきを譲れるちょっとした余裕のある振る舞いができる人でありたい。。話変わって、ビッグシルエットがつづく服のシルエット。服・サイズ・シルエット選びも上品なサイズ感があるように!しっかり大人だからの丁度いい余裕あるサイズ感選びが品に繋がると思う。

  • 意味

    ドキッとした文を発見。。「優しさを間違えると害になる」 とてもシンプルな表現になっているけど深い。。優しさの反対って?思い浮かぶのは 厳しさ のような気がして???って調べたら、 「優しい」の対義語 「冷たい」だった。「厳しい」も対義語であるようだったけど、昭和のわたしには 厳しい ツライに全て直結しているものばかりじゃないと年をとって思うことも、今では有難くよかったなー-って思えることそこそこある。笑 厳しさも色色。わたしが小さい頃と比べられない次元の現社会。子ども・学生から大人・社会人になるに平行して段々と変わった生活環境。言葉の意味も平行してじょじょに変化しているような気がしてる。。優しさってダイレクトなものではない気がしてフレーバー 薄っすらと香るようなもの。。今って 優しさ=あまさ&ゆるさ ってものだけになっているんじゃ?って思う。言葉もハヤリ廃りなくなっていくと教養や知識のある人たちが言っていたのを聞いたことある。厳しさの中から身についたものがあったりで全部が悪でもない。無かった、憧れ、不便だからいろいろ考えれたときを過ごせたのはしあわせだったのかもしれない。。友達の家にドキドキしながら電話をかけていたぐらいがちょうどいい。。笑

  • naki・・

    獣道を下っていると誰かが付けてくれた目印で道にそれてないのを確認しながらくだる ホント有難い。。知らないひとの親切にふれる。山の中腹辺りにうっそうと茂る木の中に人の気配を感じた・・それは突然現われたコンクリートの柱。獣道のすぐ脇に高く立っていた。背の高いコンクリートの柱は黒のケーブルがあって。。。古代遺跡のようにどうやって?このケーブルを立てたのだろう?って手段が思い浮かばない。人がどんな形で運び、どのくらいの時間がかかったのだろう・・どうやって作業したのだろう。所さんのTV番組で真相をおってほしいと思った 笑。。コンクリートの柱の黒い線には何が通っているのかわからないけれど、電気の有難さを感じた。そして、どこかからか湧き出ている小川と並走したり離れたりしながらある獣道、下にいけばいくほど川の流れる音が段々と大きくなり麓を感じる。麓より少し上辺りで人手の加わったもの二つ目の古い砂防ダム。コンクリートで両側を固められた川になった。お水が飲めるのも川があるから、有難い。人間なんて自然に比べたらちっこく自然の中に住まわしてもらっている生き物。寒い寒い冬眠から目覚めた蝶がとんでいて、生身のカラダで冬越えもできないほど弱い弱い生き物だと感じるべきだとおもう。だから人間同士助け助け合い生きるしかない。

  • (;ω;)naki

    近所の山をたまに登っていたけど今回はひっさしぶりに泣きが入った。スマホMAPだと薄っすら線だったりくねくねだったり観るは易しがあまかった。あますぎた!!道のりがわからないからできたこと。。ゆるくダラダラ上りくねくね舗装道を歩く、見通しがいい所にでるとガー---ンまだまだつづいて・途中一枚目の看板でのこり〇キロ・・を見て、2枚目は半分ぐらいきたかな?って期待でいたらほとんど進んでないじゃんレベルの表示・・ありがた迷惑・・と思った。やっと分かれ道で目指す方への立て板、脇の獣道へ入るとすぐヨジ登る道がしばらくつづき息切れ・・やっと山と山を縦走する道に入り(上っては下り)引き返そうかと頭をよぎったけどもう引き返せない所まで来てたし戻りたくない気持ちにもなっていた。。(上っては下り)×7,8回ぐらい同じパターン繰り返すとつらくなってきたし、またまたダラダラくねくねの舗装道に合流してつづく、頂上付近にいるのに全く近づいた気配もなければあとどれくらいあるのかもわからないからイヤになってくる。いつも山登りして・人生と同じだなぁって毎回毎回思ってしまう 笑 ほんといろんな気持ちになりながら歩く。(なんでこんなことしてるんだろう??自問自答)頂上からの眺めは素晴らしいけど15分もいれば見慣れてしまい満悦はほんのひととき、そんなもの。。笑 山登りビフォーアフターで車はラクですごく便利なもの。車ない時代の人の移動距離と脚力、獣道を迷わないように目印をつけてくれている人への感謝、人間ってちっぽけな生き物だとつくづく思った。舗装道をすれ違う車に乗せてもらいたくなったのは久しぶり・・・笑 人間ってちっぽけで誰かに助けられて生きてる。。つづく 

