AKO’S Monologue

  • 堆積

    今 早く無性に読みたい本2冊ある。文から伝わる空気が心地よくてリズムとテンポもやさしい・難しい言葉を使ってないのにシンプルなのに伝わってくるものは美しく明快 すごいなぁああって・・。実際、どんな雰囲気の人なのだろう?どんな話し方をしてどんな服を着てる人なのだろう? どんな?×10 って会ってみたいなと思ってしまった。。本の中で、【肌で感じた記憶があとに残っていきます。その場に行かないと感じられない気持ちがあります。(略) 想像だけでは無理で、(略) 文化、歴史、その場所が背負っているものは目に見えません。写真にもデーターにも映らないけれど、その場に行くと感じるものがある。目に見えない記憶がぼくたちのなかに堆積しています。】まだ10ページも進んでないけど、とても印象に残ったのでご紹介。場所だけに限られたものじゃない気がする。。人にもいえると思う。祖父が他界したときがまさにこれだった・・火葬され骨だけを見て、人間ってカラっぽなんだと・・。目に見えない記憶だけが残っている。目に見えない雰囲気、言葉、優しさが。目に見えるものより、目に見ないものが残る。 生きるって 目に見えない記憶の堆積なのかもしれない。 

  • 清清

    いつから人は変わらなくなるのだろうか・・・進歩(望ましい状態へ洗練されていくこと)の対が 退歩(望ましい状態から遠のいていくこと) だと。最近こんなこと言うのもなんだけど、もうすぐ50だから・・どこかで50の道路標識のようにゆるゆるスピードでもいいんじゃない??なんて思っていた私がいたんだな。。。笑 言い訳と逃げ腰とへっぴり腰になっていた・・何かをいいわけにして。。。シャキシャキ鮮度のレタスではない自覚はあったけど しなぁぁぁぁって側だけしなびた葉っぱのレタスがいつの間にか中の方までシナシナになり始めていた。。。(笑) いつのまにか。。ってホントいつのまにか って気づける時って大事だ。環境の腐ったミカンからは遠のき離れ排除は必要で、環境に新しい種や植樹することも必要。人は人に大きく左右され、影響され、感化され、進歩する。何かに好奇心、興味、注目する、やってみる。ムリはしないでいいけど、どこかほんの少しだけいつもじゃない方を選択してみよう。。いつもだったら も大事だけど、たまには!ときには! あそび心とかるーーい気持ちでと私自身に言ってる。 冬季オリンピックは結果よりもどこか清々しい表情が印象に残っている。すがすがしいっていろんな意味を含むようだけど 自分が澱み濁っているより清清しくいたいかな・・って思う。 

       

  • マインドブス

    わかい珍客があった。。。エアコンの点検兼ねての営業マン。とてもわかりやすい説明とトークの進め方と余裕感ある営業スタイルも素晴らしかった。動じず力みもなくリラックスした雰囲気だから、てっきり長くこの仕事に携わっているのかな?って質問してみると、まだ1年満たない営業だという。イヤな顔もせず営業から脱線して質問すると私の方が学びになった。超安定業種でなかなか入社できない会社を脱サラして、起業したくて自分に足りないのが営業だから知人をかいして今の仕事についたそう。ただやりたいこともなく前職に田舎から東京に就職して沢山いい経験をしたと自慢が一切なくさらりっと話して、お金よりも楽しさと面白さがいいと親に言わず辞めたと・・。ご両親は残念で心配されるんだろうなぁって親世代の私はすぐ想像した(笑) けど、彼なら起業して想う生活をするようになるなってすぐ直感もできた。50近くなると挑戦・チャレンジ=無謀になってきて、変化を求めず安定になり、変化が怖さになり臆病になって、小さい社会とちっぽけな世界観で井の中の蛙大海を知らず・・・・。そうなっている私自身をまざまざと痛感したし、彼と私の未来の捉え方の各段の違いはマインドブスな私になっていた。時間は万国共通。時間の捉え方は十人十色。過去・現在・未来も。。

