AKO’S Monologue

  • ケンタウロス

    ケンタウロスが会話の中で話題になった半身人で半身獣でケンタウロス自身が人間なのか獣なのか・・・ずっと迷ったらしい。笑 そんなケンタウロスが死んで人として埋葬するか獣として埋葬するか周囲もどうしていいかわからなかったそうだ・・という物語があるそうで、この話は自分の意思表示、自分で決めるが大事という事ではないだろうか・・。自分の意思を伝えることは周りに自分を知ってもらうのに大事だし、どんな言葉を使うかで周りが人?獣?って判断するのだと思う。人はその人を知るときに見た目で判断するけれど、どんなことを考えてるかは表現されるのはひとつに言葉があるように思う。それを伝え合うキャッチボールがコミュニケーション。ただ最近コミュニケーションも変化して、言葉のトゲを超えて鋭い凶器・刃物になっていたり、自分の意思よりはエゴになって一方通行になってはいけないとつくづく気をつけている。この歳だからより慎重に扱うようになった言葉遣い。たまに赤裸々になってしまう私 苦笑。半人間半獣のケンタウロスみたいになっちゃいけないなぁ―――。理性、自制できること自分で人格を整えることができる人間と相手のことまで思いやれない感情のままの獣の違いを自分でどうなりたいか復習しよう。私自身がビジョンや理想を持たなきゃ、周りからケンタウロスに見られてるかもしれない・・笑。

  • HENKA

    つくづくコミュニケーションってシンプルなのに難しく思っちゃいけないんだろうけど複雑・・・至難の業というか知恵の輪のような 笑 人とは自分の過去の経験からでしか判断できない生き物、環境や幼児教育から知らず知らず考え方捉え方がずっと刷り込みされて今に至ると・・。ほんと有難いことに経験豊富な方々と直接話ができる機会とチャンスで教わり感じることがいっぱいある。会話(コミュニケーション)が全然ちがう。その方々の共通は全く顕示しない、要約された種の様な一言で表現されわかりやすく超シンプル。遠回しやクドく長々と話は全くされない。話の核が理解できるかできないか( can or can ‘t )するかしないか( do or don’t )それも本人次第と投げかけておしまい皆さま悟りを開いたような方ばかり。。。笑 最初緊張していたせいか冷たく感じてしまったけどお会いする機会重ね温かい人柄と人間性を感じるようにやっとなってきた。社会の超トップの寛大な方々の環境についていけるかいけないかも私次第なのだと感じている。私の人間性、在り方なのだろうなぁ・・自分のものさし、固定概念、視野器量の小ささを50手前で感じもっと柔軟な耳と頭になって変化していたい。女性は会話(おしゃべり)が好きで起承転の共感を求め、結はいらない。男性は会話(コミュニケーション)は起承転結の結が重要、結からの行動をとる。ビジネスは男性的会話が大事で、プライベートは女性的会話が大事。参考までに笑

  • Hansei

    身近な人との間で気づかされることがある。身近だから感情ストレートでダイレクトに出すぎることもあるし言いすぎてしまうこともあったりして遠慮のかけらもない・・。普段の穏やかなとき無事な生活は緩やかな瀬戸内海の波のような波長で安定していられてスルーもできるし棘棘しくなってしまうようなことはない。何か起こったときに、その人の性質と成りや考え方や自分の醜い所が出てしまうもの。年老いた両親に昔と変わらない感覚でいてしまう自分だったり、相手の立場や状況を考えて発言しているつもりだったれど想像が浅はかだったり、自分都合な独りよがりだったりもあったり、時には自分本位の遠隔操作コントロールになってしまっているときもあったりする。良心からの意見だったとしても仕事、環境や付き合う人が違えば通用しないことが様々あるのに想像力の無さで汲めなかったりする。親子、兄弟、身近な人でも心許せる関係気が合う仲でも別人格なのだ。発するたった一言で傷つけることはあるし、安易じゃないにしても伝え方、伝わり方が変わってしまうともう元には戻らない。関係ができていたとしても覆水盆に返らず・・。失う前にだと思う。寛大に寛容にいたいけれど、感情のマグマが煮えたぎり火山の噴火口のように口から出た言葉は最悪のものになる。口は災いの門。。昔の人は生きる知恵を教えてくれる。感情はコントロールして感受性豊かでいたいもの。

