AKO’S Monologue

  • カンチガイ・・

    誰も自分探しをしたり、自分を模索したり、自分を知りたいって好奇心や興味をもつと思う。自分が自分を。。スポーツや勉強や雑学だって美容だって健康維持だって、お化粧やオシャレだって全て自分への探求の現れだと思う。他人との比較じゃない、自分が自分を創作する今を・リアルプレイヤーでいること五感をフル活用しながら沢山感じることで充実になると思う。わたしはコロンブスのような新大陸を目指して海に探検家にはなれない。臆病といってしまったらおしまい慎重派といえばまだいいかもしれない。キッカケとチャンスはいっぱいあって周りの人の知恵と経験と思考のお陰で今あることを感じる。先日も長年一筋でやってきた方々とお出会いして代々琉球織物を織り続ける方や染物の素晴らしい作品たちに触れ、創業136年のお茶屋さんとお話し、変わらない製法で作り続けるお菓子屋さんの背中にじーーんと感じるものがあった。どの方も職人という言葉よりは芸術家と表現するのがふさわしい気がした。きっといろいろ辛いことあるはずなのに皆さんの物腰の柔らかさとおだやさであたたかい印象がなんとも言えなかった・・。目先のこと、表の画面、写真一枚に惑わされるよりぬくもりに触れることで心伝わるものがある。商品ただの物となるか何か伝わってくる物や何か感じる愛着のあるものになるか・・そのキッカケ作りが私のお役目のような気がしてる。言葉や振る舞いにもぬくもりの「愛」になる。寒さが訪れはじめてるときA.I.の電子音、形式的な冷たい中でショッピングより一期一会ほっこりする温もりあるお店にしたいなって思った。粗雑で乱暴ギリギリの私の接客をほっこりモードの切り替えるのにちょうどいいタイミングなのかもしれない。五感で感じるリアルの楽しさおもしろさ提供できるように・・。

  • カンチガイ

    勘違いするって落とし穴のひとつかもしれない。多才な人の活躍をSNSで目にする機会が多く、人と比べること、他人と同化することで勘違いすることで自分を歪ませて知ることになるかもしれない。過大過小の評価する事がムダだと思う、自分のラクすればキリがなく、避けたりしてもキリがない帯の結びは本人の加減次第で緩ませすぎないキツすぎない帯締めが大事と思う。着物を着て略式のお茶会に出てそのまま夜まで着物にて接客。着物を仕立てた際にいつかお着物で接客するのもアリかも〜と思っていたら叶うというかシチュエーションで実現してしまった。お着物を着て店内歩き周り、丈直しなど屈む、お着物とチグハグな言葉遣い。日常の私のガサツを身をもって知った。ご贔屓にしてくださるお客様に支えられ甘えてるのは私なのだと〜寛大なお客様のお陰とつくづく感じる。まだまだ身につかない着物で着崩れしてお見苦しいところがあった、次は色々乱れないでいたいな 笑笑 一朝一夕にならない身につけるって。。身につける服が先か、生身が先かっていうと身につける物が引き上げパワーアップさせてくれるコトってあると思った。

  • SAGI

    信じやすいタイプ?疑いやすいタイプ?どっちですか??私は信じやすいタイプであまり疑うことをしないタイプ。学生時代のテストも見返しても間違いに全く気づけないタイプだったし、なんなら最初の解答が正解が多かったりした。要するに直観と勢いだけでこれまでいれたようなもの・・。お店の仕入れではイイと思う直観でバイイングしてきている。試着して選ぶことはほぼない、見ただけでおおよそのシルエットが想像できる。接客もおおよそ雰囲気とイメージがつく、あとはお客様ご本人の気分と好みと思っている。ただ自分の場合は、違って服を選ぶときは必ず試着する、着てみないとわからない。笑 服はいくら見たってセンスアップはできない。服は体験&経験していくしかセンス(感覚と感性)は磨かれないと思う。ネットショッピングやYouTubeで服をいくら見たってセンスアップはしない断言できる。初めてバイヤーとして任せてもらえるようになったブランドのデザイナーさんと偶然お会いした。私は知らなかったけど変遷あって以前からお取引あるブランドに携わっていらしたことだった。デザイナーさんと話はとてもマニアックでこだわりがあるからとても楽しい。何気ないところや細部やシンプルなラインにこそ思い入れがあったりする。カットソーで大盛り上がりした。シンプルなものほど難しいそうだ、細部に宿るものがあることを気にかけてほしい。シンプルなものほど究極だ。妥協とこだわりのバランスって戸惑うかもしれないけれど・・。ピンときたもの&シックリするものほど色違い購入をお薦めする。これからは定番がドンドン消えていくのが予想できる。。。これからは個人単位に合う相応しい情報と個人単位で似合う服を着るがとても大切になると思う。周りに振り回されないで自分の判断でしっかり選ぼう。簡単に信じちゃうから詐欺が多い。騙した人を言う前に選択した自分が最初の最初にいることを忘れちゃいけない。

