AKO’S Monologue

  • ナン・・

    作り手も給仕の方もみんなインド人男性で、ゆっくりとしたテンポで話しかけられるからか店内のインド音楽が流れているからなのかゆるーい空気感が非日常だった。厨房から帰り際に微笑みで送り出してくれたせいなのか日本なのに久しぶりの海外旅行で感じるような気持ちになれた。日本にはない空気。。。日本の中で日本を離れることができるってそうそうできない。日本人はいつから笑みを浮かべれない人種になっちゃったのだろうか・・。特に今はマスクをしているから仕方ないことだけど余計に表情が分かりにくくなって、3年ぶり東京出張で一番感じたことは無表情な顔の人の波の怖さだった。大勢いるのに静かで無表情。「目は口程に物を言う」はずではないだろうか・・・。いつもニコニコしている大らかなおばあちゃんのような存在は日本には絶滅してしまった・・日本の社会がそうしてしまったのか時代なのだろうか・・来年わたしも50がチラリチラリと見えてきた大らかなゆったりとした雰囲気の醸しだせる女性になりたい。若見えだったり成熟を怖がる女性 見た目だけの美しさを追うだけの女性よりももっと重要なことがあるように思ってきてる。。

  • ナン

    前を通ると気になっていたインドカレーのお店。偏食気味の私、新しい食べ物はほとんど口にしない私は潔癖気味で食リポは到底できないタイプ。訪れる事はないだろうなぁって思っていたけど何事もやってみての経験だと思ってトライして行ってみた。カレーを食べる気で入ったのに、インドではお祝いのときに食べる料理で日本の炊き込みご飯のような物という但書のフレーズが気になりどんな味なのかわからないから注文してみた。見た目で想像できない味のものや匂いの受け付けないものは絶対に口にしないわたしにしてはスコブル挑戦。オレンジ色のチャーハンのように見えるその料理を恐る恐る口にしてみる。何とも不思議な香辛料の味だった。沢山の香辛料でニラのように見えたものもシナモンだったり、カシューナッツや松の実だったり、お米なのかクスクスなのかわからない小粒の食べ物。不思議な食べ物が口に入るたび馴染みがなさすぎて体が混乱していた。笑 何でも口に入れて試せるタイプの人もいるけど私は気絶してしまうほどムリな行為。わざわざそんな経験をすることないだろうけれど・・自分の認識できる範囲でのことしかしない私自身が保守的でイヤに思い、何か未経験のことをする勇気と軽快な行動力を持たなきゃ、積極的にしていかなきゃこじんまりとまとまって退化と止まってしてしまう気がしていくようで・・、老いというのは初めてや新しい経験をしなくなることのように思う。拒絶や拒否より一旦受け入れる器量を持っていたいなぁって思って。言い訳の多い理屈っぽい自分になりたくなくて・・反省して笑

  • CARD

    X’masカード2022はモノトーン(白と黒:正しいと正しくない、正解と不正解、陰と陽)答えがハッキリ出るものばかりじゃないから・・・個人で思い考え想像して自分軸でいいように日々過ごしてほしいと願って。周囲や一般的に振り回されるより自分自身がいい!これから大事なようになってくるかなぁっと思ってます。お客様との会話で、パン職人の話 日本での修行時代は小麦バターなど材料をキッチリ計量し、発酵時間・焼く温度も決められたものでパンを作っていたところ、本場フランスに渡り修行してみるとみんなテキトーに職人たちがパン作りをしていて啞然としたそうだ。計量もせず成形も不揃いで いーかげん にみえていた。ある日、パンは目と手と心で焼くものだよ。。と言われ、目で様子を感じとり、触って感触を感じ、心を込めるものだよと。いーかげん が良い加減(イイ加減)だったそうだ。答えがあると流されるだけで考えなくていいからラクなのかもしれない。だけど、日々自分で自分のイイ加減をわかり調整しながら生きていくのがいいのではないだろうか・・真面目すぎるのも窮屈で苦しくなるのもムリをしすぎるのもどうかと思う。好い加減やイイ塩梅を自分の生活全般になるのを願っています。

