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意思の加減によってある種勝手でわがままで自己チューとなるし、シーンによってはマイペースだったり、芯があるという言い方にもなる。自分の価値観や固定概念で周りを見渡すと相手を認めず、許せず、責めて批判する、攻撃的になりワルモノにしたりとなってしまう。ちょっと小さすぎてちっぽけに・・と気づかされたユーチューブ。自分だけで正しく正論と思い込んでしまっては多様性の社会は通用しない。ハラスメント(モラハラ、セクハラ、パワハラ、カスハラ)ことを考えてしまう。前提が「同じ、一緒、近しい」からのスタートか、前置きが「別、違う、遠い」の始まりかでは全く心の負担は違ってくるような気がする。違うものだから歩み寄りをすれば中間の着地点がある。お客様のキャラクターやパーソナリティをとても大切にして接客している。例え同じものでも着る人が違えば全く別物に見え感じることができるから服の変幻する面白さと楽しさがある。単一の服やバッグがステキより着ている人が素敵だから服も付随する、主役は着る人!本人!その方を引き立たせる脇役が服で相乗効果を生むと思う。違いを認め受け止めれば社会で「同じが前提」でスタートするから不平不満衝突でしかない。違いが当然で同じは勘違い!!一方だけが合わせるのも可笑しなことで双方の歩み寄りが大切だ。双方が合うこと超貴重でレアなことだと身をもって実感する、互いに尊重し合える同士なら違いを受け入れ違いを楽しめ、コミュニケーションの相乗効果になるはず。尊重される自分になることがまずスタートなのかもしれない。