AKO’S Monologue

  • スッポリ

    東京出張中のこと・・突然アポイントなくなり予定ゼロとスッポリ空いてしまった。ビジネスのチェックアウト時刻は早く行き場をなくしてしまい、こんなにも何もない日に困ってしまいさてはてと・・・。東京で行ってみたいというところも特にはなくで、美術館を調べてみたけど大きな荷物を持っていたせいもあるけど気乗りせずだった。こんなにも有り余るほど時間があって自由なのにどう過ごしていいのやらという私。ユッタリと過ごすというのも至難の業でどんなときもどんな場所でもマイペースを保てるっていうメンタルにかかわってくるのだと思った。私は自分で起こした渦のグルグルした勢いでグルグルただ周り続けていたのをマイペースと勘違いしていたのかもしれない。公園のベンチに座りぼんやりしていながら思った。マイペースでいられるというのはなかなかタフなこと、実はただ流れに流されていただけだったのだと、その方が実はラクチンだったりしたのだとも思った。何かがあることって実はとても有難いことと思った。大都会で何もかもあるのにわたしには無用の長物だった。笑  

  • JITABATA

    先日ミイラ肌に衝撃をうけた私は・・慌ててアレコレと始めた。。タンパク質の量を意識してとるようになったり、ついついカンタンに省いてしまっていた基礎化粧品のお手入れを入念にしはじめたり、お薦めされたオイルを意識してつけるようになったり。。。プロのヘアメイクさんにベースメイクに時間をかけるのが大事!と言われたのを思い出しいつものルーチンの簡単時短メイクにおおよそプラス20分時間をとってのベースメイクをしてと。。。ジタバタしている。手抜きのツケがシワシワごわごわ肌だった笑 手抜きになれきっていた私に反省。手をかけ始めて自分でもわかる変化・・意識するってつくづく大事だなぁあと。シワシワのカターイ肌とほんのり水分を含んだふっくら肌、望みすぎかもしれないけど目指せモッチリ肌。同じ肌も違いがあるように、お洋服の素材でも違いがある手触り、肌さわり、着心地。疎かにしてラクしていけばキリないけど、やっぱり手をかけた時間というのは現われる。カナダに住む親友が菌活をしていて米麴をつくっている?育てている?表現が分からないけれど甘酒を作るためらしい。いろんな菌に囲まれている日本を外から恵まれた環境と言っていた彼女、完全に失う前に気づいたりして突然活動に目覚めていいと思う。まだまだ補えるときになんでも遅すぎるという事はないと思う。 見えないけど見えてくる積み重ね!!!コワイ!

  • 古・・

    お客様のこの服着たいという気持ちに反して多分似合わないと思って言葉にしてしまうことはよくよくある。できれば、より素敵なより似合う服をセンスよく着てもらいたいと思っている。だから、ときに客観的にときに希望やリクエストに沿うように相談される存在でいたい・・と思っている。時に、プッシュするときや違和感あるものを紹介するときがあるけれど、それも新しい着こなしの世界に こんにちは!っということで寛大にいてもらいたい。。お茶の道具組では、掛け軸やお茶碗や茶入れ、茶杓、香合と主役とそうじゃないものがある。目立ちはしないけど選りすぐりの精鋭ばかりにはちがいない。40代からの着こなしは流行にもてあそばれず目立ちはしないけど選りすぐりして購入してひとつひとつ大事にしてほしいと思う。モノを長く愛用大事にする心とキチンと選んだものに囲まれた生活をしてほしい。お洋服に限らずモノを購入するときに意識したいところ・・・。とりあえず購入は御法度!です。合わなくなってしまったものはリユースして、リメイクして復活させてもいい、時代が巡り再ブレイクアイテムがあってもいいと思う。気軽に相談してほしい。春もの夏もの秋もの冬ものシーズンにこだわらず古い新しいモノをミックスで自由に着こなしを楽しむのもオシャレ心だと私は思ってる。年代物の風格ある器たちと同じようにのファッションで醸しだしていけたらいいなーっと・・ふと。

