AKO’S Monologue

  • 探・・

    自分を大事にすることは自分を誰より何より最優先することじゃないと思うんだけどなーー。自分を大事の仕方って人それぞれで違っていて当然・・私の場合は生活を丁寧に送る、時間を浪費したくない、ムリしすぎないという所かなぁ。自分を大事にすることは、自分の大切にしたいことが明確にある事。自分の大切にしたいことがわからなければ例えば、健康大事と思えば日常生活から意識して行動となってでてくると思う。意識するって生活ではスゴイ力を発揮する。誕生日近づくとオロオロ&ジタバタするのは毎年のこと~笑 年重ねる怖さよりいい意味変化していないんじゃないかと目先追って何か動こうとする。変化してないように勘違いしてるだけでいつもこういう時ライフライン思い起こす。電気や水道が常に当前のように使えることできて不自由ない毎日も誰かが注意払いメンテナンスしてくれているお陰。ガソリンだってマラッカ海峡渡りタンカー輸送されているお陰。目に留まらず気にもしなかったことが意識のおき方でずいぶん様変わりする。意識のアンテナがあちこち有り考察できる人にホント憧れ、こういう方と接するだけで目下クマが気になる私とスケールが違いすぎるけど一気に広がる世界観。世界もどのように見るかだ場所変えてみるのもいいけど私の見方を変えただけで私の中は変身してる。心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる byウィリアムジェームズ 心も意識や思考ともいえるから私次第だなぁーー へーーーンジン。

  • ふと自分探しって実は自分では見つけられないことなんじゃないかなって思った・・自分で自分探ししても見つからないはず。自分が人との関わりの中で自分という存在が育まれ形成されていくんだと実感した。自分でもうまく表現できず伝えることがおぼつかなかなくてもちゃんとそこを温かくくんでくれる人がいてくれるから、自分の個性やキャラクターや存在することまでができていくんだなぁ~~とっ。長い付き合いの中でいつもそっと見守り感知してくれる人がいてくれるってホント有難いこと。日々、多くの方と接すると恥ずかしがり、言葉数少なさ、真面目さ、慎重さ、ユーモアさ、好奇心、遊び心、表現下手、芯の強さ、優しさを感じるからその方の個性とキャラクターができてくる。プライベートや仕事関係なくどんなときも人との関わりで自分が形成されている。一期一会だとしてもその方の印象は一瞬で写真のように収められるそれが本人の意思に関係ないにしても・・。自己解釈の自己分析の自己認識はわずかな自分のほんの一部でしかないに思う、どんな時も人が感じる私の一部で結局は自分になるのだから~。私も接してた方の感じとった印象が私のようだ。強がらず弱さも寂しさも自信もなくすこともたまにあるのが私で過大過少もせず完璧な人はいないから、接客中意外って言われることがたまにある。私も知らない私のキャラクターがあるようだ。笑 いくら言葉だけで寄り添い理解してくれてる風のAIでも現実生活で私好みの味、音楽、服、髪型、場所を知っている訳じゃない。なんなら言葉にできない思いや気持ちや様子をくんでくれるのが仲というもの。私好みやキライ、ニガテ、スムーズにできること=得意はその人の特徴をよく表わす。好き嫌いは良悪じゃなくあって当然のものそれが個性。その好き嫌い露骨にだすその振る舞いが自分キャラクター形成することを忘れちゃいけない。