  • ベース

    いろんな考え方があると思うけど、私の思う着こなしとして・・・。35歳をすぎてから40、50、60・70代と年齢よりは着ている方のキャラクターを構成しているものが大事だと思う。。若作り(不自然なもの)は可笑しなことがおきてしまう。その方のキャラクターを構成する具体的に、体型や髪型(髪の色、長さ、カール有無)メイク、好きな着心地、服の選び方(好みのシルエット)、持っている服、好きな雰囲気(カジュアル、綺麗め、ラフ、リラックス、ニュアンスは十人十色) ただ流行はグルグルと回っていて、22SS旬なものは正直懐かしさを感じるデザインやシルエットが多く着こなしに気持ちや気分がついていかなくなっている。いくら服がすきやおしゃれが好きといっても、取り入れるのは二の足を踏む・・事実。もうすぐ四捨五入したら50それでいいんじゃないかなぁって思う。ムリに流行を追いかけ過ぎるとイタイタしい。だからといって、完全に意識しないほど鈍感でも我が道をいけるタイプでもない。笑 取り入れる加減!!だから、40→はベースあっての事。ベースは、自分の好み(シルエット、アイテム、色などなど)や持っている服があってのこと!ムリする必要は全然ない。本人の気分や気持ちが上ればいいのだから。もう競うこともないだれかに見せつける必要もない、自分の価値観がスタイルに反映されはじめてる。。

  • 曲線

    お店にある大きな鏡で自分の姿をほとんど見る機会がない。。そろそろ春物が着たいしなー--ちょっと気分も変えてイメチェンもしたくなってきたなー--っと思いつつ春服ぶっしょくと春の着こなしをイメージする。。もちろん自分用に展示会で入れているものもあるし、こんな気分でいこうってなんとなくはあって、おおよその目星はついている。服のイメージはあってもそれに合う顔がイメージちがい 笑! マスクをとって久々に全身鏡に映ったわたしとご対面すると同時にクラッシュ!してしまった。日ごろ、鏡を見てるようで見ていなかったわたし。ほの暗いのセピア色の照明姿だけで安心しきっていたり、老眼で遠目でしか見ていなかったわたし。春の陽ざしは全然優しくなかった。ポカポカ陽気で気持ちいいものでもメンタルダメージは春雷が落ちたようだった。キキキキキキケーン しわとシミ。ジタバタしてしまう。マスク生活も3年目で確実に3年分の肌状況も変わっているのに。どうしよう。どうしようもできないけれど・・。。ガクン・ガクン・ガクンと大幅な段差をくだっていかないように、緩やかなカーブを描くように。女性はなんでも曲線がいい。まっすぐよりも少し丸みがあったり柔らかなものが・・しわの線やしみの丸みは全然いらないんだけどな・・。笑

  • 異色

    得意分野や興味のポイントがすこしちがうと、あたらしいことを知る機会がいっぱいある。。知らないことを教わるきっかけは人からのリレー。それから深くドはまりするかどうかはわからないけれど、まったく知らないことを聞くだけで関心して教わることいろいろ。。例えば、料理の得意な人からコツも 笑 同じ野菜や調味料を見ていたも見方が違うからオモシロイ。陶器好きの友達といっしょに窯を見にいくだけでも、見る部分がちがうからあたらしい発見ができてちょっとアップデートできる。わたしは体験型タイプだから、実体験して感じることができて初めてなにか始まることができるからSTARTには時間がかかる。。笑 自らの好奇心でドンドンなにかにドンドン深掘りできるタイプではない。だから、ちょっと残念なタイプ。ただドンドン何か自分の興味のある方へ方へいけるという事は素敵。年齢関係なく好奇心や何か興味をもつ、刺激があるって大事だな。拒むより一旦受け入れてそれからどうするかはその人次第・・・人間社会なーんでもいえること。お店でお客さんにその方の新しい出会いのキッカケをご紹介したいな、例えちょっと抵抗や拒まれたとしてもお洋服やファッション、スタイルのキッカケになればいい。。異色と交わってみるってとても大事。

