AKO’S Monologue

  • 場

    場所を変えるといろんな物事が見えてきてそして私自身も見えてくる・・。始めて訪れる場所は切り取った部分の写真だったり、スクリーン越しで見た事はあってもやっぱり百聞は一見に如かず! その場に居ないと感じられないことがいっぱいいっぱいあるものだなぁってつくづくある。初めての場所での経験はドキドキ&ハラハラ&ワクワクで全五感フル連続使用するからとても感覚が鍛えられる。緊張と勇気の間で歩く道一本をどっちを選ぶかで見えてくる景色もかわってくる・・未知領域を過ごすって人生とちょっと似ているのかもしれない。場を変えて身を置くことで自分の知らない別の自分を痛感する、好奇心旺盛だけど柔軟な適応はやや遅れ気味、咄嗟の判断力も遅め、興味ない事は見えてないから視野狭め、警戒しようとするが全く疑わず鵜呑みにする、体力はある方と思っているのも実は勘違いで体力低下進行中。そんなことを自ら感じてくる。旅や場を変えると成長させてくれるキッカケが多いのだなっとつくづく思った。実は生活全般が刺激が多いのだという事も感じた、通り慣れた道や場所というのも何度も経験してるから刺激少なく過ごせるだ気の事、ホントは些細な事も十分刺激になるのが生活なのだなぁっと。場を変えることも会う人も変えてくると全てが変化の起点になるし、自分をほんの少し変えてみるだけでもキッカケになりジョジョに変わってくるのだと思った。自分を変えることって口角少し上げるだけで余裕がちょっとでたり、言葉一言、座る姿勢一つでもだんだんだんだんと少しずつ進み始めるのだと。言葉出さないことも伝わり感じ気遣うこともあったりすることもあれば、言葉で言っても伝わらないこともある。様々な場を訪れながら人が場を作りそして人が場を乱すこともあって、双方の意識や人柄が影響するのをとても感じた。AIにはそのニュアンスってわかるのだろうか?笑

  • 除湿器

    時間というのはホント面白い スローモーションのようなときもあれば一瞬のようにも感じられる、ホント不思議でたまらない。昨日の夏至に長い陽差し全く感じられないまま・・一日一日がとても長い気の梅雨の日がある。低気圧のようにちょっと低いほうへ雰囲気と空気事持っていかれてそうになるから沈まないように水面に顔を出して空気吸ってるような感じで足をコツもつかめずもがくうごき・・。必死になるとチカラが入りすぎ重くなるからカルーーークいるようなイメージ。水面に浮く乾いた流木をイメージしてプカプカ浮いていよう。軽くはイイことも時にある真剣に考え悩むこともあるけどこう湿度の高めのときは軽くいよう。除湿器をフル活用しながら・・。除湿器のような空気清浄機のようなエアコンのような身近な人がいると快適にいれる。どこかに負荷がかかった時に気づくもの・・。いつも除湿器やいつも空気清浄機やいつもエアコンで役割ができているより時と場合で役割がコロコロ変化していい変化し合える関係が一番いい!!機能だけじゃない繋がりがあるといい。柔らかくしなやかに変幻自在になれるってことが大切なのかもしれない。。。正しさや正解を探すよりもよくわからないけど適応していきながらがいいのかもしれないし、ムリしすぎないでフラットな関係お互いさま~の軽さと柔らかさで過ごすのがベストかもしれない。梅雨時季も一年で捉えれば必要な意味のある時期。梅雨明けしたら とけちゃうような暑い日がつづく花火にかき氷に浴衣に海にスイカにサンダルと夏を満喫するアイテムが揃う。耐えかたもかわしかたも色々あっていい1時間や1日で思っちゃうと辛いけど、ロングスパンの1年で捉えると大したことないような気がしてきた。。開けない梅雨はない。笑