  • 建造物

    だまされないようにしようとすれば、相手を疑い信用しないことだけで守りになるのだろうか?知識をキチンと身につけることがとても大事なのだろう。無知だとどこから手をつけていいかわからないし、簡単にすぐに身につけたくなるのも事実、簡単に直ぐに身に付くものってそもそもあるのかな?長年携わっていても学ぶことがほとんどだと思う。その知識の源がズレはじめるとどんどんズレは悪化し元が誰も分からない状態になると抜本的にチェンジが必要・・が今のような気がしてる。多様化というもので根本を失いつつある日本。変遷するけど変わらず残す大事さもあると思う。それが正しい正しくないとか、必要必要ないとかそういう単純な基準じゃなくて、全域視野と長いズパンから今を見て行動する。通勤電車で旧帝国ホテルを背景に唯一残った鹿鳴館の美しい一脚の写真は名古屋の明治村の吊り広告。一度残暑厳しく広大な敷地はほぼ巡れずまま退散した今のような散策向きの時季にゆっくりじっくりまた訪れたい。様々なタイプの建造物が移築されていてなぜか知らないはず当時の様子を感じれて楽しかった。当時最大の鉄橋は無骨な作りでカッコよかった、遠くから何だろう?って想像できない建物は牢屋はなんっとも言えない屋根あるぐらいで四方風通す、自由に出入りできる房に入ったけど人権なんて全くない罪の重圧がそこにあった。叱られること注意されること指摘されることって過ちに気づく向上の助けや温もる思いの一部、叱る注意する指摘するがストレスのはけ口八つ当たりとは違うもの。一瞬の感情に支配され私情を露骨に態度や口にするのはどうかと思う。何も言わない建造物でも伝え伝わるものがあるそれが威厳かもしれない。コミュニケーションツールは言葉だけじゃない。

  • KYO

    驚愕のことがおきた!! 気づかないふりしていたけどやっぱり毎日鏡面に映るよりも写真の私は恐ろしく別人だった。 泣きがはいるよりも自分の知らない私をイヤというほど知る事になった・・まるで自らの火で焦げるような痛み改めて神妙になり謙虚にもなれるのだった。悲しみよりも脱力感になり、諦めよりも今できる事を改善はしなくとも転げ落ちるスピードを緩やかにしたいと思うのだった。私が私をキチンとフィルターなく認識した免許の更新写真。 撮り変えたいけれど戒めにひっそり忍ばせ持つことにした。決して誰にも見せることが無いようにいい意味で安全運転が心がけられる。 しかし、人間の視覚⇒認識の仕方はホント好都合に自分都合にできてるものだな~見たくないところは見ないようにして気づかないようにぼかしが入って認識がスッポリ無くなっている。直視してキチンと向き合う勇気もないからかもしれない。笑  社会学者が現実を直視すると痛みが伴うからフェイクニュースやあまり意味のないことが話題になり拡散され、真実は広がりにくいと言われていた。小さくコンパクトにいると些細なことが気になるどっちかに偏ってはバランスが悪い、バランス感覚を失わないようにいたい。大雑把のザルの目だとダメージもクレーター級のショックになってしまう自業自得。早いうちに手を打つのもいいのだろうけど・・性格も環境もあってタイミングもあるものだ。バランス&タイミングも各人なのだ、お洋服だっておおよそのバランスはあるけれど、気分やアイテムを着る合わせるタイミングによって常に変化している。この三寒四温の気候では何を着ていいかわからないけど あくまでも体感温度やTPOがあるので臨機応変に柔軟に変化に合わせてお洋服を着て(自分基準がベスト)今日一日を楽しくいるがいいかもしれない。 

  • こだわり

    シンギュラリティ起きるこれからどう生きていくか?ってずっと考えていた。アナログの大切さやっぱりやっぱり感じる。今日久しぶりお茶稽古で大切に守っていく情緒や風情やおもてなしを改めて思う。情緒や風情、季節、交流、お道具掛け軸にお点前、お炭の火付きに香り。物質だけじゃない空気や雰囲気や音や香り見えないひとつひとつを感じる(実感)のオモシロさ。お茶の風味もお茶屋さん(お詰め)ごとに、こだわりと秘伝が受け継がれているから全く違うモノになっている。こだわりってそれだけ真剣の表れ。私もお客様のこだわりに応えたいから展示会や買付けにも行くしセンスアップ&スキルアップするように学ぶ所を持つ。自分に妥協するよりチャレンジャーでいたい笑伸びしろはもっていたい笑が 私のこだわりなのかもしれない笑。 開業の際自分で決めたこといくつかあってそれは些細なことを続けている。自分が決め判断選択することって大切な尊厳、なんとなくって流され~周りが~みんなが~チャッピーが~っていうのは危険すぎる。頭の理論理屈じゃない感覚や直観ただ惹かれる好きっのシンプルがいいことも沢山ある。トライ&エラー繰り返すから段々コツをつかみ上達していくそれはスポーツに限らず日常の行いにもいえること。トライしようと決める前の情報収集学び間違っていたことから学び改善、間違い=失敗ではなくて修正力だと思う。 軌道修正の社会の軌道自体が徐々に転換するなかで個人の軌道は個人個人次第でマダ決められる時期だと思っている。「センスとは圧倒的な経験値がもたらす超高速な論理的思考 」ってメモしていた・・・なるほどね~~歳月重ねた分何かは身についてるそれがこだわりなのかもしれない。

