AKO’S Monologue

  • チャリティー

    今回も多くのお洋服が集まりました。今一度、お買い物を考えていただきたいな・・。年齢と共に着れない服があるのも事実ですし何回も着ているのでダメージがでてしまうのも生活で、気分も着こなしも飽きるのも変わるのは仕方ない事だと思います。断捨離という言葉もハヤリました、今はどうなのでしょうか・・・笑 わたしは整理整頓どちらかというと好きなほうなのかな・・持っているものが把握できないほどは許容範囲を超えてるのかもしれません。ミニマリスト OR 愛好家がいいのかは正解より周囲(世間一般)より自分の価値観を持ってほしいと最近つくづく思います。気分によってシーンにTPOに応じてお洋服を変えたいのも変えるのも人間らしさかなぁと思います。机上のお勉強の賢さより生きる知恵やご本人の価値観をしっかり持っていらっしゃる方が学びが多い気がします。学力=賢さとは私は思えません。や豊かさ、しあわせ を勘違いや認識不足しているように思えます。日本語ってたくさん言い回と多くの表現ができて、濃淡、強弱などの加減も沢山あり情緒があります。社会が殺伐としていて情緒が薄れて・・だけど、お盆に帰省されたお客様や久しぶり再会の方との会話、あちこち国外に行かれての感想や体験を聞き人との関わりの中で生きるヒントと知恵があるように改めて感じました。どんな方とどんな事を・・その前にわたしは?どんな人間なのかがとても大事かもしれない笑 AIチャットが質問に答えてくれる時、色んな診断でタイプ分けできたりなんとなくぼんやり把握できているような気がしているけど、自分の価値観まであやふやはどうかと思う。

  • oi

    自分の価値観をもつと少しだけスムーズに生活がおくれるのではないだろうか?価値観をもつ事は、自分を映し出されるのが価値観なのじゃないかと思う。興味を持つジャンルが私と違う友人からいつも刺激をもらう。老いのスピードが日増しに感じる盛夏、すこし気弱になっていたから彼女と話をして元気になれた。励まそうとも元気づけようともしてないけど毎度一緒に話をすると明るく元気になれる有難い存在。:老いの前にいる。老いをジワジワ受入れてしまうとドンドン浸食されてしまうからと・・笑「老いの前を ゆく」だって笑 「逃げ足遅いからなぁーー私」ちょっと弱気発言に振り返らないとまらない 「前をゆくだけ」ただそれだけらしい。見て見ないふりをするのではなくてその為にできることをする!時代が変わっても【時間】はみんなにとって同じ。美しい人綺麗な人ステキな人は時間の使い方も上手。目先だけにとらわれず長期的な見方ができる人が多い。早く気づいて長年かけて、生活の習慣にしてコツコツ積み上げたものがあって、シミやしわができたくないからの予防のような最悪な事態からの逆算。時をどうみるか?今さえよければは自制力のない判断、一時しのぎは応急処置みたいなときでそれからしっかり向き合う必要があると思う。 時間をどう考えるか&時間をどう使うかは、生きることと向き合うことなんじゃないかなって私は思う。

  • TAX

    今朝 お墓参りにした。ふとみると・・という看板、市営墓地なのだなぁって思った。お盆なので早朝より老若男女参られている方も多くお線香の香りや凛としたお花が供えられていた。そんな中まだ参られてないのか・・無縁なのか・・生い茂る草の中のお墓もあったりする。いつか・・わたしが死んだ後のお墓はそうなるのだろうなぁって想像した。そうしたらお墓の清掃の市に寄付をしたほうがいいのだろうかとも思ったりした。市営だけに税金で賄われてるはずと・・税金の使い道が不透明すぎているから税金を搾取されている気になってしまう。税金で助かっている事は沢山有るはずなのに生活の空気みたいになりすぎてしまっているから気づかない、気づけないと思った。税金を使っている側の人も納税が義務といえども、寄付より良くしようとする善意から・・と意識すればムダ遣いは減るように思う、納税者一人一人からの寄付、善意という感覚を持てば使い道だって変わるような気がする。意識と認識が少し変われば税金の見え方も変わるはず。。。恩恵の薄い納税者の私は税金をとられるという気持ちがずっとあったけれど看板を見てちょっと変わった・・そうじゃないこともある。都内にいけばすべてのゴミ収集が有料だそうだ。生活にはお金はかかる。ミエナイ、感じれないで使われ過ぎてる税金をもっと納税者が意識すれば変わるんじゃないだろうか?