  • 蛍

    わずかなこの時季の風情を楽しめる蛍、今年も観に行こう・・まだ間に合う毎年一度は鑑賞に行く蛍狩り。蛍のほのかに光りふんわり消える浮遊しているのはなんともいえない。光だけを人工的に真似たとしても何か異なる。美容整形を否定しない、だけど人工的に伸ばされたしわのないハリのある肌に優しさやチャーミングな笑みは感じられない。美しさって一部じゃない・・美肌といってもしわ、シミ、たるみ、ハリの問題だけでもないし、髪の毛も白髪、色やセットや前髪だけじゃないし、爪もネイル塗られているだけでもない。目にとまり目で感知できる面や部分だけが美しさだけじゃないと言いたい。パッと見の一瞬の美しい肌として言葉遣い汚く愚痴ばかりだとどう?ヘアスタイルキマっていても姿勢悪く猫背でスマホ覗き立つ姿で凛々しさはない。キレイどころの多いアナウンサーでも箸の持ち方や字が汚いと残念だったりするのと同じこと。多くの女性と接してきて勘違いしてほしくないけど、ただ細い身体だけで美しさにはならない事を。ランウェイのある世界4大コレクションに選ばれるモデルさんを身近で見る機会あって、正に宇宙人!ってこの表現がピッタリ。私が見上げるほど高い身長で顔が恐ろしく小さいし細いのに筋肉メリハリある肉体だったからスーパーサイヤ人って感じ笑。そのぐらい凄く圧倒されるが・・美しいというのとはまたちょっと違ったものがあった。私は年齢体型性別関係なくどんな方も来店してくださった方にファッション、お洋服着る嬉しさ喜び楽しさ感じてほしくてお店オープンした。美しさって目に飛び来む面だけじゃなくて全ての総合なんだと思う。年齢や性別や体型さえもない言ってしまえば学歴や職歴や役職でもない生き方と在り方なんだと思う。蛍を画面越しの映像で見たとしても感動する?一度もリアルで体験してない人は感動しないはず、感動や心が動くことって総合で実体験で感じないとムリだと思う。それも家から体を移動するところから始まるもの・・・で体験して感じないと何もしてない事と同じ。

  • オルゴール

    と言われて音色が奏でる人はいくつぐらいの方までだろう?お客様との会話中で万華鏡は子供の自由工作で作ったよ~っと家にもあったけどいつの間に消えてしまっている万華鏡もビードロも砂時計も・・。キャンディのチェルシーのヨーグルト味を頂き一瞬にして溶けてしまう生触感・・懐かしい。懐かしむって後ろ向きだけじゃなく今があるから懐古できるのだと思う。今と過去はコインの裏表のようなモノっと例えられていたのを聞いたことがある。過去と今、今と未来もコインの裏表のセット。表裏一体なのだと思う。過去があるから今を感じる未来も想像できる。今でしかできることはないと思う。どう想い過ごすかは今のみ選べる。バイヤーとしてセレクトしながら服を選ぶこと、お客様と一緒に服を選ぶこと、会話で言葉を選ぶこと、電車の中でシートを選ぶこと、どれも同じ行動のキッカケになる一歩目には過去と未来がくっついてる。オルゴールもビードロも万華鏡も砂時計もあってもなくてもどっちでもいいかもしれないけど、音色、ガラス細工の繊細さや儚さ、幾何学模様の美しい色を一瞬の儚さを感じさせてくれるもの、忘れていたけど溢れこの環境に慣れきってしまっている今。生産性とか損得とか利益とか勝ち負けとかそういったもの以外の情緒や風情や微かなニュアンスがドンドン消えて無くなりつつある。オルゴールの撒いたネジが止まりかけるときの音の可憐さは今のタイパや倍速視聴する子にはどう思うのだろう?美しいとか綺麗とかって教えなくて感じ身に付いていくモノなんですね・・ってママのお客様が話していたのが印象的。お店に来る子供たちが綺麗ね~とキラキラしたものや色に惹かれるってその子の感覚なのじゃないかな・・、教育は本や学校だけじゃないと思う。消えていったモノからも何か感じ取ってる・・。