  • 計算

    日日 お客様のお洋服選びやコーディネイトに携わっているけど、今日は自分の中でチグハグな感じでイマイチの一日だった・・。もうちょっとおしゃれな着こなしやコーディネイトやバランスができるはず・・・って思いながらも自分の持っている服との組み合わせがピンとこない。冬の時期はさまざまなアイテムが重なり合っていくから楽しい半分どこかで何かがなんとなくヘン?って思ってしまう冬コーデ。インナーの色が?靴のボリュームが?ソックスの素材が?ってちょっと違和感は正解と不正解の中間だと思う。決してオシャレは、数学のように答えが一つではないからいろんなバージョンがあっていいと思う。微妙なのは事実。よりセンスよく、より清潔感に、より素敵に、よりスタイルよく・・を求め続けての工夫はイイ。やっぱり今日の私は自分でイマイチすぎた・・・笑 自分が納得していたら周りから何かを言われてもへーきでへっちゃらなん。人からのコメントより、自分の満足感を大事にして服を着ているのが大人のオシャレっ気なのかもしれない。だから、正解不正解よりも好きか嫌いか、心地いい気持ち、気分や着ている本人の気分も含まれて雰囲気になっているのかもしれない。本人の着る(纏うスタイル)に繋がっているように思っていくように感じる。気持ちと気分と足し算と引き算の計算されて組み合わせがキーなのかもしれない。

  • furikaeri

    「むかしは・・・前は・・」と過去基準に今いるのか、それとも先をみて今過ごすかによって全然違ってくる気がしてる。印象的だった光景はプツン、プツンと写真のように記憶してるけど、時系列に巻き戻せないし過去を思い出せないタイプ、 師走になり去年、一昨年と過去さかのぼることができない忘れているタイプ(笑)。今日こうして寒風吹いて本格的な冬支度。蟻とキリギリスならキリギリスなのだろうなぁ・・自覚があるから蟻を見習おうとする(笑)。40代オーバーのファッションの流行の新しさは見込めないから、新鮮な気分の味わえる色だったり、真新しい服を着る楽しさだったり、自分の理想のスタイルに近づけるのがいいのでは・・と思う。それが今まで持っていた同じ物の色違いだったとしても新しいモノを着るというのはイイ気分で心地いいものだ。師走とお正月というのは、日本人独特で新しいモノを着るような同じ感覚になれるタイミングだったりするように思う。時間の進みが早いこの月だけれど新しいカレンダーやスケジュール帳には2023年のことが書き込まれていく。持っている服に合わせながら服を買い足すように、今の私と来年の私をどうしたいか想像するのにいい時期。やりたいことリクエストや望みや自分の理想は多くてもいいと思う(笑) 小学生みたいにみんなの前で発表させられるようなことはないから こっそりスケジュール帳に書いておこう。。。2023年がちょっと楽しく思えて気がしてる。

  • light

    突然 冬の寒さの始まった12月。一年前の12月フト思い出してみると・・コロナで一旦止まっているような状況から、明らかに私個人でもいろいろな一歩出はじめてきた気がしている。不安に思う足元よりも前とこれから先を見つめながら一歩一歩ジョジョに進みたい方向が見えてきた。コロナの印象がすこし変わったように毎日の生活をつづけながら動いているような気配が去年とは全く違う。コロナをきっかけにして  なんとなく・・・ふと思う・・ふと感じる・・・みたいなのが、なにかを終えたり始めたりしているような気配がしてる。コロナをきっかけにして気づきと思うか思わないかでコレカラが個々人で変っていくような気がしてる。強制的に変えようとして変われることは相当タフなこと、身を任せていたら・・何となくご縁でというようなこともあってもいい気がしてる。頭でしっかり考えることも大事だけれど、信頼のおける人や心許せる人の助言に添ってみるのもいいような気がする。お洋服の選び方が変わるように知らず知らずのうちに気分が変わるのといっしょだ。自分のことは自分がいちばんわかっていたいけれどそうでもないのが自分本人だったりする。やっと聞く耳が持てるようになったり、何か light になってきてる。いい意味で light でいい。。

