審美眼
声がカスレての接客からようやく普段の声にやっと戻ってきた・・。私の声を好きになれない・笑 だからといってどうしようもできないこともわかってるから、ステキな人の話し方や表現やトーンは真似したり話すコトバ遣いやスピードは自分で気をつけたりしてる・・ついヒートアップしてコントロールを失ってしまってしまうこともあるのもわかっている(-_-;)。四六時中気をつけたいもののひとつ。SNSで「映え」「インパクト」「一瞬でわかる」などの見た目ばかりを重視するのはどうなのだろう?見た目を気にするなら、食事の食べ方、箸の持ち方、文字や鉛筆の持ち方、歩く姿勢など一切気にならないのはなんでなのだろう??服装と化粧と髪型・・たったそれだけで可愛い&綺麗っていうのが不思議でたまらない。審美眼っていう言葉もほとんど使わなくなってしまった。時ともに美しいの基準がブレるのとズレるのは仕方ない。ただ見た目だけの可愛いさや美しいってものだけにとらわれてしまう年頃があったけど、いくつになっても自己判断や見た目の表面的なもので判断するのはちょっと幼稚のような気がする。それだけ私が理屈っぽいオバサンになった私のあがきと屁理屈なのだろうか。笑 美しいというのはAIがドンドン進化しても定義されにくいものではないだろうかって思ってしまう。美しいもの、綺麗なものって人間が感じとるものであるはず。せっかくなら女性男性とか問わず・・美しいものや綺麗なものを感じる、ステキって感じるものは個人の成熟度のようなところもある気がする。ちっこい、些細な違いがわかるって素敵な感性だと思う。AIはどう判断するのだろう?ルールも定義もあるようでないのがオシャレの楽しみでもある気がしてる。