AKO’S Monologue

  • シンプル・・

    お茶を習いどのくらい経っているのかわらからない、やっとのやっと身体のお点前と頭の知識が少~~~~~し合致し始めたぐらいの進みよう・・笑。お茶席には暗黙の合図がいろいろあってその暗黙というのが亭主と客の双方がわかっているベースあって阿吽の呼吸でスムーズに席が保たれ流れていくのがいい。そこが美しさの一つだと私は思っていて好きな所。お茶を点てるお点前も言い方変えれば、ただ順番に次⇒次⇒次と淡々と行うことっだと言ってしまえば殺風景な事になってしまう。その順序も大事なお道具から、極力無駄な動きをなくすため、お客様への配慮あってのことなどその一つ一つに意味があって奥があってオモシロイなぁっと思って楽しい。目に入るだけの奥に何か意図と思いがかくれんぼしていてそこに気づけるようになるにはずーーーーーーーーっと先で知識が教養になり身になるぐらいだからいつのことになるかわからない。終わりがないからその途中が肝心で意味があるんだと思える。「道」が付くものもそうだし、習い事もそうだし、働くことも、人間の活動全てが一期一会で似ているような事も全てチガウことなのだとやっと実感できるようになってきた。目からの情報を脳みそ認識が同じパターンかのように当てはめて感知しようとするらしい。いい所でも悪い所でもある。同じお洋服を着ていると安心?飽きた?これって私の気持ちの問題。例えば結果や成果や点数や数字や入賞、順位だけ見るとすっ飛ばしてカラッポになってしまう。その合図のような数字や結果の奥に隠れんぼしている見えない何か気づける人でいたい。

  • 着楽

    猛暑日と違う最高気温にしてもまだまだ汗もしっかりでて涼を求めてしまう9月。秋冬服の動向が気になり始める頃でもあるし、先の予定にどんな装いがいい?って質問や相談されることが日に日に増えてきている。ファッションを楽しむ私も早くから季節感取り入れる着こなしもしなくなってきた。カジュアル化が進み過ぎTPOもなく季節感薄くなってきてしまっている。例えていうなら旬のお野菜お魚の時期を感じない食卓と同じことが起きていると思う。ただやっぱり虫の鳴き声する夜や、秋に実る果物が並ぶと風情感じると秋の装いがしたくなってしまう。ムリはしないで賢く秋のニュアンスを近づけていけばいいと思っている、夏素材の新色も多くお店の雰囲気は秋色になってきている。今の時期は我慢せずで夏秋夏どっち?の装いで十分いい。きっとこの先も暑い秋は続くだろうから上手に色を取り入れたり、少しずつ秋らしくするのがお薦めだったりする。自分の理想や好みや気分やコンディションの自分ペースが大事だと思う。自分を知っていることと新しいアイテムも発見も楽しめる=ちょっとした余裕=オモシロク捉えられる事もマイペースがいい。自分を持つことも大切だけど度を超すと頑固になり新しいものを受入れられず拒絶して自分の思い込みだけで邁進し老害になると記事にあった。お洋服で老害が起きないようにしよう。笑 オシャレって快適に心地よく楽しく過ごす方法の一つと思う。そして、感性や感覚の柔軟性のトレーニングともいえるかもしれない。もっと着楽にいこう~~!!だから、尽きない楽しみとおもしろさが続くのだと思う。

  • シンプル

    日頃行かないような場所に身を置くといろいろ発見してオモシロイ。勝手にアレコレ思い想像する、その「思う」は経験と環境からの一方的な眺めからきていることと感じた。年を重ね偏っていき狭くて一方的になることの恐れも感じた。もっと軽く広く深く思うことが出来るようになったらいいなって思う。朝晩空気中にひんやりとした秋の種が含まれ今年も3/4終盤になってきた・・年始め?何を思い何をしていたのだろう?全く思い出せない笑 年始めの過去もこの暮れの未来も想像できない笑。ツクツクホウシがしっとりと切れ味なく鳴いている、ただ鳴く蝉のようにシンプルに今居よう。デザインのある服、奇抜な服、オモシロイ服、変わった着にくい服、着心地の悪い服、いろいろ沢山着てきたから辿り着いた今の私のセレクト。ニガイ人間関係あったからアッサリしたシンプルなお付き合いがいいと思えるようになる。シンプルになるって大人になっていくことと似ているのかもしれない。体験のなかで傷ついて反省して後悔して複雑な心境をブレンドしすぎたから最終的に自分らしく割り切りシンプルに潔くなっていけるのだろうって思う。分かちあえる共感がベースにあるからシンプルに人間関係が成立していく。あちこちで文章読むのもつらい注意勧告ポスターや社会マナーがわからない幼児向けのようなアナウンスが流れ雑音や粗野な様子が増える、ベースが抜け落ちて無いからシンプル不成立なのだろうなって思ってしまった。

