RYUSUI
あこのひとりごと・・モノローグを書いてみてはイマイチぱっとしないというかシャンとしないので非公開のまま溜まっていた。最近更新されてないね?っておっしゃってくださる方もいてとても有難かった。何か特にあったわけではないけど、日常でちょいちょい感銘うけ感化されているようで私のあちこちの錆ついたねじが緩んでいる。いい意味でのゆるみ。多分このゆるみは超久しぶりのような気がする。強張った体やしばらく使わないでいた筋肉を伸ばし動かすアップみたいなもの。だから今も文字打つ手がスムーズに進まない。私のモノローグはサクサクっと進んでいた。ここ最近は進んでは戻りの行ったり来たりで表現できないままでいる。今もひき続きわたしをざわざわさせていて整理つかないままにさせている頭の思春期みたいな感じだろうか・・笑笑 些細なちょっとした出来事、1フレーズのコトバをきっかけに刺激がやってくる。刺激は私を内観させるキッカケをくれる。ふり返らせ改めさせ初心にもどらせたりする。いつのまにか止まっていたんだと知る。電池切れしていたわけじゃないけど、確実に電池が劣化していたのだろう。掛け時計の電池がいつからか遅れて動いていたりいつの間に止まっていたようなそんな感じだろうか。。。若い人の話を聞くこと、紀元前の人のコトバに触れる、明治時代近代の日本に触れると止まっていた私が動き出した。。勝手な思い込み・育った時代と環境の癖、思考のようなものから抜け出せてきたような気がする。私の一方的な思い込みと捉え方に固執して固く固く固くガンジガラメになっていた。もっとカルーーーーク 軽やかにいたい、濁る澱むよりは澄んでいたい。grosierという私が作った造語は柔軟にいる変化に順応適応しながら成長したい という思いがあって作ったっ言葉。水は流れているからイイと誰かが言っていた・・・流される と 流れている って全く別物。流されていたらラクだろう・・こんなはずじゃなかった・・いったいどこに辿り着くかわからない。流れているって自らの意思ある事、いつゴールに辿り着くかわからない。流れているってアクシデントもハプニングもラッキーもハッピーもある途中を満喫充実させていることだと思う。ゴールよりも結果より成果よりも沢山のことがある途中がもっとも味わい深く変化させるときなんだと思う。服を迷いながら選ぶってときも素敵なこと、その最中も楽しくおもしろい。。