AKO’S Monologue

  • 俳句

    先日何気に見ていた俳句のおとなチームVSこどもチームのTV・・俳句に触れることもなかったしほとんど興味なかったけどオモシロイなーって思い興味が持てた。5・7・5の世界この短くシンプルでいて情景や雰囲気や心境や醸し出すこと言葉の表面だけではない奥や深みがあるのを感じれて、感覚やセンスの個性をも表すのだなーーって。その番組で大人のアザトイ表現やテクニックが鼻につくのに対してピュアな視線や感じたものをそのまま表現できる子供たちの才能や無垢の良さを作品で感じた。最近、子供でも大人でもない年頃の方を接客して心地よい思いをする。とても心地よい爽やかな風の様な感じで、透明感というか濁りがない様子が美しかった。まだこれからの途中の様子だから良いのだろう。完成されてない、作り込まれていない、計算されていない、シンプルな様子がよかった。隠しもしない、自分で自分をつくらない感じが眩しかった。緊張したり恥じらいもあって言葉少なでも伝わってくる嬉しさや喜びはいっしょにいても伝わる。社会人になり知らず知らずいつの間にかテクニックを使い、四方八方覆い隠していくしかないのが大人なのかもしれないなっと気づかされた。テクニックって良く言えば経験と知恵の賜物で、反面薄汚れていく警戒や守りの壁なのだと。ある時からテクニックのないシンプルな大人の自分だけの環境を取り戻していく必要があるんだなーーーと思った。社会で身につけた防御の鎧のようなテクニックもいらない、シンプルな付き合いができるかが大切なんだなっと感じた。計算して作りこまなくていい関係、相手の意見を悪く深読みしない関係。俳句のように響き共感できる人同士の感受性の時代に益々なってきているのかもしれない。

    ようやっと 俳句の奥に 気づく吾。w

  • リレー

    夏休みになり帰省をされお立ち寄り頂くお客様にほんと感謝。大都会のビルディング群どこまでも光広がる夜景を1m四方の窓から眺めて思った。想像しきれないぐらい大勢人がいるんだなーーってそして知らない人だらけと思ったら不思議だった。知らない人が住んでいるんだから自分が接する人や目の前の人に丁寧にいればもっと世の中の角がまるみを帯びるような気がしている。丁寧にという表現もちょっとニュアンス違う気がする、尊重?もし立場変わればを想像してみたりふさわしい表現があまり見つからない。節度もってだと硬いけど60年前だったら日常にあったのかもしれない。祖母からそういう雰囲気の事は注意されたような記憶がある。気を張りすぎる、気遣いしすぎもよくないけど気は人と人の間や空間、せっかく同じ空間を共有するなら知らない者同士気持ちよく居れるようなちょっとした工夫はできる。大勢の人が動く時期だからこそ工夫って自分で想像しながら、ちょっとした優しい振る舞いをしてもらったら次は自分の番で真似てやってみながら・・優しいリレーが広まればいい。お盆近く同窓会など久しぶりに会う機会もあるかもしれない、多少の縁あっての再会で優しいリレーがあちこちで広まればいいなと思う。

  • 日本語

    恥ずかしながら本が読めだしたのは独立してお店っを始めてから。出張の間YouTubeや気になる文に目を通していた。しかし、どーーもわたしの頭が日本語に弱いから理解しながらついていけなくてつまずく。笑 同じ?日本語?のはずなのに残念ながら理解できず何度も聞いたり読んだりを繰返す笑。おそらく表現されてることの1/5もキャッチできていないあり様。誰か日本語を教えてほしいなぁ~。辞典で調べても同じ言葉の行ったり来たりでぼんやりで前進することもできないゲームの中にいるようだった・・例えば、認識、意識、意思、思考、概念、情緒、感情なんとなくでやってきていただけに何かちゃんとせずで、前後の流れでこんな感じなのかなーーってぐらい耳で聞きながらの理解になるともっとついていけてない巻き戻しては聞く。辞典のことばの表現も限界があるのかううううむ。。一つの単語のニュアンスの捉える感覚がないからついていけない事をもの凄く感じている。深みが足りないからなのだろうなぁーーーーって。岡潔数学者がいう情緒や小林秀雄の雰囲気、感性ある頭のいい人達をちょっと知りたいと思う憧れからムリがあるのかもしれない。日本人っぽい所を濃く持っていた人達が何を感じていたのだろう?興味があった。国語は全教科中ビリのこの私が50歳目前でやっと今ごろ触れている。笑 遅咲きデビューでも単独の言葉が難解で分からないなりにも雰囲気だけを味わっている・・笑 頭は混乱だけどゆったりとした気分になれる 笑。可笑しいけど全然分かっていないのに楽しい。ちょっと穏やかな時間の流れ何となくほっこり豊かさが感じるその気配、雰囲気に浸るだけでも楽しめるってだけでもいいのかもしれない。お勉強って理解するってことだけが答えじゃないのかも、何かほんのり感じれることがささやかな幸せなのかもしれないって思った。

