AKO’S Monologue

  • 前まではポツポツと思いのまま、気ままにここに書いていたけれど最近は手が進まなくなってきている。始めひとりごとで気ままに書けていたけど、年のせいか・・難しく捉えすぎてるせいか・・固く考えすぎてるせいか・・文字が進まなくなっている。今さらながら言葉選びの難しさ、伝える、聞き手の受け止め方 を様々思考するからかもしれない。ある方にコミュニケーション能力をつけるには?と尋ねたところ、言葉に頼りすぎるところがあるし、言葉にしなくてもいいコミュニケーションもあるよね と。その方は尊敬する同級生。ただ生まれた年が同じというだけの共通点で実績と知識のある男性。彼は営業などの経験はあるけどおしゃべりでもなく無駄口もおべっかも言わない。ロジックに考える、物事の感点や感性もいいから言葉少ないのにバツグンの表現力がある。言葉少ないのに素晴らしい表現力、寡黙なタイプなのに問いかける言葉もアドバイスも上手なのだ。言葉選びのセンスがいい。年を重ねていくにつれドンドン引き離されていくのを感じてたじろぐこともあって、自分がなんだかなぁって自分を失うけど・・・自分は自分で。。目の前のこと、毎日コツコツと日々やっていくしかない。人と比べて自分を評価したり自分の価値を自覚するのはナンセンス。ただただ素直に人の素晴らしい所をドンドン観察して発見して吸収して真似してやってみるしかない。人間社会のエチケットやマナーやルール、モラルはしっかり身につけてからの事、基礎的な事すっ飛ばして素敵な言葉遣いも言葉選びもできない。表層のいい人、見た目だけのオシャレな人の年頃は終わった気がしてる。

  • HIKARI

    毎年 この時期の私事の恒例になっている蛍・・20時頃になるとふんわりポツポツと点灯し始めるヒカリがなくて、見れないんじゃないかと思ったぐらいだった。。今年は桜や藤の花、ツツジなどの開花が早かったように1週間以上ホタルも早かったようで出かけた時はピークとっくに過ぎ光の量はごくごく少なかった。飛んでる光も弱く感じたのも気のせいではないような・・真っ暗な山間の上流の川で光を眺めていると肉眼で見えない個体だけど光ることでそこには生命の存在とそのものの光る命をじーーんと感じてしまう。ひっそりと消えては光る様子をハカナゲに眺め何かとダブらせてしまうのは私も50近くなったからなのだろう・・笑 若い頃にも見えていた寺院や城跡がこっちの見方が変わると違ってみえてくるようになる。。残念ながら私の経験と体験と感情や気持ちからみえているものしか私は見えていない。誰もが一人一人自分基準でしか見ていないという事に気がつけば、もう少し気がつける。器の大きい人、余裕のある人というのはもっと広くもっと深くもっと奥まで気がつき見えているのだろうと感じる。自分の限られている視覚範囲と表面だけで見えてるものだけにを元にいてはいけないなと、深く本質をミエテナイ部分を見るようにと心がけている。例えば、目で見えてる価格表示(安価高価)だけじゃない理由や背景や多くの人が関わっていることが見えなくて隠れている。機械で大量生産されたものにも。視覚だけに頼らず生きていけるようになりたい。

  • 千差万別

    毎月東京に行きはじめて半年以上経つ、マスクをしている人そうじゃない人もいてそれぞれで何も思わなくなった。まったく気にならない。人間の関心興味の先って時期と気分でとっても変わる事がオモシロイなぁって自分で自分を思う。友人から薦められ本を読む(日ごろ目にしないジャンル)そういうのもあるんだなーって感じる。そういうものが ひとつある という事を知り、良し悪し判断もできないほどだから「へーーほーー」ってただそれだけ。今の社会は誰かが決めた判断で世の中が回ってる、正しい間違い、良し悪し、敵味方、病名、ハヤリ等どっちかにする癖や決める事が多いかもしれない。どっちでもいいグレーでいいものもいっぱいある気がしてる。本人次第・・って大勢の人を見ているとそう思う。なぜそう思うかって・・満員電車全員知らない他人なのだもの。笑  大勢の人の中にいると個という自分をヒシヒシ感じる。周りが言ってるの周りはいったい誰なのだろう??と理解しておく必要がある。お店に入り感じよく接遇してくださるととても有難いって感じる。良い接客の素晴らしさを感じ私もそうなりたいなって再確認。ギャラリーのようなかっこいいお店や名の知れたブランド物を扱うお店がいっぱいある、お店を離れ2.3日ぶりにお店を客観視するともう少しクールな洗練されたお店の雰囲気づくりも必要だなぁっとフリカエル。悪く言えばごちゃまぜ、よく言えば多種多彩にセレクトされてるお店はなかった気がする(笑) 来客してくださる方の雰囲気も好みも千差万別のようにその来客者本人軸でアイテムが揃うから・・オシャレも一つの意識の現われで価値観のひとつと思う。周りになにか言われることじゃない。だから選択する買うという事は真剣に妥協しないほうがいい。。