  • リンリン・・

    時代の変わり目に生きていることをとても感じている。誰かが微かな所で変化しているから誰もその渦中にいると気づかないと・・。以前書いたことがあるかもしれないけれど、天空の城ラピュタ の少女シータが言った言葉が印象的だ。「土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を超え、鳥と共に春を歌おう」人間はどれほど科学技術や兵器で力でコジしても自然に生かされており自然なしには生きられないというメッセージ。を思い浮かべる。そして、こんなにも進化しているように感じる現代でも雨を避けるのは傘なのだ。。笑 私は結局人間は自然に生かされているし弱い物だと傘をさす時にたまにクスっと笑う。謙虚さってなくすと驕りでしかなくなる。謙虚って言葉は今日本人の中にあるのかないのかなって?私にもあるかどうかっていうと正直無かった時期もあったと反省する。ただ、今はいろんな方がいてくださるから生活も送れているし、協力してもらえるからと心から言えるようになった。失う危機があると有る事に気づかされる。もうすぐお彼岸、祖父祖母は思い出す記憶あるけど、その祖父母の両親となると全くわからず全然知らない人レベル。祖父母は戦争で大きく変わった人生送っていたことは薄っすら記憶にある、その前世代がどんな人生かも知らないまま生活を送れている今。今を今で大切に味わい感じることを強く思う。今現在の人と比べるよりももっと前の世代の生きた時代の人と比べたら相当幸せで有難い。あんまり時代変わっても人間の弱さは変化してないはず、何なら若くても幼くても人思いやる気持ちはあっただろう。支えた助けあえることも年齢関係なくあったと思う。強がる必要もあっただろうけど、今は弱さや本音ポロリの心のシェルターみたいなところがあるかどうかでありのままいれるかどうか・・そのシェルターがスマホなのか?人間なのか?の二極になりつつのような気がする。

  • リンリン

    凜とした私のイメージって濁っておらず澄んでいて、芯があって媚びておらず、固く力んでおらずしなやかさもある感じで人柄の雰囲気表わしてるなぁと思う。そういえば、服に限らず何でもかんでもかわいい~ぃで済まし片ついていた時期があった。今は耳にする機会があまりない。口にする言葉もとても流行があるものだなと思う。「インスタ映え」も終盤を感じつつある、画面だけじゃわからないニュースや映像、オンラインの物事。ショッピングでイメージと違うモノが届き、フェイクニュースなのかさえ真偽できない、人工知能AIが物凄く進化していて何を選ぶか?何を元に信じるか?ってなるとどう生きるか?非常に難しなって危機感を抱いている。チャットGPT・AIに相談する人増殖を耳にする。例えばAIが、AIの作成文を参考に上書き上書きして作っているそうな・・昔あった伝言ゲームを思い浮かべる。最初と結末が全く違ってゲーム遊びだから笑ってお終いできたけど現実生活にそれが起こるとどうなっちゃうんだろう?って想像する。誰しもがより良くを目指す手段にするならいいけど、そうじゃない方へ行ったらどうなってしまうのだろう?真面目に生きてることがバカバカしいとなってきてる節がフツフツ湧いてきてたりする。アパレルも真剣に真面目に取り組んでいる人とそうじゃない所もあって騙されないようにしなきゃならない。何をするにしても本質を見抜く力をそして、その道の信頼できる人や相談できる人間関係を持つことが大切になると思う。そうなると常日頃の自分の行い振る舞い言葉の人柄になってくる・・性善説でも性悪説でもない良し悪しがスッポリ抜け落ちた 性AI説 が起きている。リンリン警戒音静かなまま・・。