  • 2025.7.25

    綺麗なブルーとペパーミントの色×色で暑い夏を爽やかにコーディネイトする。寒色系の色で涼しげな印象はパッと華やぐ大人のコーディネイト。元気な印象は色からスタート KEY:水色のミュール

  • 会う

    接客をさせて頂きながら沢山の方とお会いし話をする機会のチャンスをもらえる。沢山の方と日常の事から人生イベントを様々~接客の醍醐味はそこだと思う。人気のない職種になってしまったのはなぜだろう?人と会い話をする面白さや楽しさは尽きないし接客しながら元気と勇気をもらうことも多々ある。何かするのに傷つきたくなかったりビビっってしまい、いつのまにか何もやらない事を選ぶようになったりしていたなぁっと思った。どこかでできないと自分で暗示をかけて勇気を出すことをやめ勇気を持つことを忘れ初めていたなと気づいた私。口で言うことはカンタンで頭に入れるだけもたやすい・・・行動と実践をすることは凄いことだなと思うことがいっぱい聞くことができる。失敗と間違いもないそうで失敗に気づいて間違いを修正したら過程なのだと。失敗はチャンスと!!聞くと怖くなる。孔子も高杉晋作も好きでいる人よりももっとオモシロがって楽しんでいる人が勝ると言っている。おもしろくする面白さを感じるようになれるまで時間がかかる。テンションや気持ちもやる気もでないそういう時は人と会うことでスイッチ入るキッカケやパワー充電できることがあるんだなって実感している。話誰と会うか?その人がどんな広い視野でいる人なのか?って話相手から教わる事学ぶこといっぱいでその人の在り方から感化されることっていっぱいあるなぁーーって思う。

  • 暑さのせいにしてはよくないのに頭の冴えがパッとしない・・ぬるいというかゆるいというか・・脳にスモッグというのか霧かかっているというのか頭の中を束子(たわし)でゴシゴシこすりたい気になる。身体はシャワーで洗い流しサッパリできるけど頭の脳まではできない。笑 サッパリは心地よく気持ちいい。爽快感のそれも感じ方ひとつ思いや気持ち1mm動けば変わかることなのだろう。昔 カウンセラーを学んでいた際「心はコロコロ動くから こころ っていうんです。」といってへーーーって思った。コロコロ心ねぇ~~ってそして、心って、気持ちって、思いって、考えってどれも似たり寄ったりなのに微妙に違い使い方が違うモノ。言葉は、言葉選びはほんとうに難しい。日本語しか話せないのに流暢に使えない。朝早くから蝉の鳴く音で目が覚め、お店の裏庭でも大合唱で鳴いている。蝉は何といって鳴いているのだろう?ってふと思った。私にわからない蝉同士の言語なのだろうなぁって。笑 人の言う・人が言う事で「信じる」という字。簡単につながる今ホテルの予約、席の予約キャンセルもワンクリック。チャットGPTの文言葉を信じていいのか? 繋がり方も変化しているなと感じる。人の1cmの動きや一歩の動きがまずはできるかどうかで、実際動くことが人間なのかもなって思ってしまう私。先日、79歳の現役実業家の方にお会いした際、一つの感と勘で動いて、思いたってまた動いて、閃いて動いてをずっと続けてあっという間に今の歳になったと仰っていたのが印象的だった。動いてなんだなぁーーーっと、頭が冴えないなら体を動かすしかないって今は思っている。