  • リスト

    卒業シーズンがはじまり、ひとつの区切りという季節がやってくる。卒業式のお洋服の相談をうけるから私の生活にはとおくない 縁のある近い行事かもしれない。そのせいなのか2年目コロナのせいか・・私自身の区切りというのかな・・いろんなことをおもう。人生が、サッカーの試合みたいに前半後半があるのならハーフタイムがちょうどいまコロナ禍であって、後半に向けてどうするかいろいろ練ってSTARTをしたいなぁって思っているところ。生活は毎日の積み重ねで1日があっという間に過ぎちゃってることもあるけれど、大まかな流れ ストーリーは自分でもっていたいな・・めざすところとか目標とかじゃなくて チョットした目印みたいなもの 道路の反射板みたいなもの。。真っ暗になって迷ったときに光で照らせば見える表示のような。。ちっこくて些細なもの。。今 ちょっとづつワードを書き出してみてる。行ってみたいところリスト。。いつかはくる ちょっとワクワクしはじめてる。。 

  • TENTEKI

    ジタバタしたり・・動揺したり・・グラついたり・・自分自身が曇ってしまうとき。。陰ってしまったときわたしはアレコレとグルグル考えてしまう・・けれど、ある程度時間が経てば、考えるのをストップするために寝る。(笑) いつも救われるのは友人の言葉だったりする。深刻になってドツボにハマっていてちっこくちっこく目前のことだけしか見えない私に・・・大きな視野からそのことを笑いに変えてくれる友人。タイミングがくればフワリ浮上できるときがくる・・・ドローンのように高く高く広く広く視野を見ようと思える時がくる。。。そのタイミングは人それぞれやってくる時間の長さは違うはず。。その長さが長ければ長いほど蛇口は固くなり、ドロドロになっているものが沈殿して排水口が見えなくなってしまうのかもしれない。。排水口を開けてくれるのは誰かのシンプルな言葉だったりする気がする。同情や一時的に痛みが柔らぐ塗り薬的な言葉を使う人は大勢いるけれど、良薬苦しと思える人もいる。自己中な無神経にえぐるような傷口に塩のようなタイプの人もいる・・。見極めは、相手目線か自分目線か。だけど、相手を思ったフリの偽善者も多いから要注意。。猛獣はいないから生命的な危機はないんだけど、身近に天敵はいる。笑

  • 堆積

    今 早く無性に読みたい本2冊ある。文から伝わる空気が心地よくてリズムとテンポもやさしい・難しい言葉を使ってないのにシンプルなのに伝わってくるものは美しく明快 すごいなぁああって・・。実際、どんな雰囲気の人なのだろう?どんな話し方をしてどんな服を着てる人なのだろう? どんな?×10 って会ってみたいなと思ってしまった。。本の中で、【肌で感じた記憶があとに残っていきます。その場に行かないと感じられない気持ちがあります。(略) 想像だけでは無理で、(略) 文化、歴史、その場所が背負っているものは目に見えません。写真にもデーターにも映らないけれど、その場に行くと感じるものがある。目に見えない記憶がぼくたちのなかに堆積しています。】まだ10ページも進んでないけど、とても印象に残ったのでご紹介。場所だけに限られたものじゃない気がする。。人にもいえると思う。祖父が他界したときがまさにこれだった・・火葬され骨だけを見て、人間ってカラっぽなんだと・・。目に見えない記憶だけが残っている。目に見えない雰囲気、言葉、優しさが。目に見えるものより、目に見ないものが残る。 生きるって 目に見えない記憶の堆積なのかもしれない。 

  • 清清

    いつから人は変わらなくなるのだろうか・・・進歩(望ましい状態へ洗練されていくこと)の対が 退歩(望ましい状態から遠のいていくこと) だと。最近こんなこと言うのもなんだけど、もうすぐ50だから・・どこかで50の道路標識のようにゆるゆるスピードでもいいんじゃない??なんて思っていた私がいたんだな。。。笑 言い訳と逃げ腰とへっぴり腰になっていた・・何かをいいわけにして。。。シャキシャキ鮮度のレタスではない自覚はあったけど しなぁぁぁぁって側だけしなびた葉っぱのレタスがいつの間にか中の方までシナシナになり始めていた。。。(笑) いつのまにか。。ってホントいつのまにか って気づける時って大事だ。環境の腐ったミカンからは遠のき離れ排除は必要で、環境に新しい種や植樹することも必要。人は人に大きく左右され、影響され、感化され、進歩する。何かに好奇心、興味、注目する、やってみる。ムリはしないでいいけど、どこかほんの少しだけいつもじゃない方を選択してみよう。。いつもだったら も大事だけど、たまには!ときには! あそび心とかるーーい気持ちでと私自身に言ってる。 冬季オリンピックは結果よりもどこか清々しい表情が印象に残っている。すがすがしいっていろんな意味を含むようだけど 自分が澱み濁っているより清清しくいたいかな・・って思う。 

       