  • トータル

    アパレル業界もお洋服のナガレも着る本人も変わっている最中。スマホのアルバム見たら8年前に戻り滅多と撮らない写真。たまに旅先の景色を撮ったりするぐらいとステキな言葉や気になったアクセサリーやバッグはスクショする。だからほとんど存在しない自分の写真でも変わり様は一目瞭然 笑 肉体変化は歳月と共に十分あったのに対してシーンのお洋服は優先するものがあるから仕方ないけどスタイルはほぼ変わってなかった笑。「お好み」がほとんど変化してない、つまり長年お洋服を楽しみ親しんできた方なら歳月は関係なくなるのかなって思ってる。私の仕入れもお客様への接客も、美的感覚の(着る方×お洋服)直観のみ。その都度流行は変化するから本人の気分じゃなくなるだけでヘン?古い?ではなく、着続けたからお洋服のダメージは気になったとしても傍からはほとんど感じない。着なかった服によく着る服もある経験は年を重ねた分だけ糧(センス)になっていて、自分で似合わないと思うモノを取り入れる必要もなく無理に服に合わせて若作りの違和感になってしまう。大人の着こなし=スタイルは流行りよりもお好みやこだわりが細部に感じられその方のセンスを感じて雰囲気やオーラになると思う。流行りに左右されずこだわりとお好みが凛としたたたずまいになり年齢関係なくアイテムだけじゃないトータルでカッコイイ&素敵になっていくのがこれからの成熟した大人のファッションやスタイル。日常にオシャレを楽しむリアルマダム達がステキに感じるのはこの凜としたものからブレないこだわりと楽しむ遊びゴコロの余裕とがミックスして着こなしに現れてるからオーラにもなると思ってる。その方本人のこだわり大切にしているものがあってキャラクターが作られていくと思う。   

  • テンポ

    キャリーバッグ持つ若者グループを見かけ昨日卒業式を迎えたのかな?って眺めつつ駅の光景だった。春って以前は動揺する季節の到来だった・・1・2月スルスル滑るようにトキが経ち焦燥感、植物は芽吹き鳥が軽やかに囀り、人達が移動するから変化のない私にガッカリ落ち込んでいた。この春すこし気配が違う。私の素のテンポが保たれている・・おそらく50迎えやっとマイペースでいられるようになったみたいだ笑 若さに執着しないし誰かと比べ競うこともしない人を羨ましくこんな私と卑下することもない。お調子者になることもないし、ムリに何かに合わせる事もしなくなった。体力の減りやネガティブが頭を曇らせるのも一瞬でこれも今だと割り切れてる。自分の頭が以前の私とのギャップを思い出させる・・思考の枠を外すキッカケで今を感じるようにする。シミ付き皮膚から一皮剥けそうだ~笑 シミもシワもできて当然だもの強がりでも諦めでもない。ありのままを黒白でも正解不正解でもなくありのままを~。人間と動物の違いを、人間とAIの違いを人間らしく生きる事を考えたら自分ができる事しかできないと気づく。生活が仕事、スマホ眺めるだけでもなくてやっぱりこれから先も衣食住と思う。住環境保たれ、味わって食し、着る物も着心地や自分の感動を含め清潔感。綺麗、美しい、美味しいは自身が少しづつ経験増して感覚が磨かれていくこと・・さまざまな感覚を生活に活かしてないくだけ。それがAIとは比べられない自分自身の価値なのだと思った。