  • 土壌

    やっと・・人を育てること がどれほど大事か痛切に感じているこの頃。独り身の私がいうのもヘンだけど、だから余計に思うのかもしれない・・。社会のbaseに人なんだと身を持って感じている。私はお客様との対話で人という土壌で育ててもらったのだと感じている。人=土壌は人柄だったり考え方、経験感じ気づい行動されたリアルな言葉だったりする。自分の物事は知らないことばかり自分の常識を疑えでずっときた。アインシュタインは常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションだと! 田舎育ち生活でスマホが情報源って危険すぎるから信憑性疑い、どんな人が誰が発信の一次情報かは見分ける。豊富なリアル経験の方と接して教わってきた。土壌を変え適した所に居れば芽の出る種もあり育ち伸びることもある。人を含めた環境はたった一人だけではどうにもならないことやどうしようもできないのも事実、先日知人に送られてきた記事でもつくづく思った。人との出会いで方向性定まり脱皮や変身するキッカケにもなる、人のチカラってホント凄い誰にどんな人に出会うかだ。。。全てはキャッチする能力(センサー)で受け止める側次第。消化力がない人に栄養タップリの智恵や情報があっても消化不良で食あたりでお腹を壊すだけ・・加齢とともにそうなる人が~苦笑 田舎育ちがタフ&ワイルド育ちならいいが送迎付き誉め言葉で逆風なく無機質育ちにならないように~。 大人の浅はかな言葉や態度の土壌が人を潰し、人を育てる気風は一切無いから不毛の土壌が田舎なのかもしれない。雹みたいに一瞬なら凌げるけど、環境汚染自然破壊のように長年なんとなくでじわりじわりでタチが悪すぎる。苦笑 まずは私の土壌を耕し水やりをしておこう。。 

  • 仕入れ

    たまに質問されることで、どんな感じで仕入れをしているの?っと・・・私の場合ほとんどがインスピレーションで直観。素敵&好みで自分基準で決めている。もちろん担当者の情報は聞くが、生地、縫製だったり色だったり、価格とのバランスだったり実用性やシーンや気分や旬の全てがミックスされての判断。例えば、好きな食べ物や美味しいは十人十色の好みで良悪や正解不正解の答え一つじゃないのと似ていて、判断や決めることはどんなことでもいいと思ってる。自分の責任でキチンと判断決断することが大切で~それは身の周り全てどんなことにしても言えることと思う。流行りのアイテムを着るからセンスやオシャレとは私自身はあまり思っていなくて、洒落っ気って私は大人の余裕や余白と遊び心だとも思っている。元は贅沢や華美が厳しく制限された時に裏地や見えない部分や細部に表だってではなく個人の楽しみだったことから洒落って所もある。だから個人がどれだけ楽しんでいれるかがスパイスのような隠し味の要素で自己満足の世界だとも感じてる。見るだけでもその楽しんでいる心の様子が感じとっちゃうんだと思う。やっぱりお気に入りや着心地いい服は気分も良く穏やかになりご機嫌よくいられる、多少何かあっても笑顔でスルーできちゃうのかもしれない。他人の評価や認めてもらうことより自己満足で自己信頼になりつつある時代の流れ。自分で自分のご機嫌を取る、責任を取る生活全般大人の行為振る舞いがもっと大事になってきたと思う。AIのせい、他人のせい、周りのせいにすることはカンタンだけど取返しのつかない事が起きている。何でもどんなことでも自己責任だからこそ、慎重になりいろんなことを時系列や何パターンかで想像する力が必要になるんじゃないだろうか?私も何パターンかで想像はしつつ今判断している。それは自分のできる範囲でちょっと先を見るようにしたら今の判断が一時の気分感情で済まされなくなると思う。

  • +ー・・

    想像しないような言葉が返ってきた。その時きっとイヤミ言われちゃうかな~注意叱咤されると思っていると予想外の優しい言葉だった。もし自分にイヤなことあったら感情あらわになってしまうところ穏やかな促しそれも柔らかく伝わる言葉だった。人徳のある方は私的感情入らず物事を言葉にする変換能力と伝える能力があるんだなと気づかされ恐れ入った。もしそんなとき私だったらどんな表情でどんな言葉発していただろう?って想像してみたけど私よりかなり若い男性のような言葉はできないと思う。大人の振る舞いと言葉表現は圧倒的器量ヨシや人物像を感じ尊敬になる瞬間だった。大人が大人の振る舞い(言葉、接し方)をすると世の中がいい方へ変わるんじゃないかと確信した。ストレートに感情あらわに言うのが当然で何なら言わない方がいい、関わらない方がいいという社会であのようなスタイリッシュな表現と言い方ができるってスマートだったし人柄を感じた。どうしたらであの様にきるようになるのだろうか?って思う。いくら本を読んでも身に付かないし、きっとそういう人徳ある方、器量の大きい方の傍にいないと身に付いていかないものだろうなぁって思った。正真正銘大人が広い見解から発する言葉ってプラスマイナスも含みつつ注記促すもので自然とスーーーっとこちらに浸透するような表現だった。身につけるのは服だけじゃなくもっと深い部分の見えない部分で充実させたいなと思った笑 チクチクトゲトゲした言葉じゃなく薫風のような心地よい風のような表現、伝えることのできる人になりたいなって・・折り返し地点からの遅咲きだけどこれからのテーマだわ 笑