  • ゴッホ

    わたしが知っていたのは、自らの耳を削ぎ落としたこと、生きている間に絵が売れなかったことと代表的な画が思い浮かぶぐらいだった。。画家になると決意して沢山の素描しながら、ダメ出しされ、先生に教わり、ゴッホが好んだミレーやドラクロアを研究してもがいていた時期もあって、パリに移住して自らの絵が古くさいと思い、それから私たちのよく知るゴッホの絵になっていったようだった。変な噂に巻き込まれたり、夢破れたり、ゴーギャンとの仲互いだったり、精神的に病んだり私たち日常とほとんど変わらない、ふつうの人間っぽさを感じた。あのタッチと色使いは不器用な俗っぽい人間のゴッホだったから描けたのかもしれないと思った。。だから、あんなにも色使い鮮やで明るく感じられていいはずのに、なぜかさびしさというか・・影というか・・・どこか虚しさを感じていたのはわたしだけなのかな・・。ゴッホの絵はすき?きらい?と聞かれたら わたしはすきな方に入るけれど飾っていたいとは思わない。。絵で自分を投影して表現できる才能って素晴らしい。芸術家に限らず自分をなにかで表すことができるから人間社会が成りたっているのかもしれない。人に認めてもらう為だけじゃなくてなにか表すことで人とつながる。それが、話すコトバ、行動、行為 日常に溢れている気がする。

  • 立春

    ちょっとだけ意識するかな。。2月といえばバレンタインが目に留まり、節分と立春は影薄い・・豆まきもしなくなって早何年??(笑)12月ごろから朝一全ての窓開けし生活はじめて2月ほど経ち。今朝もさむくて・・戸惑いながら開けて、一瞬経てば気持ち良さに代わるからしつづけてるところがある。。。そんな中、今日は冷たい空気の中にほんのり春の柔らかな気配が感じられた。蠟梅や梅が咲き始めているから樹々がいち早く感じ取っているのかもしれない。まだまだ寒く背中と肩に力が入ってしまって・・本格的春のおとずれはまだ先のよう・・

  • 10代はじめ

    何気に視ていたTVで驚いてしまった。。最近の10代って凄いんだねー-!!って。もし私が10代はじめだったら多分、おそらく・・・想像したくないぐらい。。汗 12,13,14歳の子が興味持つものにYouTubeをみて探求していく様子をみて。恐るべし吸収と上達と成長度を見るとビックリされられた。日ごろ、接点のない世代だけにこんなに早熟で自分のやりたいこと、自分の世界観を持てることは素晴らしいなって思った。スマホがよく無いと言われている反面、情報は世代問わず同じように得ることもできるからその使い方ひとつで都会地方の差もなく本人次第と痛感した。探求心があればあるほどフル活用できて深堀もできるしマスターしていける。すごい時代だなってホント思った。。興味があること、好きなこと、得意なことが年若く早くからあればドンドンとぐんぐんと伸びていくんだなって。私が思い浮かべるあどけない中学1,2年生の顔や表情じゃなかった。真剣に取り組む思いや気持ちは表情にでるんだな・・って。私のそのころを思えば何となく過ごしていたけれど、ファッション雑誌は本屋さんでいつも立ち読み 笑 買えないから隅から隅までじっくりじっくり観察して大好きだった。好きになること興味を持つことってきっかけは環境からの影響は大きいと思う。どこにも行けない今、塾や習い事や学校と家の時間で本人の興味はどこにいってるのだろう??

  • COLOR

    服の柄や、素材や色が好き。だから、なるべくお店にたくさんの色を揃えていたい。色は気分明るく元気になれたり楽しさをプラスしてくれる。この22SPRING・SUMMERは、とってもカラフルな色のアイテムが多い。トップス、パンツ、シューズ、バッグと色をあちこちで楽しめそうで原色系~パステル、クスミカラーなど色のバリエーションも豊富!だから、色の組み合わせのコツがいる!答えは、一つではないけれど0.1~0.9小数点以下のある数を足していくみたいに、微差が大差になっていくようなオシャレの楽しみ。そして、ファッションスタイルも今までのおしゃれの様子から風向きが変わりだしてきたように思う。。変わり目、変化し始めた時!!マイナーチェンジし始めたアイテムから新しいスタイルが出てきている。。いちばんわかりやすいのはボトムの変化!!シルエットが変わり始めている。スニーカーシューズは相変わらず履きやすく動きやすいから人気だけれど少しずつ綺麗めな印象に見える靴にチェンジし始めているのも事実。。最近、色でブルべースORイエローベース 世間で色についていわれている、これはお肌のトーン色でファンデーション×アイカラーの色。カラー診断も春夏秋冬との診断などもあるようで店頭でも質問される・・。一つの目安にする程度はいいけれど、呪縛に取りつかれたり鵜吞みにするのはどうか??な?って思う。なぜなら、服は【 素材 × サイズ × 色があるもの 】=それぞれのアイテム(トップス、ボトム、靴、バッグ、ソックス、インナー)× その方の化粧 × 髪の色 × 目の色 × 雰囲気 までもあわさるもので トータルの印象が決まってくると思う。だから、一つで決定づけるものでもないと私は考えている。それに着る超本人の気持ちや気分が最も大事なんじゃないかな・・って思う。いくら似合うと言われても本人の気分じゃない色は着ない方がいいし無理する必要はないと思ってる。日常では等身大がいい。。