  • いにしえ・・・、古いものを観ることは好きだったりする。お茶を習っていてお点前よりも古いものに触れる機会が沢山あるから好きなのかもしれない。250年前の花入れ、室町ぐらいの陶器、明治のカゴetc.・・・代々人から人へ大切にされてきたものたち、伝来がハッキリしているものが多いのもお茶の世界。一言に室町時代と言われてもピンとこないが400年前と数字で表現されると想像できる。笑 今の私の8,9倍ぐらいこの世にあるモノたち・・いろんな人と場所を点々点々として目の前にあることに何も言わないモノだけど凛々しい風格と威厳を放つ古いからイイというだけじゃなくて神秘なものを感じてしまう。巨匠の絵画の華々しく脚光を浴びる存在とは別で、ひっそりと地味であったりするけツワモノだと思う。欠けもなく割れることもなくそのままの状態で時間を渡ってきた物。時によってはモテハヤサレタリ、肩身の狭いところに追いやられていたときもあったはず・・時代に漂流しながらもブレず個々の独特の存在を放っていたのだろう。ファッションスタイルも同じように思う。時代に漂流されてしまいそうになるけれど、ブレない自分の好みや気分を大事にしていれば、いつの間に自分のスタイルになっていいと思う。時代に合う合わないは多少あったとしても、服を着る本人の気持と満足感が大事なような気がする。つづく

  • いま

    今、現在のわたしを知る機会が多いこの頃。お客様のワンちゃん抱っこしてツーショットに写ったミイラ肌のようなシワシワの私‥昼前の明るいおひさまの下ですべて露にされた・・涙。ツヤとハリが欲しいいいいいと思い。久々に山登りして息切れする体力と10か月前の山登りの時と全く違うカラダを知った。日常にない動きをすると気づかなかった自分と遭遇し向き合うことになる。。。山頂から眺める景色はまるで宇宙人になったような気分で眺める事ができる。私ひとりの肌や体力や身体なんて全然お構いなしの社会、だけど一人一人の一喜一憂してる感情があるのも事実。マクロでみるのか?ミクロでみるのか?マクロで見たらミエナイものだらけミクロを突き詰めていっても苦しくなるだけ・・。いつの間にか山道は、ヒトの足跡にすり減った岩やすり減った土で木の根が浮き出てしまい、多くの登山者に掴まれている幹は磨かれたようにツルツルになっている。ささやかなことが少しずつ少しずつ繰り返されることが人間社会のような山道、私自身も同じようなもの・・。形あるものはいつか壊れる。形あるものはいつまでも残る。ごみと思うか資源と思うか・・、なんでも紙一重、相反するもので一つのような気がした。

  • FUTSUU・・

    退屈な日々が人を老化させていくというわけで「もう歳だから」を口にせずやりたいことがあったらいくつになってもめざすという意気込みが大事だと・・。自分らしさって外に探しにいっても見つからないかもしれない。自分の中から出てくるもので強制されるものでもない、ヒントは周りにあるかもしれないけれど自分で気づくもの。。そういう意味で前回のシャネルの言葉だと感じてる。シャープで凛々しいシャネルの言葉が私は好き。生きた時代と背景、境遇からシャネルがシャネルになっていったのだろうと思う。【イイ女とは??】ずっと関心がある。ただ外見だけじゃない女性。私がこんなことを言ってはいけないがオシャレに見せる見えることなんて(しゃべらなくて一瞬だけのものであれば)超簡単で即席ですぐできてしまう。イイ女というのはオシャレな女性とは全く別者で・・ずっと探求と研究している。きっと生きている限り完成されることはないのだろうとつくづく思う。日々バージョンアップされいつも現在進行形だから。ただ痕跡は振舞どんな言葉を発したかで周りが密かに感じている事。きっと自らイイ女と自己評価できるものではないもの。。イイ女はオリジナリティーある発言ができる、周りに左右されない考え、周囲に迎合しない振舞のする女性だと感じてる。そういう人同士が会話すればいつも新鮮でどこか自分を顧みてUPすることのできるもの・・。

  • FUTSUU

    普通ってなんだろう?? 何気ないふつうの会話の中で盛り上がることのできる関係って貴重になっているのかもしれない。シンプルにつながること。興味や好きなことをとおしてだったり、見聞きしたことだったり、知らないことでもお互いにおしゃべりが弾み楽しめる。YouTube、TV、インスタグラム情報が一方通行中で、正否、肝心なことを発信しいてないこともある。だから、ケースバイケースでどんな人が言っている事なのか誰が言っている情報なのか 、少しキョリをとって情報にふれることができたらいいなって思う。3歩はなれて・・・。ふつう一般向けの発信よりもそれが当てはまらないのが大人なのかもしれない。お洋服も若い子には流行アイテムや着こなしがあったりする。それを40代~がすると少し違う気がする、とわたしは思っている。ムリもあるし違和感もあるしイタイタシい。【シックと地味と老けるの境目、カジュアルと生活感の境目、オシャレと頑張った感の境目】狭間の中で加減を探してる。自分に合うその加減というのは、料理でいう味付けの隠し味や最後の効かせる調味料次第のような塩梅になってきている気がする。おだしはその人の普段の言葉遣いや行動や振る舞いなのかもしれない。もっといえば、日ごろの手入れやケアになってくるのかもしれない。年齢でも体型でもない。シックリくる自分らしさ。。ココシャネルが20歳の顔は自然から授かったもの、30歳の顔は自分の生き様、だけど、50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る。と続く。

