AKO’S Monologue

  • YO-CHI

    師走、、ひさしぶりに衝撃が走っった。常々、ユーモアのセンスがないと感じている私。。そう!そういう所が私には足りないトコロ!!というものだった。。以下抜粋。。

    直接的な反応をしないこと。思ったままをそのままに述べてはなりません。素朴さが何らかの意味を持つというのは幼い証拠・・・。自意識の素朴さを卒業して、自分の中の善良さや悪意という資質を客観的に眺めときに繊細に、ときに臆面もなく、状況に合わせて表現できる人間こそが大人。素朴であること、純真であること、そのままでは何も価値はありません。それは傍(はた)迷惑な幼稚さにすぎないのです。

    わたしの日常の心情とはちがう極端な意見だけど、一理ある意見だなぁ・・と思ったところでした。【 幼稚さ 】 というのが響きました。この反面教師のような この忠告のような 私自身、自分を振り返るのにこの年末に響きました。

  • 茶道具・・

    以前、お城、城跡がすきと書いたことがあって、そこに生きた人達の気配を感じるから惹かれるのかもしれない。。城の石垣を見て石切り場の人、運んだ人達、そこの前を通った人達を・・・そして、当時がどんな様子だったのかなって。。茶道具も古いものや貴重なものが多い。。戦国時代は、茶道具で命がけで守るなんてこともあったりでどんな時代?笑 異常さもある。 大量生産の時代がきて物を大事にしない今の日本、いちばんビックリしたのは洗濯するより買った方が安いからという考えもある記事。海外に行ってよく思ったのはお店が少ないこと。市街地は別としても物を売る量もお店も日本は多すぎる。モノが多く溢れているのに満たされてない心の病人が多いという記事も読んだ。とっておきの、お気に入りのモノたち・・茶道具は一期一会のものが全て。一期一会っていう言葉をよく使う知人を思い出す。モノは残っていくけれど、消えていくのは人。前の世代が残していった物事は負の遺産も残っていく・・。今ハヤリっぽいSDGsも自分さえ良ければを一人一人が心がけたら変わっていくだろう・・・。ラクよりちょっと不便だけど・手間をかければ を選んでいけば違うはず。。わたしたちは地球の所有者でもなければ、宇宙の中心でもない という記事 人々が多くのモノに関わっている。

  • 茶道具

    知人のお茶道具の展示会に行ってきました。日常で使えそうなもの茶道具から極上の珍しい物まで、ホント目の保養させていただきました。店主の知人は、お店がオープンするときに知り合ってからの仲。物凄い教養とセンスをもっていると知っていたけど、私と話すときは気さくなお茶目なオジサン・・笑。掛け軸の書(字)も読めない・・笑 ありとあらゆるお道具が並ぶが どれも????だらけで本当にモノを知らないことを痛感した。私がお茶をはじめたキッカケは、おそらく幼稚園だと思う。正座して手をついて何故か?お茶椀を手前2回、にがいお茶を飲んだら向う2回、懐紙にのせられていたのも??ココナッツサブレ1枚の日はラッキー!甘納豆3つの時はガッカリ。当時はあずきやあんこが大嫌いだった。笑 子供ながらに不思議で妙な世界を感じたからかもしれない。それから、時間経ち30後半から初めて身になっていないけど、私にとって茶道は歴史、文化、季節、教養のお勉強時間で師匠に楽しく続けさせてもらっている。お茶と言えばお点前だけがメインになっているけど、もちろんお点前も理にかなった一つ一つの動きが気持ちいい。道具一式のあつらえ全てに表の意味ともうひとつ奥にある深い意味が隠れたりしてとても面白かったりする。なるほどなぁって思う。和歌や古今和歌集、伊勢物語、源氏物語、地名なども絡んできたり、例えば、お正月の祝い意味を隠しもつデザインであったり、古い唐物のお茶碗(当時の海外韓国や中国などからの入ってきたもの)欠けもなく残っているのも奇跡的だけど、誰かの手から手へ渡り。お作のわかっている道具だとその方の生きた証になっていたりもする。。美術館だと鑑賞しかできないけれど、茶道は道具なのでリアルに使用するから扱い方も丁寧に手で触り学べる。

  • 表現

    口頭のことば、目にする言葉も解釈が人それぞれで違ってきている。。伝えた側と受けとる側の考えと解釈のちがい。伝えたいことがうまく伝わらないことも多い。相手のことを考えてわかりやすく伝えたいけれどなかなか難しい。目にするコトバ=情報は多いけど事実に基づいたものかそうじゃないかもわからないものが多すぎる。

