AKO’S Monologue

  • COLOR

    服の柄や、素材や色が好き。だから、なるべくお店にたくさんの色を揃えていたい。色は気分明るく元気になれたり楽しさをプラスしてくれる。この22SPRING・SUMMERは、とってもカラフルな色のアイテムが多い。トップス、パンツ、シューズ、バッグと色をあちこちで楽しめそうで原色系~パステル、クスミカラーなど色のバリエーションも豊富!だから、色の組み合わせのコツがいる!答えは、一つではないけれど0.1~0.9小数点以下のある数を足していくみたいに、微差が大差になっていくようなオシャレの楽しみ。そして、ファッションスタイルも今までのおしゃれの様子から風向きが変わりだしてきたように思う。。変わり目、変化し始めた時!!マイナーチェンジし始めたアイテムから新しいスタイルが出てきている。。いちばんわかりやすいのはボトムの変化!!シルエットが変わり始めている。スニーカーシューズは相変わらず履きやすく動きやすいから人気だけれど少しずつ綺麗めな印象に見える靴にチェンジし始めているのも事実。。最近、色でブルべースORイエローベース 世間で色についていわれている、これはお肌のトーン色でファンデーション×アイカラーの色。カラー診断も春夏秋冬との診断などもあるようで店頭でも質問される・・。一つの目安にする程度はいいけれど、呪縛に取りつかれたり鵜吞みにするのはどうか??な?って思う。なぜなら、服は【 素材 × サイズ × 色があるもの 】=それぞれのアイテム(トップス、ボトム、靴、バッグ、ソックス、インナー)× その方の化粧 × 髪の色 × 目の色 × 雰囲気 までもあわさるもので トータルの印象が決まってくると思う。だから、一つで決定づけるものでもないと私は考えている。それに着る超本人の気持ちや気分が最も大事なんじゃないかな・・って思う。いくら似合うと言われても本人の気分じゃない色は着ない方がいいし無理する必要はないと思ってる。日常では等身大がいい。。

     

  • SIN=GI

    信じるという言葉をつけたので思い浮かぶのは・・・信頼だったり自信。自分を信じる 自分の素の根っこで自信をもつってなかなか難しいこと。根っこが揺らぐこともある・・ただ、コツコツと積みかさねてやってきた(do) だけが自信にちょっとづつ加えられていくように思う。。自分がしてきたコト(言葉遣い、人に対しての接し方、ふるまい、態度、約束 etc. )人に信じてもらえるってリアルな日常の小さな小さな小さなことだけ・・・。いつも色色話していて、気づきやアドバイスになることを投げかけてくれる周りに感謝。自分のに私情に左右されない超次元的な捉え方、客観的視野でとらえる事、先ずは疑う事、疑問に思う事。一方向な見方で物事をみない、など安易で簡単なことじゃない。数字や結果だけでつながる社会もあるけれど、それだけじゃない繋がる社会の一面がこれから大事で重要になってくるような気がする。不特定多数って実体のないどこかもわからないけれど多いこと・・・。 創造と想像。。AI時代は過去のデータや足跡から導きだすことは簡単。すでに答えがわかっていることはスマホの画面上にスグ出る答え。それが自分に当てはまることかどうかな??って問うこと、想像してみることが大事。鵜吞みにすることだけは避けない。。これから情報とどう付き合っていくか、自分の感性をどう磨くか・・・自分自身を信じ疑うこと表裏一体

  • SEXY

    もうすぐ50を前にした友人との会話の中で、「 セクシーでいたいよね 」というワードが出てきた。日本ではセクシーというのがあまり馴染みのないコトバだけに「fuuuumu」想像できるような、納得できるようなできないような感じになった。海外に行ったときにほどよくセクシーな女性があちこちにいたなぁー-と思い出してみた・・。年齢関係なくて若い子よりは断然断然大人の女性と男性だった。咽るようなドギツイ香水ではなくて、爽やかな寒色系の色が思い浮かぶような雰囲気で健康的なのにどこか色っぽいセクシーさがあったなー-っと。自分を自分でよく認識している着こなし、ヘアースタイル、メイク、わがままでも自己中心でもなくて流されない考えをもってキチンと意思表示でき丁寧なコミュニケーションができる一本の筋と、しなやかな曲線のような余裕感だろうか・・。「色っぽい」という表現をしてみて 年齢問わずいくつになっても自分らしい色&カラーを放つというのがセクシーに見えたのかもしれない。色の放ち方もさまざま、自分にふりかけた香水の香りの強さに気づかないような自分ではいたくないし、それこそ イタイ=頑張りすぎ ってそういうことじゃないだろうか・・・。何事も加減かな。。カジュアルへと向かっていた引き算が多かったファッション、これからはちょっとカラー(色・アクセント)を足し算になり始めている。。