  • 審美眼

    声がカスレての接客からようやく普段の声にやっと戻ってきた・・。私の声を好きになれない・笑 だからといってどうしようもできないこともわかってるから、ステキな人の話し方や表現やトーンは真似したり話すコトバ遣いやスピードは自分で気をつけたりしてる・・ついヒートアップしてコントロールを失ってしまってしまうこともあるのもわかっている(-_-;)。四六時中気をつけたいもののひとつ。SNSで「映え」「インパクト」「一瞬でわかる」などの見た目ばかりを重視するのはどうなのだろう?見た目を気にするなら、食事の食べ方、箸の持ち方、文字や鉛筆の持ち方、歩く姿勢など一切気にならないのはなんでなのだろう??服装と化粧と髪型・・たったそれだけで可愛い&綺麗っていうのが不思議でたまらない。審美眼っていう言葉もほとんど使わなくなってしまった。時ともに美しいの基準がブレるのとズレるのは仕方ない。ただ見た目だけの可愛いさや美しいってものだけにとらわれてしまう年頃があったけど、いくつになっても自己判断や見た目の表面的なもので判断するのはちょっと幼稚のような気がする。それだけ私が理屈っぽいオバサンになった私のあがきと屁理屈なのだろうか。笑 美しいというのはAIがドンドン進化しても定義されにくいものではないだろうかって思ってしまう。美しいもの、綺麗なものって人間が感じとるものであるはず。せっかくなら女性男性とか問わず・・美しいものや綺麗なものを感じる、ステキって感じるものは個人の成熟度のようなところもある気がする。ちっこい、些細な違いがわかるって素敵な感性だと思う。AIはどう判断するのだろう?ルールも定義もあるようでないのがオシャレの楽しみでもある気がしてる。

  • 洗練・・

    洗練された方にお会いするとつくづく私の言葉遣いが理屈っぽく長ったらしいもので幼稚であることをしみじみと感じてしまう。相手に合せわかりやすく丁寧にピントのあった芯の付く言葉がとても素敵・・惚れ惚れする。私は無学だからか発せられる言葉フェチなのかもしれない。「正に!!」というような表現をされるとホントそうだーーって一発でヤラレテしまう威力ある一言が名言=明言(明るくなれる、クリアになれる言葉で有難い)だ。突き放すわけでもなく冷たいわけでもなく真実身のある言葉で表現される。言葉にその方の人の見る目と知性と経験を感じてしまう。わたしもそういう人になりたいなーー究極のコミュニケーション。この歳で憧れができた・・死ぬまで身につけることはできないかもしれない・・永遠の憧れってあっていい。ちょっとでも近づけるようになれるように日進月歩。なんでも素敵、美しい、かっこいい、綺麗、って憧れが一歩のような気がする。自分自身をよく知っているから自分には合わないとか、不向きとか、できないとか潔く身をひく=諦めることができることも大人のふるまいのひとつ。。できない事にしがみつくよりもできる事をするがいい・・コツコツ。何をどうしたらそんな達人級の言語を使えるのかわからないけれど・・ずっとずっと憧れつづけるだろうなーー。。

