不知
人が使う言葉って、わたしはその人を表してその人が現れているような気がする。自分の口調も選ぶ言葉も好きじゃなくホントはもっとおっとりともっとソフトにもっと和やかなものだったらいいのにとつくづく思っている。なかなか治らないし直せないのがしょうがないところ・・。声のトーンもスピードもあるだろう、それも特徴というのか・・クセというのか・・だから、素敵だなぁって感じる人の言葉の使い方と選び方、表現の仕方はコッソリ研究をしている。研究してもなかなか身につかないのが悲しいところ。文章は書いても、言葉にするとやっぱりその方の全てなのだなぁって感じる。その表現がかっこよすぎるのだ。いろんな表現があるのにその表現を選ぶ感性がステキなのだと思うしその人の本質が出てくるのだと思う。センスっていろんなところに現れるから楽しいしオモシロイ。同じ言語を言ったとしてもニュアンスは変わってくる。まるで香水のようなもの、同じ香りをつけても微妙に変化するのはその方が醸し出すなにかと結合されるからそのいい香りになるのと似ている。そう思うと私の醸し出すのは私以外の人にしか感じないもので、自分で気づけないところだったりする。自分のことを知らないわからないままずーーっと続くのだと思う。自分のことを解ったようにカン違いしていた方がラクだったりするのかもしれない。自分の都合のいいようにカン違いしていた方が気楽でいいのかもしれない。リアルを知ってしまうと辛すぎることもある。いくらお勉強をしても自分のことはわからないまま、学問のお勉強って生活に役に立つのかな?それよりは多少の我慢できるような自分のコントロールできたり、集中力の時間を延ばしたり、肉体的な逞しさをつけたりするの方が役に立つと思う。ゆるく長い坂道を自転車でこぎながら途中やめたくなったけど自転車からおりずこいだ。自分の体力と筋力を知る。知らないわからない幸せが多くなってるのかもしれない。。笑