  • BISA

    オシャレ と センスがいい ってちょっと違うように感じてる。オシャレはお洋服全般を指すけど・・・センスがいいってもっと奥が深い気がしてる。。賢い と 知恵 も違う。賢いとは外からのインプットだけだったりするけど、知恵って活きたもの活動から身につけ工夫を凝らして得てきたものの気がする。知恵のある会話をする会に参加させて頂くようになって自分がいい意味で変り始めている気がしてる。勉強で理屈ぽくなって頭でっかちになってしまったり、年とともに難しく捉えて臆病になりこんがらがって身動きできなくなる自分よりもやってみて何か感じての繰り返しが生きることのような気がしてる。自分のキャパシティを判断するのもなんだかなぁって最近可笑しいと思える。もっと広く大きく捉えることができたりもしつつもっと繊細に細かなことにも気づけるような私にもなりたい。お洋服でオシャレを提供してきたけど見た目だけじゃなく、これからは益々個人のセンスの光る着こなしになってくるように思う。言葉の使い方のセンス、人への接し方のセンス、お金の使い方のセンス センスを磨こう!!センスを磨けばすぐ身近のサマザマが変わってくる気がしてる。先ずは自分の思い込みや思考の癖、自分基準だけで判断しないようになりたい。環境が自分を創るのか・・自分が環境を作っているのか・・。笑

  • hyo-men

    表面的な付き合い、表面上、表向き、建前というとあまりいい印象はないイメージもよくない。見た目だけの美しさオシャレっぽく見えるのは超簡単でそれっぽく見えるのはインスタント食品のお湯を注ぐだけといっしょでただ着るだけ。先日、「心美一致」という言葉を知った。1500年前から韓国にあるそうで見た目の美しさと共に精神身体の美しさが優れているのも同じだという意味。それに対して、卑しいという表現は見た目、心、素行すべてをいう気がする。私は心美一致になりたく心美一致な方を接客していたい。現代版にするとセンス(オシャレ)&精神(性格)&身体 といったところなのかなと想像する。いつもココシャネルの言葉が思い出される。

    *美しさは、あなたがあなたらしくいると決めた時に始まる  *流行は変化していくもの。だけど、スタイルは永遠  *ラグジュアリーとは心地いいもの。そうでなければラグジュアリーとはいわない  *最も勇敢な行為は、じぶんで考え続けること。そして声に出すこと  *醜さは許せるけど、だらしなさは絶対に許せない  *女性は上品で素晴らしくあるべき   *エレガンスとは拒絶すること   *ファッションは建築。全体のバランスが重要なの  *下品な服装は服だけが目につき、上品な服装は女を引き立たせる  *この世でいちばん素晴らしい色はあなた自身を輝かせる色  *シンプルさは全てのエレガンスの鍵   *いい靴を履いた女性は消して醜くならない  *贅沢は貧乏の反対だという人がいるけど、それは間違い。贅沢とは下品さの反対なのよ  *二十歳の顔は自然からの贈り物、30歳の顔はあなたの人生。でも、50歳の顔はあなたの功績よ

  • oi・・

    長い目でみる、大きく捉える、年月を重ね様々な経験をした人ができる特権だと思う。しかし、同級生は生まれた年も成長過程も時代背景も似ていてほぼほぼ同じだけど尊敬できる人がいたり、年齢や性別に関係なく小さな子どもでも尊敬できる。目にした記されていたものを抜粋 「好奇心を失ったときに人は老いる。老いとは、生物学的な歳月の累計ではなく精神的感情的な枯渇のこと」だと。。。ほんとそうだと思う。好奇心だったり、身の周りの些細な変化に気づけることそれをどう思うか?違和感にしても嫌悪感にしても・・なぜ?どうして?思えるかどうかだ。そして、なにをするか(行動する)かだと思う。