  • 感想

    身近な話題は映画国宝に同じ映画を観ているはずなのに感動のポイントや感想がビックリするほどバラバラで、目に入る映像の気になるものもバラバラ、人々の感想に正解はなく同じシーンが記憶にとどまる必要もなくていい、本当オモシロイなーって話を聞きながら思ってる。人は自分と同じように見えていないという事の具現化してる。私だけが話を聞くのは勿体ないぐらい、視界が全て違う!感覚と認識が違うという事を頭脳の理解だけじゃなく直に耳にして体験してダイレクトに感じてほしい。頭で理解することと体験する事は別物だと思う。体験するという事がとても大切なこと。感情悲しみ、怒り、喜び、辛さ、嬉しさの深浅、強弱は自分以外のことはわからない。だからこそ、人に伝えることの大切さ&人と共有できる有難さをしみじみ感じる。表現の豊かさがコミュニケーション上手と同等とは私は思わない。口下手でも伝えようとしてくれることだったりなにかリアクションが大事なんだと思う。私は何度も言うけどリアクションも下手で表現は洗練されてないなぁーーっ、なるべく話がズレず寄り添えれるように心がけて、知らないことは知らないと素直に、教えてもらえることは教わりたいと思って日々過ごしている。感じ想ったことを聞くことはその人を知る事ができる最初の一歩。最近、いろんな人の好きなものやコト、興味のあることを聞いてるとオモシロイ。そんな私はまだ映画を観ていない。笑 すぐにでも観に行こうと思っていたけど、一通り感想を聞いてから行くのも楽しいかなって、原作読んでからでもいいかなも考えている最中。感想ってその人のオリジナルだと私は思う。

  • 今回出張は大工事中の渋谷駅周辺に、個性的なオシャレより外国人が多く歩く原宿、観光地化してる表参道周辺だったからTHE東京を久しぶりに歩くと、朝早くから日傘で並ぶ行列や観光してる多国籍な外国の人がいた。前職の仕入れがこの辺りで昔からある古着屋さんもあったり雰囲気のいい低層階ビル並びガラッと様変わりしていた通りもありで懐かしかった。当時は雑誌のオシャレスナップは裏原や表参道に原宿でキラキラ誘惑される服やアクセサリーにワクワク宝探しするような魅力的な雰囲気も変わっていた。田舎暮らしの私はドキドキ精いっぱいで気を張ってのオシャレをして出張に来ていたなぁっと。あれから時代変わり私も変わり同じ路地を歩くのに不思議な感覚になった。昔馴染みの道を歩いてみるのもいいものだった。懐かしむって単純な一言じゃ済まされない、何かの感触があって心地イイ気がおきた。その当時と今とギャップがあって「今の私」をとても実感するから・・場所でタイムトリップを楽しめた。TV番組のアナザースカイのような自分版が体験できる。笑 速さや結果を求められる急流地帯もあり、ゆっくりがあまりよろしくない止まっているように解釈される社会がさまざまあるけど、一歩ずつは歩けてるマイスピードを感じれた。正しさ間違い良し悪し、結果に成果もマイペースの流れでいようとするわたしがいた。やっと都会でハラハラ焦らずいろんなものが速度落としてゆっくり落ち着いて見えるのも、美味しそうな食べ物の誘惑で食べたくても消化がついていかないボディになっていることを自分がよくわかっている。笑 見え方が変わるのも自分が変わった証だな。。。若い店員さんの感じいい笑顔が目に留まる私もそうでなくっちゃね~~って素直に感じた。

  • 居心地

    まるで海外にいるような気分で過ごすことができたひととき。何がどうして海外にいるような気分になれたのだろう?って暑い外の喧騒を歩きながら反芻していた・・まぎれもなく日本の都会にあるビルのワンフロア、接客してくださる方も日本人なのだけど何かが違う。目に入るモノ全て日本っぽさが無かったかな・・日本っぽいというのが日常の簡易なもの、チープなプラスチックなどが一切無くだった。ゆーーーったりラグジュアリーにいれて優雅な心地に空間にさせてもらえることと、空間に価値が生まれることを改めて感じた。だから、私は日本っぽさをリセットしたくなり海外に行きたくなるのかもしれない。日本っぽさのいい面&残念な面の両面セットなのに最近は残念な方が濃さを増しつつある社会気配をも感じる。この時期に、空間は作れることを再発見できてほんとよかった。空間の大切さをしみじみしみじみ感じれたひとときだったからグロージェにも取り入れたいところ。’たまに思いっきり背伸びすること、そして時に贅沢だなーーって思う事を存分に味わい満喫する事ってスッゴク大事な経験と気づきのチャンスだとも感じた。日常を非日常にするのも自分次第のスイッチのONOFFもあるけれど、たまには空間の助っ人を利用して空間に身を置くことで満たされ心地良さを堪能することもが何かの切替に役立てることもできるのだと感じた。空間にも自然と人工的な洗練されたラグジュアリーなもの様々ある。それは微細な一つ一つが積み重なっての総合的なもの。グロージェもトータルで空間提供できるようになりたいと思った。まずは私自身のリニューアルと改善&改良が最も優先になるなぁ・・。ニガ笑