  • リクエスト

    昨日は来年春夏と秋冬物で福岡出張へ。気づかないうちに私はおしゃべりになったのだなぁっと思い返していた。服選びはインスピレーション(シルエット、ステキ、気分上がる、生地など沢山含めてのもの)お客様のリクエストあるもの。商品見るときは一瞬集中して終わり取引先さんへお店側からリクエスト伝えたり世間話に私の疎い業界情報も教えて頂きながら会話している時間が多い。頻繁に会う機会はないからこそ有意義な時間にもなる。リモート使いも段々慣れてきているし、重要視される事ごとにリアル対面とリモートを使い訳ができ始めている気がする。ただ片方からの伝達要素が濃いものはリモートで十分だけど、フラットに一緒に作りあげるなら対面ではないと伝わりにくいし、キャッチボールが交互にできるというのが大前提だと思う。一方通行だと新しい発見も気づきもない気がする。人との関わりはキャッチボール、テニスのラリーが大前提。私もついつい伝えたいことを一気にダム決壊のごとく話してしまうことを気をつけようと思った。それぞれの見えない立場があり、見えない考えもあり、見えない本音もあったりする。本音をポロっと話せるや心の思いを伝えられると真摯に受けとめたい。朝のNHK連続TV「アンパン」は思いや気持ちポロっと正直に話すシーン多いから化粧仕立てが崩れてしまう。いつから現代人は自分の気持ちを正直に言えなくなってしまったのだろう。組織人間関係や社会的立場あったりすると言いたいことも言えないのもあってしまうけど、プライベートな関係なら平らな運動場で相手との距離が遠すぎず近すぎずキャッチボールするのがいい。投げる球の大きさも速さも自分がキャッチできるものから始めてみたり、相手がしっかり向き見てくれてる内に取りにくい球を投げてしまわないように気をつけながら・・。

  • itami

    精神的痛み感じるって社会生活送れば仕方ないこと多々あるし我慢しすぎはよくないし発散方法を見つけるのは大人のたしなみかもしれない。先日、アスファルトの上でこけた。ちょっと急いでいてこけた。。めっちゃ痛く3か所流血何年ぶりだろう・・思い出せない笑 絆創膏下から血が滲む所よりかすり傷にもなってないような所がジンジンずっと痛む。そして、何より大人になってコマ送りみたいな感じで転倒するからコケル衝撃がとっても残る。生活の中でこんな事って滅多にないから教訓になる。痛みや血によって生身の肉体をしみじみ感じ、痛みがあるから気づかされること気づけることが多くある。ピンチはチャンス、逆境が人を育てると近いのだろう。痛みがないに越したことはない。ただ私は痛みあってからアレコレ考えるきっかけになりもがいてもがいて学ぶ。「痛み」の反対語は「快楽」や「喜び」 喜びを感じるには痛み体験がないと感じにくいのかもしれない、真逆から再確認するのが残念ながら私と思う。痛みを教訓でいれたらいいけどつい忘れてしまう私。たまに痛みを思い出し最低最悪からすると本当有難いなって感謝することが増えている。痛みサインなくても忘れちゃいけないと意識している。そして、SNSや日常会話で軽々しい言葉で見た目にわからないような痛みや傷を負わせているようなことが世の中多い。なるべくそういう所からは距離をとろう。アスファルトでこけて超~~痛かった私にはその教訓だなぁと思ってる。

