AKO’S Monologue

  • スタイル・・

    何が伝えたいかというと経験が大事ということ。経験したことに対して痛みやつらさを感じたことや没頭したりの経験があるから少し進歩や進化や成長ができたのかなぁ・・。最近、何事も経験だと身もって感じてる。机上論や頭だけのことは意味がない。転んだから次は転ばぬように気を付け注意もできるようになった。人付き合いだって恋愛だって同じだ。バイパス道路樹の成長のように進化や成長の形跡も気に止まらず感じれないとしてもそれなりに生きている。人もそうじゃないかと思う。身近な家族や友人の成長や進歩は感じとれてもその他の周囲の人は街路樹と同様だ。ふとズレや違いを感じ気づくことがあっていいし元々違っているのが当然なこと。同じというのが思い込みで妄想だったりする。違いを責めたり否定するのではなく、違いを楽しむぐらいの余裕を持てたらいいし、違いを楽しめないならそっと離れたらいい。お洋服に限らず自分の好みや興味が変わっていくのが自然なこと。人と人の関係も人と物の関係も伴走のようなもの。年齢とともに自分が変わりゆく中で変化するのが普通で、変化しないほうが違和感で、とどまる 現状維持よりも変化していく自分をもっともっと楽しみたいと思っている。周りからは街路樹のように見えていたって一方に構わない。

  • スタイル

    やっぱり本人の希望と願望やどんなものが好きを大事にしている。50近くなった私はずいぶん偏っている。。好きな着こなしやシルエットや素材、家には同じようなものが溢れているが微妙に違う。。笑 着ないアイテムもいっぱいあるのも事実。私の偏りは服に限らず食も同じ。笑 偏るというのはあんまり好ましくないイメージだけどよく言えば好みやこだわりの追求でもあったりもする。好むものはしょうがない。こだわりが強くなりすぎて他の否定や強要は決してよくない・・ひとそれぞれ・・。ショッピングを楽しみ服を買い着てくると好きが偏るのはいいことじゃないかなぁって。着ない服を知り経験分だけショッピングの選択判断が磨かれているはず。私のオシャレバカぶりは小学から始まり母型の祖父祖母がオシャレな人だっただけに影響を受けている・・私の思い出す大失敗ショッピングの1つ小学4.5年だと思う。白フリフリブラウスに一目ぼれしてねだり手に入れたけど、買ったときと同じフリルが見えるおたたみ形状のままブラウスは黄ばみ一度も着ないままだった。子供ながらに高価だったことも試着せず買ったことも鮮明に覚えていて、惹かれ買ったけど着ない服の記憶。それがベースにある。お洋服でも早くに手痛い経験を小学のうちから、理不尽な大人の社会も小学生ころから思い出す。。経済は20代後半からのデビューだったかな・・。つづく

  • KOU・・

    光悦の書で巻き物に筆を入れる空間のセンスはなんとも言えなかった。あそ美・心欲しい〜〜下絵も控えめながら出しゃばらず融合的なのも絵師の腕前と技巧だった。私が光悦を知ったきっかけの茶碗も独特で惚れ惚れするものばかり。。名門楽家の初代長次郎のお茶碗は気負いも力みもない、自然体のような物腰の温かくやわらかな作風が私は好きだった・・長次郎しかだせないモノだなぁって、好きなものを同時に見比べられて感じたのは、それぞれの良さと引き立つ感性とセンス。職人や芸術家は生み出す作品で表れる…其の人。目に見え物体として形に残る残らない違いはあるけど、人間社会で一人一人が、自分を表しているのも働き方、仕事と向き合う姿勢や想い、愛情表現だって、食べ方だって、優しさだって、話す言葉だって様々な表現、無意識のやっているしぐさや振る舞いだって全て当人の作品と言っていいのじゃないかなぁって思う。類は類を呼ぶのように様々なコミュニティの形成も最終的には人と人。もがくのも焦るのも私が私を悔しく思うのも情けなく悔やむのもそんな私も全部丸ごと素直に認めて飾るのも飾らないのも私、これからシンプルな長次郎の真っ黒い茶碗みたいに醸し出せる仕上がりになれるようにやってみたいことにチャレンジして経験を積んでいきたい・・定年制や年齢の呪縛から解き放たれて・・・私は私らしく笑