  • 洗練

    超カッコイイ、シビレルCOOLな人と会った。東京出張の度に、お店1店舗運営経営してるだけの田舎者のこんな私がです・・元上場企業のオーナー経営者の方、超富裕層の方、国外拠点でいらっしゃる方とお話できる機会があることつくづく心から感謝。とても紳士的でユーモアもありどの方も自分なりの哲学があるのが印象的。そんなときちょっと前の私だったらたじろぎドギマギしてビビッてただ萎縮しているだけだったはず・・50目前でせっかくのチャンスはそうそうないから・・経験少なく無知無学も重々承知だから真摯に謙虚にこのビッグチャンスを得ようとアグレッシブに経験豊富な方の器と懐にダイブする。素直な気持ちで質問していると貴重な生の言葉でアドバイスや人生観を聴くことが有難く頂けた。どの方もシンプルに言葉を使われているのが究極の特徴だった。長ったらしい理屈っぽいことはなく、そぎ落とされた言葉と奥が深い一言で表現されることが多くて、正に洗練された言葉遣いの達人ばかりだった。今までの経験&知識&知恵の凝縮から「洗練される」ってこういう事なのだ実感した。女性だと見た目ばかりにとらわれてしまうけれどそうじゃない洗練された美しさがあった。それは、思考の凝縮の言葉遣いのシャープさが美しく素敵だった。話の内容に合わせてのさりげなく使われるユーモアもセンスがよくて究極のコミュニケーションと色気を感じる。兎に角、圧倒されたけどめちゃめちゃいい時間を体験できて めいいっぱい沢山のミエナイもの吸収したのを感じてる私がいた。生きるパワースポットは厳しさと優しさ(常に冷静だから低温の情熱)醸し出す雰囲気が独特でとても魅力的な人。見た目じゃない 見えないものに惹きつけられる=洗練ってそういうものなのだとつくづく味わった。

  • URUOI

    太陽がのぞくかのぞかないかで気温が全くちがう・・知らず知らず体の負担になっているのかもしれない・・体のけだるさもそういう時もアルアルってライトにかわして自分自身をケアして過ごす。食べたいモノを食べたり気の合う人とおしゃべりしたり体を動かしたり温泉に行ったりetc. そうしていてもハートがかすりキズの痛みを感じることにふと気づく。鏡にうつる自分がさえないなー―っパッとしないなーーってそういう目で見ている私が長くずいぶん居座っていたと後で気づいた。先日、美容室にやっと行けた。念入りにシャンプーで髪を洗ってもらいカラーをしてカットしてと・・段々元気になっていく自分がいた。会話が弾んだのは勿論のこと、それ以上に綺麗になっていってる過程で自信をすこしづつ取り戻していけるのをじわーーーっと感じた。40代後半今の変化を受けいれていたのだけれどやっぱりさみしくなっているのも事実で、エネルギー量やパワー不足さらには髪の毛質、肌質、肌色、表情と・・。綺麗になっていってるってとても嬉しくなるものとめちゃめちゃ実感した。ケアしてたけどパサパサの髪全体のように毛先のダメージのように自分自身がなっていたようだ。丁寧にブローしてもらい艶やかな状態になると良いんじゃない!?って自分が明るい気持ちになれた。萎れたお花かドライフラワーから水を与えられたシャキッとした植物のようになった。私もお店でこんな体験や気持ちになれる提供できたらいいなって思った。誰かからの与えられるお水のような経験は生活の中で大事で有難い行為かもしれない、これこそプライスレス。

  • 香水

    百合の花を活けて店内の香りが心地よい・・最近、香り感じると和むからアロマを焚いたり、香水をつけたりしていたりする。爽やかな空気の皐月晴れの気候だからだろう。香りで気分よく過ごすって贅沢感を感じるのはわたしだけだろうか・・笑。好みの香りもあればニガテもあったり、同じ香りでも香りの強さ(濃さ)でも違うし、朝晩の一日でも変化してシーンでも分けるもの。先日屋外で香水のキツい方がいらして気分悪くなりかけた・・当人はマヒしてるようだった・・。徐々に徐々にの香水が悪臭に・・・同じモノが日常に様々ある気がする。発する言葉(悪口、グチ、好ましくないコトバ)や態度、振る舞い(ため息)も・・。「徐々に」がエスカレートしてしまった場合と「無意識」であちこち拡散してるのだろう。決して誰も指摘してくれることはない・・だって他人事だもの。思い出せば小さい頃、いろんなところで指摘してくれる人がおじいちゃんおばあちゃんが、父母、近所に住むおばさん、通りすがりの見ず知らずのオジサン、学校の先生全員、駄菓子屋のおばちゃん 生活全般にいろんな目(見守る)と口があった。その当時は叱られ怒られてイヤな気持ちになったし、恐い存在の大人があちこちにいた子供のころ。。けど今は見過ごす目とムダグチなのかもしれない。恐い存在の大人は消滅したかもしれない。その代わり媚びをうる大人が蔓延してるかもしれない。明日は端午の節句=子供の日。いつから大人になるのだろう?ふんわりあまーーい香りだけの人でない、百合の花のような、バラの花のような、香りのような言葉や所作、振る舞いのできような人になりたい。