  • 復活読書。しばらく本を読む気になれなかった・・なぜ読まなくなったか、平置きされ目にする本やハウツウう本のせいもあるけどコピーみたいでふと違和感でしかなったからだった。著者がどういう方なのかわからずペタペタくっつけたシールのように読む恐怖になったから距離を置いた。ここで再燃しているのは古くから読み継がれている哲学者の思考や偉人の作品に触れたくなったからだった。温故知新。有難いのはAIが著者の情報を拾い集めてくれるから参考にできる。結局なんでもどんな人物からが種なのかもしれない。世の中のサービス全般も人に触れてから受け取ることになる。本とカフェスペースのオーナーが選んだ本が面白そうででたっくさん魅力ある本が並んでいた、時間がなくて手当たり次第ピンときたものを購入すればよかったのに、ここで慎重な今の私がどんな人が書いた本って後で調べようにもウル覚えだったから検索しても全く出てこない笑 残念な一期一会だった。興味あれば即決で買っておけばよかったなぁって後悔した。ビビりなのでプライベートとなると石橋を砕いてしまう・・笑。毎日お客様の直観力や決断力に判断力の感性を密かに尊敬している。私にはちょっとないからカッコイイなって思ってる。ワインを少し頂けるようになってワインもホント一期一会。ブドウ品種も熟成も限りなく広がるワインの世界、そんな初心者の私に合う美味しいと再会はほとんどできない。ワイン×その場の雰囲気の総合がより良く余韻になってしまう。本や服は季節が変わり時が経つとまた再会でき何度も楽しめるからそこはいい。何でもどんなことも一つ一つ丁寧に感じていけばちょっとしたことが変化するのがオモシロイ。。面白がる域に全然踏み込めてない最近の本・・笑

  • わたしがお洋服屋さん以外のいろんな活動もオモシロいからしている。未知に触れるとなにか変化起きていてオモシロイ、新しい方と出会いや「へーーーっ」て想像もしない事いっぱい。朱に交われば赤くなるように!解らないから知らないからわかるはずもないから想像すらできない事がいっぱいの社会。私は正直ビビりで慎重な方だし、自信があるかというと無い。最近思ったのは自信の持ち方も色々ある様に思う。私は自信はないけど日頃お客様にアイテム提案ご紹介するときにワクワクドキドキおもしろく楽しくなってもらいたいそれだけ。着る事で生活の糧になればなぁ~と願っている。そんな思いだけは変わらない。自信って変わらない軸みたいな核みたいなもののような気もしてる。核や軸っていうのはやっぱりコツコツ続けたコトがあるから自ら信じることができるようになるんだと思う。空腹を伴わない食事が毒にあるように食事も誰と何を?どう?で満足が違うように同じ食事が全然違う事になる。お洋服も同じことだと思う。AIと共存のこれから衣食住は表だって変化はわかりにくく見えにくいかもしれない。AIのアドバイスで服選び、AIカロリー計算で食事オーダー、より清潔綺麗な掃除の仕方をアドバイスくれるかもしれないけど、結局生活するのは自分。アドバイスをAIに求めるか、生の人に求めるかの違いになると思う。以前は偉人達の生き方に学び、自分の経験の直感で動き、先人のアドバイス を聞いてだった方法や手段や知恵。最近響いた友人の言葉に「直ぐに答えがわかる事がいいことだとは思わない。正解がわかればいいものでもない」いろんな事に言えることじゃないかと思う。解らない途中のあれこれどうなのかな?って想像したり情報を仕入れたり、疑ったりまた調べたり、その遠回りのような時間のかかる事が生きてる証なのかもしれなくて、近道が幸せな事?早く直ぐに手軽にが〇ともBESTとも限らない今になったと思う。色々服を着るから感じ思えるしまた欲しくなるのと似ててそれが生活のスタイルになってその人の形成になっていると思う。