  • +-

    足していく時期と引いていく時期、身につけていく時期と削いでいく時期。入社新人さんが教わり吸収していく時期や新入生が生活に慣れてゆく最中もこの時季5月なのだろう。オシャレに芽生えて流行りアイテムが目新しく映るときはアイテムが増えていく、段々年を重ねファッション関心長くなると流行がリバイバルで巡っているのを実感する。私のお洋服はデザインある個性的の濃いものに惹かれた時期もあったけど削いでシンプルになっていったところがある。削いでいくと細部ディテールが気になり千利休の茶道具のようになったりする点があったりする。スッキリとした無い美しさは洗練という事を表わす感じ。言葉も多く並べればいい訳でもなく、「睡眠不足で休みます」とそのまま言ってしまえる社会も・・苦笑 連日睡眠不足もどこで線引きするかは難しい。線引き区切りは育った環境も影響すると思う。私が学生の部活で経験した環境が普通当然とちっとも思わないけれど、指摘注意せず褒めて伸ばす教育はどうなのだろう?って思ってしまう。褒めるもタイミングで毎度褒められるが当然で過信につながるのでは?私の場合はくやしくて伸びた点も、劣っていたから勉強したし、センスがいい人を真似たりした。短距離走が速くないからマラソンの持久力で挽回もした。自分を知ることで行動するキッカケが作れたと思う。見方次第で人との比較がすべて-じゃない自分を知る+になると思う。私はラッキーで全国模試1位の子が同じクラスやプロ入りする子と一緒に練習できたこと、圧倒的にスゴイ子がすぐそばにいるといいお手本になり吊られて伸びたかもしれない。環境に影響受け人から感化されるのは学生時代だけじゃなく大人になってからも同じこと。木は枝を切られたらもっと成長するらしい。高いビルの街路樹もビルに習い上へ上へと育つ。枝切るタイミング間違えちゃうと病気の元で枯れる原因、超高層ビル横だと陽当たらず育たない。時期と環境!タイミングにあった一言でやる気スイッチや気が引き締まったり、ジーーーーンと響いたり。言葉は慎重に扱おう。多いが野暮になることもあって少ないが洗練されていくこともあるのは服でも言葉でも同じに思う。

  • フラット

    わたしのお店のコンセプトの一つに近所のたばこ屋さんのように~っというのがあってイメージは、映画「三丁目の夕日」に出てくるたばこ屋さん役もたいまさこさんのような存在だったりする。いろんな捉え方はあるかもしれないけど、フラットに話せる存在っていうイメージかもしれない。私も緊張するそれよりももっと初めて来店されお会いするお客様の方がもっともっとドキドキのはず・・。ちなみに私は人見知りだし今でもたまにのぞく。ただ言葉だけじゃなく相手に伝わるモノには気をつけている。でも、その前に自分がどういう風なイメージを持たれるかは把握しているから、その部分が悪目立ちしないようには気をつけている。言葉少なくても伝えたい思いや察しよう組もうとすることでお互い歩み寄れることはいっぱいあると思う。ただお互いの歩み寄り!上下じゃないフラットにいれるから巡り始めることもあると思う。仕事上立場で責任の重さで上下できてしまうことはある、組織が巡りよくなる役割。社会のアチコチで役割上伝えないといけない事が必ずあるはず。例えば、自分一人で判断してよいこととそうじゃないこと、任せられることも立場や役割に違う。独りで完結することなんて人間社会はありえない。「コミュニティの一部になれていることを誇りに思う」と英リッチモンド住人の多くが話すのが印象的だった。コミュニティ=市全体と捉えているのがとても衝撃的。市街を掃除もコミュニティの一部だからと伝統の技を残すことの誇り、仕事を受け継ぐことも誇り。。。いつからだろう?日本のコミュニティは小さくなりすぎ単位は一人称で、直ぐハラスメントっ苦笑 フラットに居れるって双方の敬意や尊重の思いがあって成り立つ。お互い様って言葉が日本にもあったはずなのにね~。