  • スマート

    このモノローグが硬めもどうかな?って 人の振り見て我が振り直せ・・笑うようなことがあった。noteでちょっとハマりずっと連続読み耽っていると私の読解力と集中力の無さで途中飽きがきたりした。内容はとても学びになるしオモシロイからハマって読んでいたのだけど、集中力の限界くると一気に面白さが無になる。集中力がほしいところ。だから、たまにはチガウことも書ける視野も大事なんじゃない?って思った。私がおもしろいなーーって思ったのは、大阪御堂筋線は終日女性専用車両が車両の中央部分にあるのをご存知だろうか?私は凄いなーーってつくづく感心してるのは、中央部分に持ってきている事!有難いことに利用させてもらっている。チョクチョク目にする光景はそこに男性が紛れ込んでいる事・・・あちこちほぼすべての面に女性専用車両ステッカーが貼られつり革にも、ご丁寧にちょっと早口アナウンスでも流れている、乗る前のフォームの足元にも大きく書かれている。この人はいったいいつ気づく?って観察していたら2駅ほどで焦って車両変える人もいるしずっ乗車ままの人もいた。その人はずっとスマホ画面を見ていて気付かない様子。2駅乗車オジサンは顔あげてぼんやりどこか見ている様子だけどあちこちのピンクステッカー&つり革も気づかない様子だった。私が言うのもなんだけど女性しか乗っていない車両ってちょっと異様な気配で不思議な光景だったりするのにな・・・って思った。田舎から出て右左わからないからこそいろんな掲示頼りに移動してるからか日常の無意識だと目に入らないんだなーーって、日頃の通勤道建物が無くなって更地になったときに何があったか思い出せないと同じだと思う。男性に言ってあげるのが優しさなのかな?注意勧告にとられても・・迷ったから何もしなかったしできなかった私。言い方や伝え方なんだろうなぁーーーってこういう状況で頭フル回転想像して気の利いた一言が言えるのが本当の大人の振る舞いなのだろうと思った。

  • あいだ

    わたしは以前は人間という字が表すように人と人の間をどう過ごしどう貢献するかというのが人間なのだと思い込んでいた。。ちょっとした勘違いかもしれないなかんじてる。幸せとは感情ではなく、喜び、満足、そして意味(purpose)という3つの要素の組み合わせである。そして、幸せとは 目的地 ではなく「方向性」だと、幸せとは人生の方向性であると ハーバード大学のブルックス教授が言われている。だから、人間の「間」というのは生きてる間の方向性が大切でどこに向くより今より→矢印のような形でいるかが大事なんだと気づいた。学校入卒や肩書や地位はあくまでポイント(点)とても端的でわかりやすい表示だけどその本人の幸せをBEST表現してるとは言えないこと。どの方向性でいるかという最中がとても重要なのだと気づいた。ファッションを通して美意識のある方々に接っしいろんな会話をする機会あり影響と刺激を受けることができている最中。些細な違いに気づき、楽しむもこのしあわせの方向性の最中の一つの表現と思う。目的、目標、結果、成果を求められ判断材料にされるけどそうじゃないことで集うコミュニケーションの時期が訪れはじめている気がする。約束を守る、挨拶をする、日常の些細なその人の意識の表れがその人の形成する要素のような気がしてる。方向性が同じ人達でいると元気も勇気も楽しさも喜びもまた出てくる。そういう意味で環境や人の流れにいっしょに乗るのもいい気がしてる。方向性の先が見えてなくても漠然とした光景だけが浮かぶ人達と一緒にいたい。