  • CUT

    美容室で席に座って髪を観るなり「ちゃんとご飯食べてる?」と突っ込まれた・・私なりにはいつも通り食べてるように思っていたけれど、タンパク質を多くを意識して食べた方がいいよと。。タンパク質は髪の毛はもちろんのこと皮膚、爪などあらゆるものに必要な栄養素、女性なら意識してとりたいところ。定期的に毛先カットしたほうが髪の毛にはいいそうよ とも小耳にした フムフムできることは取り入れていきたい。フトそれって植物の様子と重なった。水やりしながら毎日鉢植えの植物たちを眺めてると多すぎる水もよくない気がするし、少なすぎるとこんな暑さでカラッカラッに喉が乾いてモノ言わずジッと耐えてるようで忍びない気持ちになってしまう。気温や天気は難しく、それぞれ違う種類の植物にとって環境は決して合ってないだろうから無知の私にとっては日々実験観察のような感じ。笑 多く与えすぎても少なすぎてもタイミングがズレてもよくない。これって植物と私だけの関係だけじゃなくて、親子でも、上司と部下でも、兄弟でも、ペットと飼い主、先生と生徒、どの関係でもいえることの様な気がする。人対人、人と植物、人と地球、地球からは24時間365日与えられっぱなし空気も水も!水やりしながら大きく育った植物を少しカットしてみたら、モリモリ他の葉がたくましくなったというかパワフルになったような気がした。きっと髪の毛の場合もそういう事なのかもしれない。ダメージをあたえすぎる程のカット(伐採)はよくないけれど適度に程よくの剪定の様なカットはいいかもしれない。枯れているところ、病気になったり傷んだ部分のカットは正常なところを生かすために必要なんだな・・。これも自然の摂理。 

  • チャリティー

    今回も多くのお洋服が集まりました。今一度、お買い物を考えていただきたいな・・。年齢と共に着れない服があるのも事実ですし何回も着ているのでダメージがでてしまうのも生活で、気分も着こなしも飽きるのも変わるのは仕方ない事だと思います。断捨離という言葉もハヤリました、今はどうなのでしょうか・・・笑 わたしは整理整頓どちらかというと好きなほうなのかな・・持っているものが把握できないほどは許容範囲を超えてるのかもしれません。ミニマリスト OR 愛好家がいいのかは正解より周囲(世間一般)より自分の価値観を持ってほしいと最近つくづく思います。気分によってシーンにTPOに応じてお洋服を変えたいのも変えるのも人間らしさかなぁと思います。机上のお勉強の賢さより生きる知恵やご本人の価値観をしっかり持っていらっしゃる方が学びが多い気がします。学力=賢さとは私は思えません。や豊かさ、しあわせ を勘違いや認識不足しているように思えます。日本語ってたくさん言い回と多くの表現ができて、濃淡、強弱などの加減も沢山あり情緒があります。社会が殺伐としていて情緒が薄れて・・だけど、お盆に帰省されたお客様や久しぶり再会の方との会話、あちこち国外に行かれての感想や体験を聞き人との関わりの中で生きるヒントと知恵があるように改めて感じました。どんな方とどんな事を・・その前にわたしは?どんな人間なのかがとても大事かもしれない笑 AIチャットが質問に答えてくれる時、色んな診断でタイプ分けできたりなんとなくぼんやり把握できているような気がしているけど、自分の価値観まであやふやはどうかと思う。