     

  • SIN=GI

    信じるという言葉をつけたので思い浮かぶのは・・・信頼だったり自信。自分を信じる 自分の素の根っこで自信をもつってなかなか難しいこと。根っこが揺らぐこともある・・ただ、コツコツと積みかさねてやってきた(do) だけが自信にちょっとづつ加えられていくように思う。。自分がしてきたコト(言葉遣い、人に対しての接し方、ふるまい、態度、約束 etc. )人に信じてもらえるってリアルな日常の小さな小さな小さなことだけ・・・。いつも色色話していて、気づきやアドバイスになることを投げかけてくれる周りに感謝。自分のに私情に左右されない超次元的な捉え方、客観的視野でとらえる事、先ずは疑う事、疑問に思う事。一方向な見方で物事をみない、など安易で簡単なことじゃない。数字や結果だけでつながる社会もあるけれど、それだけじゃない繋がる社会の一面がこれから大事で重要になってくるような気がする。不特定多数って実体のないどこかもわからないけれど多いこと・・・。 創造と想像。。AI時代は過去のデータや足跡から導きだすことは簡単。すでに答えがわかっていることはスマホの画面上にスグ出る答え。それが自分に当てはまることかどうかな??って問うこと、想像してみることが大事。鵜吞みにすることだけは避けない。。これから情報とどう付き合っていくか、自分の感性をどう磨くか・・・自分自身を信じ疑うこと表裏一体

  • SEXY

    もうすぐ50を前にした友人との会話の中で、「 セクシーでいたいよね 」というワードが出てきた。日本ではセクシーというのがあまり馴染みのないコトバだけに「fuuuumu」想像できるような、納得できるようなできないような感じになった。海外に行ったときにほどよくセクシーな女性があちこちにいたなぁー-と思い出してみた・・。年齢関係なくて若い子よりは断然断然大人の女性と男性だった。咽るようなドギツイ香水ではなくて、爽やかな寒色系の色が思い浮かぶような雰囲気で健康的なのにどこか色っぽいセクシーさがあったなー-っと。自分を自分でよく認識している着こなし、ヘアースタイル、メイク、わがままでも自己中心でもなくて流されない考えをもってキチンと意思表示でき丁寧なコミュニケーションができる一本の筋と、しなやかな曲線のような余裕感だろうか・・。「色っぽい」という表現をしてみて 年齢問わずいくつになっても自分らしい色&カラーを放つというのがセクシーに見えたのかもしれない。色の放ち方もさまざま、自分にふりかけた香水の香りの強さに気づかないような自分ではいたくないし、それこそ イタイ=頑張りすぎ ってそういうことじゃないだろうか・・・。何事も加減かな。。カジュアルへと向かっていた引き算が多かったファッション、これからはちょっとカラー(色・アクセント)を足し算になり始めている。。