  • ワク

    自分でいうのもなんだけれど・・・私は相当偏っていると思う。昔はそれを恥ずかしく思う頃もあったし、隠そうとしたこともあった、そもそも自分で気づいていなかった期間も長かった。今思えば年を重ねドンドン偏っていったのかもしれないし元からだったのかもしれない。興味のある事とない事が段々大人になってハッキリしてきただけなのかもしれない。大人も子供も興味のない事をさせられるのはツライ。好奇心の赴くままに追求できるようになってスマホがあるから早咲きの素晴らしい子供たちがいて関心してしまう。探求心。東京の勉強会で、生活に日ごろしないようなことを習慣化するようにすると脳の刺激にもなり生活も活性化すると聞いた。私も何か生活で全くしないことをしてみたいのだけれど、それさえも思いつかない乏しい想像力。時間やお金や場所をいい訳にしてきたからかしようとすることがない。趣味を見つけるというのは実は一苦労なのかもしれない。笑 ワクを作ってしまうとドンドン狭い範囲になってしまう。どこまでも自由で広がっていけるのに、実は自分でワクを作ってしまっているのかもしれない。社会行動学の本で自由って実は苦しいもので、制限がある方がラクなこと、悩まずにいられることもいっぱいあるそうだ。自分で枠を作るという事はしたくないなーーって思う。トコトン好きなものを追求していくのも幸せなのかもしれない。まだまだ 脳が戸惑うような刺激になるようなことが見つからないから ちょっと探してみたいなって思う。

  • 錯覚

    お店に80代~20代の女性が来てくれる。。私はそんな沢山の女性と関わることができていて有難い環境にいれてホント幸せだと思う。年齢に関係なく女性的な魅力はなんだろう??って思い返すと、見た目だけじゃない可愛らしさのような気がする。個性は色色あるなかで人間味のある可愛らしさなのかもしれない。恥じらいがあったりテレがあったりオシャレを楽しむ中で美的センスが生き方と生活の中にいろいろ現れている気がする。そんな中でこっそり隠れている気丈さもあるかもしれない。わたしも含めて、笑 気丈さ=いい意味でタフさといえばよいのかオーバーな表現かもしれないけれど生命力。それはコンプレックスや疲労感や悲しみや辛さいろんな思い、日常のプレッシャーがあるからお洋服でカバーして生活を充実させている生活の知恵のひとつなのだろう。衣食住とよく言ったものだなーーーーってつくづく。ドンドン人間社会は変化してスマホの画面で多くを楽しめるようになったけど、人体に触れる直ぐそばは何ひとつ変わっていない。例えば、傘だって、歯磨きだって、靴だって、体臭だって、部屋の中だって。折り畳み傘があるけど自分で傘をさす、電動歯ブラシだって自分で動かさなきゃ、靴だって自分で履かなきゃ、汗が出て拭き取るのも自分、電動掃除機があっても整理は自分でしなきゃ・・笑 そう思うと進化してるようで全く進化してないのが人間だ。便利になってる気がするけどほんと可笑しい。笑 勘違いや錯覚にそろそろ気がつくときのような気がする。

  • HENKA

    会ったこともなかった人だったけど、音楽ファッション界やフランスを代表する女性だったジェーンバーキンさんが亡くなったニュースはちょっぴり衝撃だった・・そんな私が私自身に意外!と驚いているところ。先日も雑誌整理をしていたところジェーンバーキンさんの記事にふと目が留まり読んで、年を重ねても「 らしさ 」を持った方というのが印象的だった。自らの20代話題に事欠かなかった過去をキチンと整理されている思いがコメントに表れていて知性ある大人の女性を感じたところだった。日本の女性ってどこかピークっていうのがあるのが一般的な気がする・・若い頃のモテ期や過去に浸っていて、話題が今より何かしら過去(ヤング)基準。フランスの女性に限らず素敵な女性は on Time でキラキラしている気がする。過去や若い時にとらわれず今を生きている今の自分を受けいれそれに合わせて変化している気がする。変化が例え老化だったとしてもそれも受け入れたい。祝日の日女の子同士や男の子の集団でお出かけしてる中学生たちを眺めながら私にもそんな時期があったな・・と思うけど、断然今の方が自由で楽しい。白髪が増える髪の毛、顔のあちこちの小じわ、血管の浮き出た手の甲だって愛おしく思えるか卑下するかはわたし次第・・笑 ありのままの自分に合わせて、時代に合わせて心が変化する、変化できる人がステキな人なんじゃないだろうか。若さに執着するより今とちょっと先の望みを大事にする生き方をしたいな・・。