  • RENSA

    優しさが連鎖するのか?しないのか?と話題になった。そもそも「やさしさ」ってなんなのだろう?? 親切、思いやり、気遣い、ともちょっと違う気がしてる・・わたしは受けとる側が感じるものを「やさしさ」というような気がしてる。具体的にコレ!!という行為がないものだもの・。優しさの押し売りは全くできない。恋愛で異性にどんなタイプがいい?って優しい人がいいって・・さて優しいって?ということになる。ヒドイ、冷たい行為は思い浮かぶけれど 優しいは奥が深く年の功のようなところもあるし、立場が変わってやっと気づくこともあったりする。人間関係で悩み傷つき、恋愛で傷ついたからわかる人の優しさもある。傷ついた分優しさを感じられるようになっていくんだと思う。くやしくて泣いたり悔んだりした分同じことを繰り替えなさいようになっていけるのかもしれない。大人になったら煩わしい事めんどくさい事を避けることも多くあるから、幼いときの経験はなんでも大事だ、けがも冒険も、恋愛も、けんかも理不尽なことも貴重な体験だ。。その経験で今の自分のモラルだったりができてるところがあったりする。人間社会で優しさを感じられないって寂しいような。当たり前(当然)となれば無意識、無感覚だから相手を傷つけていることさえも気が付いてない人も多い。感じとる能力がある分傷つくこともあるけど、優しさを感じることができて豊になることもあるはず、感じとる力がその方の人間力のような気がしてる。コロナ症状のような無味無臭のような人間ではよくない。。

  • 秋晴れのことをここでも度々書いている・・毎年思うことは同じ。笑 今朝いい天気で、ふと空の青さは海の色が反射して青いんだったなぁと思った。自分の思い込みや自分のものさしで狭い視野になってしまっていたりすることに気づく。文中に、宇宙人がいまの地球の人間をみたらという文章があった。笑 そういう見方ね~想像もしたこともなかった笑 地球上を人間が支配しているように見えていた時期もあったけれど、現代は AI やインターネットサービスに振り回されていてコンピューターの一部分・パーツのようにしか映らないのではないだろうか・・というようなところがあった。操っているようで実は操られている。自分が自分を癒し喜びを与え楽しみを感じ探すことを、コロナが大きなきっかけになったような所もある気がする。旅に出られないから何よりも旅行が好きなことに気づいたり、映画音楽、ペット、植物や家庭菜園、料理などなど、自分が好きなものや興味のわくもの夢中になれたり、惹かれるものって自分の内面でしかわからない。 空のように映る色で青く見えるように・・・何かをしたら何かが感じられるかもしれない。服だって見るより試着してみたらかすかな何かを感じるように。季節が変われば何か気分も変わる。日暮れが早くなったなーっと思えば冬に近づいてるのだと感じる。宇宙人目線で自分を見れたらおもしろいかもしれない。それが無理なら10年後の私が今の自分を思い出したときを想像してみたらおもしろいかもしれない。

     

  • ポロっと

    面倒くさいに意味があるんじゃないかなと思う。。。近道だけがいいとも思わない。遠回りしたから見える景色も感じとることもあるはず。面倒くさいけどそれだけ手間ひまかけていくとそれだけ違いになるんじゃないかと思う。無駄を省く苦痛を避けることもいいラクをとってもいいけど、それだけ何かを得ているのだろうか??虚栄、虚像 ネット上がすべてではない気がしてる。ネット上の感動や共感や注目が自分にあてはまるかどうかは別問題のような気がする。ネットを使う側にいるようで、ネットに煽動、コントロールされていることもある。切り取られた写真の景色がとても美しいの場所なのだろうか?目をひく着こなしが自分に似合うかどうかは[??]で、他人の美味しいが自分の好みの味だとは限らない。自分が自分の良さも欠点も好きもニガテも知っていく事、周囲と間をとること、大人の成熟度を増すこと。間合いが大切だろう・・人との間が人間=人の間・・余白。間合いの取り方と余白のある人は素敵だと思う。間合いって無関心でも無頓着でもいけない、意識しないかするかの境目!!どれだけ意識しているかしてないか自分に他人に社会にがその本人の成熟の現われのような気がする・・・。まずは自分の面倒くさいをするかしないかが始めの一歩のような気がする。面倒くさいって言いながらもしている人が何かをKEEPできてる気がする。めんどくさい と言葉にしてもいい、みんなめんどくさいのは同じ do  OR  don’t は物凄いツケで返ってくるはず。世の中、メンドクサイが社会で生きてる事のようにも思う。。

