AKO’S Monologue

  • マロン

    まだまだ暑い日中だけれど、朝晩は涼しく秋の味覚の時期をむかえている。新米だったり、栗だったりと・・。ほっくりしたマロン好き女子は多いのではないだろうか・・笑 わたしも栗は好きだけれど、口にする時期がホント短い。ケーキ屋さんでは年中モンブランはあるけれど・・・。栗ごはんや茹で栗が、口にできるのはわずか。正に旬を楽しむ。 最近、妹が栗をあちこちから10日1度は届くというような取り寄せをしているので 栗剥きをする機会が多い。。最初はいやだったけれど、、ひたすらむき続ける・・・モクモクと剥くという地味な作業を日ごろしない私だから楽しくできていたりもしている。。笑 栗ごはんの栗の厚い皮と中の渋皮を剥くシタ処理が大変。毎日、家族に料理を作っている方にすれば、面倒な手間のかかる作業なのだと頭が下がる。。私みたいに気が向いて「たまに」というタイプだったら楽しめるけど。食べるだけの料理をしない人たちは、感謝しなきゃだ!!稲作をしてお米作りをしている人、スーパーに並ぶ野菜も全て人の手と時間がかかっている。。食品ロス・・ホント勿体ない。罰があたる。。。兼業農家でお米を作っていた祖父がお釜の一粒も無駄にせず食べていたのを小さい頃は貧乏くさいなぁって思った、わたしをホント恥じている。収穫の季節、秋の味覚を楽しむのに、見えていない全てに感謝して楽しもう。。

  • ミエナイもの・・・

    私はただ一つ安価だからっていうのが理由で条件なら買わないほうがいい。高価すぎて贅沢と思ってこれまた着ないなら1週間考えた方がいい。気に入ったもの、大切にする!!もったいない!!を大事にしたほうがいい。一時的感情と気分でお洋服を買うのは正直やめたほうがいい。商品になるまでにいろんな人が関わってお客さんの手元に・・・ミエナイもの(思い)がこもったのがモノ。持っているけれど着られない、買ったけど着られないなら相談してほしい、商品に関わった私のミエナイもの(思いと責任)もあるから。。

    今日は台風去って久しぶりに気持ち良い空の青色と秋風。。空の色って海の青が反射してるから青く見えるって聞いたことがある・・・事実かどうかわからないけれど(笑)ただ人間関係も合わせ鏡(ミラー効果)ってコトバが一時流行ったけど、同じ空間、目の前だけじゃなくて、遠くても・世界中どこまでも反射し始めてる。。。空と海めっちゃ離れてるのに同じ色になるよーに。目の前の事、視覚だけに囚われ過ぎてしまうと息つまることもある。もっと先。。人間だけが唯一動物で笑う事ができて空想と想像できる生き物らしい。。

  • ミエナイもの・・

    お洋服屋さんだからファッションの今&オシャレを提供することは勿論のこと。長年愛用して貰えるものを紹介することや着まわし方やお手入れの仕方をお伝えすることも大事なこと。たまに、以前に買っていただいた服をまだ着てて・・と謙遜されますが、愛用しているアイテムがあること大事にしていること←お洋服も私も嬉しいこと。愛着や愛用ってアイデンティティ。沢山あれば幸せなのかな??っていうこともある。。お洋服事態が好きだからついついコレクションしてるのでいつの間にかあるけれど極論言えば絵画のようなもの・・(笑)10年以上前に買ったパンツをはいてる今日。履かない時期もあったけれどやっぱり好きなアイテム!ファッションやオシャレって価値観だから同じじゃないのが当たり前。ヴィンテージや古着、こだわり、先端のモード、新しい着こなしや価値観になったりするもの。どっちがイイってことでもなければ正しいもマチガイでもない。「違い」なだけで個人の価値観でいい!!これからウイルスと共存してつづく生活、捉え方考え方も変化してくるから衣(ファッションやお洋服)に対しても食事の仕方も住空間環境も変わらざるおえない。ミエナイものが個人レベルで変化しているのは事実。