  • kyo-sei

    今年もひきつづき矯正治療中・・w 新年迎えると(年をとると・・表現)こちらの継続期間も一つ年を重ねちゃいました。。大きな動きはないものの2週間に一度のチェックは続いていて大陸棚のようなゆっくり動きはしているようです。私自身も微妙な動きを感じとれているのもあるのですが、ホント超超すこー----しずつです。。今日も変化がほとんどないままでしたので、今回は強めのものを使用して動かすことになりました。。わたし自身も以前からなぜ??ソフトタイプのモノを使うのか不思議でたまらなかった・・。先生が少しずつ動かさなきゃ骨の動きが止まると言われたので納得できました。わたしのセッカチの性格だと速く早くというのがあるのですが、早いのがよいとは限らないとはこういう事。適したときに適したものを!!なんでもそうですね。シーンに合わせたお洋服。シーンに合わせたコトバ遣い。早いとか、ラクだとか、面倒だとか、そういうものがあるけれどメリハリつけての事。。しばらくはまた おちょぼ口 生活のスタイル。大口を開けて笑うことも欠伸もできず、大きな口を開けて食事もできない。。ハンバーガー、サンドイッチ、おにぎりなどはもってのほかだし、頬張るしぐさもできない。。歯の矯正が、レディとしてふるまいの矯正も兼ねているところが可笑しい。笑 今のわたしには大切かもなー--。

  • 2022

    ゆっくりする時間があるとぼんやりといろいろなことを考えてみたりした年始。。あまり年明けに抱負!!なんて思わなかったのですが・・・、この新年は、年齢を重ねていることを重々にカンジタのです。。。だから、「 今の今を 」もっと満喫・充実させたいな~~。仕事ができる有難さ、仕事がある有難さ、日常を無難にすごせていることへの感謝しつつ。 もっともっとの欲張りな抱負。どんな人も時間は平等とよく言ったものです。どんなにテクノロジーが進んでも時間だけは同じ。センスやスキルアップも充実させたいなと・・、後回しにしていることをやってみたり、勉強したり、もっと時間を大事にしたいなと思ったのです。

    今 / 自分の人生 

    メリハリをつけて・・時間を使いこなすことが一番難しくて、時間のムダ使いがもしかしたら最も勿体ないのかもしれないって。だから、ボーーーーっとするときもボーっとをエンジョイ楽しみながら・・明るく楽しもうかな。。 

  • 小説

    私は小説が読めない。文学、推理小説などのジャンルが全然読めない。。というか読まないようにしてる。何故かというと影響を大にうけてしまうから・・自分がグラついたり、ブレたり、メンタルがじわじわ弱化するから。あまり相性の良くないその曲を聞くとブルーモード・スイッチが押されてしまう。笑 暗くネガティブが芽をだすので封印したアルバムもある。わたしは影響をダイレクトに受けやすく、決して強くない人間と自分で判断している。「強弱」の基準もないけれど、表層、外見のイメージは別にして・・弱い点もある。人の中には強いトコロと弱いトコロが共生している。だから、私は自分の守備で情報遮断したり、妙なあやふやな広がりよりも、堅実なひとつひとつの接点を大事にしたい。簡単に繋がれる今にそぐわないし、「これでよいのかと?」自問もあるけど・・必要以上より、耐えられない付加から避けるようにしている。それも生きる術。  周りがスゴクみえて劣等感や自己嫌悪していた年頃より、今はずいぶん楽にいられる。まぁまぁ・ぼちぼちの自分を許し、もうちょっとがんばってみよぅってときもあれば「過ぎない程度」でいい微調整しつつ自分で自分をコントロール、ペースをとりながら、と反省しつつ来年の課題にしつつの年末。。

  • YO-CHI

    師走、、ひさしぶりに衝撃が走っった。常々、ユーモアのセンスがないと感じている私。。そう!そういう所が私には足りないトコロ!!というものだった。。以下抜粋。。

    直接的な反応をしないこと。思ったままをそのままに述べてはなりません。素朴さが何らかの意味を持つというのは幼い証拠・・・。自意識の素朴さを卒業して、自分の中の善良さや悪意という資質を客観的に眺めときに繊細に、ときに臆面もなく、状況に合わせて表現できる人間こそが大人。素朴であること、純真であること、そのままでは何も価値はありません。それは傍(はた)迷惑な幼稚さにすぎないのです。

    わたしの日常の心情とはちがう極端な意見だけど、一理ある意見だなぁ・・と思ったところでした。【 幼稚さ 】 というのが響きました。この反面教師のような この忠告のような 私自身、自分を振り返るのにこの年末に響きました。