  • シーン

    昔は一生モノという言葉でお洋服を買っていた時があった・・笑 それが幻でしかなかったこと今の私にはよー--くわかる。変わっていないようだけど否応なしに変化してくる肌の透明感、しわ、たるみ、体型、姿勢、体の節々の痛みと故障etc. それに伴いキモチと気分はもっと変化する。2日前の暴風台風が通過して朝晩グッと冷え寒さを感じ気分よりカラダが突如温かいモノを求める。気候も変われば気分も変わる。環境が変われば馴染みながら変化もしいく。コロコロ変わるから心というけど大胆には変化せずとも樹々の紅葉のようにジョジョに変わっていくから仕方ない。。購入してすぐ着るタイプとネカして着るタイプがあると思う。私はネカして着る方かな・・笑 仕入れの時点で自分用に入れておく時もあるし、店頭でお嫁にいかないモノのときもあるからワンシーズン時差でズレるときもある。自分に似合わないものは着ないし買わない。気に入っていたけど違和感のときはサヨナラの時かもしれない。単品でなんとなく似合わないかなって思っても組み合わせと着こなしでチェンジ&カバーできることもある。サイズ感が変わってもお直しなどで工夫できることもあったりする。出番多くて生地の傷みや変色で渋渋サヨナラもあるかもしれない。立場によって生活環境、ステージが変化する、長いお付き合いができるお洋服というのが大事なんだと思う。選りすぐりのベストメンバーが段々と増えていくクローゼットが私はイイと思う。たった10着だけで自分が満足できるはずがないし、シーンがワンパターンのはずもないのだから無理じゃないだろうか・・。

  • 造園

    初めて造園屋さんに庭木の剪定をお願いした。気になるところは金額。だけれど、価格で判断するというのはどうだろう??ファッション業界なんてファストファッションが登場して以来、価格競争&判断基準が金額に偏っている。金額重視で判断するというの社会で取り上げられるSDG’sに反していることも思う・・。コスパという言葉もあるけれど、しっかりとした理由あって対価として存在する。例えば、海外ではいいサービスを受ければチップもはずむもの。芸術家や工藝の作品は金額だけでは判断できないもの。造園屋さんも技術職。作業は8時前に来られ段取りと手際のよさで作業開始。なにより驚いたのがこの木はなにも整えられていませんね・・の一言。だた伸びた枝を切るのが造園屋さんの作業ではなく、時間をかけ枝ぶりや木の向きや形を整え庭全体の景色を作っていくのが造園屋さんの腕の見せ所のようだった。時間をかけ手入れしながら作っていく庭木たち長いお付き合いの始まりを感じた。創業100年以上の畳屋さんに頼み紹介頂き、ネット掲載のない造園屋さんで長年任せられている庭木たちが多いのだろうと感じた。この木はどうしましょうか?あの木はこちら方向に伸ばしていっては?何もわからないのに意見を聞いてくれつつ提案して頂けるから有難かった。私もそういうお洋服さんの接客を心がけたい。できるだけクローゼットの物たちを時に休ませながら主役に抜擢させながら長いお付き合いの仕方(コーディネイト)を提案していきたい。

  • たいふう

    せっかくの3連休・・台風の気配がして予定変更の方もいらっしゃるかも・・。2004年四国で被害のあった台風経路とそっくりらしい。2004年っていくつ?って記憶をたどるほとんど思い出せず・・笑 当時28才の私 十分大人のはず・・笑 30の壁 が近づくと出逢いを求めてたり、食事に行ったり、夜な夜な友達の家で夜更けまでおしゃべりをしていたような。社会も移り変わったように、私自身もずいぶん変わった気がしてる。男性との出会いを真剣に悩み、コレといった趣味もなく、明け方まで元気だった体力、いろいろ思い出せば単純によく笑えていた時期でもあった。スマホもないのにどう約束していたのだろう?別れ際に次の約束や予定を立てていたのかもしれない。ギクシャクしたり、はしゃいだり、泣き笑いして密だった。若さなのか・・会う頻度なのか・・おしゃべりのせいか・・。スマホで簡単に繋がることも出会うこともできるようになった、男性とは付き合っていなかったけれど女同士の友達つきあいで表面上だけじゃない思いや考えを伝え、気持ちをくめた。決して広くはなかったけど・・。便利な世の中ではあるけど、不自由さ不便さの恩恵もあったのかもなー-。進化のはずが退化なのかもしれない。。