  • kyo-sei

    今年もひきつづき矯正治療中・・w 新年迎えると(年をとると・・表現)こちらの継続期間も一つ年を重ねちゃいました。。大きな動きはないものの2週間に一度のチェックは続いていて大陸棚のようなゆっくり動きはしているようです。私自身も微妙な動きを感じとれているのもあるのですが、ホント超超すこー----しずつです。。今日も変化がほとんどないままでしたので、今回は強めのものを使用して動かすことになりました。。わたし自身も以前からなぜ??ソフトタイプのモノを使うのか不思議でたまらなかった・・。先生が少しずつ動かさなきゃ骨の動きが止まると言われたので納得できました。わたしのセッカチの性格だと速く早くというのがあるのですが、早いのがよいとは限らないとはこういう事。適したときに適したものを!!なんでもそうですね。シーンに合わせたお洋服。シーンに合わせたコトバ遣い。早いとか、ラクだとか、面倒だとか、そういうものがあるけれどメリハリつけての事。。しばらくはまた おちょぼ口 生活のスタイル。大口を開けて笑うことも欠伸もできず、大きな口を開けて食事もできない。。ハンバーガー、サンドイッチ、おにぎりなどはもってのほかだし、頬張るしぐさもできない。。歯の矯正が、レディとしてふるまいの矯正も兼ねているところが可笑しい。笑 今のわたしには大切かもなー--。

  • 2022

    ゆっくりする時間があるとぼんやりといろいろなことを考えてみたりした年始。。あまり年明けに抱負!!なんて思わなかったのですが・・・、この新年は、年齢を重ねていることを重々にカンジタのです。。。だから、「 今の今を 」もっと満喫・充実させたいな~~。仕事ができる有難さ、仕事がある有難さ、日常を無難にすごせていることへの感謝しつつ。 もっともっとの欲張りな抱負。どんな人も時間は平等とよく言ったものです。どんなにテクノロジーが進んでも時間だけは同じ。センスやスキルアップも充実させたいなと・・、後回しにしていることをやってみたり、勉強したり、もっと時間を大事にしたいなと思ったのです。

    今 / 自分の人生 

    メリハリをつけて・・時間を使いこなすことが一番難しくて、時間のムダ使いがもしかしたら最も勿体ないのかもしれないって。だから、ボーーーーっとするときもボーっとをエンジョイ楽しみながら・・明るく楽しもうかな。。 

  • 小説

    私は小説が読めない。文学、推理小説などのジャンルが全然読めない。。というか読まないようにしてる。何故かというと影響を大にうけてしまうから・・自分がグラついたり、ブレたり、メンタルがじわじわ弱化するから。あまり相性の良くないその曲を聞くとブルーモード・スイッチが押されてしまう。笑 暗くネガティブが芽をだすので封印したアルバムもある。わたしは影響をダイレクトに受けやすく、決して強くない人間と自分で判断している。「強弱」の基準もないけれど、表層、外見のイメージは別にして・・弱い点もある。人の中には強いトコロと弱いトコロが共生している。だから、私は自分の守備で情報遮断したり、妙なあやふやな広がりよりも、堅実なひとつひとつの接点を大事にしたい。簡単に繋がれる今にそぐわないし、「これでよいのかと?」自問もあるけど・・必要以上より、耐えられない付加から避けるようにしている。それも生きる術。  周りがスゴクみえて劣等感や自己嫌悪していた年頃より、今はずいぶん楽にいられる。まぁまぁ・ぼちぼちの自分を許し、もうちょっとがんばってみよぅってときもあれば「過ぎない程度」でいい微調整しつつ自分で自分をコントロール、ペースをとりながら、と反省しつつ来年の課題にしつつの年末。。

  • YO-CHI

    師走、、ひさしぶりに衝撃が走っった。常々、ユーモアのセンスがないと感じている私。。そう!そういう所が私には足りないトコロ!!というものだった。。以下抜粋。。

    直接的な反応をしないこと。思ったままをそのままに述べてはなりません。素朴さが何らかの意味を持つというのは幼い証拠・・・。自意識の素朴さを卒業して、自分の中の善良さや悪意という資質を客観的に眺めときに繊細に、ときに臆面もなく、状況に合わせて表現できる人間こそが大人。素朴であること、純真であること、そのままでは何も価値はありません。それは傍(はた)迷惑な幼稚さにすぎないのです。