  • 俳句

    先日何気に見ていた俳句のおとなチームVSこどもチームのTV・・俳句に触れることもなかったしほとんど興味なかったけどオモシロイなーって思い興味が持てた。5・7・5の世界この短くシンプルでいて情景や雰囲気や心境や醸し出すこと言葉の表面だけではない奥や深みがあるのを感じれて、感覚やセンスの個性をも表すのだなーーって。その番組で大人のアザトイ表現やテクニックが鼻につくのに対してピュアな視線や感じたものをそのまま表現できる子供たちの才能や無垢の良さを作品で感じた。最近、子供でも大人でもない年頃の方を接客して心地よい思いをする。とても心地よい爽やかな風の様な感じで、透明感というか濁りがない様子が美しかった。まだこれからの途中の様子だから良いのだろう。完成されてない、作り込まれていない、計算されていない、シンプルな様子がよかった。隠しもしない、自分で自分をつくらない感じが眩しかった。緊張したり恥じらいもあって言葉少なでも伝わってくる嬉しさや喜びはいっしょにいても伝わる。社会人になり知らず知らずいつの間にかテクニックを使い、四方八方覆い隠していくしかないのが大人なのかもしれないなっと気づかされた。テクニックって良く言えば経験と知恵の賜物で、反面薄汚れていく警戒や守りの壁なのだと。ある時からテクニックのないシンプルな大人の自分だけの環境を取り戻していく必要があるんだなーーーと思った。社会で身につけた防御の鎧のようなテクニックもいらない、シンプルな付き合いができるかが大切なんだなっと感じた。計算して作りこまなくていい関係、相手の意見を悪く深読みしない関係。俳句のように響き共感できる人同士の感受性の時代に益々なってきているのかもしれない。

    ようやっと 俳句の奥に 気づく吾。w

  • リレー

    夏休みになり帰省をされお立ち寄り頂くお客様にほんと感謝。大都会のビルディング群どこまでも光広がる夜景を1m四方の窓から眺めて思った。想像しきれないぐらい大勢人がいるんだなーーってそして知らない人だらけと思ったら不思議だった。知らない人が住んでいるんだから自分が接する人や目の前の人に丁寧にいればもっと世の中の角がまるみを帯びるような気がしている。丁寧にという表現もちょっとニュアンス違う気がする、尊重?もし立場変わればを想像してみたりふさわしい表現があまり見つからない。節度もってだと硬いけど60年前だったら日常にあったのかもしれない。祖母からそういう雰囲気の事は注意されたような記憶がある。気を張りすぎる、気遣いしすぎもよくないけど気は人と人の間や空間、せっかく同じ空間を共有するなら知らない者同士気持ちよく居れるようなちょっとした工夫はできる。大勢の人が動く時期だからこそ工夫って自分で想像しながら、ちょっとした優しい振る舞いをしてもらったら次は自分の番で真似てやってみながら・・優しいリレーが広まればいい。お盆近く同窓会など久しぶりに会う機会もあるかもしれない、多少の縁あっての再会で優しいリレーがあちこちで広まればいいなと思う。

  • 日本語

    恥ずかしながら本が読めだしたのは独立してお店っを始めてから。出張の間YouTubeや気になる文に目を通していた。しかし、どーーもわたしの頭が日本語に弱いから理解しながらついていけなくてつまずく。笑 同じ?日本語?のはずなのに残念ながら理解できず何度も聞いたり読んだりを繰返す笑。おそらく表現されてることの1/5もキャッチできていないあり様。誰か日本語を教えてほしいなぁ~。辞典で調べても同じ言葉の行ったり来たりでぼんやりで前進することもできないゲームの中にいるようだった・・例えば、認識、意識、意思、思考、概念、情緒、感情なんとなくでやってきていただけに何かちゃんとせずで、前後の流れでこんな感じなのかなーーってぐらい耳で聞きながらの理解になるともっとついていけてない巻き戻しては聞く。辞典のことばの表現も限界があるのかううううむ。。一つの単語のニュアンスの捉える感覚がないからついていけない事をもの凄く感じている。深みが足りないからなのだろうなぁーーーーって。岡潔数学者がいう情緒や小林秀雄の雰囲気、感性ある頭のいい人達をちょっと知りたいと思う憧れからムリがあるのかもしれない。日本人っぽい所を濃く持っていた人達が何を感じていたのだろう?興味があった。国語は全教科中ビリのこの私が50歳目前でやっと今ごろ触れている。笑 遅咲きデビューでも単独の言葉が難解で分からないなりにも雰囲気だけを味わっている・・笑 頭は混乱だけどゆったりとした気分になれる 笑。可笑しいけど全然分かっていないのに楽しい。ちょっと穏やかな時間の流れ何となくほっこり豊かさが感じるその気配、雰囲気に浸るだけでも楽しめるってだけでもいいのかもしれない。お勉強って理解するってことだけが答えじゃないのかも、何かほんのり感じれることがささやかな幸せなのかもしれないって思った。