    オシャレの解釈だって人それぞれ。「大人っぽい」というのがどういう雰囲気やニュアンスを表現してコトバにしてるかも全然違う。ブランド?価格?着こなし? 結局、一つのアイテムだけでは完成しないのがオモシロイし楽しいことと思う。それがめんどくさい・・って気持ちもわからなくもないけれど楽しくオモシロイことにしたほうがいい。。。「カジュアル」「気品」「知性」「セクシー」の表現いろいろ感覚もいろいろ。その本人のイメージと解釈があるから、私はその方の雰囲気や気分や気持ちを尊重したい。雰囲気だってその人の一部が決定づけているわけではなくてトータル・全部でだと思う。惹かれる色、デザイン、好きなシルエット、落ち着く、着やすいお洋服のセレクトの仕方もその方次第でBESTセレクトがいい。ちょっとの +/足し算 と -/引き算 をお伝えしながら身近でできる楽しみ方、面白くすること、気分上がることが着る事でもある気がする。

  • ご用心

    お洋服、オシャレが好きで来店してくださるお客さま。最近、耳にするのがデリカシーのない言葉のトゲ棘を受けてこころのダメージを受けている方が多い。私も含めてただお洋服が好き、オシャレに興味がある、テキトウなものを着ていたくないだけ・・。決して人目線で服を選んでいるわけではない。自己満足でシンプルに自分の為に楽しんでいるだけ! デザイナーのだれの言葉か忘れてしまったけど、「 装いは知性である 」と。私も思考の現われで装いはその方の一部だと思う。私も含めお客様もコンプレックスがあったり自分をよくわかっているから吟味して選んでいる。洋服を着る事で生活を明るくしたり自分に勇気づけたり自信をつけたりして工夫している、心地よくいられるように・・。それを無意識に思ったことをすぐコトバにして平気で人を誹謗中傷するのはどうかと思う。周りと自分を比較しないし、あくまでも自分は自分と自己肯定できるから客観的に見て服選びしているからのマイスタイルの追及で、流行に左右されない距離の取り方ができるのだと思う。。距離感=コロナで出たキーワード。コロナが始まり2年を迎え「人は人」「自分は自分」とあくまでも受け入れるキャパが必要になってきているのかもしれない。客観的に物事を見れることは大人として必要な技術だと思う。自己中心にしか見れないのは子供といっしょで、自分本位で思ったことをすぐ口にするのは親しい間柄でもどうかと思う。人と会う機会が増えてきたとき何気ない言葉でコミュニケーションに亀裂や相手を平気で傷つける人が増殖中。ウイルスよりも怖いかもしれない。。ご用心。

  • 貯筋肉

    創った造語 貯金を文字ってプラス筋肉で チョキンニク!!筋肉の貯えることも大事だから=貯筋肉。笑 肉体を支える骨や筋肉は大事。先日も研究熱心な深堀りする友達といろいろ話していて刺激をうけた。彼女の得意とするカラダ&生活全般ジャンルを聞いているとオモシロイ。わたしの得意ジャンルと違うけれど重なってくる根源!わたしも服を着てオシャレを楽しむ心も・・結局は身体とこころの健康あってのこと。楽しむ余裕って日常の健やかさだと思う。この健康維持してのもの。健康の維持の仕方も人それぞれでいい。前は、若さが眩しく輝いてみえたけれど、今はさまざまな経験からの考えを持った大人女子と話しているとなんとも言えないえないしなやかな美しさを感じる。お店前の街路樹が赤黄色、濃いえんじ色の枯葉が風に舞う・・掃き掃除しても はらはらと落ちる葉はきりがない。青々と生い茂っている葉には目が留まらなかったけれど、色のせいか・・うつろい、はかなさのせいか目がいく。若さに固執することなく、はかなさ・・可憐・・今を受け入れて今がこれからの未来をつくるから。なんでも・・。 

