幻想
王宮の庭やパラソル並ぶカフェのある通りや厳かな教会のある広場で、目にする日本人は私だけ・・なんだなぁって思うシーンがあった。そのとき感じたのが、一人一人が別の個性をもつ存在【すべては違う=同じ人は一人ともいない】ということ。日本だとみんな似ている雰囲気でいると同じと錯覚してしまう環境になってしまうと・・。印象だけならほぼ黒目で黒髪で近しい雰囲気・・日本にいると同じ=いっしょと視覚から自然と勘違いがおこる、コミュニケーションの前提が同じ(いっしょorわかる)からになってしまうと気づいた。だから、自分と違いになぜだろう?どうして?と考えたり、差異を感じ否定や攻撃になって出てしまうのだと感じた。そもそも親子、兄弟も別人格で「個個ちがう」地球のすべて人が一人単位で違う性質の存在ということを認識して【違う事】が当然だと社会生活を送れば、主張する前に双方互いに歩み寄るようになるではないかなと思う。社会生活を円滑に送るには違う者同士だからルールや見えない道理や倫理感でより心地よく過ごせるのだと思う。主張したものだけの意見、どちらか片一方に偏りつつあるのが今の日本じゃないかなぁっ・・。もし社会ルールが交通ルールの信号だとしたらどうなるか大事故や大渋滞混乱するのが想像つく。違う環境で育ったそれぞれの世代、性質や能力や体力も違う個人個人が社会生活を円滑に行うようにある程度の社会ルールがなきゃ成り立たない。ある程度って・・どこがおとしどころなのだろう?マナーって社会生活で周りに迷惑をかけない為の見えない良識似ているや理解し合えるし合おうとすることや気が合うという事が奇跡と思えばいい、公平はあっても同じは幻想と思う。