  • チャリティー vol.15 御礼

    今回も沢山の方のご協力がありました。

    熊本に拠点のあるNGOに全15箱 送られていただきました、ありがとうございます。

  • kyo-sey バタコさん

    お久しぶりに矯正治療の続きに変化がありました。まだ矯正してたの???っと言われてるほど長い・・最初の説明で6年ぐらいかかると言われておりましたが、ブラケット(金具装着)→ インビザライン(マウスピース)で微調整に入りまして7年すぎ足掛け8年になります。もう痛みもなくて 虫歯や審美治療となっています。時代感じる銀歯治療跡をセラミックに変え、奥歯を歯周病になる前の予備治療をすることになりました。ここ最近自費治療だったものが保険適応になったらしく歯茎補強で再生医療を想像していただけるといいかもです。部分麻酔で痛みは全くなく手術して術後の経過も順調で今は様子見の状況です。次の日から右ほほがバタコさんの輪郭になっていてウケるんです、日本昔話のこぶとり爺さんのほほのぷっくりといえばよいのか・・笑 鏡のたびにめっちゃ笑える私の顔です。自分に笑っちゃうってこの感覚っていつ以来ーー?って思いました。可笑しい私っとか 面白いじゃん私ってコレって芸人さんが自分のギャグで自分おもろいなぁって感覚類似していて コレって大事ーー!!って思いました。服を選ぶときでも イイ!イイ感じ!!このカンジ好き!!って感覚楽しむことオモシロクするなんだって思います。服以外でもヘアスタイルだってメイクだって同じこと、自分に関心をもつこと、自己投資って表現の仕方あるけど・・もっと根幹の自分を大事にすること私を楽しむことだと思っています。自分を大事にすることができたら次は周りへ思いやれる余裕が生まれるんじゃないかと思うんです。自分を大事にすることって 自分をほめるというよりはなかなかオモシロイじゃん!?私っていうのがいいのかもしれないですね。クスって笑えるお茶目さって余裕かもしれないです。。

  • 凹む

    凹むこと落ち込むことジタバタしてグルグルもがくこともあるよね・・・。辛いことかなしいこと、嫌なこと、したくないこと、めんどくさいことこんなネガティブな言葉を並べるだけで気分暗くなっちゃう。ただこの出来事の前と後では、何か変化起きてきっと進歩してるんじゃないかなって。すこし前よりタフになったり、イヤでもなくなったり、想像とちがって気づきも発見もあるはず・・。穴に落っこちたようにドーーーーんと凹み、身の丈や器量を知り、無力、弱い私と向き合わされるのがネガティブな事だ・・・そんな私も洗濯機の中で洗われて洗われてもずっと落ちない汚れのついた服みたいになっていたあげく、ただ元々の見誤りで例えば、ほくろなのか?シミなのか?肝斑なのか?そばかすなのか?とただの点を超カン違い錯覚して自己都合でいただけになっちゃっていた。本質はなにも変わっていなくて、ただ年月が経ち少し経験し少し知っていることが増えたような錯覚で鈍っていただけで、もともと弱さを忘れただけでつよさと解釈して勘違いしていただけのこと。カン違いだよと教えてくれる人もいなければ、自分で気づくしかない。それは良し悪しではなくて私が私のありのままを突き付けられること。平平凡凡にいるだけでは身を持って突き付けられることなんてない。トコトン凹み、落ち込み、もがいて、誰かに頼り、時に誰かのコトバが魔法のコトバになって空が晴れるようなこともあるかもしれない。ただ空気の入れ替えの密閉した窓を自分でコジ開けなきゃ変わらない。どこまで澱んで停滞していたか落ち込まないと気づけない私、嫌だけど必要な出来事なのだと思える今日この頃。。