  • NIWA

    庭掃除をしていると夏に比べて雑草の生えるスピードと勢いがゆっくりしてきたことを感じ・・落ち葉がふえ、金木犀の花も散り、ピンクのさざんかが咲き季節の移りゆくのを感じながら庭作業。もちろん、こんなに季節は変わっていても だいっきらいな蚊がいて・・・ニガ笑 綺麗にしていけばいくほど、小さな小さな草が目にとまり気になっていく。。。禅寺の美しさを最初見ると正直、異常さを感じてしまうトコロがあるけれど、いつも手入れをしている方からすると自然とそうなっていってしまったところがあるのだろうなぁー--と思った。私の庭掃除もそうだったから・・・。綺麗にすればするほど、シンプルになればなるほど、整えば整うほど際立つ乱れと崩れ。花びらが散っていってしまうのでほどほどにして作業終了。草をとっているとうら銀シジミ(蝶)が私の気配に飛び立とうとするも飛び立てないでいる様子でいた。目を離すといつの間にか飛び去っていたがきっと冬前にいなくなってしまうのだろう。。庭作業していると意識の仕方で見えてなかったものが見えてくるもの。虫は嫌いだけど、いつの間にか姿を消す虫たち。意識の仕方・置き方は自分自身で変えることはできる・・・なんでもそうだと思う。。。大人になって変えることは自分自身でしかできない。。エレガンスって「選択する」という意味を持っているそうだ。do or don’t を選ぶのは自分。エレガントな女性は自分の意志が色々なところで感じられるからステキに映るのかもしれない。。 

  • 林檎

    頂いたリンゴの香り良いのでついつい2個ペロリ食べてしまいました。歯ごたえシャキッシャキと甘みもあり私好みの食感としっかりとした濃い味・・矯正始めて以来のリンゴだったような気がします。笑 歯茎と歯が痛いのでリンゴが怖くて怖くて避けていたところ・リンゴのあまい香りの誘惑に負けて食べると・・虜・禁断の果実だけあるある!味! お客さんと林檎話題で花咲き、リンゴ種類の情報交換いろいろ聞きました。因みに、頂いた品種はシナノスイート。頂いた方に果樹園さんの名前を聞いて即電話する入れ込みよう・・笑 なかなかつながらない電話やっと18時過ぎ遅い時間の電話も失礼と思いつつもトライ。もう一度あの味が食べたいなとようやく繋がり、農家のおじちゃんのぶっきらぼうな言い方で「もうシナノスイートは終わったよ」「次はふじで12月」と言われ切られてしまいました。収穫の時期が短いのもあり、その旬のその瞬間を味わうこと!!色々調べてみると林檎の品種ごとの収穫時期はそれぞれ。。それぞれの林檎をその時々で楽しむものだと。。もう今年は食べられない・・・シナノスイート。ちこちゃんに「ボーっといきてるんじゃねぇよ!」っと突っ込まれたいところ。旬=一瞬だわ・・旬を味わう「時」を感じた。そして、「その時」を満喫する。また再び一年後食べる味を楽しみにして待ちたい。。

  • GO

    となりの島根県だけど山口県と勘違いしてしまう津和野に行きました。かっこいい城の石垣がある津和野。小高い山頂にあるからこっそりひっそり天空の城ラピュタのように感じるスポットもあったりする。何度か訪れていたけど初めて今回歩いて登った。去年整備されたらしく新しく舗装と整備されていたのでスムーズに登頂。城跡には立派な紅葉があちこちにあり色づいてる木もあり紅が美しかった。帰り道違うコースいくことに・・人手がほとんど入ってなくうっそうと茂る林、暗く獣道よりちょっと広い道で厚い落葉の上をひたすら歩いた。人の気配なく始めてで土地感もわからない道は、ずっと来た方向を背にして真逆に進んでいた。一瞬、引きかえそうか迷ったけど、2度としない体験になるかもしれないし、道は続いてるからどこかに下りるはずと・・・。突然、明るくなるといつの間にか下山していた。笑 キョロキョロしていると大きな一本杉(確か幹回り4.7メートル)どっしりとカッコよく根をおろしていた。そこは由緒ある神社だった。途中ちょっと焦ったり後悔したりしたけど、結果オーライ!!進んでみれば何か発見あるものだなーーっと。ちっさなプチ冒険もたまにはしてみるものだわ 笑 知らないことをドキドキ楽しむ冒険こころ、、大事だわ!!

  • パパたち

    日ごろほとんど男性と話はしない。取引さんや知人と話をすることがあった。だれも皆珍しく!晴れない様子だった・・。元々明るく活発なイメージだったから会話をしていくと仕事の事でじゃなくて、それぞれ息子や娘のことが原因だった。私に子供もいないし母親でもないから心痛める具合や悩みは想像つかない。皆ぶ厚~~い雲が覆っている様子のだった。自分本人の事なら皆自分で気持ち切り替え、考えに踏ん切りつけたり解決する方へと行動していけるタイプなのに、子供たちのことになるとそうはいかない様子で悩んでいた。。子育てしながら親もいっしょに成長させられるというのは正にこういうことなのだろう・・・それが今なのだろう。正しさではないからいろいろ切なく心痛めるのだろう。そのとき(一瞬)のその答え(かける言葉や態度)は、その本人(気持ちと感情と環境)次第なのだろう。私が彼らの立場ならどうするかな・・っと言っても、子供本人の個性タイプ次第だろうと思う。彼らがあれからどうしたのかはわからない・・。すぐに解決もでないから時間をかけて子供の成長とともにふんわりと薄まっていくかんじなのだろう。。口数少なめ男子たちは相談もせずに父親としてあれこれ考えながら、働きながらいろいろ抱えているのだな・・・って感じた。