  • マインドブス

    わかい珍客があった。。。エアコンの点検兼ねての営業マン。とてもわかりやすい説明とトークの進め方と余裕感ある営業スタイルも素晴らしかった。動じず力みもなくリラックスした雰囲気だから、てっきり長くこの仕事に携わっているのかな?って質問してみると、まだ1年満たない営業だという。イヤな顔もせず営業から脱線して質問すると私の方が学びになった。超安定業種でなかなか入社できない会社を脱サラして、起業したくて自分に足りないのが営業だから知人をかいして今の仕事についたそう。ただやりたいこともなく前職に田舎から東京に就職して沢山いい経験をしたと自慢が一切なくさらりっと話して、お金よりも楽しさと面白さがいいと親に言わず辞めたと・・。ご両親は残念で心配されるんだろうなぁって親世代の私はすぐ想像した(笑) けど、彼なら起業して想う生活をするようになるなってすぐ直感もできた。50近くなると挑戦・チャレンジ=無謀になってきて、変化を求めず安定になり、変化が怖さになり臆病になって、小さい社会とちっぽけな世界観で井の中の蛙大海を知らず・・・・。そうなっている私自身をまざまざと痛感したし、彼と私の未来の捉え方の各段の違いはマインドブスな私になっていた。時間は万国共通。時間の捉え方は十人十色。過去・現在・未来も。。

  • ゴッホ

    わたしが知っていたのは、自らの耳を削ぎ落としたこと、生きている間に絵が売れなかったことと代表的な画が思い浮かぶぐらいだった。。画家になると決意して沢山の素描しながら、ダメ出しされ、先生に教わり、ゴッホが好んだミレーやドラクロアを研究してもがいていた時期もあって、パリに移住して自らの絵が古くさいと思い、それから私たちのよく知るゴッホの絵になっていったようだった。変な噂に巻き込まれたり、夢破れたり、ゴーギャンとの仲互いだったり、精神的に病んだり私たち日常とほとんど変わらない、ふつうの人間っぽさを感じた。あのタッチと色使いは不器用な俗っぽい人間のゴッホだったから描けたのかもしれないと思った。。だから、あんなにも色使い鮮やで明るく感じられていいはずのに、なぜかさびしさというか・・影というか・・・どこか虚しさを感じていたのはわたしだけなのかな・・。ゴッホの絵はすき?きらい?と聞かれたら わたしはすきな方に入るけれど飾っていたいとは思わない。。絵で自分を投影して表現できる才能って素晴らしい。芸術家に限らず自分をなにかで表すことができるから人間社会が成りたっているのかもしれない。人に認めてもらう為だけじゃなくてなにか表すことで人とつながる。それが、話すコトバ、行動、行為 日常に溢れている気がする。

  • 立春

    ちょっとだけ意識するかな。。2月といえばバレンタインが目に留まり、節分と立春は影薄い・・豆まきもしなくなって早何年??(笑)12月ごろから朝一全ての窓開けし生活はじめて2月ほど経ち。今朝もさむくて・・戸惑いながら開けて、一瞬経てば気持ち良さに代わるからしつづけてるところがある。。。そんな中、今日は冷たい空気の中にほんのり春の柔らかな気配が感じられた。蠟梅や梅が咲き始めているから樹々がいち早く感じ取っているのかもしれない。まだまだ寒く背中と肩に力が入ってしまって・・本格的春のおとずれはまだ先のよう・・

  • 10代はじめ

    何気に視ていたTVで驚いてしまった。。最近の10代って凄いんだねー-!!って。もし私が10代はじめだったら多分、おそらく・・・想像したくないぐらい。。汗 12,13,14歳の子が興味持つものにYouTubeをみて探求していく様子をみて。恐るべし吸収と上達と成長度を見るとビックリされられた。日ごろ、接点のない世代だけにこんなに早熟で自分のやりたいこと、自分の世界観を持てることは素晴らしいなって思った。スマホがよく無いと言われている反面、情報は世代問わず同じように得ることもできるからその使い方ひとつで都会地方の差もなく本人次第と痛感した。探求心があればあるほどフル活用できて深堀もできるしマスターしていける。すごい時代だなってホント思った。。興味があること、好きなこと、得意なことが年若く早くからあればドンドンとぐんぐんと伸びていくんだなって。私が思い浮かべるあどけない中学1,2年生の顔や表情じゃなかった。真剣に取り組む思いや気持ちは表情にでるんだな・・って。私のそのころを思えば何となく過ごしていたけれど、ファッション雑誌は本屋さんでいつも立ち読み 笑 買えないから隅から隅までじっくりじっくり観察して大好きだった。好きになること興味を持つことってきっかけは環境からの影響は大きいと思う。どこにも行けない今、塾や習い事や学校と家の時間で本人の興味はどこにいってるのだろう??

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