  • KOU

    時間をとって本阿弥光悦の大宇宙展を観に博物館へ   刀鑑定名門家系で育ち磨かれたセンスが書や茶碗となって表現されていく様子が展示されていた。江戸時代初期 80歳(1558~1637)長めの生涯で40代後半から活躍が〜私もこれから!これから!と元気がでた。同世代と20代若手スーパーマン達と月一回ミーティング(頭脳明晰、教養と経験値と情報と知識の広さと深さ)ある方々といると。。。人類皆同じ月日何やってたん私??ってツッコミたくなる。今さら悔やんでも仕方ないけど24時間365日一緒なのに。スタート時期の違いも環境の違いもあるけど才ある人の周りには必ず才ある人々がいる。人間が放つ魅力に引き寄せられ交流が始まっていくのは光悦の時代も現在も全く変わらない。要は本人次第なのだと感じた。自分にどんな目標や理想があるか、そしてどんな人と出会い感化も切磋琢磨しあえる間柄、どんな人を紹介してもらえるかも全て当人の自分なのだと・・。過去を後悔しても仕方ないなら諦め今、どう過ごすかだと思う。スーパーマン達がスペースシャトルほど最速で最大量のパワーと比べることが大間違い。私なりにわたしを諦め失速せず私のこれからビジョンもって私なりに過ごしたい。

  • 支点

    2月あっという間に過ぎさってしまった気がしている。その間心ソワソワしていた。なんとなく曇った世相の気配を感じとっていたりもしていて・・花爛漫の春を楽しみにいれる余裕も気にもなんとなくなれなかった。ただグレイ色の気配も自分だけの視方見方観方を変えたらよいだけの超超シンプルなこと・・。有無同然という言葉と出会い(あるもないも同じこと)そうだな~~~って 感情をどう入れどう捉えるかもすべて私次第。「グレーの濃淡があっていいとおっしゃっていた方がいた」白黒ハッキリ別ける方がラクなのかもしれないという時がある。中庸という言葉が昔からあるけど偉人賢人仙人、凡人がなかなかできるはずもない。中間は視野広く偏らずバランス感覚がいる。偏らないでいること。揺らぎグラついてしまう自分を自身でバランスをとるのは支点の私が私を知り変わらなきゃと昨年から感じている。2月頭、尊敬する方から喜ばしくない性質3つ苦言。一つは心当たり重々で他二つはショッキングだった。しばらく凹み落ち込んだけど自分の知らない至らない点を徐々に受け入れてきている。私の今思い浮かぶできそうな事は目の前のお客様のハッピーライフを願い、アパレルでは気持ち良くやオシャレを楽しく、気分を変え日常のささやかなおもしろさと変化と刺激・・お客様が何か求めて足を運んでくださる事に do the best  私なりのおもてなしを・・していきたい。

  • 2024.2.23

    きちんとしたシーンでの装いができるのが大人のマナー。。ジャケットのようなボレロのようなタイプのカーディガンは重宝します。光沢もありしわもなりにくい素材でキレイ目な印象には優れものの一品 KEY:ボウタイブラウス