  • 女優

    草笛光子さんが88歳だということそして、今もピンヒールを履いていらっしゃるの!!とお客様から聞いた。何が違うのかな??っ!!。ずいぶん前、岩下志麻さんが椅子の背もたれを決して使わないということを聞いたことがある。天海祐希さんが出演したものを観て自分は完璧と思い反省しなくなったら女優をやめると言われていた。女優として、その方の考えや生き方がオーラとなってもっとその方を輝かせているのだと思う。一般社会人は観られるという事はないけど、自分自身がどんな人でいたいか、どんな人柄でいたいか、自分次第でいられるような気がする。 わたしはコンプレックスの塊で被害妄想で超マイナス思考でいたときもあった。ないものねだりをしていたし人と自分を比べてばかりいたし身長が高いことを全ての言い訳にしていた時期もあった。ニガ笑 確か・・・中国で身長を高くする手術に失敗して歩けなくなっている同年代の男の子が出ていた番組を見たときに私のコンプレックスも諦めがついた。ホント何気なく見ていた番組。どうしようもできないことがある!どうにかできる事とできない事。どうしようもできないことは悩んでも仕方ないから考えるのをストップする!!やめる。自分ができる事を日々意識して継続したから女優の方々の品と美しさと凛々しさがあるのかもしれない。一日の3分×30日×12か月×年数 長い目で見ればドンドンドンドンドンドンと微差が大差になっていく。。

  • 日々

    いろんな方と話をすることがホント有難いな・・と思う。もともと学生時代は、いろいろギクシャクし衝突したり、イヤなこと苦いことも多かった人付き合い。自分の気性の粗さが原因だったり、コトバ、言い方話し方に問題があったのだと反省しつつ今思い返す。。だから、反動で口数少ない時期もあった(=貝の時期)笑。自分が人付き合い=コミュニケーションを自然にスムーズにとれるタイプじゃない事に気づくのが早かったかもしれない。社会人4,5年経ったころから少しずつ話ができるようになっていった気がする。それは接客ができるようになった頃と重なる。コミュニケーションってホント技術なのだと最近またつくづく感じることがある。いろんな経験や思いをしていらっしゃる方だから出る言葉。。。この社会でコミュニケーションの取り方も変わったから益々感じるコミュニケーションの大事さ。コミュニケーションのエチケット!!接客通して多くの方とサマザマな会話することで、その方の経験と想いと考えを少しお借りできてるからだと思う。人と人の間には物が存在する。物のやりとりがあって成立するけどそれだけじゃないのだと強く思う。コロナをきっかけにモノだけじゃ満たされないことに気づき始めた。自分自身に関心を寄せる人、家族一員の動物や植物に注いでいる人もいる。どこでも物は買える。誰から・・をもう一度振り返りながら日々いたい。

  • 北風

    ここ最近になって北風が吹き始めた・・北風と太陽 イソップ物語をいつも思い出す・・。誰もが知っているお話。北風と太陽が一人の旅人のマントを脱がせようと競いあう話。北風は自信満々で自分の風の勢いがあれば容易く飛んでいくと思っていたがそうはいかず、結局、太陽のポカポカと温かい陽を浴びて旅人自らがマントを脱ぐことになる。 この話からいろいろな教訓がある。。力任せや物理的なことで人のこころは動かせないということ、思い通りにならないということ。焦れば焦るほど逆効果になっていくシチュエーションによって柔軟な発想をもって行うこと。急いで結果を求めずじっくりと時間をかけることも必要だということ。温かさをもって接すれば人の心も動くものがあるということ。毎年、北風を感じるとこのイソップの話を思い出す。。。笑 いい年になって人から注意も指摘も受けなくなり自分を改めることも見返り反省することもなくなる。年を重ね横柄になったり、ずぅずぅしい自己中心的に振舞ってしまうので気をつけたいなと思うこの頃。。先日、病院の待合室で大声で話し物の言い方もコトバ遣いもこの人はいつから?こんなオバサンになってしまったのだろう・・・ってつい思ってしまった・・きっとこの人も可愛らしい時期がきっとあったはずと・・。