  • 流しでカップを洗う時、空から雨が降っていて排水に水が流れてるとき、顔を洗うとき「水に流す」水が流れる様子をジーーーっと見るようになった。ここ最近水に関する本を読んたせいもあると思うし、サハラ砂漠を衛星写真からよーーーく見ると大河の跡があるというのもキッカケだったかもしれない。いつもの梅雨真っただ中ならジメジメしてテンション低、靴が濡れちゃうどの靴履こうと悩み、ワイドパンツの気分なのに~裾濡れちゃうからって急遽スタイリング変更で何かとやっかいの梅雨を過ごしているはずだけど、有難いなーーって感じている。こんなにも身近に水があることを感謝する。正しくいうと【地球上で人間が飲める水はほぼ僅か。具体的には地球全体の水の0.01%しか人間が利用可能な淡水として存在していません。地球上の水は約97.5%が海水であり、残りの2.5%が淡水です。しかし、この淡水の大部分は南極、北極の氷や氷河、深層地下水として存在しており、人間がすぐ利用できる状態ではなありません。この貴重な水資源は世界中で均等に分布している訳ではなく、地域によっては深刻な水不足に悩まされた場所もあります。日本は比較的、水に恵まれてる国ですが、水不足、水質汚染問題は存在し、水は貴重な資源であることを忘れてはいけません。】ネット抜粋より  0.01%どう感じるかと思う。この数字を知ると水の流れる様子をジーーーっとつい眺めてしまうし湯舟に浸かるときも何か変化した。サハラ砂漠はとても美しいある意味、鼻、耳の穴髪の毛もターバンでグルグルに覆っていても髪の奥の頭皮までザラザラ砂まみれになり見渡す荒野を見ると心まで渇き枯れるようにさせてしまうものがあった。何でもALL 全て渇き枯れてしまっては手遅れ元に戻れない。外の雨音を感じながら思う・・・。

  • 水に流す

    スマホの画面に選択肢8項目でどれも選ばないという事で次の手順に進むことができ無事アカウント閉鎖をすることができた。頭の固いわたしはどれか一つは選ばないといけないのだろうっと勝手な思い込みで同じ画面を行ったり戻ったりしながら操作を繰り返していた。なんで?どうして?って思い操作する、徐々にイライラして止めようかと諦めかけたけど、今朝は違った心理的なものがはたらいたのだろうか?選ばないでNEXTの部分をクリックしたら次に進むことができた~操作完了~となった。選択肢があればどれかを選ぶものということが当前のような私の古さを実感した。「選ばないこと」が一つの選択になるという事!!!ホントちっこいどうでもいいような些細なことだったけど私にとっては目から鱗のような大きな出来事でちょっと賢くなったような気がした瞬間でもあった。笑 大げさに表現しているけど、ほんとすごいいいいいって大発見の心地になった。私はどうしても頭固くデッカチでいつの間にか屁理屈多くなっていて、超はげしい思い込み、一つ覚えると一つどこか忘れてると分かっているのにいざとなるとミスしてしまい身近な人々は被害被らせている。癖か・性質か・ある意味どこか何か欠如している・・。完璧じゃない失敗してしまうけどお店ではいつもお客様が寛大に許してもらいながらミスもするけど支えられていてお店を続けれていること本当に感謝している。この時期は誰もが梅雨の湿気と急上昇気温で体の倦怠感が出はじめている、いつも以上に気を引き締めなきゃって意識している。「ゆるす」って愛情や優しさや大人の行為なのだなーーって思った。

  • 朝顔

    TVを視聴しない私が、久しぶりにTVの前に2時間、引き込まれついつい観てしまったMIP流石ハラハラドキドキしながら観るのはおもしろかった。映画から考えさせられることあって映画もたまには気分転換にもなるしいいかなって思った。ふと大学のセミナーの先生が映画は人間のストレス軽減緩和、気分転換調査研究していたのを思い出した。非現実的なこと、映画の登場人物になったり客観的に観る事がいいとかなんとか??出席やレポートがゆるいだけで選択していて何しに大学通い勉強というか学ぶこともせずどう過ごしてたのか不思議でたまらない。ハッキリ言って何も身についておらず学費無駄にさせたなーってうしろめたさから親孝行するのかもしれない。笑   映画中考えさせられたのは友情や愛情、信じること約束を守ること、恐れ、疑い、悲しみ人間っぽいことばかり。信用するって行為の裏目がロマンス詐欺、信用できなくさせる退職代行業、信用できる関係が築けないからハラスメントになり、身近の人が信じられないからネット検索する。今!目の前にあることをもっと注意深く観察すればいろんなことが解決することができるように感じた。些細な変化、微妙な違いに気づくこと!!だから理科の時間に朝顔を育てていたのではないだろうか?ってふと思った 笑。一学期夏休み前から朝顔の種を植えてそれから毎日水やり毎日変化のないようにかんじながらも観察させられたものだった・・今思えば育てること、お世話すること、変化に気づくことの訓練だったのかもしれないなぁって思う。無言の植物を育てるといろんなことが感じられるようになるんじゃないかな?植物を育てたり、周りの自然の様子に気がとまる人はもしかしたらコミュニケーション下手じゃないはず。人が言うというで信じる、優しく甘い言葉、耳障りの良い言葉、話し方のテクニックよりシンプルに・・言葉数少なくても伝わるものはあると思う、一緒にいて言葉がなくても成り立つ心地いい雰囲気もある。コミュニケーションって何を言われるか(受け身)より私だったら誰に話すか(自発)を気をつけるし誰が言っているか(どんな人)しっかり見極める事(観察)が重要かもしれない。