  • Twitter

    見えないものが見える化してしまった・・今。言葉もそうだ・・・Twitterのことは頻繁にトピックスにあがってくるのでTwitterをしてないから第三者的サラリと目を通してみる。Twitterする人たちのことはよく知らないから何も思わないけれど社会の様々なところで影響力が大きいのは事実のようだ。ふと言論の自由はどこまでなのだろうか・・空中に浮いてミエナイ言葉、ちょっとした会話でも受け手によっては解釈が全く異なる 超身近なコミュニティなのに。。たった一言で悩みの種になり、ずっと頭の片隅に残り、何年も傷痕になることだってある。言った本人の罪なんて気づいてなく言った事さえ忘れてしまっている。私も小さい頃から傷を負わせて傷ついてきた。デリカシーのない人ほど、言葉の武器 という事をかんがえてほしい・・と思ってしまう。古代からの7つの文明は、宗教、人種や民族、言語、習慣、制度、価値観などにより熟成されるとあった。SNSはいろんな境界を消している。だから、自分を守るのに線引きをしていかなきゃと・・。無防備でいれば言葉の武器でヤラレテしまうから私は必要以上にコミュニケーションをとりたくないと思っている。広ければいい多ければいいというものでもないはず、【 量より質 】【 少数精鋭 】という言葉だってあることを忘れている。感性を磨いて、目利きにならなければと思う今日この頃。。

  • スッポリ

    東京出張中のこと・・突然アポイントなくなり予定ゼロとスッポリ空いてしまった。ビジネスのチェックアウト時刻は早く行き場をなくしてしまい、こんなにも何もない日に困ってしまいさてはてと・・・。東京で行ってみたいというところも特にはなくで、美術館を調べてみたけど大きな荷物を持っていたせいもあるけど気乗りせずだった。こんなにも有り余るほど時間があって自由なのにどう過ごしていいのやらという私。ユッタリと過ごすというのも至難の業でどんなときもどんな場所でもマイペースを保てるっていうメンタルにかかわってくるのだと思った。私は自分で起こした渦のグルグルした勢いでグルグルただ周り続けていたのをマイペースと勘違いしていたのかもしれない。公園のベンチに座りぼんやりしていながら思った。マイペースでいられるというのはなかなかタフなこと、実はただ流れに流されていただけだったのだと、その方が実はラクチンだったりしたのだとも思った。何かがあることって実はとても有難いことと思った。大都会で何もかもあるのにわたしには無用の長物だった。笑  

  • JITABATA

    先日ミイラ肌に衝撃をうけた私は・・慌ててアレコレと始めた。。タンパク質の量を意識してとるようになったり、ついついカンタンに省いてしまっていた基礎化粧品のお手入れを入念にしはじめたり、お薦めされたオイルを意識してつけるようになったり。。。プロのヘアメイクさんにベースメイクに時間をかけるのが大事!と言われたのを思い出しいつものルーチンの簡単時短メイクにおおよそプラス20分時間をとってのベースメイクをしてと。。。ジタバタしている。手抜きのツケがシワシワごわごわ肌だった笑 手抜きになれきっていた私に反省。手をかけ始めて自分でもわかる変化・・意識するってつくづく大事だなぁあと。シワシワのカターイ肌とほんのり水分を含んだふっくら肌、望みすぎかもしれないけど目指せモッチリ肌。同じ肌も違いがあるように、お洋服の素材でも違いがある手触り、肌さわり、着心地。疎かにしてラクしていけばキリないけど、やっぱり手をかけた時間というのは現われる。カナダに住む親友が菌活をしていて米麴をつくっている?育てている?表現が分からないけれど甘酒を作るためらしい。いろんな菌に囲まれている日本を外から恵まれた環境と言っていた彼女、完全に失う前に気づいたりして突然活動に目覚めていいと思う。まだまだ補えるときになんでも遅すぎるという事はないと思う。 見えないけど見えてくる積み重ね!!!コワイ!

  • 古・・

    お客様のこの服着たいという気持ちに反して多分似合わないと思って言葉にしてしまうことはよくよくある。できれば、より素敵なより似合う服をセンスよく着てもらいたいと思っている。だから、ときに客観的にときに希望やリクエストに沿うように相談される存在でいたい・・と思っている。時に、プッシュするときや違和感あるものを紹介するときがあるけれど、それも新しい着こなしの世界に こんにちは!っということで寛大にいてもらいたい。。お茶の道具組では、掛け軸やお茶碗や茶入れ、茶杓、香合と主役とそうじゃないものがある。目立ちはしないけど選りすぐりの精鋭ばかりにはちがいない。40代からの着こなしは流行にもてあそばれず目立ちはしないけど選りすぐりして購入してひとつひとつ大事にしてほしいと思う。モノを長く愛用大事にする心とキチンと選んだものに囲まれた生活をしてほしい。お洋服に限らずモノを購入するときに意識したいところ・・・。とりあえず購入は御法度!です。合わなくなってしまったものはリユースして、リメイクして復活させてもいい、時代が巡り再ブレイクアイテムがあってもいいと思う。気軽に相談してほしい。春もの夏もの秋もの冬ものシーズンにこだわらず古い新しいモノをミックスで自由に着こなしを楽しむのもオシャレ心だと私は思ってる。年代物の風格ある器たちと同じようにのファッションで醸しだしていけたらいいなーっと・・ふと。