    強いものが生き残るのではない。最も賢いものが生き延びるものでもない。唯一生き残るのは変化できるもの・・BY ダーウィン「種の起源」 

    この言葉が最近思い出す・・・・ 

  • ミエナイもの

    世の中に見えないもの・・っていうと何を思い浮かべるかと言えば・・・風、空気、スマホの電波、音、愛、思い、考え、雰囲気、ストレスなどもあったり。。想像してみると世の中って見えないものだらけで多いことになる。久しぶりに熱量高めの思いと出くわし、好きなんだろうな…って・・。会話の中でのエピソードを聞くから伝わってくるものがあった。視覚だけに頼りきっているインスタグラム(写真、映像)だけじゃなくて、見えないものをいかにして伝えるかという事が大事になってくる気がする。。

    何故か??って。今お洋服・アパレル業界も、地球環境を考えた取り組み、過剰生産大量在庫問題、ごみを減らす=CO2削減や安価なお洋服ファッションなどで使われる原材料の生産過程(農薬散布、労働環境、悪状況など)も課題になっている。今までは見えていなかった事を伝えながら、考えていくことも大事だと思っています。一人の勿体ないと思う行動や大事にすることでずいぶんと環境に変わるし、ファッション・オシャレが好きだからこそ好きなことを徹してその背景社会にできる事も考えていきたいなと思っています。

  • 10年後

    会話でTVを見ない私だから今話題の人や俳優さんの名前はほとんど知らない。。先日ずいぶん話題になっていた鬼滅の刃をTVで観たと言ったら、大笑い・・。好奇心ある方だけど、興味ないことは放置で大して困りもしないのでそのまま・・。そんなだからTVを観たときはなるべく情報収集。映像の進化をしていて面白かった。VR経験したことがあるけどその初体験は面白く興奮した。想像以上というより想像もしてないことだけに無邪気に楽しめた。自分が知る事なんて極狭で極小。世界観や考え方を広げてくれる情報や事って世の中に溢れていて、これからドンドン芽をだしてくるのだろう。1年後も想像つかないけど、10年後はもっと進化した社会や世界になってるのだろう。進化と退化(劣化)は同時におこる。自分の事だけは想像もつき希望も理想もあっていいはず!!だから、自分事は自らで日々コントロール調整する。そして、時代の波が津波のように襲ってくるのか、それとも変化を感じていて馴染んでいけるか・・今だからもうちょっといろいろ広げていなきゃ 自分の頑固さと腰の重さと運動不足で沈んでいくだけかもしれない。。。

  • リフレーミング

    へーーーーっと思ったのでアコの独り言・・

    リフレーミング とは、物事をとらえる枠組みを変えて別の感じ方を持たせること ある出来事や物事を今の見方とは違った見方をすることで、それらの意味を変化させて気分や感情を変えること。元は心理学の言葉のようです。枠組みを変えるってなかなかむずかしい。。笑 だって、いつの間にか独りよがりになってしまったり、同じようにしかとらえられなくなってしまうのが老害。いろんな視点角度発想できなくなっている今。。だから、いろんな人の意見や考えに耳をかたむけたいと思ってもがいている 笑。時代もそうだ、前例のない今。。これから10年先に今をどう眺めることになるのだろう・・・と思うと、私の人生中の今は今でしかないから、仕方なく先送りする事柄もある海外在住の親友に会いに行くなどはいけない。。だけど、今できる事があるはず。。心理学を学んだときに、ドーナツの齧られてる部分を見るのか、ドーナツ全体を見るのか、ドーナツの下の皿を見るのか、何の種類のドーナツか見るのか 見方は色色。。生活すべてにおいて、リフレーミングするときと思う。 お洋服も、たかが服されど服!、お洋服屋を始めた最初と同じ気持ちになっている=リスタート!緊張感でおしゃれ、着こなしセンス、情報には貪欲になってるかなーー自分もお店もリフレーミングしてみます。

  • 骨格・カラー診断

    骨格診断・カラー診断から基づいてお洋服やメイクアップ商品を紹介されるオンラインショッピングが多くなった。こういう状況だから利用するのはいいけれど、それを全て鵜呑みにして信じきってしまうのはどうかな??って私は思っている。自分自身のことだけどよくわからない・・というのも事実。自分とアイテムの相性だから、人と人の相性みたいに色色あって当然。相性の悪いものがあったりするのも当然。人と同じで服も個性がある。同じ形でも色が変われば印象も雰囲気も変わるし、同じ形でも素材が変わればまた違う、季節や気分が変わればまたまた変わる!!