  • oi

    自分の価値観をもつと少しだけスムーズに生活がおくれるのではないだろうか?価値観をもつ事は、自分を映し出されるのが価値観なのじゃないかと思う。興味を持つジャンルが私と違う友人からいつも刺激をもらう。老いのスピードが日増しに感じる盛夏、すこし気弱になっていたから彼女と話をして元気になれた。励まそうとも元気づけようともしてないけど毎度一緒に話をすると明るく元気になれる有難い存在。:老いの前にいる。老いをジワジワ受入れてしまうとドンドン浸食されてしまうからと・・笑「老いの前を ゆく」だって笑 「逃げ足遅いからなぁーー私」ちょっと弱気発言に振り返らないとまらない 「前をゆくだけ」ただそれだけらしい。見て見ないふりをするのではなくてその為にできることをする!時代が変わっても【時間】はみんなにとって同じ。美しい人綺麗な人ステキな人は時間の使い方も上手。目先だけにとらわれず長期的な見方ができる人が多い。早く気づいて長年かけて、生活の習慣にしてコツコツ積み上げたものがあって、シミやしわができたくないからの予防のような最悪な事態からの逆算。時をどうみるか?今さえよければは自制力のない判断、一時しのぎは応急処置みたいなときでそれからしっかり向き合う必要があると思う。 時間をどう考えるか&時間をどう使うかは、生きることと向き合うことなんじゃないかなって私は思う。

  • TAX

    今朝 お墓参りにした。ふとみると・・という看板、市営墓地なのだなぁって思った。お盆なので早朝より老若男女参られている方も多くお線香の香りや凛としたお花が供えられていた。そんな中まだ参られてないのか・・無縁なのか・・生い茂る草の中のお墓もあったりする。いつか・・わたしが死んだ後のお墓はそうなるのだろうなぁって想像した。そうしたらお墓の清掃の市に寄付をしたほうがいいのだろうかとも思ったりした。市営だけに税金で賄われてるはずと・・税金の使い道が不透明すぎているから税金を搾取されている気になってしまう。税金で助かっている事は沢山有るはずなのに生活の空気みたいになりすぎてしまっているから気づかない、気づけないと思った。税金を使っている側の人も納税が義務といえども、寄付より良くしようとする善意から・・と意識すればムダ遣いは減るように思う、納税者一人一人からの寄付、善意という感覚を持てば使い道だって変わるような気がする。意識と認識が少し変われば税金の見え方も変わるはず。。。恩恵の薄い納税者の私は税金をとられるという気持ちがずっとあったけれど看板を見てちょっと変わった・・そうじゃないこともある。都内にいけばすべてのゴミ収集が有料だそうだ。生活にはお金はかかる。ミエナイ、感じれないで使われ過ぎてる税金をもっと納税者が意識すれば変わるんじゃないだろうか?

  • ワク

    自分でいうのもなんだけれど・・・私は相当偏っていると思う。昔はそれを恥ずかしく思う頃もあったし、隠そうとしたこともあった、そもそも自分で気づいていなかった期間も長かった。今思えば年を重ねドンドン偏っていったのかもしれないし元からだったのかもしれない。興味のある事とない事が段々大人になってハッキリしてきただけなのかもしれない。大人も子供も興味のない事をさせられるのはツライ。好奇心の赴くままに追求できるようになってスマホがあるから早咲きの素晴らしい子供たちがいて関心してしまう。探求心。東京の勉強会で、生活に日ごろしないようなことを習慣化するようにすると脳の刺激にもなり生活も活性化すると聞いた。私も何か生活で全くしないことをしてみたいのだけれど、それさえも思いつかない乏しい想像力。時間やお金や場所をいい訳にしてきたからかしようとすることがない。趣味を見つけるというのは実は一苦労なのかもしれない。笑 ワクを作ってしまうとドンドン狭い範囲になってしまう。どこまでも自由で広がっていけるのに、実は自分でワクを作ってしまっているのかもしれない。社会行動学の本で自由って実は苦しいもので、制限がある方がラクなこと、悩まずにいられることもいっぱいあるそうだ。自分で枠を作るという事はしたくないなーーって思う。トコトン好きなものを追求していくのも幸せなのかもしれない。まだまだ 脳が戸惑うような刺激になるようなことが見つからないから ちょっと探してみたいなって思う。