  • 2025.7.25

    綺麗なブルーとペパーミントの色×色で暑い夏を爽やかにコーディネイトする。寒色系の色で涼しげな印象はパッと華やぐ大人のコーディネイト。元気な印象は色からスタート KEY:水色のミュール

  • 会う

    接客をさせて頂きながら沢山の方とお会いし話をする機会のチャンスをもらえる。沢山の方と日常の事から人生イベントを様々~接客の醍醐味はそこだと思う。人気のない職種になってしまったのはなぜだろう?人と会い話をする面白さや楽しさは尽きないし接客しながら元気と勇気をもらうことも多々ある。何かするのに傷つきたくなかったりビビっってしまい、いつのまにか何もやらない事を選ぶようになったりしていたなぁっと思った。どこかでできないと自分で暗示をかけて勇気を出すことをやめ勇気を持つことを忘れ初めていたなと気づいた私。口で言うことはカンタンで頭に入れるだけもたやすい・・・行動と実践をすることは凄いことだなと思うことがいっぱい聞くことができる。失敗と間違いもないそうで失敗に気づいて間違いを修正したら過程なのだと。失敗はチャンスと!!聞くと怖くなる。孔子も高杉晋作も好きでいる人よりももっとオモシロがって楽しんでいる人が勝ると言っている。おもしろくする面白さを感じるようになれるまで時間がかかる。テンションや気持ちもやる気もでないそういう時は人と会うことでスイッチ入るキッカケやパワー充電できることがあるんだなって実感している。話誰と会うか?その人がどんな広い視野でいる人なのか?って話相手から教わる事学ぶこといっぱいでその人の在り方から感化されることっていっぱいあるなぁーーって思う。

  • 暑さのせいにしてはよくないのに頭の冴えがパッとしない・・ぬるいというかゆるいというか・・脳にスモッグというのか霧かかっているというのか頭の中を束子(たわし)でゴシゴシこすりたい気になる。身体はシャワーで洗い流しサッパリできるけど頭の脳まではできない。笑 サッパリは心地よく気持ちいい。爽快感のそれも感じ方ひとつ思いや気持ち1mm動けば変わかることなのだろう。昔 カウンセラーを学んでいた際「心はコロコロ動くから こころ っていうんです。」といってへーーーって思った。コロコロ心ねぇ~~ってそして、心って、気持ちって、思いって、考えってどれも似たり寄ったりなのに微妙に違い使い方が違うモノ。言葉は、言葉選びはほんとうに難しい。日本語しか話せないのに流暢に使えない。朝早くから蝉の鳴く音で目が覚め、お店の裏庭でも大合唱で鳴いている。蝉は何といって鳴いているのだろう?ってふと思った。私にわからない蝉同士の言語なのだろうなぁって。笑 人の言う・人が言う事で「信じる」という字。簡単につながる今ホテルの予約、席の予約キャンセルもワンクリック。チャットGPTの文言葉を信じていいのか? 繋がり方も変化しているなと感じる。人の1cmの動きや一歩の動きがまずはできるかどうかで、実際動くことが人間なのかもなって思ってしまう私。先日、79歳の現役実業家の方にお会いした際、一つの感と勘で動いて、思いたってまた動いて、閃いて動いてをずっと続けてあっという間に今の歳になったと仰っていたのが印象的だった。動いてなんだなぁーーーっと、頭が冴えないなら体を動かすしかないって今は思っている。