    服【色×カタチ×デザイン×素材×季節】×着る本人【気分×体型×メイク×ヘアースタイル×お持ちのアイテム】

    ということで、全く同じ様にはならないのがファッションの楽しくいいところ!

    その楽しい段階、面倒、ニガテ、よくわからないと思う人も、ちょっと自信を無くしたり、ちょっと元気がでないく時にでもお店に寄って気分転換しにいらしてほしい。診断もいいけど、シンプルに身近な所で小さな刺激、楽しみを見つけてほしい。。データーや分析や診断もそれはそれでいいけれど、お洋服の楽しみってリアルが一番楽しいはず!たまに迷い過ぎちゃうこともあるけれど、きっとテンションも気分も上がるはず。。

  • アンチ

    実際に商品を見て選ぶ事もショッピングもできないので、骨格診断やカラー診断などが簡単にできるようになっているようで、ひとつの自分探し、自分を知ることに繋がってるのかもしれない。自分の一人時間が多いと、始めは外に向けていろんなことを考えていたことが・・矢印が内へ内側へ自分へと向かい、自分自身を見つめている人が多いような気がする。。そう考えると私は暗い子だったから中学時代 自分ってなんだろう・・って考えていた気がして多かったかもしれない。普通でいい身長も高くなりすぎ、女性らしくグラマーになっていく周りを見ていつまでもイタのようなバストになんで私だけ?って被害妄想と被害者意識が多かった気がする。笑 普通を求めていてもどこか普通じゃなくて、一般的でいいのに一般的じゃないことに・・今思えばコンプレックスがドンドン増した時期だった。

    無いものばかりに目がいき。有るものに気づかないどころか当たり前で感謝もできず。だった。。コンプレックスとどう付き合うかも正解はないと思う。ただ、高身長の私がこの身長でも仕方ない!!ってホント思えたのは、TVで中国の男の子が身長を高くする手術をして歩けなくなったことを見た時だった。身長は手術で低くはできない!と思えた時に仕方ないと20代半ばに悟ったときだった。。以来開き直れた分、身長をいかしてオシャレをするようになれた。。45歳になった今でもシコリのように思う事あるけれど、素敵な女性の印象にあがるのに身長はほとんど関係ない。笑顔だったり、言葉遣いだったり、しぐさだったり、振る舞いそれよりも他のことのような気がしてる。。

  • ハタチ

    お客様のお嬢さんを接客していて思い出したものがあった。。二十歳の頃って・・ずいぶん前なのに、ズーズーしいけど10年ぐらいのちょっと前のように感じてしまう。。肉体的な変化と精神的な変化もして社会的にも変化してる。わたしが二十歳の時はポケベルだった。(笑)公衆電話の数字の早打ちは誰も凄かった。オシャレにメイクにダイエットに恋愛にと!!部活一筋で遅咲きだったから周りの友達がとても大人っぽくてホント羨ましく思い、自分のコンプレックスばかりに目がいって背伸びばかりと見た目だけに囚われてしまっていた。あれから25年経って自分のことは自分でちゃんと受け止める。過剰な過小も過大もなく・・基準はどこ??となるけど自分自身の思い描く想像のような気がする。「まあいいっか」という大らかな部分「もうちょっと」っていうキープ部分と「まだまだ」って謙虚、学びの部分でいたい。27,8歳のとき40歳のわたしを想像していた。今45歳の私は、50歳と55歳と60歳の私を想像している。ネガティブもポジティブもなくてマイペースのテンポとリズムを作るのがニガテな私たち世代。。コロナ時間、想像空想もいいかも。