    わたしの日常の心情とはちがう極端な意見だけど、一理ある意見だなぁ・・と思ったところでした。【 幼稚さ 】 というのが響きました。この反面教師のような この忠告のような 私自身、自分を振り返るのにこの年末に響きました。

  • 茶道具・・

    以前、お城、城跡がすきと書いたことがあって、そこに生きた人達の気配を感じるから惹かれるのかもしれない。。城の石垣を見て石切り場の人、運んだ人達、そこの前を通った人達を・・・そして、当時がどんな様子だったのかなって。。茶道具も古いものや貴重なものが多い。。戦国時代は、茶道具で命がけで守るなんてこともあったりでどんな時代?笑 異常さもある。 大量生産の時代がきて物を大事にしない今の日本、いちばんビックリしたのは洗濯するより買った方が安いからという考えもある記事。海外に行ってよく思ったのはお店が少ないこと。市街地は別としても物を売る量もお店も日本は多すぎる。モノが多く溢れているのに満たされてない心の病人が多いという記事も読んだ。とっておきの、お気に入りのモノたち・・茶道具は一期一会のものが全て。一期一会っていう言葉をよく使う知人を思い出す。モノは残っていくけれど、消えていくのは人。前の世代が残していった物事は負の遺産も残っていく・・。今ハヤリっぽいSDGsも自分さえ良ければを一人一人が心がけたら変わっていくだろう・・・。ラクよりちょっと不便だけど・手間をかければ を選んでいけば違うはず。。わたしたちは地球の所有者でもなければ、宇宙の中心でもない という記事 人々が多くのモノに関わっている。

  • 茶道具

    知人のお茶道具の展示会に行ってきました。日常で使えそうなもの茶道具から極上の珍しい物まで、ホント目の保養させていただきました。店主の知人は、お店がオープンするときに知り合ってからの仲。物凄い教養とセンスをもっていると知っていたけど、私と話すときは気さくなお茶目なオジサン・・笑。掛け軸の書(字)も読めない・・笑 ありとあらゆるお道具が並ぶが どれも????だらけで本当にモノを知らないことを痛感した。私がお茶をはじめたキッカケは、おそらく幼稚園だと思う。正座して手をついて何故か?お茶椀を手前2回、にがいお茶を飲んだら向う2回、懐紙にのせられていたのも??ココナッツサブレ1枚の日はラッキー!甘納豆3つの時はガッカリ。当時はあずきやあんこが大嫌いだった。笑 子供ながらに不思議で妙な世界を感じたからかもしれない。それから、時間経ち30後半から初めて身になっていないけど、私にとって茶道は歴史、文化、季節、教養のお勉強時間で師匠に楽しく続けさせてもらっている。お茶と言えばお点前だけがメインになっているけど、もちろんお点前も理にかなった一つ一つの動きが気持ちいい。道具一式のあつらえ全てに表の意味ともうひとつ奥にある深い意味が隠れたりしてとても面白かったりする。なるほどなぁって思う。和歌や古今和歌集、伊勢物語、源氏物語、地名なども絡んできたり、例えば、お正月の祝い意味を隠しもつデザインであったり、古い唐物のお茶碗(当時の海外韓国や中国などからの入ってきたもの)欠けもなく残っているのも奇跡的だけど、誰かの手から手へ渡り。お作のわかっている道具だとその方の生きた証になっていたりもする。。美術館だと鑑賞しかできないけれど、茶道は道具なのでリアルに使用するから扱い方も丁寧に手で触り学べる。

  • 表現

    口頭のことば、目にする言葉も解釈が人それぞれで違ってきている。。伝えた側と受けとる側の考えと解釈のちがい。伝えたいことがうまく伝わらないことも多い。相手のことを考えてわかりやすく伝えたいけれどなかなか難しい。目にするコトバ=情報は多いけど事実に基づいたものかそうじゃないかもわからないものが多すぎる。

    オシャレの解釈だって人それぞれ。「大人っぽい」というのがどういう雰囲気やニュアンスを表現してコトバにしてるかも全然違う。ブランド?価格?着こなし? 結局、一つのアイテムだけでは完成しないのがオモシロイし楽しいことと思う。それがめんどくさい・・って気持ちもわからなくもないけれど楽しくオモシロイことにしたほうがいい。。。「カジュアル」「気品」「知性」「セクシー」の表現いろいろ感覚もいろいろ。その本人のイメージと解釈があるから、私はその方の雰囲気や気分や気持ちを尊重したい。雰囲気だってその人の一部が決定づけているわけではなくてトータル・全部でだと思う。惹かれる色、デザイン、好きなシルエット、落ち着く、着やすいお洋服のセレクトの仕方もその方次第でBESTセレクトがいい。ちょっとの +/足し算 と -/引き算 をお伝えしながら身近でできる楽しみ方、面白くすること、気分上がることが着る事でもある気がする。