  • 続kyo-sei

    『ふつう』の呪縛 から解放される頃なのかもしれない。コロナ静止から社会が動き始めていろんなところで価値観の違いを目の当たりしている話をよく耳にする。職場、友達同士、知人程度にも。『違い』をどうしてだろう?なぜだろう?って考えたところで答えは出ないはず。思ってもみないこと、考えにもうかばない事をすることが身の回り多いから、違うことを受け止めて生活するしかない!私はその点 結婚もしてない、出産もしてない、家族や会社に所属してないから、ないないないだらけだから気楽で関わらずいられるのかもしれない。しないを自分の意志で選択してるから周りから言われる筋はないと思ってる。ドリームキラーならぬ根拠のない『ふつう』を振りかざしてくる普通亡霊。普通亡霊の最も怖いところは悪意なく善ぶって振舞う言動。人は毎日6万5千回選択しているそうだ。戦国時代みたいに命とりになるような言葉遣いも選択もない身分もない世の中。6万5千回の選択には何を言うかどういうかという事も含まれているはず。本音と建前、裏表、二枚舌などの人がいてできるなら遠ざけていたい。見極める観察力、騙されない能力を身につけたい、机上のお勉強だけの知性ではこの社会はとても生きにくい気がしている。知性と知恵が何なのかを改めて考える時期になってきている気がしている。外見よりなりたい自分の内面人物像を描くことと、なりたくない反面教師と逆の行動をとる まずはそこからかな・・・できることって。

  • kyo-sei

    半年ちがいで矯正治療始められたお客様はブラケット(金具)がとられていて今は違う装具の新たな生活を送られていて「よかった!」というのと、同時にその生活2年ぐらい続くと聞いて長さを感じるとトホホホ(-_-;)。始めた時はおおよそ覚えているけどその間の治療5年をあんまり覚えていない。笑 どんな様子だったか思い出そうとしてやっと装置や生活を思い出せるぐらい。そのぐらい痛みも苦労も辛さも不自由さも忘れている。笑 人間のイイところなのかもしれない・・忘れることって。いつまでも覚えていることも、事と場合によってはとても大切なことだけれど、忘れることも大事な気がする。矯正治療してみて、歯だけではない生活習慣、クセをずいぶん矯正的に変えなければいけなかったけれどいつの間にかそれが当たり前になってるもの。ただ歯並びを良くしたいだけで始めたけど寝相、頬杖、噛むこと、舌の使い方、姿勢、等々生活全般に繋がっていた。。41歳で始めてもっと早くしていればなーと思ったこともあったけど私にはこのタイミングだったんだと思う。人それぞれに合わせた人それぞれのタイミングがあると思う。例えば、結婚、出産、転職etc. 早いも遅いもなければ『ふつう』ということもないはず・・。流れに身を任せたり出逢いだったり、本人が決める意思だったりするはず。つづく

  • IMA

    半日風に吹かれていたらたまに、ヒンヤリとした空気の風に出会うことがある。秋の気配何か欲しくなった・・具体的じゃないけど・・何か・・。蝉の鳴き声も薄くなって儚げでさみしさを感じるからかもしれない。ずいぶん前お客様が「秋ってなんか寂しいからきらいなのよね・・・」っておっしゃった記憶が残っていて、私が仕事を始めて間もない頃でちょうど今その方と同じ年ごろになっている。日ごろ明るく元気でアクティブな方だったから意外な言葉のギャップがあったから鮮明なのだと思う。年齢のせいかな・・??って思ってみたりしたけど、もしかしたら夏を満喫してすごしたからかもしれない。歩いているだけで汗だくになり、猛暑の中作業したり、年甲斐もなく海で遊んだり海辺で過ごした時間が多かったこの夏。フリカエル ってことは時間が経っている。カラダで感じたことは印象深いからかもしれない。笑 不器用なわたしはなんでも体当たりで経験しないとインプットされない。先日本を整理し処分した読んだだけでどれだけ記憶に残ってるだろう‥不安になった 笑 残念ながら残ってないだろうなぁ・・って。。。まぁー--いい。記憶も大事だけれど忘れてるってことは前を見てるって証拠だもんね!!って 過去と未来の狭間が今ってことだもの。 

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