  • 感想

    身近な話題は映画国宝に同じ映画を観ているはずなのに感動のポイントや感想がビックリするほどバラバラで、目に入る映像の気になるものもバラバラ、人々の感想に正解はなく同じシーンが記憶にとどまる必要もなくていい、本当オモシロイなーって話を聞きながら思ってる。人は自分と同じように見えていないという事の具現化してる。私だけが話を聞くのは勿体ないぐらい、視界が全て違う!感覚と認識が違うという事を頭脳の理解だけじゃなく直に耳にして体験してダイレクトに感じてほしい。頭で理解することと体験する事は別物だと思う。体験するという事がとても大切なこと。感情悲しみ、怒り、喜び、辛さ、嬉しさの深浅、強弱は自分以外のことはわからない。だからこそ、人に伝えることの大切さ&人と共有できる有難さをしみじみ感じる。表現の豊かさがコミュニケーション上手と同等とは私は思わない。口下手でも伝えようとしてくれることだったりなにかリアクションが大事なんだと思う。私は何度も言うけどリアクションも下手で表現は洗練されてないなぁーーっ、なるべく話がズレず寄り添えれるように心がけて、知らないことは知らないと素直に、教えてもらえることは教わりたいと思って日々過ごしている。感じ想ったことを聞くことはその人を知る事ができる最初の一歩。最近、いろんな人の好きなものやコト、興味のあることを聞いてるとオモシロイ。そんな私はまだ映画を観ていない。笑 すぐにでも観に行こうと思っていたけど、一通り感想を聞いてから行くのも楽しいかなって、原作読んでからでもいいかなも考えている最中。感想ってその人のオリジナルだと私は思う。

  • 今回出張は大工事中の渋谷駅周辺に、個性的なオシャレより外国人が多く歩く原宿、観光地化してる表参道周辺だったからTHE東京を久しぶりに歩くと、朝早くから日傘で並ぶ行列や観光してる多国籍な外国の人がいた。前職の仕入れがこの辺りで昔からある古着屋さんもあったり雰囲気のいい低層階ビル並びガラッと様変わりしていた通りもありで懐かしかった。当時は雑誌のオシャレスナップは裏原や表参道に原宿でキラキラ誘惑される服やアクセサリーにワクワク宝探しするような魅力的な雰囲気も変わっていた。田舎暮らしの私はドキドキ精いっぱいで気を張ってのオシャレをして出張に来ていたなぁっと。あれから時代変わり私も変わり同じ路地を歩くのに不思議な感覚になった。昔馴染みの道を歩いてみるのもいいものだった。懐かしむって単純な一言じゃ済まされない、何かの感触があって心地イイ気がおきた。その当時と今とギャップがあって「今の私」をとても実感するから・・場所でタイムトリップを楽しめた。TV番組のアナザースカイのような自分版が体験できる。笑 速さや結果を求められる急流地帯もあり、ゆっくりがあまりよろしくない止まっているように解釈される社会がさまざまあるけど、一歩ずつは歩けてるマイスピードを感じれた。正しさ間違い良し悪し、結果に成果もマイペースの流れでいようとするわたしがいた。やっと都会でハラハラ焦らずいろんなものが速度落としてゆっくり落ち着いて見えるのも、美味しそうな食べ物の誘惑で食べたくても消化がついていかないボディになっていることを自分がよくわかっている。笑 見え方が変わるのも自分が変わった証だな。。。若い店員さんの感じいい笑顔が目に留まる私もそうでなくっちゃね~~って素直に感じた。

  • 居心地

    まるで海外にいるような気分で過ごすことができたひととき。何がどうして海外にいるような気分になれたのだろう?って暑い外の喧騒を歩きながら反芻していた・・まぎれもなく日本の都会にあるビルのワンフロア、接客してくださる方も日本人なのだけど何かが違う。目に入るモノ全て日本っぽさが無かったかな・・日本っぽいというのが日常の簡易なもの、チープなプラスチックなどが一切無くだった。ゆーーーったりラグジュアリーにいれて優雅な心地に空間にさせてもらえることと、空間に価値が生まれることを改めて感じた。だから、私は日本っぽさをリセットしたくなり海外に行きたくなるのかもしれない。日本っぽさのいい面&残念な面の両面セットなのに最近は残念な方が濃さを増しつつある社会気配をも感じる。この時期に、空間は作れることを再発見できてほんとよかった。空間の大切さをしみじみしみじみ感じれたひとときだったからグロージェにも取り入れたいところ。’たまに思いっきり背伸びすること、そして時に贅沢だなーーって思う事を存分に味わい満喫する事ってスッゴク大事な経験と気づきのチャンスだとも感じた。日常を非日常にするのも自分次第のスイッチのONOFFもあるけれど、たまには空間の助っ人を利用して空間に身を置くことで満たされ心地良さを堪能することもが何かの切替に役立てることもできるのだと感じた。空間にも自然と人工的な洗練されたラグジュアリーなもの様々ある。それは微細な一つ一つが積み重なっての総合的なもの。グロージェもトータルで空間提供できるようになりたいと思った。まずは私自身のリニューアルと改善&改良が最も優先になるなぁ・・。ニガ笑