  • 贅沢

    いつも行くお花屋さんいっぱいつまった色とりどりの薔薇のショーケースをみて、エアコンの効いた店内で花は傷みやすいから躊躇してしまうけど先日はそれぞれに美しいバラに惹かれて奮発&贅沢して購入。贅沢しよう!っと決めてそれを堪能すると心がいつも以上に豊かな気持ちになれるてちょっとだけ潤う。節約を目にする機会が増えて贅沢がワルイことではないのに・・・なんとなく楽しい事が影になってる。ヒトそれぞれ贅沢の対象は違うし楽しむことはイイ事だと思う。家族中ではケチで通ってる私ただムダなこと、中途半端がイヤなだけで妥協して買うこと、あるものが重複して購入することはしない。例えば、使いかけのアイシャドウがあるのに新しいものを買う事はない笑。一時的な気分やノリでも買わなくなった。最近は好奇心や探求のためにお金をつかっているかもしれない。活けたバラや植物を眺めるだけで気分がいい。。。贅沢って高いモノということではないような気がしてる。贅沢がなんなのか?そして、満喫したり堪能したりすることは身近にあると思う。お洋服やオシャレが好きな人は身近で生活の一部を楽しんでいると私は感じてる。いろんなタイプのオシャレがあって価値観や好きがある、他人基準のオシャレの時代ではなくてこれからは個個が生活で楽しんで過ごせたり快適にすごせる服がオシャレに通じてくると感じてる。

  • 巣立ち

    偶然 目にした鳥の巣(どうやらヒヨドリのヒナようで)ピヨピヨ鳴いていた・・。あれから2週間後に無事育っているのかなーーっと覗いてみたらもう姿はなかった。目のつくところだっただけに外敵を心配していて、ググってみるとヒヨドリは10日~2週間で巣立つとのこと早すぎて驚いた!人間の巣立つ時期があやふやなのにたった10日で空に飛び立つ鳥。人間の一人前や自立というのが最近は遅く遅くなってきている気がする。選挙権は18歳からだけど自立とは別物で違う。自立ということ、真の大人という人を考えたりしてる。調べてみると十分に成長したい人。考え方や態度が十分に成熟している事、思慮分別があること。子供という表現の対比。もう年齢的に大人であっても感覚はあまり昔と変わってない笑。大人というキーワードよりもどんな人物かどんな人柄かどんな人格なのかって事を考える。覚悟、決意、責任を取るという事が大いにその方の歩みで起こったことが多い人ほど素敵な気がするる。人間は身の回りにある全てのものが知らない誰かの人の手で作られたもの。目に入る陶器のマグ、スマホ、手帳に、イラストのカードにハンドクリームなどなど、唯一海で拾った貝は自然からの恵み。ぜーんぶ全部自分では何一つ作れないで生きていられる・・人の助けで今があり有難く感謝しかない。なんなら地球や太陽、自然の恵みから・・。何一つできない自分の非力さと何もできない無力を知る。10日で巣立つ鳥からするとあざ笑いされてもいい人間の様な気がしてる。

