空間
先日東京で空間を感じた。人が先か場所が先か・・いわゆる、卵が先は鶏が先か・・みたいな話。旅先を選べるようになんでもわたしたちは選んでいる。ちょっと前だったら無理だったことが世の中いっぱいある。当たり前のことが増え過ぎたから、当たり前じゃないことに気づくことが難しくなってきてる。引退して家にいる父を身近で感じてると娘目線でアレコレ思う所あってそれを友人に話すと諭された。老いていく父を私が思ったところで彼の人生と。。私にはずっと理解できないだろうからそれを解ろうとするコントロールするよりもありのまま受け入れる方がいいと・・。私がどう感じ思おうと父の人生。父の父が98歳ごろまで田舎で独り暮らしをしていたのとつい比べ、日に日に老いる父に苛立ちがあったのだと思う私の深層。祖父と父は全く違うタイプだ。器用と不器用、何でもできる何もできない身内で比べちゃいけない。笑 個体の個性をありのまま受入れ・全てノージャッジ。良い悪い、正しい正しくないの2つだけの選択から選ばないように生きていきたい。多様性は違いを知った上でわきまえること。全てを受入れるではなく違いを知っておくことが重要。だから、答えを導く知識よりも様々な観点が必要になってきて、拒否否定するより違いを知ったうえでの振る舞いで自己防衛の仕方やスタンスも変わってくる。知ることは決して合わせること受け入れることでもない。何をするにしても知っている解っているのスタンスで物事を見るようになっては狭まって苦しくなるだけ。ちょっと変えて、わからないから父にはそっと見守っておくことにした。親族身内に対しても自分の意思で選択できる。こうでなきゃっていうのも思い込み、その前にまずは自分が自分のお世話をして、世の中一番大事にしてくれるのは自分しかいないのだと気づこう。