  • ビジョン

    こんな私がなぜお金について取り上げてるかというと・・・お金に振り回されたくなくて左右されたくない気持ちが強いからかもしれない・・昭和気質の私はあれもこれもしたいとやってみたいことが多い。正直、お店の仕入れも運営もしていると・・究極は価値観になってくるかなぁ。お客様を引き立て似合う服や個性と雰囲気に合ったものを紹介できたらいいなと接客している。そして、きちんと選んでもらうことも大事にしてる。アンチな話題のお金だけど興味や関心のある人は多くなってきている。お金もタンスの肥やしのようなお洋服達のように持っていても活かせないなら意味がない・・買い物のワンシーンをご一緒していて充実したショッピング、生かす買い物が必要だと思う。お金は服と似たアイテム(道具)で、「お金」にだけ注目しても意味はなくどう使うかの目的がはっきりすればイキイキしてくる。ダラダラとプランなくいればいつのまにかすぐ消えるのは事実。自分の生活の優先順位、何を大切にしてどう考えているかの思考がお金に出てしまうと思う。私たちとお金って主従関係かなってもっとコントロールできるものでもあると思う。生かすも腐らせるのも本人次第、価値観だって年ともに変わってくる、好む味付けがかわってくるように、体の変化と同じようにいつの間にかのちょっと前に自分を想像してみたり、今のうちにすこしだけプランを練るのもいい明るい未来を創るのも自分次第だと思う。すべて自分がプロヂューサーで主人公。。

  • 変化する どう想像するだろう?いいor悪いの2つしかないようにずっと思いこんでいた私。「 変化しないものなんて世の中何ひとつない 」って教わり・・ほんとそうだなぁって本質をつくづく実感する。笑笑 今更って感じだ〜笑笑。変わることが当たり前。太陽が昇ることは昨日と同じに見えたとしても時間も位置も変わる。変化してないように感じていた私、視方の目と認識がガラリと変わる。日常の普段が何も変わらないと思い込んでいるだけ・・。ずーーーーーっと変化しない同じものなんてないんですね。変化を感じるとは気づいていくことでそれに気に留め思考することそして行動すること。色んな方から社会コミュニティの変わる様子を教えてもらえる。私もアパレルに関わって25年、時代も変わり社会も変わり私自身も変わりずいぶん変化した。

  • 餅屋

    やっと心のソワソワが落ち着くことができた。ずっとずっとへバリ付いて昨年から持ち越していたこと・・パソコンの調子悪く・買い替えのこと。今日相談して問題解決まで5時間もかからずに不安解消ゼロから快適さ150%になった。餅は餅屋で!!!本当に素晴らしいスマートな仕事ぶり惚れ惚れするヒーローだった。ヒーローからは朝メシ前だろうけど何もわからない赤ちゃんの私がこんな快適環境になれることに感謝しかない。誰に聞くかで5か月渡る私の焦げついた不安要素がこんなにもアッサリ解決。口コミの真実そして私利私欲なく取り繕う事一切ない淡々サクサクヒーローはヒーローをださないありのままだった。パソコン関連で何かあればこの方にお願いしたい。かっこいい&スマートってそういうコトだなと思った。自分の等身大の時代だなぁーー。。

  • じっと••

    じれったい所をぐっと根気よく付き合い、じっと見守って投げ出さない周りのお陰あってだとつくづく感じている。理不尽に感情的に注意される事がないと聞く耳が持てる。多くの指摘を受けても全然ヘーキなのは、やっぱり言われ方と口調と表現方法と思う。何よりも失敗して当然という観られ方で攻めらる事はない事。仕事に関しての指摘、注意は一度目は大目に許されたとしても2回はないと緊張感はあった。緊張感って今の社会に生活にどれだけあるだろう?緊張感ってある程度は大事だ。コミュニケーション全般に何を言うかどう振る舞うか。第三者目線で考えられるのが全てで大人で、大きく捉えるほど器量の大きい人となる、どんな性質の自分かを思い出させてもらえホントよかった。笑笑

  • じっと

    私ってそうだった!そうだった!何度も何度も何度も何度も大失態大失敗を繰り返して、突然ある時自分にしっくりくるというか自信をもてるときがくるタイプだったと〜笑笑。遅い成長だったことを思い出した。なかなか芽の出ない土の中の種みたいな、そっちに水場があるわけでもないのに飛び進むカエルみたいな、時期ハズレの渡り鳥みたいな。コレが私だった。スマートより鈍臭い。ただ私のくじけないとこ、任せられるからやらざるおえないっていう機会と諦めれないところがあったから今になってる。チャンス(機会)を頂けることがホント有り難い。

  • SOMARU

    これからどんな社会になるのかわからない〜って想像もつかず不安になることもあるはず。そんなときにできることってスグ目の前のちっこい小さなコトからと思う。今の今、どんな時でも瞬間の今を大事にする(年末年始のメッセージと同じ)。アレコレ余計な事考えず、目の前の今に集中するが自分のすべてじゃないかなぁ〜ってつくづく思う。無意識な顔がどんな顔なのか自分はわからないから日常生活で口角の上がったご機嫌でいるようにいたい。周りに振り回されず考えてもしょうがない事は考えず、目の前に自分のベストをする。イイことに染まろう!!イイ事に影響されよう!