  • ときに自分をバカなんじゃないかと感じることがある笑・賢いと思ってるわけじゃ全くなく笑 電池切れのような回線ショートのような・・カラッポの容器に感じる瞬間。感覚停止・無=ぼんやりしてる。「~あるべき~しなくちゃ」と自分でがんじがらめにしてきた思考をやめると軽くなれる。先日も自分には似合わないからと服選びしてきたと仰った方がいらした、そんなこと思わなくていいと思う。服も人も環境も相性と思う。周りの空気も圧より自分の根っこを大切にしていくとジョジョに生活全般がシンプルになっていった。自分でややこしくこじれてもつれて絡んでいるよりもシンプルで身軽に一歩だせるような生活を送る方がいい。シンプルって奥が深い。シンプルって何もない味気ない訳でもなく、手を省く便利を優先とかタイパコスパとも違うこと。自分でできる事は自分でする、判らない事は専門家に教わり熟知プロや信頼できる人を頼りアドバイス頂く。デジタルとアナログの中間世代はデジタル移行期だから距離感と間合いと信憑性など自分の守る術が重要。守りは最大の武器。自分の思い込みの狭い枠にいるわけにもいかずSNSに翻弄されずAIに質問攻めできる疑問や考察力も必要だ。結局主役は自分。自分を育み続けることでいつも未完成の状況だから学び続けると天才のようなレオナルドダヴィンチは言っている。選ぶことが個人の意志&意識からだとはっきりクッキリして露骨に出るようになる、言動や物質もその表れ。これから意志がなきゃA.I 情報?SNSに浸食されカラッポにさせられていくようになるかもしれない。外にばかり関心や正解のように見える解答にいつの間にか自らが行方不明で透明人間にさせられちゃうかもしれない。ファッションも流行の外を気にするより本人の意志・好みや気分やマインドがいい。成熟した方の着こなしは流行りよりもその方の意志やセンスが表れているからオリジナリティがあってカッコイイ。その人らしさが表れるって最高のオシャレ要素。服にあわせるより服を自分に合わせる主体的な生き方がこれからなんだと思う。情報もAIにも・・。

  • 先日東京でアパレル業と別の活動において「 価値が揺らぎ価値基準が個人レベルになっている今 」という表現された話がとても印象的だった。ずっと価格表示=価値で育ち生活してきた大半の人々が自分自身で価値基準を見直し作りながら生きていく時代になったようだ。これから益々濃厚になっていくという。それはどっちが良い正しいとかではないことでもある。生活全般にその方の思考の一部が行動現実化し物質化したりするのだと思う。例えば、私は本を読むけれどかなり偏ったジャンルでしか読まない。興味ないしただ知らないだけかもしれないがそれでいいと思っている。読書好きと言っても色々で一人の作家さんなのかオールジャンル読むのかでどっちがって比べられない所で線引きする必要もなく流していいと思う。どっちでもいいという事はある意味余白でもあるし何かひっかかって自分がどう思うかってことも大事でもあるみたいだ。物事に批判的や疑問が口に出てしまう私がいるけど自分の節度でもあったりで言い換えれば自尊心にもなるようだ。いびつな自尊心が表れると攻撃的、優越感で自分を守ろうとしたり、過剰な自己防衛、対人における不自然な態度になるようだ。これから個人の自尊心がキーになるように思う。自尊心は自分の価値基準や軸のようなもので自尊心があれば多少のことはうけ流すことができる。自分の価値基準や大事にしているものが揺らがなければ・・台風の強風でも折れない木のように、雲に隠れてもある太陽・月・青空・星空のようにあればいいだけのこと。価値をどう身につけ判断してどんな毎日を過ごすかなのかなって思う。他人の評価や周りではなく個人個人でいい、共感や共有=尊重し合えるかと思う。情報の渦の風に煽られるか?風を利用し高く舞う凧のようにいるか?それも個人なのだと思う。

  • 新しいことを初めてしてみるって自分の特徴を思い出すことがあった。ドキドキ緊張もしていざ手ほどきを受け実際にやってみると・・なかなかのどんくささぶりだった。笑 そうそう!私ってこうだった・・何をするにしてもすんなりと要領よくできるタイプじゃなかったなぁ~っという事を思い出していた。なかなか思うようにいかずでできずだった。接客の仕事もそうだった・・向いてないと言われたこともあったし怪訝にされたときもあった。自分でも向いてないのかもしれないと思うときもあった。ただやりながらうまくいかないまたやってみるの繰り返しのループがずっと続きもがいているときがしばらくあった。私はできないこと、上達が鈍いというか遅いのは長年バスケをしていた時によーーーーーく知っていたから、放棄しないでやり続ける事がへーきだった気がする。コツや自分に身につくまで時間がかかるタイプだからできるまでが遅いのだと・・。コケタリ擦りむいたり恐れながらもコツをつかんだ自転車の乗り方と一緒でいくつになっても自転車は一応乗れることと似てるのかもしれない。スマートにできる、スグ身につけれることやできる事って面白さや楽しさの深さというか味わう加減がちょっと違うのかもしれない。助走がそれなりにあれば遠くに飛べる。助走の走り方も距離も自分の微調節で自分を知る事でもある様な気がする。自分を自分で決めつけてしまうより、自分で自分を実験=実体験してみるとオモシロく自分を受入れられる。先日も電車の時間に間に合うかギリギリだったので少し小走りする200mも息が持たない自分に笑えた。きっとちょっと前なの私なら呆れ落ち込むところだけど今はもうちょっとは走れるような私でいたいなって身近な理想と目標。自分に期待も諦めも混在するから理解者と応援者も自身で加える自分の中に、大人になれたかも笑。