  • kyo-sei

    インビザラインという透明マウスピース22時間を私の場合は21週する1週間ごとに取り変えていて昨日で15 / 21残り2ヶ月もない。。以前のブラケット(金具の)治療とは違いほとんど歯医者への通院もなくなっている。私の矯正もクライマックスになってきている。笑 矯正初めてマル6年過ぎその間、先を長く長くながーーく感じていたけど今振り返ればほとんどのことを忘れてる 笑。違和感伴うけどいつの間にか慣れての繰り返しの生活。スグにガラッと変わる事はないけれど、徐々に徐々にいつのまにか変わっていっていた。時間をかければ変化はするし変化できることは身の回りに沢山ある。コツコツ毎日毎日。お客様の肌の美しい人は日々気をつけて何かをされていらっしゃるし、プロポーションのいい方も日々小まめに何かをされている。意識すること。意識することって無関心ではないという事がその方の生き方やその方らしさになっているからより美しいと感じる。何もしてなくて綺麗だったり美しいというのはあまりないんじゃないかなって。何かをコツコツするってことが生きることなんだと思う。ラクしてや近道しての得るものって少ないんじゃないかな。。。40代になってからの超遅い矯正もっと早くにしておけばよかったな・・後から気づく私の性分だから仕方ないかぁ・・笑。気付きを与えてくれる方や機会に感謝。そろそろ気づきやヒントをさしだせるような大人の女性になりたい。

  • 前まではポツポツと思いのまま、気ままにここに書いていたけれど最近は手が進まなくなってきている。始めひとりごとで気ままに書けていたけど、年のせいか・・難しく捉えすぎてるせいか・・固く考えすぎてるせいか・・文字が進まなくなっている。今さらながら言葉選びの難しさ、伝える、聞き手の受け止め方 を様々思考するからかもしれない。ある方にコミュニケーション能力をつけるには?と尋ねたところ、言葉に頼りすぎるところがあるし、言葉にしなくてもいいコミュニケーションもあるよね と。その方は尊敬する同級生。ただ生まれた年が同じというだけの共通点で実績と知識のある男性。彼は営業などの経験はあるけどおしゃべりでもなく無駄口もおべっかも言わない。ロジックに考える、物事の感点や感性もいいから言葉少ないのにバツグンの表現力がある。言葉少ないのに素晴らしい表現力、寡黙なタイプなのに問いかける言葉もアドバイスも上手なのだ。言葉選びのセンスがいい。年を重ねていくにつれドンドン引き離されていくのを感じてたじろぐこともあって、自分がなんだかなぁって自分を失うけど・・・自分は自分で。。目の前のこと、毎日コツコツと日々やっていくしかない。人と比べて自分を評価したり自分の価値を自覚するのはナンセンス。ただただ素直に人の素晴らしい所をドンドン観察して発見して吸収して真似してやってみるしかない。人間社会のエチケットやマナーやルール、モラルはしっかり身につけてからの事、基礎的な事すっ飛ばして素敵な言葉遣いも言葉選びもできない。表層のいい人、見た目だけのオシャレな人の年頃は終わった気がしてる。

  • HIKARI

    毎年 この時期の私事の恒例になっている蛍・・20時頃になるとふんわりポツポツと点灯し始めるヒカリがなくて、見れないんじゃないかと思ったぐらいだった。。今年は桜や藤の花、ツツジなどの開花が早かったように1週間以上ホタルも早かったようで出かけた時はピークとっくに過ぎ光の量はごくごく少なかった。飛んでる光も弱く感じたのも気のせいではないような・・真っ暗な山間の上流の川で光を眺めていると肉眼で見えない個体だけど光ることでそこには生命の存在とそのものの光る命をじーーんと感じてしまう。ひっそりと消えては光る様子をハカナゲに眺め何かとダブらせてしまうのは私も50近くなったからなのだろう・・笑 若い頃にも見えていた寺院や城跡がこっちの見方が変わると違ってみえてくるようになる。。残念ながら私の経験と体験と感情や気持ちからみえているものしか私は見えていない。誰もが一人一人自分基準でしか見ていないという事に気がつけば、もう少し気がつける。器の大きい人、余裕のある人というのはもっと広くもっと深くもっと奥まで気がつき見えているのだろうと感じる。自分の限られている視覚範囲と表面だけで見えてるものだけにを元にいてはいけないなと、深く本質をミエテナイ部分を見るようにと心がけている。例えば、目で見えてる価格表示(安価高価)だけじゃない理由や背景や多くの人が関わっていることが見えなくて隠れている。機械で大量生産されたものにも。視覚だけに頼らず生きていけるようになりたい。