  • いにしえ・・・、古いものを観ることは好きだったりする。お茶を習っていてお点前よりも古いものに触れる機会が沢山あるから好きなのかもしれない。250年前の花入れ、室町ぐらいの陶器、明治のカゴetc.・・・代々人から人へ大切にされてきたものたち、伝来がハッキリしているものが多いのもお茶の世界。一言に室町時代と言われてもピンとこないが400年前と数字で表現されると想像できる。笑 今の私の8,9倍ぐらいこの世にあるモノたち・・いろんな人と場所を点々点々として目の前にあることに何も言わないモノだけど凛々しい風格と威厳を放つ古いからイイというだけじゃなくて神秘なものを感じてしまう。巨匠の絵画の華々しく脚光を浴びる存在とは別で、ひっそりと地味であったりするけツワモノだと思う。欠けもなく割れることもなくそのままの状態で時間を渡ってきた物。時によってはモテハヤサレタリ、肩身の狭いところに追いやられていたときもあったはず・・時代に漂流しながらもブレず個々の独特の存在を放っていたのだろう。ファッションスタイルも同じように思う。時代に漂流されてしまいそうになるけれど、ブレない自分の好みや気分を大事にしていれば、いつの間に自分のスタイルになっていいと思う。時代に合う合わないは多少あったとしても、服を着る本人の気持と満足感が大事なような気がする。つづく

  • いま

    今、現在のわたしを知る機会が多いこの頃。お客様のワンちゃん抱っこしてツーショットに写ったミイラ肌のようなシワシワの私‥昼前の明るいおひさまの下ですべて露にされた・・涙。ツヤとハリが欲しいいいいいと思い。久々に山登りして息切れする体力と10か月前の山登りの時と全く違うカラダを知った。日常にない動きをすると気づかなかった自分と遭遇し向き合うことになる。。。山頂から眺める景色はまるで宇宙人になったような気分で眺める事ができる。私ひとりの肌や体力や身体なんて全然お構いなしの社会、だけど一人一人の一喜一憂してる感情があるのも事実。マクロでみるのか?ミクロでみるのか?マクロで見たらミエナイものだらけミクロを突き詰めていっても苦しくなるだけ・・。いつの間にか山道は、ヒトの足跡にすり減った岩やすり減った土で木の根が浮き出てしまい、多くの登山者に掴まれている幹は磨かれたようにツルツルになっている。ささやかなことが少しずつ少しずつ繰り返されることが人間社会のような山道、私自身も同じようなもの・・。形あるものはいつか壊れる。形あるものはいつまでも残る。ごみと思うか資源と思うか・・、なんでも紙一重、相反するもので一つのような気がした。

  • FUTSUU・・

    退屈な日々が人を老化させていくというわけで「もう歳だから」を口にせずやりたいことがあったらいくつになってもめざすという意気込みが大事だと・・。自分らしさって外に探しにいっても見つからないかもしれない。自分の中から出てくるもので強制されるものでもない、ヒントは周りにあるかもしれないけれど自分で気づくもの。。そういう意味で前回のシャネルの言葉だと感じてる。シャープで凛々しいシャネルの言葉が私は好き。生きた時代と背景、境遇からシャネルがシャネルになっていったのだろうと思う。【イイ女とは??】ずっと関心がある。ただ外見だけじゃない女性。私がこんなことを言ってはいけないがオシャレに見せる見えることなんて(しゃべらなくて一瞬だけのものであれば)超簡単で即席ですぐできてしまう。イイ女というのはオシャレな女性とは全く別者で・・ずっと探求と研究している。きっと生きている限り完成されることはないのだろうとつくづく思う。日々バージョンアップされいつも現在進行形だから。ただ痕跡は振舞どんな言葉を発したかで周りが密かに感じている事。きっと自らイイ女と自己評価できるものではないもの。。イイ女はオリジナリティーある発言ができる、周りに左右されない考え、周囲に迎合しない振舞のする女性だと感じてる。そういう人同士が会話すればいつも新鮮でどこか自分を顧みてUPすることのできるもの・・。