  • ゆっくり

    きっとゆっくりお過ごしの方も多いだろう・・スケジュールうまらないと落ち着かないとかのんびりがニガテという方もいると聞く。はやい がイイと育った世代はゆっくりがなんとなく負の印象がある笑。ただ・・どこか頭の片隅では気づいていて 優雅さ 品 優しさ 寛容 おおらか 穏やかさ 和む 丁寧 には、速さと真逆のベクトルにあることを!! 焦っても急いでも仕方ないし早いが一概にいい訳でないことにようやく気づいた。結果や成果を求められすぐにを求めてしまうけれど、大事なのはそのプロセスで結果や完成は通過点の重ねだということ。お洋服だって去年の今頃超お気に入りコーディネイトでも今年はその気分じゃない事もある。読書や映画だって同じものでも感動ポイントや響く点が違うように・・気づきも心情や経験で、想像も今まで見聞きしたことや身の周りにあったことからの延長線上にしかできない事をとても痛感する。友人と次の旅先をふんわりしぼっていくうちに目に留まるモノが変わってくる。インドに行きたいな~っと友人の一言、私はスリランカはずっと興味あるけど隣国は遠慮したかったインドを調べてみると意外で目から鱗だ。刺激やキッカケは身近な人から頂けるものだとツクヅク。スマホ通してだと似たり寄ったりで変わり映えしないから刺激も発見もあまりなくて興味あることも深まっていっていない気がする。水も風も流れていないと澱む 澱むと濁る 濁ると見えにくい。 スマホ中も同じ現象が起きているかも?って思った。AIは使用者の私の言語発想質問力の精度上がれば濃く深く深まっていけるのだろうと思う。眼中無かったことも入らなかったことも人から提案やお薦めや意見してもらえるから少しずつ広がっていくのだろう。注意もアドバイスも気づきのキッカケ。ゆっくりスマホを覗いてそんなことを思ってしまった。笑 AIは今までの情報や過去のデータからで未来を想像できないそうだ。イメージや想像や未来は今はまだ人間特有のことなのかもしれない。 

  • shindan・・

    未知で生まれわからないだらけを体験していくことが生きるってことなのかもしれない・・身で感受したこととただ知る(頭の理解)は別の事じゃないかな。AIは色香り肌触り形感じていないはずで痛み辛さ喜怒哀楽あるから共感っていえるんじゃないかな~と。変化する心体を実体験して段々自ら分かるから流行りに乗らず、今の気分楽しみ、好みができ創意工夫していくからスタイルになると思う。シンプルなアイテムのスタイルは、身との相性(サイズ色形素材)多方面アチコチ細部まで目を光らせ行き届いてるからセンスがキラリチラリ、キラキラした超カッコイイ洗練になっていく。定番アイテムになればなるほど微妙なつくりを見極め!自分にシックリピッタリを探し発見出会うのがなかなか難しいからオモシロイ。コナレ感は着心地から長く愛用アイテム 達と経験キャリアあって仕上がる技。どれも若い時には楽しめにくい所で大人になるから年を重ねるから楽しめることでもあったりする。色だけでお洋服見ちゃうのはちょっと寂しすぎる。。色&素材&形掛け合わせがあってお洋服で身ボディーと合致してのこと!身コンプレックスあった私はずっとお洋服でパワーチャージさせてもらってきた・・沢山の方と出会いいろんな考えや捉え方認識、文化や生活をリアルに見聞きすることで選択の幅広がり徐々に形成されて今になった思う。人は人で磨かされると思う。頭の言葉の世界、スクリーン世界で人間生活はできない身があり、行動あってのこと。服を着る事も社会生活だし、体を清潔に保つも、マナールール守ることも社会人・・海外で悪評高き日本人と耳にした苦笑 一緒にされたくないと思っても私も日本人、狭まっているのか広がっているのか・・ 笑