  • 芸術

    ゆっくり一旦停止したら信号も青に切り替わった自然と・・やってみたいなぁってことがいくつか思い浮かんだ。その一つにアート(芸術)に関わるキッカケほしいなって思い、せっかくならギャラリーとして3Fレンタルするのもいいかもしれないと想像する。芸術っていうとちょっと敷居高いけど触れる機会があるって大切なような気がしてる。昔、岡本太郎の作品よくわからなかったもっと言うと怖かった・・きっと凄まじいエネルギーと激しい原色使いの勢いにビビったのだろう、笑っていないまるで怒りにも一瞬とれる表情もあるからだと思う。十分大人になっていつだったか岡本太郎のエッセイや本に触れると作品の見え方がすっかり変わった。不思議と可愛く見えたり原色も鋭さよりも柔らかさをも感じれるようになった。見え方が変わればずいぶんと様変わりするものだなーーって。ずっと太陽の塔・・薄気味悪い(ごめんなさい)って思ってたけど、今はあの表現は究極のム(無)と思う、見る側の当人の心情が出るように作られているのだろう。検索すると万博って1851年ロンドン最初は自国の技術や工業製品を世界に披露し文化交流の場とすることだったようで、その後産業の発展や国際協力の促進そして、地球規模の課題解決に貢献する場へと変遷したようだ。万博イベント自体も時代の流れで変わっていったようにように自分が変わっていくと周りも変わっていく。どうして本を読むの?って私はたぶん自分にはない思考や筆者のあり方に触れたいから読むのだと思う。本になる時、それまでのリアル体験と様々な思いと経験が一冊にまとまり言葉になるからどこか響く気がする。だから、私はどんな人が書いたものかはいつも気にする。こうやって書かせてもらい読んでくださる方々に私がどんな人間か恥ずかしいけれどこれも私の一部、すこしは変化したのだろうか・・笑

  • ゆっくり

    東京出張先で書いてるこのアコのひとりごと。環境を変えると以前はワクワクが多く刺激を求めていた。ようやく私も大人の仲間入りできてきたのか笑 場所を変え空間を変えてスイッチオフしてゆっくりと過ごし味わうことができるようになってきた。何かしなきゃ勿体無い!せっかくだから!って思いも芽吹きそうになるけど、特にやりたい事も見つからずぼんやりするって脳にいいらしいことを聞き、空を眺めたりしていて、かっこよくいうと非生産性の今を楽しむ=ゆっくりゆっくり贅沢な時間を過ごす。つい最近まで急ぎ速足で早食いの私が、何もしない事が悪い事のようでなんなら生きてる意味ないような解釈でいたけど、早いだけがイイ訳じゃないとつくづく感じている。以前のアパレル業界も先取り早く早くという時代もあった、今はマイペースで自身の体型も気分、気候にあったモノがその時のベストだと思っている。惑われない振り回されないって凄く凛とした大人らしい振る舞いで、流行も大人の余裕(遊び心)で自分らしく少し取り入れるのも大人のスタイルに感じる。先日筋トレで超ゆっくりゆーっくり動かす種目で僅かな回数で即筋肉がプルプル痙攣した笑。動いてる?止まってる?かの地味なわずかな微かな動き。後々大きく影響してくるんだなぁって感じた。地味ってその地点を味わう事全てを感じることなんだろうな〜。

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