  • ワクワク

    お気に入りって他人からわからない個人だけの思い・・わたしは日常で新旧のお洋服を着ています。クローゼットの中探査してそのときの気分で流行に関係なく引っ張り出して着ているし、サイズ感があったものを選んでいるのでシックリするのはあまり変わらない。身体との相性や気持ちやテンションとのズレが生じることはありますがその時はその時で処分したり家族にあげたりすることもあります。ときは着過ぎてダメージ感があって泣く泣く手放したものもあります。もう一度アレが欲しいと思ってももう手に入らない後の祭り。そういったお気に入りを紹介できるかが私のお役目の一つだと思う。昔の商店街のお肉屋さん果物屋さんお魚屋さんのような生活の一部携わるような、馴染みのお客様と日々過ごしていけたらいいなって思う。食べるものほど生死に関するものではないけど、日常生活では身近なものだからこそ、身近においてもらえるようなお店になれたらいいなって思っている。今年もあと3か月かぁって思うのが10月朝晩がひんやり肌寒くなってきたから余計にそう思うのかもしれない。そして、来年の予定がチョクチョク入りつつあるからかもしれない。あんなにも灼熱だった夏がまるで幻のような気がしてしまう笑 衣替えしてお気に入りの冬のアイテムたちと再会もっと寒くなれば大好きなニットたちの出番。ワクワク

  • イベントのキッカケは、お洋服好きな方は処分するには忍びなく・・傷んでないし・・誰か着てくれる人がいたら譲りたいなぁ、身につけるものを大切にする思いから始めました。慎重に選ぶこと大切にすること着ることを考えてほしくて・・。安価で好きなものお気に入りが手にできたら幸せかもしれません。ただ安価なものの背景を一旦想像してほしいです。どうしてそんなに安価になっているのか?何かを作るには必ず人が関わっていることを!スーパーやお店に並んでいるときには商品になっているからただの物としか見れないけれど。そのすぐ前には誰かの手で陳列され沢山の人の手から手に渡り作られたいることをちょっとだけ意識したいなって思います。先日妹の友達の農家さんが今年もお米を家に届けてくれました。毎年持ってきてくださるのですが私は初めて挨拶しました。一俵を運ぶのも慣れた様子の彼女と陽焼けした肌がとても印象的でした。毎日稲が実るまで育てお世話した様子の日焼けを見たらほんと頭が下がる思いでした。何も作ることができない軟弱な私をひしひしと感じました。だから対価にお金が存在すると忘れちゃいけいないんじゃないかなって。物価高と言ってるけどその背景には多くの方のお陰とお世話になって支えられてることを感じてみてはどうでしょうか??価格だけに囚われない選択。プレゼントだって送る相手への思いが見える形になっているだけのもの。着ているお洋服だって靴だってアクセサリーだってその本人の思考が形になって表れているだけ。正直新しい旧いなんて全く関係ないと私は思っていて本人の気持ちが大事なんじゃないかなって。

  • コレクションチェックしていたらファッションに関するユーチューブをAIがピックアップするのでどんな感じかなぁっと初めてのぞいてみた。YouTubeの分析の仕方はまるで学校の授業のような説明でおもしろく見た笑 流行と傾向、カラーなど情報として見たけど、辛口コメントなら肝心なことが抜けてるんじゃないかと思った。いくら流行と傾向などのトレンドを頭に入れてもどの情報が自分にマッチするかはわからない。旬だからいいと似合うは全く別物~っとツッコミたい。オシャレになりたいって気持ちはすごーーーーくわかる。だけどオシャレって頭でするものじゃなく感覚で、着る人を活かすサブアイテム。情報だけではセンスアップにはならないような・・。服を着て感じるしかない。本人がイイってしっくりする感覚がとても大切。たくさん食べているから食通になれるのと同じ。味覚もファッションも一緒、感覚のものだから。見えないセンスを可視化する環境で生活している私たち 人×服(靴、鞄、アクセサリー)の存在はオンリーワン。いくらトレンドの服を着ても本人がステキじゃなければそれは残念。大人がおしゃれをするのは好きと似合うのギャップを受入れ、少し味変するような新鮮なものにチャレンジして取り入れてマイナーチェンジしていける事がKEY、ムリする必要はまったくない。本人の気分次第&お好み次第でいい。素敵にみえてるアイテムは年月経っても変わらないものもある。似合うものを着るステキにみえるキラキラしてるって周りになにか影響があると思う。部屋に花が一凛あるだけで明るくなるのと同じかな~~~~花があるって心地よくない?