  • 千差万別

    毎月東京に行きはじめて半年以上経つ、マスクをしている人そうじゃない人もいてそれぞれで何も思わなくなった。まったく気にならない。人間の関心興味の先って時期と気分でとっても変わる事がオモシロイなぁって自分で自分を思う。友人から薦められ本を読む(日ごろ目にしないジャンル)そういうのもあるんだなーって感じる。そういうものが ひとつある という事を知り、良し悪し判断もできないほどだから「へーーほーー」ってただそれだけ。今の社会は誰かが決めた判断で世の中が回ってる、正しい間違い、良し悪し、敵味方、病名、ハヤリ等どっちかにする癖や決める事が多いかもしれない。どっちでもいいグレーでいいものもいっぱいある気がしてる。本人次第・・って大勢の人を見ているとそう思う。なぜそう思うかって・・満員電車全員知らない他人なのだもの。笑  大勢の人の中にいると個という自分をヒシヒシ感じる。周りが言ってるの周りはいったい誰なのだろう??と理解しておく必要がある。お店に入り感じよく接遇してくださるととても有難いって感じる。良い接客の素晴らしさを感じ私もそうなりたいなって再確認。ギャラリーのようなかっこいいお店や名の知れたブランド物を扱うお店がいっぱいある、お店を離れ2.3日ぶりにお店を客観視するともう少しクールな洗練されたお店の雰囲気づくりも必要だなぁっとフリカエル。悪く言えばごちゃまぜ、よく言えば多種多彩にセレクトされてるお店はなかった気がする(笑) 来客してくださる方の雰囲気も好みも千差万別のようにその来客者本人軸でアイテムが揃うから・・オシャレも一つの意識の現われで価値観のひとつと思う。周りになにか言われることじゃない。だから選択する買うという事は真剣に妥協しないほうがいい。。

  • 審美眼

    声がカスレての接客からようやく普段の声にやっと戻ってきた・・。私の声を好きになれない・笑 だからといってどうしようもできないこともわかってるから、ステキな人の話し方や表現やトーンは真似したり話すコトバ遣いやスピードは自分で気をつけたりしてる・・ついヒートアップしてコントロールを失ってしまってしまうこともあるのもわかっている(-_-;)。四六時中気をつけたいもののひとつ。SNSで「映え」「インパクト」「一瞬でわかる」などの見た目ばかりを重視するのはどうなのだろう?見た目を気にするなら、食事の食べ方、箸の持ち方、文字や鉛筆の持ち方、歩く姿勢など一切気にならないのはなんでなのだろう??服装と化粧と髪型・・たったそれだけで可愛い&綺麗っていうのが不思議でたまらない。審美眼っていう言葉もほとんど使わなくなってしまった。時ともに美しいの基準がブレるのとズレるのは仕方ない。ただ見た目だけの可愛いさや美しいってものだけにとらわれてしまう年頃があったけど、いくつになっても自己判断や見た目の表面的なもので判断するのはちょっと幼稚のような気がする。それだけ私が理屈っぽいオバサンになった私のあがきと屁理屈なのだろうか。笑 美しいというのはAIがドンドン進化しても定義されにくいものではないだろうかって思ってしまう。美しいもの、綺麗なものって人間が感じとるものであるはず。せっかくなら女性男性とか問わず・・美しいものや綺麗なものを感じる、ステキって感じるものは個人の成熟度のようなところもある気がする。ちっこい、些細な違いがわかるって素敵な感性だと思う。AIはどう判断するのだろう?ルールも定義もあるようでないのがオシャレの楽しみでもある気がしてる。