  • 意識的支出

    今日、目にしていいなーーーって思ったことがあったので抜粋させてもらってる。それは、本の紹介で「好きなものには惜しみなくお金を使いそうでないモノには容赦なく節約しよう。本書は節約のためにカフェラテを外で買わないよう勧める類の本ではない。好きでもない、くだらないものに対して節約することで、好きなものにもっとお金を使おうと勧める本だ。」となっていた。優先順位をもっと明確にすれば、もっと経済的に自由になれると・・。意識的支出ともあった・・・。ファッションやオシャレが好きな私は20代は化粧品、エステ、食事する場所、出かけることなど全般的いいとこ取りしようとして支出は赤字続きだった。今は意識的支出になっていると思う。中途半端なことは一切しない。0か100かぐらいにかなり偏っていて私自身それでいいと思っている。だから、お客様にもお洋服選びに迷われたらじっくり考えてもらいたいし、機会や出番が少ない服や着ることに躊躇しそうになる服は選ばないでいいと思っている。タンスの肥やしになる服はなるべく減らしてもらいたい。オシャレ心&女心&美意識があれば気分や気候や天候やシーンで着たい服のタイプも変わるのは当然のこと。こんな新緑の季節は気持ち良く爽やかにオシャレもしたくなるし、寒くなればほっこりする温かい服が着たくなるのも必然、誰もそうだと思う。だからこそ、お気に入りと出逢えるようにしてあげたいと・・・そして、出番の多いものや色違いや2代目が欲しくなるモノを紹介してお気に入りに囲まれたライフスタイルのお手伝いができればいいなと思う。。

  • minaosu・・

    本を読んだことが身になっていればもう少し何かが変わっていたんじゃないかな??って。人間コミュニケーションは言葉=話す力=表現力=伝える力=聞く力しかできない。ほんとに50年近く経っても流暢に日本語を遣えない。遣えない(=気、心を、工夫してつかう事)らしい。(工夫=あれこれ考え、良い方法を得ようとすること、また、その考えついたうまい方法)らしい。一度読んでスンナリ頭にインプットできたらもっと世界は違って見えたはずだろうし、アウトプットできてバージョンアップも掛け算でできたに違いないだろうと想像する。だけど、頭じゃ理解っていたとしても×心×身体が必要。何度も何度も刷り込んでやっと身につくこともあるだろう。というよりも何度何度もするから身につくはず。天才という人たちは、何よりもどんなことよりもそのことに考え続け、時間をかけてきた人。昨夜TVで新体操の内村航平さんが出演で何も考えなくてもできるぐらい体が覚えるまですると、食事するときに箸の使い方を考える人はいないと思うそのぐらいになるまで・・だそうだ!そして、三度失敗してできないことはすぐに諦めると言われ潔いぐらいアッサリの判断する。凡人の私を自分がよく知ってるから何度でも繰り返し読むことがあってもしょうがない。一度読んだ本もまた読んでなにか感じてまた忘れてまた読んで・・笑 服だってそうだなぜか惹かれるものトキメクものはそう大して変わらないけどやっぱり好きなものはすきでトキメク。服が好きなんだものってことでここは諦めるしかない。。笑