  • SUMIZUMI

    どう生きるか??ジブリ作品のタイトルのようなことを最近とても意識するというか考えるようになってる。どういたいか?どういるか・・私が私でどう過ごすかと・・。具体的にどんな人柄のどんな人間の私でいるかいたいか・・生活全般にセンサーや人工知能が充満しているなかで主体性もって人間として生きるってなかなか大変になるかもしれない笑 振り回されない為にも今のうちに・・笑 人工知能が感情に寄り添えるようになって、親しいのは人工知能○○ちゃんになるかもしれない。信号機のない横断歩道に人に気づけば止まることができる。運転手がルールで止まったとしてもなんとなくそれ以上の人柄を感じとってしまうのが心理じゃないかな。そんなシーンが通勤途中あるのに逆になればスーーっと素通りした後気づくこのムラさが大人げない私。交通マナーも社会のあらゆるシーンも今まだ全てが私のセンサー次第。私の日常の言動行動の積み重ねで人柄になり、終焉で生き方になっていると思う。会話でも自分の内面をよぉーーく観察し知っている人ほど、その人らしい魅力が際立って輝いてるような気がする。自分の内を良し悪しジャッジせず比べず知る事はとても大切でコミュニケーションには特に要と思う。良い悪いじゃなく正解不正解でもなく独りよがりでもなくありのままの自分を隅々知っている人ほどコミュニケーションが上手く人間関係の距離感をとることができるセンサーのような気づき感覚を持っていてテクニックじゃない。そして、ありのままを受容してる人は自分以外に攻撃しない、平和主義・・・つづく

  • RYUSUI

    あこのひとりごと・・モノローグを書いてみてはイマイチぱっとしないというかシャンとしないので非公開のまま溜まっていた。最近更新されてないね?っておっしゃってくださる方もいてとても有難かった。何か特にあったわけではないけど、日常でちょいちょい感銘うけ感化されているようで私のあちこちの錆ついたねじが緩んでいる。いい意味でのゆるみ。多分このゆるみは超久しぶりのような気がする。強張った体やしばらく使わないでいた筋肉を伸ばし動かすアップみたいなもの。だから今も文字打つ手がスムーズに進まない。私のモノローグはサクサクっと進んでいた。ここ最近は進んでは戻りの行ったり来たりで表現できないままでいる。今もひき続きわたしをざわざわさせていて整理つかないままにさせている頭の思春期みたいな感じだろうか・・笑笑 些細なちょっとした出来事、1フレーズのコトバをきっかけに刺激がやってくる。刺激は私を内観させるキッカケをくれる。ふり返らせ改めさせ初心にもどらせたりする。いつのまにか止まっていたんだと知る。電池切れしていたわけじゃないけど、確実に電池が劣化していたのだろう。掛け時計の電池がいつからか遅れて動いていたりいつの間に止まっていたようなそんな感じだろうか。。。若い人の話を聞くこと、紀元前の人のコトバに触れる、明治時代近代の日本に触れると止まっていた私が動き出した。。勝手な思い込み・育った時代と環境の癖、思考のようなものから抜け出せてきたような気がする。私の一方的な思い込みと捉え方に固執して固く固く固くガンジガラメになっていた。もっとカルーーーーク 軽やかにいたい、濁る澱むよりは澄んでいたい。grosierという私が作った造語は柔軟にいる変化に順応適応しながら成長したい という思いがあって作ったっ言葉。水は流れているからイイと誰かが言っていた・・・流される と 流れている って全く別物。流されていたらラクだろう・・こんなはずじゃなかった・・いったいどこに辿り着くかわからない。流れているって自らの意思ある事、いつゴールに辿り着くかわからない。流れているってアクシデントもハプニングもラッキーもハッピーもある途中を満喫充実させていることだと思う。ゴールよりも結果より成果よりも沢山のことがある途中がもっとも味わい深く変化させるときなんだと思う。服を迷いながら選ぶってときも素敵なこと、その最中も楽しくおもしろい。。