  • shindan

    カラー診断もAI尋ねるもあまり違いないような・・って。カラー診断は、きっと自分を知りたいもっと似合う物着たいオシャレになりたい向上心あってだと想像する。日頃接客でスタイルはトータル頭の先指先足先の全てとお伝えしている、服靴バッグのアイテムごと単体だけでもなく・・着ている方のキャラクター雰囲気含む全てとのコラボレーション。着てる方の見えてない内面価値観性格うっすら出るのがファッションかもって思う。オシャレって着飾るでも若く見せるでも他人に顕示でもないと思う。個人の楽しみ方だから私が言う事じゃないけどリアルボディーを使い生活楽しみ遊びとも思っている。お洋服もやバッグや靴も消費から財産になっていく時代になるかもしれない。作れないものが増えていきつつありまるでお着物の後を追っているようだ。着物のいい素材は職手の込んだ技とても稀少性で高価になり価値のわかる方の元へ嫁いでいくように・・。太古から不老不死を求め神秘、美しさ求め現代は何を求めていくんだろう?  モノトーン世界に光があって脳が色処理認識するから色のある世界に見えて楽しているらしい。色でおなじみアンミカさんのセリフ「白も200色ある」同じに見えたとしても微妙な違いがあるように、微差な違い捉えることがとても大事。お洋服、食べ物、生活全般に微差に気づき感じれるかじゃないだろうか?だから、偉人は観察することだと。。お洋服は色だけじゃなく素材と形(フォルム)があり判断基準色一方向の見方はちょっとどうかなっと思う。映えだけ色だけ価格だけ自分だけのシングルの捉え方は、ちょっとお粗末すぎる気がする。人は心体も天候気候に左右され刻々変わる、その時の診断パターンだけにあてはめるのはどうかな~。AIに理解してもらえてるって勘違いはもっと危ない。

  • merihari

    大型連休になり・・ここ数日前天気イマイチで寒暖も激しくお天気であればいいなぁと願う翌日は雨。休日モード満喫も自分次第だとつくづく・・私にとってお洋服を着ることはシーンごとの気分転換にプラスされる最強のこと。やっぱり人間つい気温に天候模様に引っ張られ体調も大きく振り回されてしまうもの、だから上手くシーン事に楽しむことも工夫かなっと!場所、空間、読書、映画、音楽、スポーツ、お酒、一緒にいる人、食べるものでも一つ一つのもので楽しもうとすれば楽しめることが広がっていく。休日パジャマで過ごすもヨシで夜更かししてドラマ三昧も日頃できない事して同じじゃないのが大切なこと。幼い時は屋外のベランダでおにぎりを食べることですら楽しかった。歩いて帰る下校もつまらないと思った事もなかった。段々それが大人になるといつでもできて選択できるから楽しめなくなってくる。要領よく、成果や結果を急かされ・・ 知識は生活に取り入れ実動して初めて役に立つとメモを張ってる。知っていたとしても行動にならなきゃそれは何の意味もない例え。最近は頭より肉体を使う大事さに焦点がいく。仮に沢山お金持っていてもそれを使わない活かせないなら持っていない事と同じ。使わないのは無いと同じで、時間だって使い方、言葉だって使い方。こんなことを電車内で大多数スマホ見る人をぼんやり眺めつつ、こんな私も無意味なことを思い浮かべていて笑。I使い方も様々のようだけど、頭のみで生活はできないし社会生活もできないと思っていて生身を使いもっと楽しみオモシロクなる方法を心がけている。ヨガで深呼吸さえもまともにできない私・・笑 自分の肉体さえ上手く扱えないのにAIなんて使いこなせるはずがないなと思っている、動物っぽい生物っぽいところを優先している日々。雨ならもっと活動できない仕方ないから好きな服を着よう!!

  • 雰囲気

    いろんなことを感じようとして過ごすようにしてるけど感受しすぎ周りに翻弄されてしまうのもどうかと・・・何事も加減で外向き内向き過ぎても・・と思う。接客の際 バランス というフレーズをよく使う私。バランスはその方の持つアイテム達や好み髪型メイクのキャラクター要素とのトータル(頭の先から足先まで)。お洋服はキャラクターに大きく影響する、その方の肌のようにも履歴書にもなって映し出すアイディンティや性格。最近出席して、お着物お召しが多い会場でも華やかなスーツが多い会場でも高価な物より姿&振る舞いで着こなし(サイズ感)とディテールが肝心なのだと思った。着物は着崩れやみだれという言葉があるようにスーツになると姿勢や歩き方が出てしまう。年を重ねていけばいくほど服だけじゃない事がクッキリハッキリしたことが判る。高価なアイテムでも肌や髪の毛よりも姿勢や歩き方や表情や言葉遣い、しぐさがとても大事なのだなぁって思う。美しいって綺麗って感じとることで具体的に一つでも物質的なものだけでもない。優しい、楽しい、嬉しいも似ていて組み合わさったもの。これからはゆるく組み合わさった雰囲気をもっと楽しもう~~お洋服も組み合わせもゆるくいいかなぁーーって感じで完璧主義や完成度ドンドンあげていくのもおもしろい、おかしいかな?って不安に思ってしまう事もあるかもしれない・・そういう時はこれもありかもって面白がってレッツトライしてみてほしい。面白く楽しくいるスタンスがまた素敵な要素になるんだと思う。きっと雰囲気にそれがプラスされているはず!!