  • kyo-sei

    矯正治療をはじめてから・・かれこれマル3年と半年経ち。0歳だった赤ちゃんが3歳と6ヶ月の子に例えることができると・・ずいぶん月日が経過したなぁって思う。その間、矯正治療といえば 歯の表面にブラケットをつけてワイヤーをする治療しつつ、クチの内側に拡張器をして約2年ぐらいは装着していた・・その器具がやっと外れた。話をするのもスムーズだし、いちいち食事の度に外さなければならなかったし、ジワジワ拡張する装置だったので頭痛に襲われた時期もあった・・それが卒業だからめっちゃ嬉しい!!!!!はずだけれど、取れたら取れたで不安になるもの。。笑 先生に「絶対に横向きで寝ないでくださいね」と注意されている。頭の重さがあごにかかるとせっかく拡張した顎[U字型]が頭の重さで歯並び[V字型]になってしまうから・・ひやひやドキドキもの。寝相って無意識にその人の心理状況がでるものだから、意識しているときは真上を向いて寝るが、私自身ちょっと疲れていると自然と横向きで寝ている傾向になるような気がしてる。笑 人間の心理心境ってホント複雑だったりする。笑 一定を保つってそうそうない。。笑 一生つけてはいられないのだから・・と先生もつぶやいていられた笑 一生という表現で、一生舌のトレーニングは続けてくださいね!!とも言われた笑 一生って表現・・あんまりする機会もなければされる機会もないはずで・・ちょっと笑った。お洋服で昔は一生モノって言って高価な服を買う時に説得か納得かわからないアンジをしていたものだった・・笑。一生といえば、結婚式の誓いで一生涯~と宣誓するときぐらいしか想像つかないのに・・・わたしは、舌のトレーニング!笑えてニガ笑。

  • Seme

    攻めと守り・・・おしゃれで攻めてるなぁ・・って表現があった。少し前の過去のような気がする・・。今、見直されてきている・・60代70代のオシャレを楽しむ女性のインスタグラムに注目が集まっている。その方々誰一人として、守りではなく、保守的なオシャレをしている人はいない。表現としては攻めてる!!【セメテル】色使いにしても、アクセサリーにしても大胆に好きを通していて、憧れの的になっているからフォロワーが多いのだと思う。その方々のスタイルと共に考えが感じられていい。年齢を気にしてしまう日本人女性。「可愛い」が何よりもTOPに君臨している価値観の社会にいるから仕方ないかもしれない。。可愛いが見た目だけのものでは決してない、素直さも可愛いらしい一面だとも思う。せめてるって攻撃的なだけではなくて、自分らしく凛とした佇まいでもあると思う。自分のスタイルがある人は、自分の考えのある人なのだと思う・・。自分の良し悪しでジャッジしてお買い物して身につけているのがお洋服。お家時間が長かったから内も外も境目がなくなってしまった。その中でも着ることお洒落心を楽しむことをしているのもスタイルなのだと思う。誰の為でもない自分の為。自分らしくいるため、ムリもしないでイイ・・、心地よくいられたら・・それを感じさせてくれる御姉様たち。

  • マロン

    まだまだ暑い日中だけれど、朝晩は涼しく秋の味覚の時期をむかえている。新米だったり、栗だったりと・・。ほっくりしたマロン好き女子は多いのではないだろうか・・笑 わたしも栗は好きだけれど、口にする時期がホント短い。ケーキ屋さんでは年中モンブランはあるけれど・・・。栗ごはんや茹で栗が、口にできるのはわずか。正に旬を楽しむ。 最近、妹が栗をあちこちから10日1度は届くというような取り寄せをしているので 栗剥きをする機会が多い。。最初はいやだったけれど、、ひたすらむき続ける・・・モクモクと剥くという地味な作業を日ごろしない私だから楽しくできていたりもしている。。笑 栗ごはんの栗の厚い皮と中の渋皮を剥くシタ処理が大変。毎日、家族に料理を作っている方にすれば、面倒な手間のかかる作業なのだと頭が下がる。。私みたいに気が向いて「たまに」というタイプだったら楽しめるけど。食べるだけの料理をしない人たちは、感謝しなきゃだ!!稲作をしてお米作りをしている人、スーパーに並ぶ野菜も全て人の手と時間がかかっている。。食品ロス・・ホント勿体ない。罰があたる。。。兼業農家でお米を作っていた祖父がお釜の一粒も無駄にせず食べていたのを小さい頃は貧乏くさいなぁって思った、わたしをホント恥じている。収穫の季節、秋の味覚を楽しむのに、見えていない全てに感謝して楽しもう。。

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