  • 洗練・・

    洗練された方にお会いするとつくづく私の言葉遣いが理屈っぽく長ったらしいもので幼稚であることをしみじみと感じてしまう。相手に合せわかりやすく丁寧にピントのあった芯の付く言葉がとても素敵・・惚れ惚れする。私は無学だからか発せられる言葉フェチなのかもしれない。「正に!!」というような表現をされるとホントそうだーーって一発でヤラレテしまう威力ある一言が名言=明言(明るくなれる、クリアになれる言葉で有難い)だ。突き放すわけでもなく冷たいわけでもなく真実身のある言葉で表現される。言葉にその方の人の見る目と知性と経験を感じてしまう。わたしもそういう人になりたいなーー究極のコミュニケーション。この歳で憧れができた・・死ぬまで身につけることはできないかもしれない・・永遠の憧れってあっていい。ちょっとでも近づけるようになれるように日進月歩。なんでも素敵、美しい、かっこいい、綺麗、って憧れが一歩のような気がする。自分自身をよく知っているから自分には合わないとか、不向きとか、できないとか潔く身をひく=諦めることができることも大人のふるまいのひとつ。。できない事にしがみつくよりもできる事をするがいい・・コツコツ。何をどうしたらそんな達人級の言語を使えるのかわからないけれど・・ずっとずっと憧れつづけるだろうなーー。。

  • 洗練

    超カッコイイ、シビレルCOOLな人と会った。東京出張の度に、お店1店舗運営経営してるだけの田舎者のこんな私がです・・元上場企業のオーナー経営者の方、超富裕層の方、国外拠点でいらっしゃる方とお話できる機会があることつくづく心から感謝。とても紳士的でユーモアもありどの方も自分なりの哲学があるのが印象的。そんなときちょっと前の私だったらたじろぎドギマギしてビビッてただ萎縮しているだけだったはず・・50目前でせっかくのチャンスはそうそうないから・・経験少なく無知無学も重々承知だから真摯に謙虚にこのビッグチャンスを得ようとアグレッシブに経験豊富な方の器と懐にダイブする。素直な気持ちで質問していると貴重な生の言葉でアドバイスや人生観を聴くことが有難く頂けた。どの方もシンプルに言葉を使われているのが究極の特徴だった。長ったらしい理屈っぽいことはなく、そぎ落とされた言葉と奥が深い一言で表現されることが多くて、正に洗練された言葉遣いの達人ばかりだった。今までの経験&知識&知恵の凝縮から「洗練される」ってこういう事なのだ実感した。女性だと見た目ばかりにとらわれてしまうけれどそうじゃない洗練された美しさがあった。それは、思考の凝縮の言葉遣いのシャープさが美しく素敵だった。話の内容に合わせてのさりげなく使われるユーモアもセンスがよくて究極のコミュニケーションと色気を感じる。兎に角、圧倒されたけどめちゃめちゃいい時間を体験できて めいいっぱい沢山のミエナイもの吸収したのを感じてる私がいた。生きるパワースポットは厳しさと優しさ(常に冷静だから低温の情熱)醸し出す雰囲気が独特でとても魅力的な人。見た目じゃない 見えないものに惹きつけられる=洗練ってそういうものなのだとつくづく味わった。

  • URUOI

    太陽がのぞくかのぞかないかで気温が全くちがう・・知らず知らず体の負担になっているのかもしれない・・体のけだるさもそういう時もアルアルってライトにかわして自分自身をケアして過ごす。食べたいモノを食べたり気の合う人とおしゃべりしたり体を動かしたり温泉に行ったりetc. そうしていてもハートがかすりキズの痛みを感じることにふと気づく。鏡にうつる自分がさえないなー―っパッとしないなーーってそういう目で見ている私が長くずいぶん居座っていたと後で気づいた。先日、美容室にやっと行けた。念入りにシャンプーで髪を洗ってもらいカラーをしてカットしてと・・段々元気になっていく自分がいた。会話が弾んだのは勿論のこと、それ以上に綺麗になっていってる過程で自信をすこしづつ取り戻していけるのをじわーーーっと感じた。40代後半今の変化を受けいれていたのだけれどやっぱりさみしくなっているのも事実で、エネルギー量やパワー不足さらには髪の毛質、肌質、肌色、表情と・・。綺麗になっていってるってとても嬉しくなるものとめちゃめちゃ実感した。ケアしてたけどパサパサの髪全体のように毛先のダメージのように自分自身がなっていたようだ。丁寧にブローしてもらい艶やかな状態になると良いんじゃない!?って自分が明るい気持ちになれた。萎れたお花かドライフラワーから水を与えられたシャキッとした植物のようになった。私もお店でこんな体験や気持ちになれる提供できたらいいなって思った。誰かからの与えられるお水のような経験は生活の中で大事で有難い行為かもしれない、これこそプライスレス。

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