  • ご用心

    お洋服、オシャレが好きで来店してくださるお客さま。最近、耳にするのがデリカシーのない言葉のトゲ棘を受けてこころのダメージを受けている方が多い。私も含めてただお洋服が好き、オシャレに興味がある、テキトウなものを着ていたくないだけ・・。決して人目線で服を選んでいるわけではない。自己満足でシンプルに自分の為に楽しんでいるだけ! デザイナーのだれの言葉か忘れてしまったけど、「 装いは知性である 」と。私も思考の現われで装いはその方の一部だと思う。私も含めお客様もコンプレックスがあったり自分をよくわかっているから吟味して選んでいる。洋服を着る事で生活を明るくしたり自分に勇気づけたり自信をつけたりして工夫している、心地よくいられるように・・。それを無意識に思ったことをすぐコトバにして平気で人を誹謗中傷するのはどうかと思う。周りと自分を比較しないし、あくまでも自分は自分と自己肯定できるから客観的に見て服選びしているからのマイスタイルの追及で、流行に左右されない距離の取り方ができるのだと思う。。距離感=コロナで出たキーワード。コロナが始まり2年を迎え「人は人」「自分は自分」とあくまでも受け入れるキャパが必要になってきているのかもしれない。客観的に物事を見れることは大人として必要な技術だと思う。自己中心にしか見れないのは子供といっしょで、自分本位で思ったことをすぐ口にするのは親しい間柄でもどうかと思う。人と会う機会が増えてきたとき何気ない言葉でコミュニケーションに亀裂や相手を平気で傷つける人が増殖中。ウイルスよりも怖いかもしれない。。ご用心。

  • 貯筋肉

    創った造語 貯金を文字ってプラス筋肉で チョキンニク!!筋肉の貯えることも大事だから=貯筋肉。笑 肉体を支える骨や筋肉は大事。先日も研究熱心な深堀りする友達といろいろ話していて刺激をうけた。彼女の得意とするカラダ&生活全般ジャンルを聞いているとオモシロイ。わたしの得意ジャンルと違うけれど重なってくる根源!わたしも服を着てオシャレを楽しむ心も・・結局は身体とこころの健康あってのこと。楽しむ余裕って日常の健やかさだと思う。この健康維持してのもの。健康の維持の仕方も人それぞれでいい。前は、若さが眩しく輝いてみえたけれど、今はさまざまな経験からの考えを持った大人女子と話しているとなんとも言えないえないしなやかな美しさを感じる。お店前の街路樹が赤黄色、濃いえんじ色の枯葉が風に舞う・・掃き掃除しても はらはらと落ちる葉はきりがない。青々と生い茂っている葉には目が留まらなかったけれど、色のせいか・・うつろい、はかなさのせいか目がいく。若さに固執することなく、はかなさ・・可憐・・今を受け入れて今がこれからの未来をつくるから。なんでも・・。 

  • NIWA

    庭掃除をしていると夏に比べて雑草の生えるスピードと勢いがゆっくりしてきたことを感じ・・落ち葉がふえ、金木犀の花も散り、ピンクのさざんかが咲き季節の移りゆくのを感じながら庭作業。もちろん、こんなに季節は変わっていても だいっきらいな蚊がいて・・・ニガ笑 綺麗にしていけばいくほど、小さな小さな草が目にとまり気になっていく。。。禅寺の美しさを最初見ると正直、異常さを感じてしまうトコロがあるけれど、いつも手入れをしている方からすると自然とそうなっていってしまったところがあるのだろうなぁー--と思った。私の庭掃除もそうだったから・・・。綺麗にすればするほど、シンプルになればなるほど、整えば整うほど際立つ乱れと崩れ。花びらが散っていってしまうのでほどほどにして作業終了。草をとっているとうら銀シジミ(蝶)が私の気配に飛び立とうとするも飛び立てないでいる様子でいた。目を離すといつの間にか飛び去っていたがきっと冬前にいなくなってしまうのだろう。。庭作業していると意識の仕方で見えてなかったものが見えてくるもの。虫は嫌いだけど、いつの間にか姿を消す虫たち。意識の仕方・置き方は自分自身で変えることはできる・・・なんでもそうだと思う。。。大人になって変えることは自分自身でしかできない。。エレガンスって「選択する」という意味を持っているそうだ。do or don’t を選ぶのは自分。エレガントな女性は自分の意志が色々なところで感じられるからステキに映るのかもしれない。。 