  • 錯覚

    お店に80代~20代の女性が来てくれる。。私はそんな沢山の女性と関わることができていて有難い環境にいれてホント幸せだと思う。年齢に関係なく女性的な魅力はなんだろう??って思い返すと、見た目だけじゃない可愛らしさのような気がする。個性は色色あるなかで人間味のある可愛らしさなのかもしれない。恥じらいがあったりテレがあったりオシャレを楽しむ中で美的センスが生き方と生活の中にいろいろ現れている気がする。そんな中でこっそり隠れている気丈さもあるかもしれない。わたしも含めて、笑 気丈さ=いい意味でタフさといえばよいのかオーバーな表現かもしれないけれど生命力。それはコンプレックスや疲労感や悲しみや辛さいろんな思い、日常のプレッシャーがあるからお洋服でカバーして生活を充実させている生活の知恵のひとつなのだろう。衣食住とよく言ったものだなーーーーってつくづく。ドンドン人間社会は変化してスマホの画面で多くを楽しめるようになったけど、人体に触れる直ぐそばは何ひとつ変わっていない。例えば、傘だって、歯磨きだって、靴だって、体臭だって、部屋の中だって。折り畳み傘があるけど自分で傘をさす、電動歯ブラシだって自分で動かさなきゃ、靴だって自分で履かなきゃ、汗が出て拭き取るのも自分、電動掃除機があっても整理は自分でしなきゃ・・笑 そう思うと進化してるようで全く進化してないのが人間だ。便利になってる気がするけどほんと可笑しい。笑 勘違いや錯覚にそろそろ気がつくときのような気がする。

  • HENKA

    会ったこともなかった人だったけど、音楽ファッション界やフランスを代表する女性だったジェーンバーキンさんが亡くなったニュースはちょっぴり衝撃だった・・そんな私が私自身に意外!と驚いているところ。先日も雑誌整理をしていたところジェーンバーキンさんの記事にふと目が留まり読んで、年を重ねても「 らしさ 」を持った方というのが印象的だった。自らの20代話題に事欠かなかった過去をキチンと整理されている思いがコメントに表れていて知性ある大人の女性を感じたところだった。日本の女性ってどこかピークっていうのがあるのが一般的な気がする・・若い頃のモテ期や過去に浸っていて、話題が今より何かしら過去(ヤング)基準。フランスの女性に限らず素敵な女性は on Time でキラキラしている気がする。過去や若い時にとらわれず今を生きている今の自分を受けいれそれに合わせて変化している気がする。変化が例え老化だったとしてもそれも受け入れたい。祝日の日女の子同士や男の子の集団でお出かけしてる中学生たちを眺めながら私にもそんな時期があったな・・と思うけど、断然今の方が自由で楽しい。白髪が増える髪の毛、顔のあちこちの小じわ、血管の浮き出た手の甲だって愛おしく思えるか卑下するかはわたし次第・・笑 ありのままの自分に合わせて、時代に合わせて心が変化する、変化できる人がステキな人なんじゃないだろうか。若さに執着するより今とちょっと先の望みを大事にする生き方をしたいな・・。