  • スマート

    このモノローグが硬めもどうかな?って 人の振り見て我が振り直せ・・笑うようなことがあった。noteでちょっとハマりずっと連続読み耽っていると私の読解力と集中力の無さで途中飽きがきたりした。内容はとても学びになるしオモシロイからハマって読んでいたのだけど、集中力の限界くると一気に面白さが無になる。集中力がほしいところ。だから、たまにはチガウことも書ける視野も大事なんじゃない?って思った。私がおもしろいなーーって思ったのは、大阪御堂筋線は終日女性専用車両が車両の中央部分にあるのをご存知だろうか?私は凄いなーーってつくづく感心してるのは、中央部分に持ってきている事!有難いことに利用させてもらっている。チョクチョク目にする光景はそこに男性が紛れ込んでいる事・・・あちこちほぼすべての面に女性専用車両ステッカーが貼られつり革にも、ご丁寧にちょっと早口アナウンスでも流れている、乗る前のフォームの足元にも大きく書かれている。この人はいったいいつ気づく?って観察していたら2駅ほどで焦って車両変える人もいるしずっ乗車ままの人もいた。その人はずっとスマホ画面を見ていて気付かない様子。2駅乗車オジサンは顔あげてぼんやりどこか見ている様子だけどあちこちのピンクステッカー&つり革も気づかない様子だった。私が言うのもなんだけど女性しか乗っていない車両ってちょっと異様な気配で不思議な光景だったりするのにな・・・って思った。田舎から出て右左わからないからこそいろんな掲示頼りに移動してるからか日常の無意識だと目に入らないんだなーーって、日頃の通勤道建物が無くなって更地になったときに何があったか思い出せないと同じだと思う。男性に言ってあげるのが優しさなのかな?注意勧告にとられても・・迷ったから何もしなかったしできなかった私。言い方や伝え方なんだろうなぁーーーってこういう状況で頭フル回転想像して気の利いた一言が言えるのが本当の大人の振る舞いなのだろうと思った。

  • あいだ

    わたしは以前は人間という字が表すように人と人の間をどう過ごしどう貢献するかというのが人間なのだと思い込んでいた。。ちょっとした勘違いかもしれないなかんじてる。幸せとは感情ではなく、喜び、満足、そして意味(purpose)という3つの要素の組み合わせである。そして、幸せとは 目的地 ではなく「方向性」だと、幸せとは人生の方向性であると ハーバード大学のブルックス教授が言われている。だから、人間の「間」というのは生きてる間の方向性が大切でどこに向くより今より→矢印のような形でいるかが大事なんだと気づいた。学校入卒や肩書や地位はあくまでポイント(点)とても端的でわかりやすい表示だけどその本人の幸せをBEST表現してるとは言えないこと。どの方向性でいるかという最中がとても重要なのだと気づいた。ファッションを通して美意識のある方々に接っしいろんな会話をする機会あり影響と刺激を受けることができている最中。些細な違いに気づき、楽しむもこのしあわせの方向性の最中の一つの表現と思う。目的、目標、結果、成果を求められ判断材料にされるけどそうじゃないことで集うコミュニケーションの時期が訪れはじめている気がする。約束を守る、挨拶をする、日常の些細なその人の意識の表れがその人の形成する要素のような気がしてる。方向性が同じ人達でいると元気も勇気も楽しさも喜びもまた出てくる。そういう意味で環境や人の流れにいっしょに乗るのもいい気がしてる。方向性の先が見えてなくても漠然とした光景だけが浮かぶ人達と一緒にいたい。

page top