  • 林檎

    頂いたリンゴの香り良いのでついつい2個ペロリ食べてしまいました。歯ごたえシャキッシャキと甘みもあり私好みの食感としっかりとした濃い味・・矯正始めて以来のリンゴだったような気がします。笑 歯茎と歯が痛いのでリンゴが怖くて怖くて避けていたところ・リンゴのあまい香りの誘惑に負けて食べると・・虜・禁断の果実だけあるある!味! お客さんと林檎話題で花咲き、リンゴ種類の情報交換いろいろ聞きました。因みに、頂いた品種はシナノスイート。頂いた方に果樹園さんの名前を聞いて即電話する入れ込みよう・・笑 なかなかつながらない電話やっと18時過ぎ遅い時間の電話も失礼と思いつつもトライ。もう一度あの味が食べたいなとようやく繋がり、農家のおじちゃんのぶっきらぼうな言い方で「もうシナノスイートは終わったよ」「次はふじで12月」と言われ切られてしまいました。収穫の時期が短いのもあり、その旬のその瞬間を味わうこと!!色々調べてみると林檎の品種ごとの収穫時期はそれぞれ。。それぞれの林檎をその時々で楽しむものだと。。もう今年は食べられない・・・シナノスイート。ちこちゃんに「ボーっといきてるんじゃねぇよ!」っと突っ込まれたいところ。旬=一瞬だわ・・旬を味わう「時」を感じた。そして、「その時」を満喫する。また再び一年後食べる味を楽しみにして待ちたい。。

  • GO

    となりの島根県だけど山口県と勘違いしてしまう津和野に行きました。かっこいい城の石垣がある津和野。小高い山頂にあるからこっそりひっそり天空の城ラピュタのように感じるスポットもあったりする。何度か訪れていたけど初めて今回歩いて登った。去年整備されたらしく新しく舗装と整備されていたのでスムーズに登頂。城跡には立派な紅葉があちこちにあり色づいてる木もあり紅が美しかった。帰り道違うコースいくことに・・人手がほとんど入ってなくうっそうと茂る林、暗く獣道よりちょっと広い道で厚い落葉の上をひたすら歩いた。人の気配なく始めてで土地感もわからない道は、ずっと来た方向を背にして真逆に進んでいた。一瞬、引きかえそうか迷ったけど、2度としない体験になるかもしれないし、道は続いてるからどこかに下りるはずと・・・。突然、明るくなるといつの間にか下山していた。笑 キョロキョロしていると大きな一本杉(確か幹回り4.7メートル)どっしりとカッコよく根をおろしていた。そこは由緒ある神社だった。途中ちょっと焦ったり後悔したりしたけど、結果オーライ!!進んでみれば何か発見あるものだなーーっと。ちっさなプチ冒険もたまにはしてみるものだわ 笑 知らないことをドキドキ楽しむ冒険こころ、、大事だわ!!

  • パパたち

    日ごろほとんど男性と話はしない。取引さんや知人と話をすることがあった。だれも皆珍しく!晴れない様子だった・・。元々明るく活発なイメージだったから会話をしていくと仕事の事でじゃなくて、それぞれ息子や娘のことが原因だった。私に子供もいないし母親でもないから心痛める具合や悩みは想像つかない。皆ぶ厚~~い雲が覆っている様子のだった。自分本人の事なら皆自分で気持ち切り替え、考えに踏ん切りつけたり解決する方へと行動していけるタイプなのに、子供たちのことになるとそうはいかない様子で悩んでいた。。子育てしながら親もいっしょに成長させられるというのは正にこういうことなのだろう・・・それが今なのだろう。正しさではないからいろいろ切なく心痛めるのだろう。そのとき(一瞬)のその答え(かける言葉や態度)は、その本人(気持ちと感情と環境)次第なのだろう。私が彼らの立場ならどうするかな・・っと言っても、子供本人の個性タイプ次第だろうと思う。彼らがあれからどうしたのかはわからない・・。すぐに解決もでないから時間をかけて子供の成長とともにふんわりと薄まっていくかんじなのだろう。。口数少なめ男子たちは相談もせずに父親としてあれこれ考えながら、働きながらいろいろ抱えているのだな・・・って感じた。

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