  • 高

    東京出張の定宿 31Fからの眺めは最高だった朝一日だけ富士山が遠くに見え、みなとみらいの高層ビル群夜景も見えどこまでも広がる夜景が見れてラッキーだった。どこまでも広がり続く住宅街にほんと多くの人がいるんだなぁと感じながら・・その分知らないままの人が大多数で人の出会う数ってどのくらいなのだろう?出会いはほんと貴重だ。そして続くご縁はもっと感謝だ。スマホですぐ調べるのはいいこともあるだろうけど、相談や質問にAIがまず選ばれ、年長者や経験者のリアルな人間じゃなくなる時代に、人と人の付き合いってものが最も貴重になっていくんだろうなぁ~~って想像する。そして、これから何でも数や量より質の時代になるんだと思う。沢山の事よりも深くいるかと濃くいるかということじゃないかと思う。記憶に残るか残らないようなただすれ違うような表面的で影響受けて形成されるとは全く思わない。人の発した些細な一言で傷ついたりするぐらいナイーブな生き物で、天候や気圧に左右される生き物・・、ふとスクリーンのものは一体何なのだろう?スクリーンから伝わるもので一喜一憂するならヨシで生活濃度が上がっているならBEST、ただナガラミは何だろう??   人と人間の表現の違いは、AIさんに聴いてみた笑 人は個体生物としての存在、「人間味がある」「人間として失格」といった表現に見られるように、性格、モラル、社会の中でのあり方など、内面的な価値や社会的な質を問うときに人間が使われます。とのこと。。他社との関係性との間で生きる社会的存在であり、日本的な感覚では、他者とのつながりや礼儀、関係性があって初めて、単なる動物の「ヒト」から、社会的な「人間」になれるというニュアンスが含まれています。抜粋 日本的感覚の人間っぽさ薄まってきてるとどうなっちゃうんだろう?日本的人間っぽく生きることが化石時代のことの様なのかもしれないなら私は昭和化石みたく生きるようと思ってる。笑

  • 見立て

    見る側の精神で美を感じる事。私は深い意味があってお茶を習い始めたわけではなくただ大雑把が矯正できたらいいなぁ、そして優美がほんの少しでも身についたらと習いだしたのがキッカケだ。アンチAIの私が色々問答した結果、まるで私の茶室がグロージェなのかもしれないなぁってふと思った笑。一座建立で一期一会いろんな立場の方がフラットに話しながら楽しめる場所、自分は着ないお洋服でも相手には似合うと思える余裕と余白。セレクトしたアイテムを共鳴してくださるお客様があってのこと。私は足し算の美もいいけど、引き算の美や掛け算の美もあると思っている沢山アイテム所有や高価でなかなか出番のないアイテムより日常で着ていただけるお洋服たちを提供したいとずっと思っている。お茶に利休七則というものがあって 花は野にあるよう 降らずとも雨の用意 相客に心せよ が私の想いだ。自然体で花が美しいようにお客様がありのままでいて欲しいとおもっているし、どんなことがあっても万全で対応したい・・その場にいる人が調和できる空間でいたいと・・・願っている。かなり過大な表現しているAIさんがいい気分にさせてくれてシメシメと思っているのだろう笑 見立ては本来の用途とは違うものに価値を見出だす 極めて知的な遊び心 精神の深まり 服もそういう所があるんじゃないかなって本来製品の作り手側から想像つかないほど、お客様ご自身のキャラクターと持ちアイテムで自由にコーディネイトしてもらえているところがある。お洋服も喜んで嬉しいはず!!お茶では見立ては見る側の精神性でもあったりする、着飾るや若作りって表現は私は好きじゃないお洋服は脇役でサポートするアイテムだから主役は着る方で着る方の精神 着飾る必要はなくて花は野にあるように・・自らの精神で美を見立てるのが生きることかもしれない。

page top