  • 贅沢

    いつも行くお花屋さんいっぱいつまった色とりどりの薔薇のショーケースをみて、エアコンの効いた店内で花は傷みやすいから躊躇してしまうけど先日はそれぞれに美しいバラに惹かれて奮発&贅沢して購入。贅沢しよう!っと決めてそれを堪能すると心がいつも以上に豊かな気持ちになれるてちょっとだけ潤う。節約を目にする機会が増えて贅沢がワルイことではないのに・・・なんとなく楽しい事が影になってる。ヒトそれぞれ贅沢の対象は違うし楽しむことはイイ事だと思う。家族中ではケチで通ってる私ただムダなこと、中途半端がイヤなだけで妥協して買うこと、あるものが重複して購入することはしない。例えば、使いかけのアイシャドウがあるのに新しいものを買う事はない笑。一時的な気分やノリでも買わなくなった。最近は好奇心や探求のためにお金をつかっているかもしれない。活けたバラや植物を眺めるだけで気分がいい。。。贅沢って高いモノということではないような気がしてる。贅沢がなんなのか?そして、満喫したり堪能したりすることは身近にあると思う。お洋服やオシャレが好きな人は身近で生活の一部を楽しんでいると私は感じてる。いろんなタイプのオシャレがあって価値観や好きがある、他人基準のオシャレの時代ではなくてこれからは個個が生活で楽しんで過ごせたり快適にすごせる服がオシャレに通じてくると感じてる。

  • 巣立ち

    偶然 目にした鳥の巣(どうやらヒヨドリのヒナようで)ピヨピヨ鳴いていた・・。あれから2週間後に無事育っているのかなーーっと覗いてみたらもう姿はなかった。目のつくところだっただけに外敵を心配していて、ググってみるとヒヨドリは10日~2週間で巣立つとのこと早すぎて驚いた!人間の巣立つ時期があやふやなのにたった10日で空に飛び立つ鳥。人間の一人前や自立というのが最近は遅く遅くなってきている気がする。選挙権は18歳からだけど自立とは別物で違う。自立ということ、真の大人という人を考えたりしてる。調べてみると十分に成長したい人。考え方や態度が十分に成熟している事、思慮分別があること。子供という表現の対比。もう年齢的に大人であっても感覚はあまり昔と変わってない笑。大人というキーワードよりもどんな人物かどんな人柄かどんな人格なのかって事を考える。覚悟、決意、責任を取るという事が大いにその方の歩みで起こったことが多い人ほど素敵な気がするる。人間は身の回りにある全てのものが知らない誰かの人の手で作られたもの。目に入る陶器のマグ、スマホ、手帳に、イラストのカードにハンドクリームなどなど、唯一海で拾った貝は自然からの恵み。ぜーんぶ全部自分では何一つ作れないで生きていられる・・人の助けで今があり有難く感謝しかない。なんなら地球や太陽、自然の恵みから・・。何一つできない自分の非力さと何もできない無力を知る。10日で巣立つ鳥からするとあざ笑いされてもいい人間の様な気がしてる。

  • kyo-sei

    インビザラインという透明マウスピース22時間を私の場合は21週する1週間ごとに取り変えていて昨日で15 / 21残り2ヶ月もない。。以前のブラケット(金具の)治療とは違いほとんど歯医者への通院もなくなっている。私の矯正もクライマックスになってきている。笑 矯正初めてマル6年過ぎその間、先を長く長くながーーく感じていたけど今振り返ればほとんどのことを忘れてる 笑。違和感伴うけどいつの間にか慣れての繰り返しの生活。スグにガラッと変わる事はないけれど、徐々に徐々にいつのまにか変わっていっていた。時間をかければ変化はするし変化できることは身の回りに沢山ある。コツコツ毎日毎日。お客様の肌の美しい人は日々気をつけて何かをされていらっしゃるし、プロポーションのいい方も日々小まめに何かをされている。意識すること。意識することって無関心ではないという事がその方の生き方やその方らしさになっているからより美しいと感じる。何もしてなくて綺麗だったり美しいというのはあまりないんじゃないかなって。何かをコツコツするってことが生きることなんだと思う。ラクしてや近道しての得るものって少ないんじゃないかな。。。40代になってからの超遅い矯正もっと早くにしておけばよかったな・・後から気づく私の性分だから仕方ないかぁ・・笑。気付きを与えてくれる方や機会に感謝。そろそろ気づきやヒントをさしだせるような大人の女性になりたい。

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