  • 茶道具・・

    以前、お城、城跡がすきと書いたことがあって、そこに生きた人達の気配を感じるから惹かれるのかもしれない。。城の石垣を見て石切り場の人、運んだ人達、そこの前を通った人達を・・・そして、当時がどんな様子だったのかなって。。茶道具も古いものや貴重なものが多い。。戦国時代は、茶道具で命がけで守るなんてこともあったりでどんな時代?笑 異常さもある。 大量生産の時代がきて物を大事にしない今の日本、いちばんビックリしたのは洗濯するより買った方が安いからという考えもある記事。海外に行ってよく思ったのはお店が少ないこと。市街地は別としても物を売る量もお店も日本は多すぎる。モノが多く溢れているのに満たされてない心の病人が多いという記事も読んだ。とっておきの、お気に入りのモノたち・・茶道具は一期一会のものが全て。一期一会っていう言葉をよく使う知人を思い出す。モノは残っていくけれど、消えていくのは人。前の世代が残していった物事は負の遺産も残っていく・・。今ハヤリっぽいSDGsも自分さえ良ければを一人一人が心がけたら変わっていくだろう・・・。ラクよりちょっと不便だけど・手間をかければ を選んでいけば違うはず。。わたしたちは地球の所有者でもなければ、宇宙の中心でもない という記事 人々が多くのモノに関わっている。

  • 茶道具

    知人のお茶道具の展示会に行ってきました。日常で使えそうなもの茶道具から極上の珍しい物まで、ホント目の保養させていただきました。店主の知人は、お店がオープンするときに知り合ってからの仲。物凄い教養とセンスをもっていると知っていたけど、私と話すときは気さくなお茶目なオジサン・・笑。掛け軸の書(字)も読めない・・笑 ありとあらゆるお道具が並ぶが どれも????だらけで本当にモノを知らないことを痛感した。私がお茶をはじめたキッカケは、おそらく幼稚園だと思う。正座して手をついて何故か?お茶椀を手前2回、にがいお茶を飲んだら向う2回、懐紙にのせられていたのも??ココナッツサブレ1枚の日はラッキー!甘納豆3つの時はガッカリ。当時はあずきやあんこが大嫌いだった。笑 子供ながらに不思議で妙な世界を感じたからかもしれない。それから、時間経ち30後半から初めて身になっていないけど、私にとって茶道は歴史、文化、季節、教養のお勉強時間で師匠に楽しく続けさせてもらっている。お茶と言えばお点前だけがメインになっているけど、もちろんお点前も理にかなった一つ一つの動きが気持ちいい。道具一式のあつらえ全てに表の意味ともうひとつ奥にある深い意味が隠れたりしてとても面白かったりする。なるほどなぁって思う。和歌や古今和歌集、伊勢物語、源氏物語、地名なども絡んできたり、例えば、お正月の祝い意味を隠しもつデザインであったり、古い唐物のお茶碗(当時の海外韓国や中国などからの入ってきたもの)欠けもなく残っているのも奇跡的だけど、誰かの手から手へ渡り。お作のわかっている道具だとその方の生きた証になっていたりもする。。美術館だと鑑賞しかできないけれど、茶道は道具なのでリアルに使用するから扱い方も丁寧に手で触り学べる。

  • 表現

    口頭のことば、目にする言葉も解釈が人それぞれで違ってきている。。伝えた側と受けとる側の考えと解釈のちがい。伝えたいことがうまく伝わらないことも多い。相手のことを考えてわかりやすく伝えたいけれどなかなか難しい。目にするコトバ=情報は多いけど事実に基づいたものかそうじゃないかもわからないものが多すぎる。

    オシャレの解釈だって人それぞれ。「大人っぽい」というのがどういう雰囲気やニュアンスを表現してコトバにしてるかも全然違う。ブランド?価格?着こなし? 結局、一つのアイテムだけでは完成しないのがオモシロイし楽しいことと思う。それがめんどくさい・・って気持ちもわからなくもないけれど楽しくオモシロイことにしたほうがいい。。。「カジュアル」「気品」「知性」「セクシー」の表現いろいろ感覚もいろいろ。その本人のイメージと解釈があるから、私はその方の雰囲気や気分や気持ちを尊重したい。雰囲気だってその人の一部が決定づけているわけではなくてトータル・全部でだと思う。惹かれる色、デザイン、好きなシルエット、落ち着く、着やすいお洋服のセレクトの仕方もその方次第でBESTセレクトがいい。ちょっとの +/足し算 と -/引き算 をお伝えしながら身近でできる楽しみ方、面白くすること、気分上がることが着る事でもある気がする。

page top