  • FUTSUU

    普通ってなんだろう?? 何気ないふつうの会話の中で盛り上がることのできる関係って貴重になっているのかもしれない。シンプルにつながること。興味や好きなことをとおしてだったり、見聞きしたことだったり、知らないことでもお互いにおしゃべりが弾み楽しめる。YouTube、TV、インスタグラム情報が一方通行中で、正否、肝心なことを発信しいてないこともある。だから、ケースバイケースでどんな人が言っている事なのか誰が言っている情報なのか 、少しキョリをとって情報にふれることができたらいいなって思う。3歩はなれて・・・。ふつう一般向けの発信よりもそれが当てはまらないのが大人なのかもしれない。お洋服も若い子には流行アイテムや着こなしがあったりする。それを40代~がすると少し違う気がする、とわたしは思っている。ムリもあるし違和感もあるしイタイタシい。【シックと地味と老けるの境目、カジュアルと生活感の境目、オシャレと頑張った感の境目】狭間の中で加減を探してる。自分に合うその加減というのは、料理でいう味付けの隠し味や最後の効かせる調味料次第のような塩梅になってきている気がする。おだしはその人の普段の言葉遣いや行動や振る舞いなのかもしれない。もっといえば、日ごろの手入れやケアになってくるのかもしれない。年齢でも体型でもない。シックリくる自分らしさ。。ココシャネルが20歳の顔は自然から授かったもの、30歳の顔は自分の生き様、だけど、50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る。と続く。

  • RENSA

    優しさが連鎖するのか?しないのか?と話題になった。そもそも「やさしさ」ってなんなのだろう?? 親切、思いやり、気遣い、ともちょっと違う気がしてる・・わたしは受けとる側が感じるものを「やさしさ」というような気がしてる。具体的にコレ!!という行為がないものだもの・。優しさの押し売りは全くできない。恋愛で異性にどんなタイプがいい?って優しい人がいいって・・さて優しいって?ということになる。ヒドイ、冷たい行為は思い浮かぶけれど 優しいは奥が深く年の功のようなところもあるし、立場が変わってやっと気づくこともあったりする。人間関係で悩み傷つき、恋愛で傷ついたからわかる人の優しさもある。傷ついた分優しさを感じられるようになっていくんだと思う。くやしくて泣いたり悔んだりした分同じことを繰り替えなさいようになっていけるのかもしれない。大人になったら煩わしい事めんどくさい事を避けることも多くあるから、幼いときの経験はなんでも大事だ、けがも冒険も、恋愛も、けんかも理不尽なことも貴重な体験だ。。その経験で今の自分のモラルだったりができてるところがあったりする。人間社会で優しさを感じられないって寂しいような。当たり前(当然)となれば無意識、無感覚だから相手を傷つけていることさえも気が付いてない人も多い。感じとる能力がある分傷つくこともあるけど、優しさを感じることができて豊になることもあるはず、感じとる力がその方の人間力のような気がしてる。コロナ症状のような無味無臭のような人間ではよくない。。

  • 秋晴れのことをここでも度々書いている・・毎年思うことは同じ。笑 今朝いい天気で、ふと空の青さは海の色が反射して青いんだったなぁと思った。自分の思い込みや自分のものさしで狭い視野になってしまっていたりすることに気づく。文中に、宇宙人がいまの地球の人間をみたらという文章があった。笑 そういう見方ね~想像もしたこともなかった笑 地球上を人間が支配しているように見えていた時期もあったけれど、現代は AI やインターネットサービスに振り回されていてコンピューターの一部分・パーツのようにしか映らないのではないだろうか・・というようなところがあった。操っているようで実は操られている。自分が自分を癒し喜びを与え楽しみを感じ探すことを、コロナが大きなきっかけになったような所もある気がする。旅に出られないから何よりも旅行が好きなことに気づいたり、映画音楽、ペット、植物や家庭菜園、料理などなど、自分が好きなものや興味のわくもの夢中になれたり、惹かれるものって自分の内面でしかわからない。 空のように映る色で青く見えるように・・・何かをしたら何かが感じられるかもしれない。服だって見るより試着してみたらかすかな何かを感じるように。季節が変われば何か気分も変わる。日暮れが早くなったなーっと思えば冬に近づいてるのだと感じる。宇宙人目線で自分を見れたらおもしろいかもしれない。それが無理なら10年後の私が今の自分を思い出したときを想像してみたらおもしろいかもしれない。

     

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