  • 数字

    いつもスマホがあって、どことなしか大量のどうでもいい情報が目に入り目にとめ知らずに時間を一気にとられてる。時間つぶしには丁度いいもの・・。友人がこれからの人生の時間を【秒】で例えたことがあった。1日は86400秒しかなくてそのうちの2/3は睡眠と仕事で時間をとられてしまうと・・28800秒。この計算をしたきっかけは、時間をもっともっと具体的な数字にして感じたかったのかもしれない。数字があまり得意じゃない私。。人間を数値化することが極端に多い現代社会。身長体重、誕生日、時間、食事のカロリー、成績、お金などなど。数字に支配されているといってもいいかもしれない。わたしは時計があまり好きじゃない。カチカチ秒針音が鳴る時計は嫌いなものワーストに入る。捉え方一つなのだろうけど、急かされて、追い立てられる気がするのと減っていくのを感じて、自由に制限をかけられてると感じるからかもしれない。ホテルの時計がカチカチなるって最悪中の最悪。笑

    人間と動物の違いって、未来を想像できる能力があるorない からしい。AIは過去のデーターから未来を予想できるから人間とAIの違いはほとんどないのかもしれない。人間とAIの違いは、究極笑うか笑わないか・・思いやりや気遣いや心配り、優しさなどのあたたかい愛みたいなものがあるかないか・・になってくる。実社会はキレル怒りの表現が得意になっている今、喜びや嬉しい楽しいの感情表現がニガテな人はちょっとこれからドンドン孤立しちゃうかもしれない。やっぱり、嬉しそうにされていたり、喜び楽しそうにされているとこっちまで嬉しくなるもの。素直な感情表現ができるっていい。二人が笑顔で楽しそうに会話してると和むものがあった。。

  • kyo-sei

    矯正生活をしてずいぶんと経った・・。今の状況は日時が行ったり来たりの繰り返し。。

    どう行ったり来たりしてるのか・・・というと、具体的に言うと2週間単位で、先生にチェックしてもらっている際、歯と歯の間が開いたり縮まったりを繰り返している。食事の噛むこと、寝相、舌の使い方、器具やパワーチェーンというゴムを使ってうごかしたりしている。それぞれが重なり大陸移動のように歯もじわじわと広がったりとじたりの動いている。カバの歯のように歯と歯の間が大きく開いていたところがくっつき始めてる。先生が歯間を0.1ミリ単位で言われるので面白く聞くだけ。。自分自身では何もできないけれど縮むのを聞くとなんとなく嬉しい。あと少し・・ちょっとだけ違うことがいい。。ミエナイ先に、少し進みを感じられるだけうれしい。。

    お客さんがマスクを取ったときのリアクションを楽しみに・・道のりはまだまだ続きそうだけど。マスク生活と同じで。

  • zatsudan・・

    新作を見てワクワク・ウキウキ高揚感で仕入れもしたいところ・・。服事態をみることも大事だけれど、取引先さんとの雑談や展示会に来られているバイヤーさんの雰囲気や、その場の空気を感じてそこから得ることもいっぱいあったな・・。リモートは便利だけれど、リアルって大事だと思う。雑談やクウキ から発見したり。。。。何を発見するってさまざま。最近、わたし自身が雑談の中で自分の考え、思い、好奇心を知ることになったりしたし、自分の浅はかさもわかったし、一方的な見方しかできてなかった反省もあったりした。雑談(ざっくばらんに談話)するって生活で大切だなぁ・・・って思った。ショッピングしたり食事したりどこかに出かけたり何かすることで、気分転換や刺激になっていたけれど、実は最も近くの家族や友人と雑談するなかで十分楽しめたり刺激になったりすることもある。。父母と私3人で雑談中、興味のない内容に付き合わされることもあるけれど・・笑 母と私がソックリだと父にイヤミを言われた・・母の考えが知らず知らず私に浸透&洗脳されているから仕方ない。。やっぱり家族以外がいい。。友人やお客さんと話をするのが教わることや楽しく面白く刺激がある。。w