  • minaosu

    本棚の本を久しぶりに整理して見直してみた・・・。一度読んでいるはずなのに初めて出会うようなものがあって、全くと言っていいほど身になっていない。。汗 とても残念すぎること、一度目を通すと頭にインプットされる頭脳が欲しかった・・と切実に想う。薄っすらでも思い出せればいいけれど、そうじゃないモノもあるし、表紙を見ただけでこの本は確かお気に入りだったと思っていた本とだけは残っているけど、スラスラ内容や一文が言えるはずもない。何でも理解したつもりでいてもそうじゃないモノばかりだ。たまに、本の一部を抜粋して書き留めていたりするけれどこれまたどこにメモしたのかもわからずで行方不明になってしまう。中学1年で頭脳の違い、脳のデキ(脳の創り)の違いを知った私。一度読んだら理解できると言った彼女は、どうしてわからないのかが不思議そうだった口調は衝撃だった。彼女には彼女しか見えない景色がある、私には私しか見えない、十人十色で同じように見えていても実は違うのだと理解しているつもりだけど、私の思考の癖でしか捉えない事、思い込みや視覚でしか感じとることしかできなくなっているものがどんどん狭まっていくような気がしてる。年と共に仕方ないことなのか?実は年と共に寛大になっていったり、寛容でいたいし穏やかにもっと広い考え方となりたいと思った。知性は大事で最近の日本の教育が知性なのか?頭脳なのか?そもそも勉強とは何なのだろうか?ってフト思うことがある。本棚には読んだはずの本が沢山あるけれど身になっていない私がいうのもなんだけど。。。笑

  • 自分

    歩けばご高齢の方をたくさん見かける人口の半分が50歳以上の国日本だもんね。。ってつくづく実感する。年齢で判断してしまうこの私の色眼鏡もどうかと思う・・この一日の朝昼晩の気温差に加え一日単位で天候気温が変わる毎日。。人間のカラダが日々一定ではない事をしみじみ感じるこの4月。お店のある近所の年2度ほど植木屋さんが来られ庭木の手入れをされていた閑静なお家が更地になった・・。満開になりかけていたピンクのつつじの大きな木もモクレンも松もあとかたなく。町の風景も様子も少しずつ変わってきている。さみしさはあるけれど、新しいモノを受け入れ変わっていくものを変わっていると感じていれば外側も内側も新陳代謝が同時に起きてると思う。いろんな方と話をしていて様々な価値観を持ち、自分の合うコミュニティをそれぞれに持っていることを感じる。程よく自分らしさを持っていないと外側の変化に振り回されてしまうような気がする。多くの方と接しリーダーシップをとっているお客様が、本物か偽物か見極めるのは実際に触れて経験を積んでいくしかないと。。コミュニケーションも沢山いろんな方ととって考えたり失敗して経験してその都度いろいろ感じての経験値から自分に合う合わないがあるような気がする。やっぱりそこで自分というのを知り、自分の心地よい感性というものをおかなきゃだわ。オシャレもコミュニティも環境も同じ気がする。

  • POWER モーニング

    ソフトな話し方でふんわりした雰囲気のスカディのデザイナー兼社長、同世代で働く女性同士で好感もあるかたなので「迷惑かな?」って思いつつもちょっと聴いてみたいこともあったのでせっかく福岡にいらしてるからと誘ってみた。「よろしければ一緒にパワーモーニングしませんか?」と送信。運動、ジムでも行くのかな?なんて想像されたみたい・・笑。以前、誰かに聞いたのか、出張先で朝の時間を活用して出かけていたこともあったのでその時に名付けたのか忘れてしまった。勝手に共通言語かしていた。。A.M 8:00に待ち合わせて朝食を食べながらいろいろ話をした。コロナを機に夜よりも朝型になって早寝早起きて朝の活動の有意義さもある。朝元気になれるエネルギーチャージして一日を送るのもいいのなって思う。早起きは3文の得・・笑 きっとこれから少しブームが起きるかもしれない。なんて・・笑。ただ誘える方の生活リズムやタイプがあるからそこはしっかりリサーチが必要で相手を選ぶ事になりそう。会ってコミュニケーションをとるのはやっぱりいい。話しながら相手に伝えようと自分自身でも気づかなかった思いや考えがカタチになる。ヒントもあるしちょっと視野も変えられるからいい。福岡で土鍋で焚くご飯と鯖で和朝食でスーツ姿男性4人組、クリエイターっぽい男性4人組、カップル2組と私たちと様々な方方がパワーモーニングしていた。きっと充実した一日になるはず。時間の使い方も人それぞれ・・・。時間の使い方も新しい時代になった気がする。。  