  • はざま

    当たり前のようについおもってしまうことも感じよう観察しようと意識を向けないと気づけないことがいっぱい。例えば同じ景色を眺めても目に入り感じるモノが違い感じ印象も別・・。人と会話で様々な違いを知り深まり広がっていくのだなぁって。大河ドラマ「豊臣兄弟」特番にあったのがいろいろな誤算があって時代が動いたようだ。誤算・・武将の寝返り裏切り生死が統治に大きく関わる時代。武将は何を思い戦をしていたのだろう・・領地を守る?地位を守る?権力を守る?何がしたかったのだろう、400年後の今も人間のすることってほとんど変わっていない。AIを使いこなすほどの脳力あればいいのだろうけど、身に余るほどの道具を使えずじまいになりそうだ。AIに平和な世の中に対しての答えが何なのかわからない。結局、人のすることって自らが感じる状況にいることじゃないだろうか・・。スマホ機能だって沢山のアプリだって活用できないのにAIをどう使っていいのかわからない。乗り物で目にする他人の画面も結局ゲーム漫画インスタ程度で使い方のズレがドンドン狭くなってそうだ。自分自身を知ることここ2.3年こだわってきたけど、自分を管理監視して枠を作り思い込んだりしないようにいたいという事だけが解った。そして、何でも急いだってしょうがないことも分かった。自分の理想になるように微調整しながら行動するしかない。AIの力を借りることも結局憧れや理想や夢がなきゃ意味がないんだと思う。理想や憧れやお手本は遠いところじゃなく身近にある。身近な人物から感じれ自分もできそうと思え影響を受けできるんじゃないかもって勇気や元気をもらう。AIに慰められ相談する人が増えていると聞いた・・寝返り裏切りがないからいいのかな 笑 人間関係も熟成と腐敗の狭間なのかもしれない。。。

  • otukai

    はじめてのお遣い という番組があった・・今もあるのだろうかな。子どもにとっての大冒険を感じる。今朝筋トレ前のブラックコーヒーを買いにいきコンビニのセルフレジにビビッた私。ん?コーヒーどうやって買うんだろう?レジ画面じーっとよぉく見て 店員さんを呼ぶorたばこというところを押すの?迷い店員さんを呼んだ。マシーン前で横でサクサクセルフレジ使いこなす小学女子に関心しつつこれから先の未来を見た。感覚の差、日常体験する時期が違うんだな~と当然のことに気づいた。常識を疑えとはよくいったものだなぁっとも思った。何気なく聞いていたYouTubeに 才能は修正すること。 そっかぁああああ~~~ってすごく嬉しくなった。勇気と元気をもらえる言葉だなぁっ凡人の私にとって。セルフレジ落ち込んでいた訳でもないんだけどちょっと切なくなっていたのかもしれない笑 年とることを間接的に感じていたのかもしれない・・。いつでもどんな時も修正すればいい。 失敗を恐れて何もできなくなるよりも修正すればいい~心がとても軽くなれる。 今オリジナル商品でサンプル作って変更と修正を繰り返していてお洋服ではできても日常の行動にはなかなか落とし込めていない笑 初めから完成と完璧はないのに理解っているようで忘れていて笑ってしまう。 オリジナル作っている途中は色々想像したり調べたりして修正は常なのに、それ以外の行動でイメージできない物事ほどビビり躊躇もしてしまうもので逆にイメージできるものは早い。イメージすることの材料集めやいろんな見聞を取り入れ学んでいくんだと思う。初めてのお遣いのような 初めて&はじめる をやってみよう。

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