  • zatsudan

    リモートで会議や出張になっていることが少しずつ当たり前になってきている。

    アパレル業界もなかなか展示会(出張)に行けない状況がつづき・・実際に手に触れ、お洋服事態を見ることができない。写真や着用画像、動画を見て仕入れをしているけれど・・ハッキリ言って見たいところは全然見えてない。笑質感、生地感もなんとなくでの印象でしかないし、実際の手触りや縫製、細部が見れないのは厳しすぎる。取引先さんの中には、生地がわかるように送って頂いけてとても分かりやすい。「この素材で・・」と想像しつつ写真を凝視している。経験で・・ところもあるけれど、そろそろ限界にちかい。 コロナとの生活でオシャレ&お洋服というものが変化していることを感じている。生活全般を具体的にひとつひとつを見直すきっかけなって1年以上経って2回目の夏を迎えて去年よりは、ずいぶん改善されてる事もあったりする。【当然、ふつう、当たり前】全て違うことになってしまった。今、生活の小さくて気にも留めなかったような一つ一つの選択が、これから先のその人(人間性、人間力)になってくるんだと思う。。大人はいいけれど、今学校生活を送る子どもたちは今後どうなってくるんだろうなあ。。

  • ASE

    夏の時期は冷たいエアコンのかかっているところにいることはホント有難いと思う。。

    その反対に何をするにしても汗をかくのも事実で、お店に来るまでの歩いているとき、掃除しているとき、水やり。。ハンパない汗は自分のカラダと代謝が正常なのだなーーーということを感じるときがある。正常な機能が何かわからないけれど、自分のカラダを感じることも有難いなぁああと思った。自分のカラダの変化をすこしづつ感じることがふえてるから余計にそう思うのかもしれない。。。暑さを感じ、セミの鳴き声とともに過ごしている日常が当たり前すぎて有難さを感じにくい。

    真っ盛りの夏日の風景が映画で観たシーンとダブル。もう少しで広島原爆の日や終戦日。

    真夏日が重なる。。

  • リレー・・

    モノへの執着。。。というふうに考えたことがないからわからないような・・わかるような・・。気に入ったものは手元にずっと置いていたいと思う反面、いつの間にか薄れていく思いがあるのも事実。その変わり様は人それぞれのスパンなのだろう。根っから好きなものと、ブーム的なものとあったりする。モノにしても服にしても好きな色にしても食べ物にしても全て。。骨董品はイッテンもので私もずっと頭の片隅に残る骨董品がある。笑 手に入れられなかったからなおさら気になってしまう…ちょっとしたときに、あれは惜しかったな・・・ってそれが執着というのかもしれない。執着って好きになれない表現だから、なるべくそんな状態の自分でいたくないもの。

    手に入れた喜びよりも、手に入らなかったものの記憶はアザのようになってる。モノがあふれているからひとつひとつの出会いやショッピングが記憶になるのがいい気がする。服は着ている事で満足することはできたりする。モノはそうなると楽しんだ後にある程度人に譲る(リレー)したほうがイイこともあるのかもしれない。。大事にされて大事にしてくれるところへ リレーされるモノは幸せだと思う。

  • リレー

    友達とだったり、お客さんとだったり、本の貸し借りが増えた気がする。人間社会はリレー社会で、情報も文化もマナーもモラルも人と人の間でバトンのように渡したり渡されたりするもの・・。 

    お茶の師匠が持ってこられた本は茶道に通じる陶器やそれ以外の古物について丁寧に書かれている文章がとても印象的なものだった。詠んでいる間中、まるで別空間にいるような素晴らしい本だった。題材もあるけれど、文章(コトバ)と世界観と伝え方が絶妙だった。正直、難しすぎて理解できない箇所もあるけれど、そういうものに触れることでなにか変化していく気がした。。ずっと生活圏内にいるどこにも行けない状況でも・・同じ場所でもこんな気持ちになれるってことは新鮮だった。世界観が違うから新鮮に感じられる刺激となったのだろう。

    負の情報(マイナス)ネガティブなリレーが増えるからこそ、イイもの、大切にしたいもの、大事にしたいものをリレーするのがいい。   その本の中で、モノへの執着にとらわれたくないからと・・・いう文がとても印象に残った。お願いして前の持ち主から譲り受けた品を2,3年手元に置いて次の方へ譲る(リレー)という方が登場した。わたしにはまだよくわからない。。。つづく

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