  • 桜とつい比べられてしまうのが梅。歴史古く日本人に馴染み深いのは梅。香り漂ようのも梅だったりする。梅の良さを段々と段々と感じるようになってきたのもここ数年のこと‥。氷雪に咲く花を観るとなんとも言えない気持ちになる。西洋花のようなくっきりはっきりした色、大胆なフォルム、圧倒させるような存在感もいいけど、梅や蝋梅など地味目で可憐さも美しい。もうすぐ春、野花が咲く。車では目にとまるかとまらないかで気づかなかったりする。人間ないものねだりで西洋花に憧れていいし煌びやかに華やかに見せてもいい。よ〜く観るとふっくりとまるい梅のフォルムは愛らしいし健気に咲いてるような気がしてる。みんな梅のようなのがリアルなんじゃないかなぁって思う。だから、最近梅の良さを味わえるようになったのかもしれない。

  • Move

    どこかに行けること、動けることってありがたくいい事だなぁって風にそよぐ木の葉を眺めながら思った。もし木に気持ちがあれば羨ましく人間を思っているのじゃないだろうか?いくら景色のいい場所でも、伝えたくなっても話せなくて、のどが渇いても水が飲めず、ジリジリ暑すぎる陽射しにじーっと耐え、強風も極寒もひたすら立っている。今の人はどこでも自由に行くことができる機会があると思うとしあわせだ。制限や規制なく行動できる素晴らしさ。ゆるんだ遠い場所でのんびりしつつ木陰で思った。しあわせは自分で選択できて行動できるコトなのだなぁーーー。

  • ピリッ

    この擬音でいったい何が思い浮かぶだろう〜。食べ物の辛さ、服の割ける音、張りつめたもの。超久しぶりに私はこの緊張する機会を感じてる。どのぐらいの緊張感かというと高校&大学入試の試験と同じぐらいかもしれない笑笑 自分で生み出す勝手なプレッシャーにがんじがらめになって真っ白になってしまう。舞台に立つ演奏家や俳優、役者という方はスゴイと思う。裏方でつくりあげていくのが好きな方で表に出るのは苦手だ。ありがたい事に50前にそんなわたしが私と向き合う機会になって己を知る。弱点というか本来の私というか素の私に!ニガテに向き合うと自分を知ること多いなあってつくづく感じる。大人になると避けたり逃げたりそんなわざわざする事もない経験で、ちょっと成長する私とずっと変わらない不器用な私で過去と未来が一緒の今を感じてる

  • base ••

    いつものお花屋さんにいくと春いっぱいで「あー〜〜春がきてる〜」と生花の香はホント気持ちいい。ラナンキュラスにチューリップにスイートピー名前のわかる花が並ぶこの季節:春。1月とは思えない温かい小雨降る朝。クルマの窓にシトシトと雨音を聞きつつ、地球上全ての生き物は水がなきゃ生きていけないと…あたりまえのコトを気づく私。頭で理解する事とハートに浸透する事って別格だ。頭だけの知識でワカル事と腑におとす事身に染みて感じる違いを経験している。あたりまえなんてないと〜。  パソコンモニターが壊れたのだろうと思って新しくセッティングしばらくして前と同じ症状がハードディスクが壊れ気味…この思い込みと浅はかさ⁉︎ 目に見えたモノに囚われた思考、ハードをちっとも疑うこと無いこっちの判断と私の認識ミス。疑問に思うこや探究心、様々な見方ができない未熟を物語る現象事例だったなぁ 笑。

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