  • 暮らし

    いろんなことにこの暑さはちょっとしんどい・・。そうは言ってもいろいろ思考癖があったりするのが人間。ラテン系の人が陽気でいられるのは考えても仕方ないから考えない、そういいながらネガティブ思考どっぷりだったときがある笑 せっかく思い耽るなら明るい想像やちょっと快適にちょっとハッピーになるほうにいるようにしてる。良い悪いの判断やジャッジってそもそもなくて錯覚かもしれない。最近、都心のゲリラ豪雨頻繁なニュースも大気の流れで急激に雨雲積乱雲発達するから起こるらしい。暑くなりすぎた地上冷やすのに大量の雨が降る。地球に意識があって考えてみたら、火傷級の暑さの場所を冷まそうと応急処置するはず・・なんて。逆に九州全域でほとんど雨降らず雨降ってほしいと願うところ。同じ雨も人間都合で良くも悪くもなるのだから、自然の恵みの中で生かされている私たち人間。目先のことだけにとらわれすぎずもっと暑さでおおらかになれたらいいソフトラテン系っていいかもしれない。笑 カリカリするよりはゆるーく トゲトゲするよりはふんわり がいいような気がする。本能と意思、意思と意志、感情と意思、文字にするとトンチみたいなことだけどそれぞれ違う気がしてる。うけうりで 悲観は感情、楽観は意思だと耳にした。生活というコトバより「暮らし」ということで捉えるようにしている毎日。ちょっと余裕とちょっとのんびりちょっと豊かなちょっとマイペースな気がするのは私だけ?暮らし方って自分の意思が現れるような気がしてる

  • スマート

    お店の様子がいつもと違うと・・・おもしろい。建物の外壁工事が行われるのに昨日今日とお店前にドドーンと大型トラックありで何事?!って感じ。この猛暑の外で足場を組む作業、エアコン効く室内のほほほほほんといてほんと頭が下がる。闊達な指示の声や応答の返事、足場の金属音カンカンカンと聞こえる日頃と違っていい。毎年このお盆過ぎは蝉しぐれのみで、帰省のお客様で賑わってからのこの時期ちょっと寂しく閑散、大体なにをするにしてもいつも一人で気楽とも寂しいとも思ったことないけど、人の気配があるのはいいものだなあと思った。なにか出来事、刺激があるって何かに気づける。手際よく進行するに要領がいるだろうしヒョイと軽く持ち運びされているにもコツがいるはずでスマートでカッコイイなって思う。大人になるって仕事にしても人との付き合いにしても生活全般にしても多様にできる事が増えていくことなのだろうと、ふと思った。一つを探求しながら深く知り極めていくことも素敵だ。さまざまな様子の変化に合わせ柔軟に変われることは大人要素のひとつなのかもしれない。お盆過ぎ移りゆく季節・・お洋服も時の流行に合わせ、季節や気候に合わせ、体形に合わせ、気分に合わせ、キャラクターに合わせジョジョに変化してるのが楽しい。接客の際中、着られる方のキャラクター!! 好きなテイスト、持ち物、ヘアースタイル、化粧、肌色も雰囲気だから似合う!ステキ!がある。大人が着るから醸し出す洒落っ気とても楽しい。だってその着る方が主役で彩りをくわえる脇役のアイテム。何を着ても似合わない楽しいと思えないってことは絶対ないただ見つかってないだけと思う。そして、自分が自分にきづいてない、気づけてないだけ。。

  • ZOOM

    グッタリ疲労・・というのが脳が刺激マックスでパンパン・・・zoomって有難い。場所を移さなくても受講できるセミナー。楽しみにしていた分聞き逃さないように集中するも途中で息ギレ、糖分ギレ起こすほど4時間強のブッ通しだった。集中力の無さを痛感。この暑さ体力疲労は毎日だけど、未知なる内容で頭フルフルで脳疲労は半端なかった。笑 頭柔らかい人はスーーーーーーっと浸透するように吸収されるのだろうなぁって思う。フィルターもなく抵抗もなくサクサクと入ってくる情報を処理するのだろう。そして、身につけ知恵となるのだろう。。学ぶ楽しさを感じるようになったのは大人になってからだ。。。笑 興味のある方へ惹かれる方へ進めることができるようになってからのこと嫌いな教科ができるの実は先生が嫌いだったり退屈な授業が原因だったり笑 元々性に合わないのもあるある。仲良くしてる友人も常に好奇心をアップデートしているから話題もつきずアップグレードしてるのが楽しくおもしろい。何でもいいから何か吸収していると動きになり変化になる。なんでも毎日のちょっとした行為。今の今の今を感じる。つくづく100年前は勉強はゴク一部の限られた人しかできない時代もあった、場所も時間も制約があった、そして、絶対にお会いすることもできないような方のリアルな考えや機会があるありがたい時代。自分で発掘していく好奇心のツボもあれば、周りの友人との会話きっかけで知ることもあったりする。楽しくおもしろく過ごすってライトな心やニュートラルに居るときにふわりとやってくるのかもしれない。ガチガチよりふわりとした包み込むような柔軟な女性が素敵と思う。そうなりたい。。