  • 小旅行

    はじめての経験というのはワクワク&ドキドキするもの。私はやっぱり旅行は好きだ。訪れたことのない場所の雰囲気というのは新しいモノをめいいっぱい吸収できるから・・。春夏1週間だけ公開のお庭と建物だと雑誌で見ていってみたいな・・っと ひと月前から計画立てて訪れた。写真で見るより10倍は素晴らしく期待以上に素敵だった。笑 自分の視線で見るから感じとる細かな箇所も全体もよく感じる音と空気と気配。今回そんなに古くない昭和19年&30年代の建物で古さは感じない凛として洗練された佇まいがとても気持よかった。こんなお家に住んでいたら最高に気分いいだろうなーーって憧れた。今回プランお任せでちょっと背伸びした空間でアフタヌーンティーや店主こだわりの一点一点のアンティークショップになにか「洗練」というヒントがあったような気がする。日常から少し背伸びする経験はほんとイイものだ・・50間近で十分大人なのにお恥ずかしながら異空間というのはメタバースより楽しい笑 ちょっぴり我ながら成長した気がする まるで初めて化粧してもらった時のような変身のような・・笑。思いきってお誘いしてみてよかった。自分だとチョイスしない訪れない場所を行くというのはドキドキの緊張感もまたいい。異空間を楽しむことを久しぶりに感じた。わたしもお店でお客様にとって馴染ある落ち着く+心地いい空間とちょっとワクワクのあるお洋服との出会いが楽しいを提供できるところでありたいな・・って改めて思いました。

  • 予想図

    お店に生花を飾り続けていつも思う・・同じときに買っているのに枯れるお花と枯れないお花の時差があること・・・なんでだろう?って不思議に思う。元の個体それぞれの生命力なのだろうか なぜだろう?人も元々遺伝的、家系的にというのがあるのもわかる。左右見比べると明らかに差があって私の右手はシワシワだ。先日の団子のように腫れたのが原因はよく理解してる。笑。何が起きて何があって何をしたか経歴の違いが年々顕著になる。3階ラウンジでマネーリテラシーを始めたのも、私自身枯れかけた生花の様になりはじめている・・3週間ほぼ通院して、介護士さんに付き添われている方を沢山見てきた。いつかこうなるのだろうか・・?介護される生活を送りたくないと強く思っていてもこの先どうなるかわからない。意思や願いや希望だけでどうにかなるものでもないけれど、今予防や備え準備はできたりするもの。自分の60代と70代・・人生100年時代と言われてそんなに長く生きたくなくてもどうなるかわからない先。もっとずっと先のように思ってしまっているけど準備や備えは早ければいい所はあるはず。。時間に限りがある事は事実、今のまま永遠に続くわけではない危機感を感じなくなってしまっては生命力は弱まってしまうもの。過保護の中のような状況はいつまでもつづかない危機感を持ってる人と持っていない人、どうしたいか?どうなりたいか?どうありたい?私自身プランニングしてる。そうしたら今はもっと大事でもっと貴重になってきてる。

  • 一進一退

    季節は少しずつ温かい方へ進みはじめていて・・今年は花冷えはあるのだろうか?いつもだともうすこしだけ季節が戻ることもあるけど。この春はこのまま温かいままだろうか?手の傷もずいぶんと落ち着いてきたのだけれど腫れがひいたりまた腫れたりで一進一退を繰り返している・・、この時期は花粉症や黄砂や一日の気温差もあって車中は暑く感じるけど、夕暮れを迎えるころには気温はみるみるうちに下がって寒く感じるもの。。気候に馴染めず身体も驚いていることだろう。。。手の様子を観察してると、以前はよく耳にしたコトバ 揺らぎ世代 も・・人間も生き物だということを常々感じてしまう。それもとても繊細な生き物と・・笑 気持ちと事実のギャップは埋まらないままでいたりするのか自分だけがタフだと思い込んでいたようで、24時間ほぼカットバンを張っているとかぶれて皮膚がタダレテしまったり、皮膚も腫れがひいてきたと思ったら今度はパンパンに腫れて伸びてしまった皮膚がシワシワになってて 明らかに左右でしわの量と深さが違う・日々コンディションで痛みも違う日々・・泣き笑 カラダのバイ菌と戦うためにも免疫アップといつもよりも量大目に食事する毎日、免疫生活ってホント生き物の自分のカラダと向き合うこと。たまたまケガして拗らせて目の入る手でよく使う右手だけにチョクチョク観察される。デリケートなモノ言わない身体を労わり意識を自分のカラダにちょっと意識を向けることはオモシロイ。桜咲きいい陽気で気分イイけどナイーブな身体は慌ただしい様だから、皆さま体調に十分お気をつけてくださいませ。 

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