  • 足袋・・・

    和装にはコツと技が潜むそれは、真似て直ぐできるようになるものでは全くない。和装に限らず「道」とつくものは全てに言えることじゃないかなぁっと感じた。恥ずかしながらお茶を稽古してもらって早10年ぐらい経っているけど上達した気配は一向にない。お茶と私なりに付き合わせていただけているのも師匠と社中に環境に感謝だ。購入の際何かされているの?と尋ねられ お茶を習っていますと時間だけ経っているような私が言ってしまった冷汗 お恥ずかしいかぎりで恥じらいは自分を知るところだなーーって思った。奥深いものに触れると浅はかな自分を知る。奥深いもの=勉強ではないこと。着付けに茶道に奥が深くて楽しい、コツとテクニックも流れあって意味あるものばかり理にかなっている。1歩進み2歩下がるようなタイプの私はなかなか積み重ならないけど時間をかけてできることが向いているのかもしれない・・そういえば、なんでも時間がかかるし躓きコケルタイプだった。笑 なんでもかんでもすぐできる器用の方じゃ決してない、何度もこけて自転車と同じで乗れるコツをつかめば・・・ってところ。焦らずにマイペースにいこう何でも。知らない誰かと競うこと勝ち負けじゃない自分なりしっくりくるタイミングでコツがつかめるはず。。。自分の美学に沿っていこう。美学ってその人の行動の種なんじゃないかなぁって思う。夏休みやりたくないできないほどの宿題に多くの課題のある学生、学生なんて2度とできないと思うのは私だけ?だろうか? 勝ち負けにこだわるよりオタク級の趣味がある子はきっと道ができ花が咲くと思う。  

  • 足袋・・

    お店の扉を開けるなり「あなたに合うサイズの足袋ないよ」と言われた。全国放映され無くて当然でしょうと相槌。すると「足袋の選び方と買えるところを教えてあげるからよかったらあがって」と優しく仰って下さった。お言葉に甘えて居座り色んなお話を聞いた。江戸の火消しの旦那さんの為に火粉が足首に入らないように火傷しないように工夫していった女将さんの思いが原型で始まりだと・・(間違っていたらごめんなさい)単価・効率・売上げとかそうなってる時代だからなぁーー生きてくにゃ稼ぎがないとやっていけないでしょ 事実~コロナで全部停まって廃業やめちまったりあったと うちもどうにかこうにかやってこれたのも不思議なもんでね~みたいな噺家さん調でのお話を聞いていた。足袋はハーフサイズ刻みで4種類の型があったそうで、私も靴を扱うからわかるわかるって凄い数量の在庫になる。そして人それぞれを痛感させられるアイテムだ。足も体調と同じで日によってむくみ加減も変わるし馴染む靴が突然靴擦れになったりと思い当たる。たまたま!私の足が男性サイズだからたまたま!細型がポツンと量残っていた・これぞシンデレラ!笑 今までの人生でナイナイばかりだったのにこの度(足袋)は珍×レアが功を奏して超有難かった。しっくり凜とする履き心地の足袋は今まで経験したことないものだったし、見た目にとても上品で美しかった。男性みたいに見える足を格上げしてくれる足袋だった。和装は着方は勿論のことだけれどもサイズが極みだ!!大きすぎても小さすぎてもいけない。超絶妙な加減。そんな些細な加減と些細な工夫の施せる知恵ある日本人だったことを誇りに思った。細やかさというのは一人一人それぞれに合わせられるという優しさと思う。そして、その些細なものから感じ取れるのが気品やオーラや目に見えないものだと思う。目に見えないけど感じられる感じ取れるってそういうことってとっても楽しい。感じ取れる者同士のテレパシーみたいなものだと思う。

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